朝までよく頑張ったね、という話。
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オリヴィアの実家から献上されたイチゴのワインの今年の銘柄は、リューンの月の宮にも届けられた。いつものように、夜、月の宮に訪れたアルハザードは、その日は珍しく酒を嗜んだ。その席で、イチゴのワインも開けてみようということになったのである。
「ほんとだ。ヴィアの言っていた通り甘くて軽い。飲みやすい」
「俺には少し甘いな」
外見からの想像通り、アルハザードは酒に強い。これで下戸だと詐欺だろうとリューンは思う。酒も、ずしりと重く苦みのあるものが好きだった。逆にリューンは、やはり女性らしく甘くて軽いものが好みだ。イチゴのワインは風味が豊かで、よい香りがした。
甘いと訴えるアルハザードには、琥珀色のウィスキーとよく似た酒精を用意して、リューンはワインを楽しんだ。どうでもいいが、獅子王にはやはり紅茶のティーカップよりは酒のグラスの方が似合う。似合いすぎて吹きそうだ。どこからどう見ても正義の味方には見えない。
「ところで、サーシャ姫のことはどうなったの?」
「結局は、独断で実行したのだろうということになった」
「詰めが甘いなあ」
「誰の」
「お姫様の」
「ああ」
いつものこととはいえ、酒の席でも色気のない話だとアルハザードは苦笑する。だが、2人とも声は正常だ。リューンは年齢の割には結構な量を飲んでいるようだったが、顔色も変わっておらず声のトーンも普通だった。アルハザードとしては、酔ったリューンも見てみたく、多少、面白くない。
「あのお姫様らしいといえば、らしいけれど」
「らしい?」
「あまり深く考えて実行するタイプじゃないみたい」
「そうだな」
「前に一度、侍女の人を見たことがあるけれど、ちょっと浅はかな感じだったかな」
「侍女?」
「うん」
アルハザードは聞いていない話だった。なんでも、陽王宮でサーシャの侍女とオリヴィアの侍女にひと悶着あったらしい。その場にいたリューン自身は被害を受けていないようだが、話を聞いてみれば、何かあってもおかしくないではないか。なぜすぐに報告をしないのか。夜会の時にリューンが無茶をしたことも思い出され、アルハザードは少し不機嫌になり、リューンを責めるような口調になった。
「なぜ黙っていた」
「言うほどのことじゃないって思ったんだもん……」
「カイルにも口止めしたのか」
「口止めっていうほどじゃないよ……」
「言うほどのことじゃないというのは俺が判断する」
「だって……」
「リューン?」
いつもと違う弱気な語尾に気がついて、アルハザードがリューンの顔をちらりと覗……こうとしたとき、唐突にアルハザードの胸にリューンがもたれてきた。吐息が近く、瞳が潤んでいる。リューンが力を込めたくらいではアルハザードの身体がどうこうなるわけもないが、いつもと違って頬が上気した様子に気圧されて、少しだけ身を引く。
「お前、飲みす」
アルハザードの言葉がリューンの唇で塞がれた。リューンの身体は夜着越しにアルハザードに密着している。唇はすぐに離れて、首をかしげた表情でアルハザードを見上げてきた。
「心配しなくても大丈夫よ、ね?」
……なにが?
アルハザードはワインをいれていたデカンタを見た。空いている。空いている?
「リューン、お」
「アルハザード……」
しかも、さっきまで言葉も様子も普通だったのに、なぜ唐突に限界突破で酔っ払っているのだ。酔いが顔や態度に出ない性質なのか。
……しかしよく考えてみるとこれは……。
リューンから抗いがたい艶めいた声で呼ばれ、何か返事をしようと開きかけた唇を、アルハザードはもう一度塞がれた。今度はリューンの体重が思い切りかかってくる。唇を触れ合わせながらゆっくりと押し倒され、ソファに沈み込むようにアルハザードは身体を倒した。寝所では常に攻めているのはアルハザードだ。寝台の上のリューンは、甘く従順で感度も反応もいい。だが、自分から求めてくることはそれほど多くはない。こんな機会を拒む理由などどこにもない。
上にいるリューンの肩を軽く抱き寄せ、されるがままにしていると、やがてリューンの可愛らしい舌がアルハザードの唇を割って入ってきた。アルハザードはリューンの頭に手を回して押さえてその侵入を受け入れる。誘い込むように舌を絡めてやると、「……んん……」とくぐもった声を零して、唇の角度を変えた。
何度か角度を変えながら口付けを交わしていると、やがて唾液が交じり合う音が響き始める。リューンはアルハザードの唇から少しずれ、アルハザードがいつもリューンにするように、今度はリューンがアルハザードの首筋に顔を埋めた。小さな唇で、耳をかぷりと噛んで、ぺろりと舐める。
「……っ、リューン……!」
ゾクリと背を何かが這うように感じ、アルハザードの身体が熱くなる。リューンはさらに追い討ちをかけるように「アル……」と色を含ませた声で囁いて、耳を甘噛みしてきた。アルハザードはもどかしさに耐え切れなくなり、逞しい手をリューンの細い腰へと回す。だが、リューンはその手を拒むように掴んだ。
「ねえ、アル……」
「リューン……?」
腰に回そうとした手を止められたアルハザードが抗議しようとした声を、名前を呼ぶことで止めて、リューンはもう一度耳元に唇を寄せる。そして、驚くほど甘えた声を出した。
「アル……あのね?」
……なんなんだ。
「お願いがあるの」
……!
