夜会での襲撃とリューンがガラスの破片を仕掛けられたことは、宮廷内の貴族にのみ知らせることとなった。公に城下に知られることはなかったが、宮廷に知れ渡っただけで、じわじわとその噂は広がるものだ。後宮の姫君が皇帝の寵愛する妃を直接的に害したことで、これを機に、後宮の解散を推し進める皇帝に異を唱えるものはなくなったのである。
そもそも月宮妃を害する為にガラスの破片を選んだことといい、オリヴィアに罪を被せようとしたことといい、そのやり口は公明正大な獅子王のもっとも嫌うやり方だ。常日頃の容赦の無い態度はもちろんのこと、リューンへの寵愛ぶりも、宮廷の人間は今や誰もが知っている。皇帝の怒りを買ったのは誰の目にも明らかで、多少強引ではあったが、かなりの短期間で後宮の解散は進められた。
ガラスの破片については殺害の意図までは認められず、サーシャは帝国指定のルルイエ伯爵別邸へ幽閉となった。実家のルルイエ伯爵は、監督不行き届きにて減封。貴族としての信用は一気に落ちるだろう。
襲撃者については捕縛した1名を尋問したが、激しい尋問にも関わらず雇い主までは分からなかった。……というより、知らされていなかったようだ。リューン自身は、最初はガラスの破片を罠として疑っていたが、アルハザードやライオエルトらの見解は違う。そもそもサーシャの児戯とも思われるようなやり口と、中庭でリューンを狙って3人の暗殺者を寄越す……という昏いやり口は紐付くとも思えない。ここですべての犯行をサーシャだと結果付けて、調査を打ち切りにすることなど到底できない。……要するに、襲撃の肝心の部分については謎のままだったのだ。
いずれにせよ、夜会の事件をきっかけに、後宮は解散することとなった。そもそも1年間もアルハザードは通っていなかったし、現在は寵愛する妃がいる。後宮の姫君たちの実家からも反論はなかった。ルルイエ伯爵は娘の尻拭いで事実上の失脚で反論の余地など無く、もとよりオリヴィアを後宮に出すことを望んでいなかったオーガスト伯爵は謹んでその話を受ける。リリスの父ファロール侯爵は、野心家ではあったがここで異を唱えることは得策とは思わなかったのだろう、大人しく従った。
こうして皇帝の妃はリューンひとりとなった。月宮妃が宮に入ってからの1日も置かぬアルハザードの通いようから、それを不自然に思うものは居ない。後宮を解散するという策を強行した皇帝に、新たな妃を差し出す貴族もおらず、妃争いの火種は無くなったと思われた。
あとは、リューンが皇妃となるか、子を為すか、という問題だけになり、リューンに面会を求めるものや、贈り物を贈ってくる貴族達も格段に増えたが、当の本人は相変わらず、宮からあまり外に出ることなく静かに過ごしていた。
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「……っ、……あ……あぁぁぁ……」
寝台の上で女が後ろから激しく突き上げられていた。服を着たままの、髪が肩程度の長さの女は、その服装から一目で神に仕える修道女であることが分かった。男は長い修道服のスカートを捲り上げ、ぐちゃぐちゃと秘所に己を突っ込んで腰を振っている。太った身体を修道女の細い腰に打ち付ける頭髪の薄い男は、ラーグだ。
ラーグはいささか焦っていた。後宮の手を借りて、中庭でリューンの姿を見たのが最後。半年の登城禁止を言い渡されて以来、その身が焼け付くようだった。
短い髪の男児の身体も悪くはなかったが、やはり、柔らかい女の身体を無理矢理貪るのが一番だ。日に日に募るリューンへの劣情に、ラーグは手当たり次第、好みの修道女を探し始めた。もとより神の教えを求める女に修道院を融通するのは、ラーグの表向きの慈善活動の1つだ。もちろん、裏の顔もある。何名かに1人は、特に身寄りのない見目のよい女を選んで、修道女という名の娼婦として院の長や貴族の慰みとして提供している。ラーグが自分の元に呼ぶ修道女も、そのような女の1人だった。
ラーグの頭を支配するのは、月宮妃の黒い瞳と艶やかな黒髪への劣情、そして、潤んだ黒い瞳が縋りついてやまない獅子王への嫉妬だった。そのような後ろ暗い感情を抱いたラーグは、あるとき後宮の人間から手紙を受け取った。もちろん正式に届いたわけではない。
『ここのところ陛下の身辺を騒がせる襲撃が多く、陽王宮は騒然としております。陛下にもしものことがあって、リューン様が悲しみに打ちひしがれるようなことがなければよろしいのですが。』
手紙にはそのように書かれていた。それを見たラーグの思いは単純だ。皇帝が居なくなれば、あの女は必ず神に縋るだろう。
