獅子は宵闇の月にその鬣を休める

041.事後処理

バルバロッサはアルハザードの執務室で、ラーグの件について報告を行っていた。

「あの男、会わせろと言っているぞ」

「……誰にです」

「リューン殿だろう」

「それが叶うとまだ本気で思っているのですか」

アルハザードは心底嫌そうな顔をした。ラーグはいまだに獄中でリューンの名前を呼んでいるらしい。アルハザードはファロールには直接に面会し、その言い逃れを聞いてやったが、ラーグにはその機会を与えなかった。会えば魔法で即、叩き潰す自信があったからだ。

「刑のことだが」

「教会からの要請があっても、死罪は免れません」

「分かっている。教会としても見逃すつもりはない」

安定した精神状態とは到底言えなかったが、ラーグは皇帝の暗殺を認めた。さらにファロール侯から、リリス姫がラーグをそそのかしたという証言を得たのだ。為政者への暗殺行為は、無論死罪だ。その場で首を刎ねなかったのは、それ以上に聞くべきことがあったからだけである。

ただ、ラーグは司祭という立場でもある。教会が望めば、身柄の保証も有り得るのだ。ラーグはそれを求めて、バルバロッサ卿に保身を依頼しているという。この期に及んで。

「教会枢機卿団により、ラーグの司祭位は剥奪した」

バルバロッサが顎を撫でてニヤリと笑った。アルハザードが書類から顔を上げる。

「教会としても、あれほどの汚職の塊を抱えておくわけにはいかぬ」

「ならば、ファロールと共に貴族としての矜持を全うしてもらいましょう」

「それでかまわんのか?」

「何がです」

「ファロールは爵位から言っても自害となろうが、ラーグはどうだ」

「もとより自害を与えるつもりはありません」

「首を刎ねるか」

「いいえ」

アルハザードはテーブルの上にバサリと書類を置いた。ゾッとするほど低い声で、宣告する。

「絞首を」

****

ラーグ子爵は不法薬物の作成と授受・使用の容疑で投獄され、少年・修道女の手引きを、命だけは助けてやる……という甘言の元に自白した。数件は金銭が絡んでおり、関わった貴族たちが芋づる式に検挙される結果となった。その後、皇帝暗殺の件を尋問され、最終的には生かすわけにはいかないと、絞首刑になった。

ファロール候は、全て娘の一存ということにして逃れようとしたが、館から薬品が見つかったため逃れ得ず、さらに、捕縛された私兵たちの供述によって、度重なる月の宮の襲撃をリリス姫と共謀した罪、サーシャ姫を誘拐した罪が発覚し、自害となる。さらに、財産没収の上一族郎党は領地からの追放となった。

サーシャについては、これまでと変わりなく隠遁する以上の沙汰には問われなかった。数人の従者と護衛を一人連れ、別邸で大人しくしているという。

また、ニールについては、スフが遺体を持ち帰って処分した。最終的には焼却されたという報をアルハザードとバルバロッサは知ったが、その周辺の話はリューンの耳には入っていない。

リリス姫の動機については、全て後宮への執着とされた。これまでの後宮の動向を見ていれば、なんら違和感は無い。真実の動機はリューンの殺害ではなくアルハザードへの歪んだ劣情であったということは、バルバロッサからアルハザードへと報告され、彼を苦々しい顔にさせた。もっとも、被虐的な性癖なのだろうことは、バルバロッサのみの知るところではあったが。

こうして、陽王宮を騒がせた事件は終わりを告げる。

しばらく、リューンの身の回りの人間たちは忙しく動き回っていたが、アルマとラズリによって、その周辺は平穏がもたらされた。

****

正式に皇妃になったわけではなかったが、リューンは月の宮には結局戻らず、皇妃の室へと居を移している。事件があってから、10日ほどが過ぎた。毎日アルハザードもシドもライオエルトもなにやら忙しいようで、リューンは暇だった。とはいえアルハザードは、遅くなっても気が付けば自分と同じ寝台で眠っているし、バルバロッサも何かと暇を見つけては話に来てくれた。あれだけのことがあったのだ、事後の処理も相応に時間がかかるのは当然である。

リューンは周辺の慌しさは仕方が無いと思っていたが、何もできない自分がもどかしかった。しかも、ここのところラズリまでもが忙しく動き回っているし、アルマや護衛騎士たちもそわそわとしていた。一体何なのだ。

「リューン様」

「ふおおっ!」

やばい、今の「ふおおっ」はいくらなんでも無いだろう。

今回の事件についての事後処理に関する報告書を読んでいたリューンは、唐突に現れた姿に驚いて珍妙な声を出してしまった。相変わらず、この人達の登場の仕方は心臓に悪い。しかも毎度毎度どこから登場してるんだ。そうか今日は窓からか。せめてノックくらいしろと言うのに。

「スフ、ナイア……驚かさないでよ……」

「驚かせてしまいましたか?……この時間にお伺いいたしますとお伝えしておりましたが」

「あー……」

そうだっけな。最近、すっかり気が緩んでしまっている。しっかりせねば。リューンは読んでいた資料を置いて姿勢を正すと、窓辺に控える<影>の元へと立ち上がった。相変わらず2人はローブを深く被り、その表情は伺えない。

