獅子は宵闇の月にその鬣を休める

034.破滅と引き換えに

ニールが数名を引き連れて部屋に戻ると、そこには自分とそっくりの黒衣の男が倒れていた。側に座り込み、蒼白になっている黒い髪の女を見て、ニールは笑みを深くする。その隣に立つと、ごろりとナイアの身体を足で転がした。「……止めて!」リューンの抗議の声を無視して、ニールは身を低くし、ナイアの髪を掴んで顔を持ち上げた。首筋に触れてみる。脈を感じない、間違いなく死んでいるその男の髪から手を離すと、連れてきた男に顎で合図した。

「万が一もある、すぐに首を落として埋めろ」

ニールの命令に男達は無言で頷き、ナイアの死体を連れて行った。

部屋にはニールとリューンの2人だ。ニールはリューンの頬に見える涙の跡と、少し赤くなった黒い瞳にニヤリと笑って頬に触れた。バシッとそれを払って、リューンは後ずさる。

「高い癒しの魔力があるらしいな」

「……」

「癒しの魔力を持ちながら、仲間を死なせる気分はどうだ」

リューンは苦しげに目を逸らす。その顔を無理矢理自分に向けさせると、耳を愛しげに指でなぞった。口元には冷たい笑みを浮かべている。リューンの腕を掴み立ち上がらせると、強引にその唇に自分の唇を重ねた。食むように大きく唇を動かし、舌を求める……が、リューンは手錠を使ってニールの顔を殴った。もちろんその手はニールには届かず、片方の手で止められ、バランスを失った身体を抱き寄せるように抱えられた。冷たい笑みはそのままだ。

「離しなさい……!」

「そう暴れるなよ。我慢できなくなるだろ?」

「離しなさい、と、言ってるでしょう!」

「まあいい。お前はもうすぐ俺のものになるからな」

そう言って、首筋をひとつぺろりと舐める。……ギリッ……と睨みつける黒い瞳すら、ニールを煽った。ニールはリューンの身体を乱暴に引っ張り、別の部屋へと運び込む。

「とりあえずここで大人しくしてろ」

「……!」

連れてこられた部屋は、先ほどの部屋とは違い寝台が置かれていない。広さも半分くらいの簡素な造りだ。だが、リューンを驚かせたのはそれだけではなかった。足元には血の跡が点々としている。

そこには、血に濡れた男と、部屋の隅ですすり泣く貴族の姫君らしい女がいた。リューンは怪訝そうな顔をする。

「サーシャ姫……?」

****

「……皇帝陛下はきっと来るわ。大事な大事な月宮妃がここにいるんだもの。来たら、あの女を目の前で殺しましょう?」

「悪趣味だな」

「それまでは貴方の好きにしてもよくてよ」

「ならばあの女は俺がもらう」

「……あら。そういうことなの……?……ふふ……それなら、」

部屋に戻り、見目の麗しい男を2人左右に侍らせたリリスは、妖艶な笑みをニールに向けた。

「皇帝陛下の目の前で女を奪う余興も挟みましょうか? 楽しそうだわ」

「……そう上手くいくか……」

「そうね、うまくいかなければ意味がないわ。アルハザード様の瞳を、背筋が凍るほど恐ろしいものにしなければ……」

気味の悪い女が……。ニールは飛び掛り、その喉元を掻き切りそうになるのを堪えた。殺すのはもう少し後だ。

「ニールラトラルア」

不意に女に自分の名を呼ばれ、ニールは舌打ちする。

「ねえ、あの男は死んで?」

「ああ。確認した」

「そう」

くすくすと笑いながら、手で下がれと命じた。ニールはリリスを一瞥すると、部屋を出て行った。リリスはそれを見送りながら、片方の男の頬を白い手で撫でてやった。男はうっとりとした恍惚の表情で、その手を受け止り指に口付ける。

「そうよ、何の為に『貴方』を『誘った』と思っているの、ニールラトラルア……」

ニールラトラルア。帝国の隠密。<影>スフの片腕、ナイアの双子の兄だ。<影>の技を持ちながら、ナイアと2つに運命を分たれて存在している。今でこそ宮廷から遠ざけられているが、帝国に仕える隠密の存在を知っていたリリスの父親は、ニールという男を拾い、その出自を聞いて、いつか必ず役に立つ……と、ずっと繋がりを持ち続けた。リリスはその男の存在を知り、自分の策略に誘ったのだ。そして、リューンに近づける為に手を打った。

これまでどのような姫君にも興味のなかった獅子王アルハザードが、リューンという女に、ひたすらに寵を傾けているという。リリスにとって、獅子王の瞳を自分に向けるための、ある意味好機だった。どの姫君を殺そうが彼は眉1つ動かさずに処理したに違いない。だが、リューンが危機にさらされればどう出るだろう。

ひとまずラーグを近づけ、アルハザードの警戒心を強めさせた。予想通りラーグは遠ざけられた。リューンが邪魔だと父に訴えれば、彼は図書室の襲撃を行わせた。だが、結果的には失敗し、リューンは死なず、獅子王はさらに彼女を溺愛するようになる。リリスの予想通りだった。アルハザードはリューンに溺れている。ならば……と、ラーグをそそのかして、寝所を襲わせたのだ。

大事なものとそれを守る要。これらが正体の分からない危険、完全とはいい難い不安定な危険に晒されれば、獅子王は焦るだろう。強い力と権力を持ち、公明正大で人に厳しい男だ。殺すか殺さないか、ギリギリのところで害意を揺らめかせれば、自分の理解し得ない意味不明な意図に、きっと苛立つに違いない。

