獅子は宵闇の月にその鬣を休める

[小話] 苦労性の男

くろう‐しょう〔クラウシヤウ〕【苦労性】
[名・形動]小さいことまで気にかけて心配する性質。また、そのさま。「見掛けによらず―な男」

引用:デジタル大辞泉


苦労性の男にもちょっとした休憩は必要だよね、という話。

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その日は休日ではあったが、獅子王は珍しく近衛騎士隊長のヨシュアを連れて仕事をしていた。休みの日に陽王宮で執務を取ること自体はよくある光景だったが、そのような場合は近衛はほとんど使わない。ただ、今は襲撃後の貴族の沙汰や、後宮の解散、さらに雨王の神殿で行っている騎士達の訓練も佳境とあって、かなりばたばたしている。つまりは、忙しかったのだ。

忙しい中でも獅子王は時間を取っては月宮妃と過ごし、夜は自分の寝室で過ごすことは無い。自室に戻るときは朝戻ってきて着替えをしたり、入浴したり、軽い食事を取ったりする程度だ。入浴や朝食もたまに月の宮で済ませている。

いつだったか、月宮妃が月の宮に入ったばかりのころ、その宮に10日連続で通っていた皇帝が3日ばかり宮通いを止め、冷気を噴出させて不機嫌極まりない様子で過ごしたときがあった。あの時は真剣に怖かった。

何が怖いって、3日間の絶対零度も怖かったが、4日目の機嫌のよい様子がさらに輪をかけて怖かった。機嫌がよすぎて従卒が腰を抜かしかけたほどだ。確かに、表面上は淡々と執務をこなしているように見えた。だが、時折執務の手を止め、従卒の淹れた紅茶のカップを片手に窓の外を眺め、ふ……っと、瞳を細めて微かに笑うなどしていたのである。

あの皇帝陛下が窓の外を見て、ふ……って。ふ……っ。どうでもいいが、ヨシュアの主君である皇帝陛下……獅子王は恐らく帝国で一番紅茶のカップが似合わない、というのが月宮妃との共通した意見だ。

そういえばあの時は、月の宮の護衛を担当していたカイル、ギルバート殿の2人と昼食が一緒になったのだが、何かしら、うわ言を言っていた。「……ど変態……指げんこつ……」とかなんとか。皇帝陛下自身が雨王宮に現れた時間も、執務時間のギリギリといったところだったはずだ。一体何があったんだろうか。深くは追求していない。世の中には聞かなくてよいこともあるのだ。

「ヨシュア」

「はい」

「ルルイエの件だが……、ライオエルトは雨王宮か」

「夕方までには陛下と要件を詰めたいとのことでした」

「ふむ」

手元の書類を眺めながら、皇帝陛下はなにやら考え事をしている。内容はもちろん、先日の夜会での出来事だろう。月宮妃の飲んだワイングラスにガラスの破片が仕込まれていた上に、中庭で襲撃に合ったのだ。ガラスの破片については、後宮のサーシャ姫が犯人ということで収束している。現在はその沙汰についてライオエルトが中心になって話を進めていた。

ノックの音が聞こえる。

ヨシュアが席を立って扉を開くと、護衛を伴ってリューンが現れた。お茶を共にするように、と、アルハザードが呼んだのだ。

「陛下、リューン様がお見えです」

「入れ」

アルハザードが立ち上がり、部屋に入ってきたリューンを出迎える。距離を詰めると、その細い腰を引き寄せて額に口付けを落とした。ヨシュアには見慣れた光景だったが、この人、わざわざいちゃついているところを見せているとしか思えない。アルハザードはリューンをソファに座らせると、自分は立ったままその黒い髪を指で弄んだ。

「来たばかりのところすまんが、少し俺は席を外す」

「ええ。待っていても?」

「ああ」

アルハザードはリューンの頭を撫でる。

「ヨシュア」

「はい」

「ライオエルトのところに出向く。ここを頼んだ」

「はっ」

一礼するヨシュアに頷くと、アルハザードは書類を手に雨王宮への転送陣を置いている部屋へ身を翻した。

え?
月宮妃とふたりきりですか?