そして、皇帝の暗殺を計画したのだ。通常であればあの男を殺せる暗殺者などいないだろうが、ラーグはもちろんそういった仕事をする専門の筋にもつながりがある。いくつかに接触を図り、鳶色の瞳の男とその仲間を雇ったのだ。
だが、失敗した。暗殺者は捕らえられ、自分の手段は再び断たれた。
「ぁぁ……ぅぅん……、い、イヤああああ……」
「嫌……? 嫌なのか?……どうだ。もっと気持ちよくなりたくないか? ん?」
ラーグはいやらしい声で修道女の耳元に唇を寄せ、脂ぎった息を吹きかけながらそこを舐める。
「んふうう……ん……き、もちよくなりたいで、す……ん……っ」
「そうかそうか。なら、いいものをやろう」
「はぅ……っ、ぅぐ……な、にを……ああああああああああ!」
ラーグは、腰を振りながらベッドサイドに置いてある瓶を手に取った。数摘を手に取り、女の秘所の蕾へと塗りつける。ラーグが処方した媚薬だ。その瞬間、狂ったように女の腰が激しく動き、叫ぶような嬌声を上げて女が達した。
「どうだ……気持ちよかろう。もっとイキたいか?……」
「イ……イイ……です……っうう……イキたいっ……もっと……」
秘所に媚薬を塗られ、身体を無理矢理達せられた。その快楽は狂わんばかりに女の身体を乱し、ラーグはその中に何度も精を吐く。だが、彼は満足しなかった。彼が味わいたい身体はこの程度ではないはずだ。完全に黒いあの髪。あの黒い瞳。あの象牙色の肌。あの短い髪に修道服を着せて味わうことができればどれほどのものか。信仰の深いあの女を背徳に乱すことができればどれほどのものか。それを妄想しながら、ラーグは一晩中女を狂わせた。
焦りはこれまでの慎重な物事の運びのバランスを崩す。
過剰な女の融通と薬の精製が生み出す、後宮の人間とのつながりの綻びに、ラーグは気付かない。
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「薬品の購入の増加、急速に増加した修道女の就職の世話か。これまでの慎重さが嘘のようだな」
「はっ」
「証拠はどれほど掴んだ」
「薬品も正規のものが全てで、無法はありません」
「ふむ」
「これまで12、3歳程度の孤児の就職の世話を斡旋していたのが無くなり、より多く、修道女に教会を斡旋するようになった、というもので、金銭の授受は無いようです」
「だが、もしこれが予想通りだとすればおぞましいな」
「はい……」
「修道女達に話は聞いたか」
「……答えは同じです。『よくしていただいております』と」
「強引に、踏み込めるだけのものは揃ったが……どう動かすべきか」
雨王の神殿を辞し、既に帝都ヴァイスディアスの自宅に入っている赤髪の神殿騎士バルバロッサは、部下の調査を精査しながら腕を組んだ。バルバロッサ・トゥールー。齢58にして現役の神殿騎士。エウロ帝国皇帝アルハザードの剣の師にして、魔術の師。帝国第一枢機卿。燃えるような赤い髪に老いの翳りは見えず、渋みの走るその顔は、若くは無かったが壮年の苦味が混じり、神殿の徒としての落ち着きを保っていた。
バルバロッサが神殿騎士の懺悔を皇帝に進言した際、既に何かを掴んでいたらしい皇帝は、ラーグという司祭が自分の妃に邪な情念を抱いている、との連絡をしてきた。あの、悪い意味で女気の無かった獅子王が、1人の妃に入れ込んでいる、という話は聞いていたが、よもやそこに繋がるとは思わなかった。
懺悔した神殿騎士の出身はラーグの所領である。そして、その懺悔の内容は、ラーグが世話役をしている孤児院の孤児達の就職先が、男色家だった、というものだった。性の嗜好は個人的なもので、貴族が男色家だったというだけなら法的に問題はない。問題は、その男色家の元に就職した子供が男の慰み者になっている、ということだった。神殿騎士の懺悔は、自分がその斡旋に知らぬうちに手を貸した、というものである。
当の神殿騎士が久しぶりに郷里に帰る際、土地の有力者の元に孤児を連れて行く、という役を頼まれた。教会が世話をしている孤児院の孤児ということもあり、その保護と護衛のために神殿騎士は快くその役を引き受けた。無事遂行し、郷里で何日か里帰りを過ごした後、神殿に戻る際にその孤児を送ったよしみで一度見舞ったのだそうだ。そうすると、すげなく「会えない」と追い返された。
金持ちの家に引き取られたとはいえ、何日も経っていないのに「会えない」というのはどういうことか。いぶかしく思った騎士は、大人しく引き下がった後、裏庭に回った。孤児だからと虐められているのではないか……と、心配になったからだ。
