獅子は宵闇の月にその鬣を休める

031.真紅と群青

アルハザードの出立は明日という夜だったが、リューンの様子はいつもと変わらぬ風だった。

寝台の上で座って資料を読んでいるリューンを、アルハザードは後ろから抱きしめて覗き込んだ。癒しの魔力の術式と呪文についての資料だ。バルバロッサからもらったらしい。アルハザードは、バルバロッサと初めて対面したときのリューンの表情を思い出した。

「そういえば、お前はバルバロッサ卿のことを、ずいぶんと親しげに見ていたな」

「やだ……バルバロッサ卿」

リューンは持っていた資料で顔を隠しながらじたばたと悶絶してみせた。

「……すごく素敵な方だわ」

その様子を見て、アルハザードはイラっとした口調で資料を取り上げる。

「いくらバルバロッサ卿といえど、俺以外にあんな顔を向けるな」

「えー」

「えー、ではない」

うっとりとした表情を浮かべるリューンに、アルハザードはむっ……と顔を顰めてさらにきつく抱きしめた。リューンの背中にアルハザードの熱い体温が心地よい。

「お前は俺を見ていればよい」

「あ、や、アルハザード。……ちょ、っと……」

耳元で低く囁いて、後ろから身体を弄ってくるアルハザードの手に、身をよじって抵抗する。アルハザードは後ろからリューンの顔をこちらに向かせ、強引に口付けをせがんできた。それを受け止め、アルハザードの舌を迎え入れると、リューンの身体が自然とアルハザードの方に向かせられる。

「バルバロッサ卿はアルハザードのお師匠様なのでしょう?」

「ああ。剣も魔法も俺はあの人に教えられた」

唇を離してリューンは首を傾げる。その表情を見ながら、アルハザードの顔が懐かしげなものに変わった。

バルバロッサ卿は、アルハザードの父……先代皇帝の友人でもあった。聖職者としての穏やかさと騎士としての精悍さを併せ持った、宮廷でも女性が放っておかない紳士だ。夫婦仲もよく、アルハザードはバルバロッサ卿とその奥方にはよく世話になっていた。早い時期から、皇帝と皇妃という愛の無い夫婦を見ていたアルハザードにとって2人の姿は眩しかった。バルバロッサ卿は厳しく強く自分に接し、奥方は穏やかに柔らかく自分を見守ってくれた。

アルハザードにとって生みの母の記憶は無いし、父は為政者として尊敬していたが、宮廷の乱れに奔走していて忙しく、自分を育てたとは言い難い。もちろん、それを不満には思わない。皇帝と皇太子の関係として、それは極当然のことだ。だから、アルハザードはバルバロッサ卿とその奥方が自分を育ててくれたと思っている。もっとも、父……先代の皇帝も自分自身が父になれぬことを分かっていたのだろう。意図的にバルバロッサ夫妻にアルハザードのことを任せていた……とも、今ならば思える。

「だから、夫妻には今も頭が上がらない」

「貴方の頭が上がらない人が居るなんて」

「どういう意味だ」

アルハザードはリューンの前髪をもてあそぶように払う。

「俺の顔に傷があるだろう」

「ええ」

アルハザードの顔の傷。顔の左に、鼻筋から頬に掛けて刀傷痕があるのだ。リューンはそっとそれに触れた。アルハザードはされるまま、触れた瞬間ふっと瞳を細めてリューンの肩に手を回す。

「この傷は、バルバロッサ卿に剣の稽古をつけてもらっていたときに出来た」

「え」

リューンは驚いた声を上げる。戦場で出来た傷は、治す暇が無いという理由や、治せないほどの傷という理由で治癒魔法をかけることが出来ず、痕になるのは分かる。だが、この顔の傷は、深かったかもしれないがさほど大きな傷ではない。治癒魔法をかければ、すぐに治せたのではないだろうか。その疑問を口にしたリューンに、「ああ」とアルハザードは頷いた。

「治さなかった」

「なぜ?」

「顔に傷が欲しかった」

「は?」

どうして?……と聞くリューンからアルハザードは目を逸らす。

小さい頃、アルハザードは母に似ていたらしい。ことあるごとに宮廷の人間や皇妃からそれを指摘されていた。もちろん、身体を鍛え、戦に出て、戦場の歴史を身体に刻み付けると、そこに精悍さが加わり、帝政に関わるようになれば、早い年齢から王者としての威厳を纏い、母に似ている、などとは言われなくなった。だが、歳若いうちはやはり、そのような指摘を受けるのは気にいらなかった。だから、バルバロッサとの剣の稽古で顔に傷を負ったとき、すぐさま治療しようとするバルバロッサの手を断ったのだ。バルバロッサはアルハザードのそういった意図を汲んだのか、外科的治療で終わらせ、癒しの魔法は使わなかった。

