獅子は宵闇の月にその鬣を休める

038.2つの幕引き

アルハザードは雨王の神殿から1日馬を飛ばした時点で、バルバロッサから2度目の遠話を受け取った。シド、ヨシュアらと別れて、多少無理をして転送術で帝都に戻る。場所や邸宅の間取りを確認し、スフ、ナイア、アルハザードの3人が4つ目の隠し扉から隠密に、バルバロッサが神殿騎士を連れて3つの入り口から堂々と攻め入ることにしたのだ。バルバロッサが邸宅内に押し入るのと、アルハザードらが侵入したのはほぼ同時だった。

一方、半日ほど遅れてシドとヨシュアが帝都に到着する。先発して、ファロール邸とラーグの潜伏していた教会を押さえていた部下に連絡を取り、城へは帰還せずにそのまま捕縛へと走った。

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リューンが救い出され、リリスが自害したという報を受けたファロールは、必死でニールに遠話を試みた。だが、その返答は無い。

「くそ……っ、ルルイエのところの娘はどうなったんだ。どういう状況になっている……っ」

「ファロール様!」

「なんだ!」

「ハワード将軍が……」

ノックもせず執務室へ転がり込んできた私兵に、ファロールはいらだたしげに目を向けた。……さらに呪詛を吐こうと口を開く。だが、それは叶わなかった。

「もはやこれまでですな」

「ハワードか……」

ファロールは大きく舌打ちした。いくつかの鎧音を従え、自身は鎧を身に付けずに騎士服のままのシドが執務室に乗り込んできたのだ。もはや逃げることのできない状況だが、それでも取り乱すことの無い態度はさすがといえる。シドをじろりと睨みつけながら、ファロールは自身の終わりを悟り、悔しげに拳を握った。

「一介の軍人風情が、誰の許可でここへ来た」

「無論、皇帝陛下の許可で。……ラーグ子爵と競合して違法薬物を扱った罪、及び、ご息女のリリス姫と共に月宮妃誘拐の共謀を行った罪、そして、サーシャ姫誘拐について、詳しくお話を聞かせていただく」

「濡れ衣だ」

「何がですかな」

「ラーグなど知らぬ。月宮妃の誘拐はリリスが勝手にやったことだ、私は知らぬ!」

「ではサーシャ姫の誘拐はお認めになるのですな」

「知らぬと言っている。勝手にリリスの元に行ったのだろう。私は関係ない」

「私はリリス姫の元にサーシャ姫が居たとは言っておりませんが」

「!」

「知らぬ存ぜぬは結構ですが、少々見苦しいですな」

「証拠は!」

「月の宮を襲撃したものが、数名生き残っておりましてな」

「あれはリリスが勝手にやったことだと言っている!」

「いずれにしても詳しく話を聞かせていただきましょう」

シドが片手を上げて部下に指示をした。騎士が一斉に動いて、ファロールを拘束する。

「触るな! 私を誰だと思っている!」

「ファロール侯」

シドの顔が厳しいものになる。

「いかに貴方が侯爵の地位にあろうとも、陛下の前では同じ僕に過ぎぬ。大人しくせよ」

「……黙れ……皇帝の、皇帝の犬めが!」

「貴様!」

ファロールを押さえつけていた騎士達が一斉に声を荒げた。自分のことを言われたのではないだろうに、シドを侮辱されて激昂する部下達に思わず苦笑する。シドは部下に向かって頷くと、その怒りを制してファロールに向き直った。

「犬で結構」

「剣しか知らぬ愚か者が!」

「……そうだ。ファロール侯」

シドはニヤリと笑って言った。

「私は剣しか知らぬ。だがそれでかまわんのだ。なぜならば、皇帝陛下の剣はこのシドが、そして理はライオエルトが支えているのだから。何のために我ら2人が陛下の両脇を支えていると思っている」

「ふん……。その皇帝も、今は女1人に溺れこのような茶番を行っているではないか!」

「茶番ですと?」

シドは笑みを消す。

「茶番を演じているのは貴方方でしょうな。もっとも、その茶番のおかげで帝国内にいまだ蔓延る小蠅どもを、一掃出来そうですが」

シドの命を受けて、ファロールを騎士達が連行していく。その背にシドは言い放つ。「それに女1人に溺れて、と言いますが」

「皇帝が溺れる唯一の女性が、かの月宮妃であることは幸運なことよ。そうは思いませぬか」

ファロールからの答えはなかった。もとより期待はしていない。シドは満足気に頷いて、事件の終わりを感じていた。

****

ラーグは自分が潜伏していた教会の裏口を抜けて、外に出ようとしていた。既に表は兵に囲まれている。なぜだ。自分が一体何をしたというのだ。

「誰か、誰かおらんのか!」

返事をするものは誰もいない。それもそのはずだ。教会の人間は、全員講堂に集められて保護されている。

ラーグはいつも使っているファロール侯爵の侍女の姉……自分が世話をした修道女の1人が、騎士団に聴取のために連れて行かれたことを知り、潜伏する場所を変えた。いつも女に耽っている教会ではなく、人間の少ない、自分を慈悲深い司教と信じて疑わない者ばかりの素朴で小さな教会を選んで身を隠したのだ。

しかし、ラーグの動向を常に監視していた騎士団に、その動きは筒抜けだった。潜伏していた教会を訪れた騎士達は正々堂々と正面から立ち入り、バルバロッサ卿と皇帝陛下の指示の元、中を改めさせてほしいと教会長に訴えたのだ。第一枢機卿と皇帝の連名による指示とあっては、逆らうことは出来ない。もとより教会の長は敬虔な人間だった。教会の人間を1人残らず講堂に集めていただけませんか、という騎士の指示も丁寧で礼儀に基づいたものだったため、神妙に従った。