しかし、そこで見たのは、主である男に犯される孤児の姿だった。神殿騎士は、その場で踏み込もうと思ったが、なぜかそれができなかった。その背徳的な光景を見て、自分自身が欲情してしまったのだ。すぐに踵を返し、その後、彼は自分が騎士として役目を果たす帝都の神殿には戻らず、ちょうど雨王の神殿に滞在していたバルバロッサ卿を訪ねて懺悔に至った。
それに加えて、アルハザードからの知らせである。そこには、「髪の短い者、たとえば修道女や12~15歳程度の男の子供に対して情欲する性癖を持つものがいるか」といった内容のことも付け加えられていた。そして思い至るのが、ラーグがいくつかの孤児院や修道院に寄付を施し口を利きやすい状況を作っていることと、神殿騎士の懺悔だ。よもや、女や男の斡旋をしているのではないだろうか……と疑ったのだ。
ただ、問題は証言するものがいないことであった。相手が孤児や修道女であることも大きい。なにせ、身寄りが無い者が多いから、助けてくれと懇願する声が少ない。本人に聞いても、主に怯えてなのか、今の生活に満足しているのか、口が重い。さらに、そこに金銭のやり取りが発生しているかどうかがまだ掴めていなかった。
金銭のやり取りが発生していれば、それは人身売買の類になるが、単に情欲に囚われて……ということになれば、教会の教義に反するものとして司祭の任を解くことは出来ても、帝国の法で裁くことは出来ない。裁くとすれば、強姦として強引に踏み込むしか無いだろう。
……とはいえ。状況から見て、じっくりと調べれば証拠は掴めるはずだ。
「まあいい。明日は宮廷に戻る。陛下には知らせておろうな」
「はい」
「リューン殿にも会わせてもらえればよいが」
「月宮妃のリューン様ですか」
「ああ。あの仏頂面の獅子がどんな顔で女を抱いているのやら」
「……は?……はあ」
はっはっは、と豪快に笑い飛ばし、バルバロッサは執務机を立ちあがった。部下は、一礼して扉を開ける。
赤い髪の自分の上司だって、かなりの愛妻家である。バルバロッサの部下は、いまだ衰えを知らぬ真紅の騎士の背に敬礼した。
****
「陛下。バルバロッサ卿がお戻りです。早速陛下にお会いしたいと」
「案内しろ」
「はっ」
翌日。アルハザードの執務室にバルバロッサ卿が通された。アルハザードは立ち上がり、彼を出迎える。第一枢機卿にのみ許された、真紅を基調にした騎士服を纏った壮年の騎士が堂々と現れた。アルハザードの雰囲気も圧して相殺する重厚な気配のその人は、帝国で唯一アルハザードが頭の上がらない人物でもある。
「バルバロッサ・トゥールー。雨王の神殿より帰還しました」
「バルバロッサ卿。帰還、お待ちしておりました」
「遅くなって悪かったな」
「いえ」
皇帝と枢機卿の挨拶もそこそこに、出迎えたアルハザードの肩をばしばしと叩いて豪快に笑う。ヨシュアにはいつ見ても慣れない光景だ。なにせあの獅子王が、この人に対してだけは敬語を使っている。しかも、獅子王が心を許して何をされても怒らない。そんな人はこの帝国には居な……ああ、居らした。怖いもの知らずがもう一人。
「おいアル坊!」
「それはやめてください」
アル坊て!……ヨシュアは思わず「ブフッ」と噴出した。その瞬間すごい氷点下でアルハザードに睨まれ、ヨシュアは下を向く。肩がぷるぷると震えるが、なんとか持ちこたえた。怖いもの知らずのあのお方がここに居たらと想像すると、なんとも面白おかしい気分になる。
「お前最近色気付いてるんだって?」
「色……、いきなりその話題ですか」
い、色気付く! よりによって色気付くて! もっと他に表現無いんですかバルバロッサ卿。思いがけない、その「怖いもの知らずのあのお方」への話題の切り口に、……ヨシュアは崩壊しそうな腹筋と戦いながら思った。これは久々に持ちこたえられないかもしれない。
「会わせてくれるんだろう。どんな美人だ」
「……元よりそのつもりです。卿の報告も、再度そこでお聞かせください」
「……何だと?」
「リューンも貴方の話を直接聞いたほうが、判断しやすいでしょう」
「妃に何を判断させる?」
「リューンの好きなように。……聞かせぬ情報から、勝手に判断されても困ります」
「なるほどなあ」
バルバロッサ卿はニヤニヤ笑いながら顎を撫でた。
「アル坊は嫁とずいぶん仲がよろしいようだ。なあ、ヨシュア」
「ウグゥッ、は……はいぃ」
ヨシュアは手を口元に充てて目が泳ぎ始めた。このタイミングでこっちに向かってアル坊って呼ばないでください同意求めてこないでください。もう無理です。え、ちょ、ちょっとなんですかこの冷気魔法。で、こ、怖っ。眼ぇ怖っ。なんていう眼で睨み訊かせてるんですか、陛下、これは殺意ですか陛下ーーーーっ!?