「ぎゅーってして?」
……もう一度言え。
「ねえ、ぎゅーって」
ああ、もう一度。
「アル、ぎゅーってしてくれないの?」
獅子は陥落した。
アルハザードはリューンの身体をきつく抱きしめた。自分の唇の側に寄せられるリューンの首元に強く吸い付く。あとで痕になるだろうことは分ったが止められない。自分の息があがるのが分かり、一気にむしゃぶりつきたくてたまらない。だが、そんな熱っぽいアルハザードを軽く無視して、リューンはがさごそと動き始めた。猫が懐くように、アルハザードの首筋に頬すりしてくる。しかも、頬すりする度にぺろんと首筋を舐めてくるというおまけ付きで。
「リューン……おい、」
唐突なリューンからの愛撫に、アルハザードの理性は崩壊寸前だ。愛する女からのこれは試練か。試されているのか。それとも、このまま食らい尽くしてもかまわないのか。されるがままにしておきたい気もするし、襲い掛かりたい気もする。いずれにしても最終的には捕食という結果になるだろうが……。
常ならぬ前菜の選択の余地にアルハザードは一瞬悩んだ。だが、どちらにしてもやっておくべきことがあった。アルハザードはリューンの夜着をまさぐる。全てを堪能するのに服は邪魔だ。細い肩紐を下ろして横から胸のふくらみを探す。
やがてリューンの手が、アルハザードの上衣をまさぐってきた。華奢な手が大胆にアルハザードの硬い筋肉を撫で上げる。かり……と軽く爪で引っかいたり、つつ……と指でなぞったりして遊び始めた。思わず、「……うっ……」などという弱気な声がアルハザードから零れてしまう。首筋を舐めているリューンの息は上がっていて、それもアルハザードを欲情させた。
これ以上は無理だ。我慢できない。そう思っていたら、リューンの手がじりじりとアルハザードの下半身へと下りてきた。すでにアルハザードの中心ははち切れんばかりになっている。リューンの手は下穿きの中に侵入し、アルハザードを求めるように動いていた。
「……お、い、待て、リューン……」
今にもアルハザードに触れるか触れないか、というギリギリのところ……否、触ってるだろうそれ、というところでリューンの手が止まった。
「リューン?」
待てって言ったからか? 男心は単純に見えて複雑だ。
「おい、リューン?」
リューンから答えは返ってこない。ずりずりと下に下がっていったおかげで、自分の胸元まで来ているリューンの髪をそっと払う。嫌な予感がした。アルハザードの逞しい胸には、今、リューンの全体重がかかっている。まさかとは思うが。
「リュー……」
「……うぅん……」
「……!」
リューンは寝ていた。
もう一度言う。
リューンは寝ていた。
え?
ちょっと待て。なんだこれは。あれだけ誘っておいて、寝る? 我慢しろと。この俺に? このタイミングで? この状況で……!? だから一体これはどういう試練なんだ!!
あの獅子王が。泣く子も黙るあの皇帝が。
このとき途方に暮れた。
「おい、リューン」
諦めが悪いアルハザードは、ねばってみた。だが、リューンはぐっすりと眠っていて目は覚めない。しばらく呆然とその顔を見ていたが、……自分に触れるか触れないか、いや、しつこいようだが既に触っているだろう、それ、という位置に来ていたリューンの手をそっと取って元に戻した。すると「ん……」とかなんとか、可愛らしい声をあげてリューンはアルハザードの胸に身体をすり寄せてきた。脱がしきれなかった夜着越しにリューンの柔らかさが伝わってきてアルハザードは……。
……………………。
……………………。
……………………。
……………………。
……くそっ、なぜここで寝るんだ、わざとかっ! これ以上リューンを上に乗せていると、いろいろな意味で危険すぎる。アルハザードは身体を起こしてリューンの身体を抱きかかえた。寝台へ運びリューンを寝かせると、自分もその横に身体を倒す。
肘を付いてリューンの寝顔を眺めながら、なおも諦めきれずその頬をつつく。
「おい、起きろ、リューン」
「ん……」
「リューン?」
「……ぅぅん……、アルぅ……ぎゅー……て、」
「な……」
リューンはちょっかいを出してきたアルハザードの腕を自分の胸に抱きかかえると、頬寄せるように「うふん」と微笑んだ。……くそっ、なんなんだ普段は表情が薄いくせにその幸せそうな顔は! そんな寝顔を見せられると手出しが出来ないだろうが!
アルハザードは、割りと長い時間葛藤していたが、やがてはぁ……とため息をついた。肘を外し、瞼の横に口付けをひとつ落として、抱きかかえさせている腕を、もう片方の腕と交換して眠りやすくしてやる。
仕方がない。
朝まで我慢するか……。あれほどのことをされてただで済ませると思うな。覚悟しろよリューン……。
アルハザードは、朝、どうやってリューンをかわいがってやろうかと考えながら、リューンの隣で自分も身体を休めた。
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「何これ」
翌朝、リューンは夜着の中を覗き込んで驚愕した。昨夜はアルハザードと飲んでいた以降の記憶が無い。いや、正確に言うとお酒の勢いに任せて、アルハザードに口付けしたところまでは覚えている。だが、相当眠かったのも覚えている。いつの間にか寝てしまったのか……。
迂闊ではあったが、過ぎたことは仕方がない。問題は、何故、胸元に点々と赤い痕が付いているのかということだ。付けられた時の記憶が無いんだが、これは抗議対象としてもよいのだろうか。
眉をひそめていると、アルハザードの手がリューンを抱きしめてきた。後ろから、有無を言わさず身体を弄り始める。
「リューンやっと起きたか」
「ちょ……アル、なにやって、」
「それは俺の台詞だ」
「え、何が」
いつのまにかリューンはアルハザードに組み敷かれている。おあずけを食らっていた獅子は、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。
「覚悟は出来ているんだろうな?」
え、いやいや、だから何がーーー!?
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考察: 案外、王道な展開に弱い。