リューンの姿に、スフが一礼する。

「リューン様。我々は貴女に謝らなければならないことがあります」

「はい?」

リューンは首をかしげた。以前、どこかで似たような言葉を聞いたような気がする。

「ナイアと双子の兄、ニールのことです」

「それが何か?」

「あの事件の時、……私はニールの存在を知ったまま、それをアルハザード様に報告せず、リューン様の御身を危険に晒しました」

「それは」

「ニールがナイアの振りをして、月の宮に侵入したことも知っておりました」

「それを、アルハザードに黙っていたの?」

「はい。ニールがリューン様に近づく可能性を利用しました」

「……アルハザードには報告したの?」

「リューン様が、『ナイアではない』と仰られたと聞いたときに」

リューンは苦笑した。いや……苦笑どころか、何か笑いがこみ上げてくる。うぬぼれるわけでは決して無いが、それをアルハザードに報告すれば、彼は決していい顔はしないだろう。それを分かっていて、事後に報告した、ということだろうか。くすくすと笑い始めたリューンに、スフの声が怪訝そうなものになった。

「リューン様?」

「怒られたでしょう」

「は?」

「アルハザードに、怒られたでしょう? 怖いことするなあ」

その言葉に、スフは少なからず驚いた。自分が囮にされたことよりも、獅子王の怒りを買ったことを面白がっている口調だ。スフの、ローブから見える口元が僅かに上がった。笑っているのか笑っていないのかは、微妙だ。

「喉を噛み千切られんばかりの低い気配でした」

「あらまあ」

「それほど、リューン様の御身が大切なのでしょう」

こういう人にそれを指摘されると、照れ度がMAXレベルだ。綻んでしまいそうになる顔を引き締め、その表情を隠すように肩を竦めた。

「でもアルハザードから、貴方とまるで同じ言葉を聞いたことがあるわ」

「ほう」

「私の身に何か起こるかもしれないと分っていて、後宮に隙を作ったって」

「リューン様は、何と?」

「囮にするならもっと大胆にやれって」

「お怒りにはなりませんか」

その台詞もアルハザードと同じなんだけれど……。リューンはため息をついた。自分はそんなにおかしなことを言っているのだろうか。

「怒ってはないけれど……、囮に使いたいならちゃんと言って欲しいわね」

「獅子王の怒りを買うよりも、そちらの方が恐ろしい」

「なぜ?」

「リューン様の行動は予測できません」

「あのね……」

スフが今度こそ、ふ……と笑った。実は大変に珍しいその横顔を見て、驚いたのはナイアだ。

「私、そんなに変なことを言ってるかしら」

「いえ、面白いことを仰られる、と」

「それ、褒め言葉ですか?」

「最上級の」

その言葉を聞いて、しばらくリューンはあきれたような顔をしていたが、やがて真面目な顔になった。獅子王に忠実な2人の<影>に向き直る。

「スフ、ナイア」

「はい」

リューンは、淑女の礼を取った。

「結果的に迅速な解決になりました。ありがとうございます」

それを受けて、スフもナイアも静かに一礼を取る。さらに、スフが控えていたナイアに向かって頷いた。ナイアが遠慮がちに一歩前に出る。

「リューン様、私の名はナイアラトラルア……と申します」

「ナイアラトラルア?」

「本当の名を知っているものは、遠話を繋ぐことができます」

「私は、遠話の魔法は使えないわ」

「陛下より伺い、存じております。……ですが、知っておいて頂きたいのです。いつかお役に立てることがあるかもしれません」

リューンはしばらくの間きょとんとナイアを見つめていたが、やがて静かに頷いた。
それを見たナイアは再び一礼して、リューンに背を向け窓の外に溶けた。

それを見届けると、スフも窓に近づく。

窓辺で、リューンを振り返った。そして……スフはローブに手を掛けて、それを、取った。

「くれぐれもアルハザード様の元を離れませぬよう。お2人は常に共にあられませ」

リューンの顔が驚きの表情に変わる。……だが、その表情が何かを言う前に、スフも窓の外に溶けた。

****

「リューン様」

「はい」

「ゴハン3杯いけます、とはどういった意味ですか」

「え、ラズリ、何が?」

「さきほどから、小声でそのようなことを」

「言ってませんよ」

「いえ、確かに仰っておられましたが」

「言ってたかな」

「ええ。それに、なにやら先ほどからお顔が綻んでおられますが、何かよいことがございましたか」

「いいこと!?」

「なぜ、そこで挙動不審になるのですか」

ラズリの言葉にリューンは、「いいことだなんてそんな! 確かにスフのあの顔は、バルバロッサ卿とも違う我らが日本人的大人の色気が、うぐう……」などと、よく分からない言葉をソファの背に向かって話しかけ始めた。

その後、やはり「あの顔、ご飯3杯はいけます……」と、謎の言葉を呟いては、ニヤニヤしたり、クッションをぎゅうぎゅう抱きしめたりする月宮妃を家令は不審な目で見ていたが、それ以上は言及しなかった。

さらに、夜。

あーそれにしても今日はいいものを見た。貴重なものを見た。ローブに隠れているっていうのもミステリアスだなと思っていたし、声も不思議なトーンでどんな人なんだろうなとは思っていたが、あれは。……それにしても、スフのあの素顔といい、バルバロッサ卿の素敵笑顔といい、……ついでにアルハザードの筋肉といい、なんなんだよ帝国、なんなんだ! 優秀な人材揃いすぎだろう! 何基準でどんな面接やってんだよ!

……などと、いまだ興奮冷めやらぬリューンがニヤニヤしていると、たまたまその日執務が早く終わったアルハザードが帰ってきて、ニヤニヤの途中でパッと顔を上げてしまったものだから、どうやらリューンの顔が全開笑顔になっていたらしく、「リュー、俺が早く来たのがそんなに嬉しいか」と、アルハザードはとてもご満悦で、いつもより激しく求められたのは、本当にどうでもいい余談である。