苛立ち、焦れば、警戒心を一層強めるはずだ。そうすれば、やがて獅子王は本気になる。帝国の<影>の存在を動かすに違いない。<影>が出てくれば後は楽だ。ニールが双子の弟のフリをして潜入し、リューンを殺せばそれでいい。

リリスはじっと攻撃の隙を伺っていたが、一度リューンを見てやらねばと思っていた。……だが、何度か襲撃されたからだろう。リューンはじっと宮に篭ってほとんど外に出ることなく、その機会は得られなかった。しかも、後宮はこれまでになく忘れ去られ、夜会の招待すらないのではないかと思ったほどだ。だが、思いがけずその夜会への招待が入る。

そこでリリスは改めてアルハザードを見た。なんということだろうか。噂には訊いていたがあれほどとは思わなかった。リリスを悦ばせた冷酷な視線は何一つなく、身を震わせるほどの血濡れの雰囲気はどこにもなかった。あるのは、ただ月宮妃を抱き寄せる、気味の悪い甘い雰囲気だけだ。あれほど獅子に似つかわしくない女がいるだろうか。なんという忌々しい女。獅子王の瞳を甘く溶かす、悪魔のような女。

獅子王にふさわしいのは血濡れの瞳だ。氷点下のように冷たく、化け物のような瞳。あの男に感情など似合わない。

このままではいけない……とリリスは考えた。リューンをただ殺してもアルハザードは変わらない。そもそも、リリス1人ではアルハザードに近づけない。近づいたとしても、アルハザードはあの射抜くような冷たい瞳で自分を注視しないだろう。それに、それだけでは、リリスが求める本当の獅子は戻らない。ならばその瞳に冷たい光が宿るように、リリスが仕向ければいいのだ。リリスが、自分が、あの男の元の心を取り戻さなければ。

計画を変えるのだ。幸いなことに、父が勝手に起こした夜会の襲撃は失敗に終わった。軽々しくリューンを殺してはいけない。リューンを殺すのは自分だ。それも、アルハザードの目の前で。一番残酷な方法で。

そうすれば。

そうすれば、アルハザードはきっと元の血濡れの獅子に戻るはずだ。

……犯人がいまいち分からない謎の襲撃が続き、そのタイミングで皇帝が帝都を離れなければならない……となれば、どうなるだろう。皇帝は……<影>統括のスフとやらは、片腕のナイアを使うはずだ。案の定、リューンの側にはナイアが居た。月の宮を見張るナイアと同じ顔をした男、ニールを使えば月の宮に入り込むのは簡単だった。そうして、あの大掛かりな襲撃を敢行したのだ。派手な襲撃と、ナイアと同じ容貌で、リューンを助けたニールは上手くやった。リューンをさらってここまで連れてきたのだから。

いずれ獅子王はこの場所に気がつくだろう。怒りに震えて自分の下にやってくるに違いない。今度こそ。……そう、今度こそ、リリス自身に会いに。

……そう考えながら、リリスはたった一晩だけアルハザードに抱かれた晩を思い出す。冷酷な瞳、表情の無いただの作業。何の感情もない化け物のような血濡れの獅子王に、貫かれるあの瞬間がどれほど快楽だったか。もう一度、あの冷酷な獅子王に会いたい。会って、今度こそ、あの冷たい射抜くような瞳で自分を見て欲しい。リューンを目の前で殺して見せたら、自分以外の男に奪われたら、……一連の発端が自分だと知ったら、獅子はどんな瞳でリリスを見るだろう。きっと瞳を合わせてくれるに違いないのだ。自分を見てくれるに違いないのだ。あの夜にすら合わさなかったあの冷酷な瞳で、自分を。そして、苛めばいい。

「……ああ……アルハザード様……」

いつのまにか、1人の男がリリスの足を広げ、舌を這わせていた。男の唾液かリリスの愛液か、どちらの音か分からない音が響いている。もう1人の男は上から、リリスの服に手を差し入れその胸を堪能していた。ぷっくりと膨れた胸の頂を刺激する。

「……んっ……」

下の唇を貪っていた男が、傍らの瓶から数滴中身を取り出しその秘所に塗りつけた。指を数本挿れたのだろう、舌で嬲るのとは別種の水音が響き始める。

「……ああああんっ……!」

リリスの嬌声が大きく上がり、がくんと背が跳ねる。後ろの男が椅子の背越しに崩れる身体を支え、足を抱えて開かせた。椅子のぎりぎりのところに秘所が曝け出され、そこはぴくぴくとうねり、存分に濡れていた。

「……い……いわっ、挿れなさ……い。早く……!ああああう!」

もう1人の男が、いつの間にか取り出した己を遠慮なく突き刺し、動かし始めた。

「……、もっとよ……もっと酷く……っ、アルハザード様……ああああ……!」

およそ侯爵家の姫とは思えぬ痴態で2人の男に激しく犯されながら、リリスはアルハザードを思い浮かべて何度も絶頂に震えた。

リリスは、ただ、アルハザードの冷たい瞳だけを求めていた。静かに無視する瞳でもなく、為政者の瞳でもなく、ただ強く自分を責める、氷のように冷たい眼差しを。

それを取り戻すことが出来るならば、月宮妃の命などいくらでも刈り取ろう。

その至福の一瞬の先に待つのが自分の身の破滅だとしても。