そう。それに、あれはバルバロッサの剣を、一瞬でも本気にさせた初めての一太刀でもあったのだ。

だが、それをリューンに話すのはなんとなく躊躇われた。傷があったほうが、男の顔に箔が付く……などと、いえるか。若気の至りだ。

「なんでもよかろう」

「なにそれ」

あやしい。

「リューン。明日から俺は居ない」

「うん」

「何かあれば、俺だけすぐ戻る。絶対に無茶だけはするな」

「それは分ってるけど、アルハザード今ごまかしたよね」

「何をだ」

「何をって」

リューンはむー……としてみせた、がすぐに真面目な表情に戻す。

「アルハザード」

「どうした」

リューンはアルハザードの方を振り向いて、その逞しい首に抱きついた。

「無茶しないし、大丈夫だから」

「……リューン。バルバロッサ卿はこちらに残る。何かあったら必ず頼れ」

「分ってる」

アルハザードは、夜着越しの温かみを感じながらリューンを抱き寄せた。

身体を離すと、リューンの唇がアルハザードの唇に触れた。リューンから受けた口づけを受け止めるとそれはすぐに離され、アルハザードの首元に寄せられた。くち……とリューンの舌と唇の動きが、アルハザードの首筋に伝わり、その感触に誘われるようにリューンの夜着の肩紐に手を掛ける。

リューンが両手で、アルハザードの胸を押してきた。どうやら押し倒そうとしているらしい。自分の上に圧し掛かってくるのに任せて、アルハザードは寝台に身体を沈みこませる。リューンは一度、アルハザードの身体の上に手を置いて見下ろすように見つめ、もう一度唇を重ね直した。リューンの舌が、遠慮がちに入ってくる。アルハザードは、遠慮がちなその舌を浚うように強引に絡めとって貪った。リューンがその強引さにびくんと身体を震わせたが、アルハザードは離れることを許さぬように頭に手を充てて引き寄せてくる。もう片方の手は、夜着に掛けていて、肩紐を片方ずらして落とされた。

アルハザードはリューンを身体の上に乗せたまま、その夜着を脱がせ、自身の下穿きも脱ぐ。その間、リューンはアルハザードの鎖骨を堪能するように唇を這わせていた。不意に、かり……とアルハザードの胸をリューンの手が引っかく。唐突なその刺激に、思わずアルハザードの身体が、くっ……と反応し、それを見たリューンが、恐る恐る……という雰囲気で、もう片方のそこに自分の舌を這わせた。

「……っ……リューン……」

「……んっ……」

くぐもった声がアルハザードの胸元から聞こえる。普段アルハザードがリューンを攻めるように、今はリューンがアルハザードの胸を攻めている。背がぞくぞくと震えて、荒い息が零れてしまう。アルハザードはリューンの顔を自分の胸に引き寄せるように押さえ、もう片方の手でリューンの胸の頂を弄った。

「……んっ……く……」

アルハザードの胸を舐めているためだろう。アルハザードの手がリューンに触れるたびに、甘い吐息混じりの声が聞こえ、その表情が艶かしくてそそられる。感じているのか、時折舐める舌が疎かになって、何かに堪えるように息を殺しているのもまた興を誘う。

「リューン」

アルハザードは自分の中心が既に熱く硬くなっているのを感じていた。呼びかけると、リューンが顔を上げる。その身体を引き寄せるように腰に手を回し、自分の身体の上に乗せたまま、強引に後ろから裂け目を探った。指を滑らせると、水音をたててアルハザードの指に蜜が絡みつく。

「もう入りそうだ」

「……ん、アルハザード……」

「挿れてくれないのか?」

リューンは真っ赤になったが、アルハザードの胸に手を付いて身体を起こした。彼の身体の上に跨るような格好になっている。いい眺めだ。おずおずと腰を持ち上げ、アルハザードの中心、リューンを待ち受けているそこへ、自分を宛がった。手を添えて位置を少し調節する。……そして、ゆっくりと腰を下ろしていった。ちゅぷ……といやらしい音がして、リューンの腰が沈み込んでいく。同時に、アルハザードの陽根がそこに包み込まれた。入っていく感覚を堪えているリューンの表情はあまりにも扇情的だ。アルハザードはリューンの細い手を掴み、自分の腰を掴ませた。

やがて、ぺたりと彼女の腿がアルハザードの腰に密着し、完全に入ったことを知らせた。アルハザードは得も言われぬ感覚に、深い溜息を吐く。これまでにない気持ちよさだ。いつになく余裕が無く、動かしたくてたまらないところを堪えた。やがて、遠慮がちに彼女が動き始める。アルハザードの胸や腹筋に手を這わせながら腰を浮かせ、ねっとりと沈み込ませていく。

「は……あっ……リューン……」

「ん……、あ……アル……っ」

自分で調節して動くのとは違い、あまりの絡みつきにアルハザードは危うい感覚に陥った。思わずリューンの腰を掴んで動きを止めさせる。それに誘われるように、リューンは挿れたまま身体を倒しアルハザードの胸にもたれかかってきた。その背を抱きしめると今度はリューンが、アルハザードがいつもするように、前後に腰を動かし始める。