「ヨシュア殿。お茶でもいかがですか?」

「あ、いただきます」

首を傾げたリューンにヨシュアが一礼し、手伝いのために茶器の置いてあるところまで先導する。

月宮妃が淹れたお茶は美味しいのだ。

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「……と、いうわけでして、今リューン様のなさっているネックレスを作ったときの陛下の真顔っぷりといったらそりゃあもう」

「え、自分で選んだの?」

「ええ。ご自分で。あのご様子で、そのような可愛らしいネックレスのデザインを細工師に伝えておられて」

「うっわ、ダメだ、私、その場にいなくてよかったわ。確実に吹く」

「あれは苦行でございました」

「相当腹筋鍛えられるわね」

「ええ、まさに」

リューンはヨシュアからアルハザードの話を聞くのが好きだった。ヨシュアは、帝国の3将よりは若いが、従卒を経て近衛になった経歴もあり、長年アルハザードに仕えている。リューンの知らない彼の話を聞くのは面白い。しかも、なぜかヨシュアとは会話の馬が合うのだ。

「今は、宰相閣下のところに行っているのかしら」

「ルルイエ伯爵の件で」

「なるほど」

「ラーグ子爵のことも完全には解決しておりませんから」

ヨシュアは、ラーグ子爵が中庭に侵入した件を詰めていたときのアルハザードを思い出す。あのときの獅子王の半眼っぷりもすごかった。視線が人を殺すならば、一息に4,5人は殺れる。

「100回死なせる、とおっしゃっておりましたよ」

「アルハザードの場合、本当にやりそうで怖いわね……」

「陛下の場合冗談になりませんよ」

「冗談言う姿も想像できません」

「うぐっ」

ヨシュアが笑いをこらえた音だ。

「それにしてもラーグ子爵ねえ。あのハゲ狸か」

「ハゲ狸ですか」

「ハゲ狸ね。しかもあれほど見事な小物フラグは類を見ない」

「フラグ?」

「フラグ」

月宮妃はたまに、よく分からない言葉を使う。

「アルハザードはそろそろ帰ってくるかしら、お茶を淹れ直しましょう」

「陛下が戻られたら、デザートを持ってこさせます」

「アルハザードに紅茶とデザートて、私を死なせる気ですか」

「陛下はあれで意外と甘いものもいけるというのがまた」

「ちょっとやめて」

ヨシュアが遠い目をして、今度はリューンがぷるぷると笑いをこらえている。ああ、そういえば。ヨシュアが爽やかに笑って、頷いた。

「今日は確かくるみのキャラメルタルトだったかと」

「あれ! あれすごく美味しいのよ。好きだわ」

「では、それを用意させ」

「ヨシュア」

「フゴッ(白目)」

執務室の温度を一気に下げた唸り声に、ヨシュアは今自分1回死んだと思った。紅茶が喉に飛び込み一瞬川の向こう側が見える。ああ。分かります。もちろん分かりますとも。周囲を威圧して止まない重い雰囲気。高い位置から振り下ろされる鉄槌を思わせる獰猛な声。ゆるりと立ち上がった獅子の如く目の離せない存在感。そんな人は1人しかいない。

帝国で一番ティーカップの似合わない、不屈の獅子王その人だ。

「へ、陛下!?(裏声)」

「俺は仕事をサボれとは言っていないが」

ヨシュアは脊髄反射で起立した。

うわ、声ひっく。こっわ。

主君は一体何に怒っているのだ。月宮妃にお茶をいかがと言われて、一緒に飲んでいただけではありませんか。そもそも「ここを頼んだ」と仰られていたのは陛下でしょう。罠か。これは罠なのか。

「ずいぶん、リューンと楽しそうに話していたな」

やっぱり罠か!

「アルハザード、おかえりなさい」

「ああ。待たせて悪かった」

うわあ。声甘いですね。自分に向けられる声と全然ちがいますね。

「アルハザード、休憩を? お茶を淹れ直します」

リューンが立ち上がって首を傾げると、アルハザードが距離を詰め、瞳を細めてその身体を抱き寄せた。その途端、獅子王の冷気が一気に通常稼動に戻る。さすが月宮妃は陛下を分かっておられる。ナイスアシスト!

「でででででは、私は急ぎお茶菓子などを用意させに参ります!」

「ヨシュア」

「はっ」

アルハザードはリューンを抱き寄せたまま、ヨシュアを一瞥した。

「別に急がなくてもかまわん」

……高速で取ってきてやる! 自分の分も!

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忠告: それは無謀(いろんな意味で)


ヨシュアに幸あれ。