ただ1人、ラーグを除いて。

教会長からの指示を無視して、ラーグは逃走した。もとよりこの教会の長は大人しい人物だ。ラーグがいる理由は、慈悲深い司祭が指導のために滞在しているのだと信じて疑っていない。そこが仇となった。騎士におとなしく教会を引き渡してしまい、その指示を待っている。当然のことながら、ラーグの都合などはおかまいなしだ。

ラーグは教会の裏口から転がるように、外に出た。

「ラーグ子爵ですね」

既に裏口を固めていた騎士の数名に、ラーグは囲まれていた。慌てていたために無様に地面に膝をついたラーグを、騎士達が見下ろしている。

「き……貴様ら……」

「貴方に貴様ら呼ばわりされる筋合いはないんですが」

騎士達の中から爽やかな声が聞こえ、1人が一歩前に出た。

ラーグの捕縛を任されたヨシュアは、地面に這うラーグを見下ろして、困ったように首を傾げた。これがハゲ狸か。なるほどハゲ狸だな。人を頭髪の量で差別するつもりは全く無いが、かの月宮妃が言っていた通りの印象だ。いつだったか、あれは小物フラグよ、……とぶつぶつ仰られていた。あの時は「フラグ」という言葉が何かよく分からなかったが、これだけは分かる。

こいつは確かに小物だ。

だが、小物といえど、ラーグは逃げ続けたのだ。そして小物であるがゆえに、獅子王やバルバロッサ卿の目をかいくぐって、長年に渡り修道女や孤児達の斡旋、薬物の密造や売買を行ってきた。この捕り物の重要性はヨシュアにはよく分かっていた。

そもそもこの男は、皇帝陛下の妃に邪な瞳を向けたばかりか、中庭に侵入までして、お2人の時間を邪魔したのだ。なんという命知らず……。そのおかげで、毎度毎度、ラーグの話が出るたびに獅子王の機嫌は氷点下だ。誰がその不機嫌さを受け止めると思っているんだ。……それにしても、この場に護衛騎士隊長のギルバート殿がいないのが悔やまれる。あの男がいれば、このハゲを100回死なせてやったに違いない。ちなみに「100回死なせてやる」という言葉は、自分が敬愛する皇帝陛下の名台詞だ。一度使ってみたいと思っている。

「まあ、それはともかくとして。違法薬物を作成、授受、使用の罪で貴方を捕縛します。一緒に来ていただきましょう」

「何の権利で!」

「私は皇帝陛下の近衛騎士です。陛下の命により、貴方の逮捕権があります」

「黙れ!」

「分かりました。黙りましょう」

ヨシュアは口を閉ざすと、騎士達に頷いた。ラーグの小太りの身体は難なく捕らえられる。

「あの女に会わせろ!」

黙れと言ったのではなかったか。

「念のために聞きますが。……あの女とは、もしや」

ラーグは血走った目で答える。

「リューンだ、あの女に会わせてくれ!」

「なぜですか」

「あの女に、あの女に!……か弱いあの女に慈悲を与えるのは私でなければならんのだ」

「慈悲……?」

何故ここで、この期に及んで月宮妃の名前が出てくるのか。これには、さすがのヨシュアも眉をひそめた。ここに獅子王がいらっしゃらなくて心底よかったと思う。このような反吐のでる台詞を聞かせれば、重い威圧感で地面が沈み、無言の冷気で人が死ぬ。そんなヨシュアの思いとは裏腹に、ラーグはさらにまくし立てた。

「そうか、あの男か!……戦しか知らぬあの男に騙されているのだな! やはりあの時、あの時……死ねばよかったのだ!」」

「やはり? あの時……?」

「そうだ、あの時。あの男は月宮妃の象牙のような肌に溺れて……」

ラーグはその言葉を言い終えることが出来なかった。獅子王と月宮妃への侮辱の言葉に、騎士達が一斉に剣を抜いたのだ。ヨシュアも例外ではない。なんという恐ろしいことを言ったのだ、この男は。……剣をラーグの喉元に向け、声を低くして再度問いかけた。

「あの時、とは? まさか貴様……」

獅子王は、一度寝所で月宮妃と共にいるところを暗殺者に狙われたことがある。ラーグはそのことを言ってるのだろうか。だとすれば、これは違法薬物どころの話ではない。

周囲のただならぬ雰囲気に、ラーグは恐慌状態に陥った。もはやそれ以上言葉を紡ぐことは出来ず、目を泳がせながらがたがたと震え始めた。その様子を見て、ヨシュアは剣を退く。

「正気を失ったか。連れて行け。詳しい話はそれからだ」

ヨシュアが片手を挙げると、部下達が頷きラーグを連行していった。その図体が自分の前を通り過ぎる様を視線で追いながら、ヨシュアは言い捨てる。

「ラーグ。……お前の罪がこれだけと思うな」

その言葉を聞いて、ラーグはさらに震え上がった。この逮捕の目的は違法薬物の取り扱いだけではない。少年や修道女の手引きについても言及されるだろう。それにより、ラーグの裏の顔に関わった貴族達の名前も多く出てくるはずだ。加えて、皇帝陛下の暗殺未遂。すべての処分が公になれば、皇帝陛下の周辺もしばらくは穏やかになるに違いない。

「教会をすべて調査しろ。何か証拠があれば逃すな」

「はっ」

ヨシュアは部下に指示を出すと、一息ついて空を仰いだ。

100回死なせてやる。……って、使えなかったな、今日。