「……くっ……う……待て……リューン……」

さらに角度の変わった動きに、アルハザードは一瞬達しそうになった。リューンの背を抱きしめ少し腰を浮かせ、なんとか持ちこたえる。アルハザードはリューンの腰に深く手を回すと、そのまま自分に引き寄せるように激しく動かし始めた。

「……や……っ」

突然激しく動かされたリューンは、慌ててアルハザードの首にしがみつく。リューンのやわらかい胸がアルハザードの逞しい筋肉に押しつぶされ、強引に動かされると、触れ合う肌すら刺激になった。上から密着している為、少し膨れた蕾も同時に刺激されて、いつもより激しく快楽が背を登ってくる。

「……ぁ……アルハザード……ッ……!」

「リューン……出るぞ……っ」

一際大きく、腰をぐっと引き寄せる。リューンは自分が達したのと同時に、その中でアルハザードがびくびくと脈打つのを感じた。アルハザードの熱がそこにどろりと吐き出される。1つになり、解け合う悦びに、リューンは思わず唇の側にあったアルハザードの喉元に口付けた。荒く上がった吐息もそのままに、アルハザードの名前を呼ぶ。

「……は……アルハザード……」

「……リューンどうした……」

「愛してる」

「……」

「愛してる。アルハザード」

「リューン」

リューンの耳元でアルハザードが息を呑むのが分かった。気が付くと、身体をひっくり返されてアルハザードが自分を見下ろしている。彼はきょとんとした顔をしていた。あまりのきょとんとした顔に、リューンは少し笑う。目を合わせて、アルハザードを抱き寄せるように両手を挙げて、……もう一度言った。

「愛してるわ」

「リューン……ああ……」

初めて聞く、リューンからのその言葉。アルハザードはリューンに抱き寄せられるように覆いかぶさった。そのままリューンの唇を塞ぎ、荒々しく舌を挿れて再びリューンの身体の奥深くを探っていく。

****

「……というわけで、顔の傷をどうして治さなかったのか教えてくれなかったんです」

「ああ、アル坊の顔の傷か」

ちょ、アル坊て。あまりの破壊力にブフッ……とリューンは噴出した。

アルハザードが帝都を発って翌日、バルバロッサ卿と会談していたリューンは、雑談代わりにとアルハザードの傷の話をしてみたのだ。

バルバロッサ卿は懐かしそうな顔になって、顎を撫でた。片方の眉を上げて、ニッと笑って身を乗り出す。やだ、その表情素敵です。しかも近い! まともに見られない、でも見たい!

「誰にも言わぬと約束できますかな?」

「バルバロッサ卿しかご存じないのですか?」

「うむ。あとは私の妻のみですな」

「わあ、聞きたいです」

バルバロッサはにっこり笑って、リューンに耳打ちした。

年端もいかない少年のころのアルハザードの話に、ついリューンが顔が綻ぶ。はにかんだようなその表情を見てバルバロッサも穏やかに笑った。

「まあ、箔が付くというヤツですな」

「今のアルハザードから想像も出来ない」

「ああ。まったく、アル坊も無愛想なしかめっ面が板についてしまってなあ」

「……あ、アル坊って……」

いやだからアル坊て。顔の傷とアル坊と、どっちも面白くて集中できないではないか! ああ、ダメだ。今度アルハザードに会ったとき、うっかり「よっ、アル坊」とか言ってしまいたい誘惑に駆られる。言ったらしばかれそうだ! だけど言いたい。

ああ……さらに付け加えると、バルバロッサ卿が「アル坊」って言うの、すごくお茶目です、やっぱり素敵です。

「リューン殿はアル坊の顔の傷はお嫌いかな?」

「……うぐ、アル坊……。ん、いえ別に、好きですよ。そんな可愛らしい理由があるならなおさら」

「それはよかった」

リューンが「アル坊」と格闘しているのを知ってか知らずか、率直なリューンの意見に思わずバルバロッサは瞳を細める。

「バルバロッサ卿のご夫人にも、ぜひお会いしたいですわ」

「ああ。私の妻もそのように言っておりました。まだ会ってもいないのに、話を聞かせてやると大層喜んでいる。ぜひ、会ってやってくだされ」

「はい。アル坊の話も聞かせてもらいたいです」

ぐはっ!……試しに自分で「アル坊」って言ってみたら、これまたなかなかのパンチ力だ。リューンは悶絶した。バルバロッサ卿の素敵な雰囲気にニヤニヤが止まらない上に、アル坊に顔の傷、……なんという三重苦!

バルバロッサは腹筋と戦っているリューンを楽しげに眺めた。

バルバロッサ夫妻には子がいない。だからアルハザードのことは自分の息子のようにも思っている。リューンはそのアルハザードが寵愛している女性だ。バルバロッサはすでにリューンを自分の娘のように好ましく思っているし、恐らく自分の妻も彼女をすぐに気に入るだろう。