『私だったら。そうね、金髪碧眼なんてどう?』
『だってね、どんなお話を読んでも、お姫様っていうのは金髪碧眼でしょう? とてもあこがれるわ』
『名前もね、「リューン」っていうのも悪くは無いけど……』
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慎ましいが広く取られた一室に数名の人間が談笑しており、その部屋の片隅でかわいらしい赤ん坊を抱いている女性がいる。
その女性は薄い金色の髪を今はひとつにゆるくまとめ、胸元には蒼い石のペンダント。榛色の瞳でとても愛しげに抱いている赤ん坊を見下ろしていた。時折、あやすように優しく揺すっている。その光景は、母親であるその人の雰囲気と共に、愛くるしい。
中性的な風貌が印象的な銀髪碧眼の眼鏡の男が、子供とその母親を見守っている。銀髪の青年は、帝国宰相ライオエルト。公明正大ではあるが容赦の無い内政が、無血宰相と恐れられた男だ。1年ほど前、主君である皇帝アルハザードが妃を娶ったのを機に、皇帝が後宮に入れていた妃オリヴィアを賜った。そしてライオエルトはオリヴィアとの間に子を一人生した。今日はその子に名を付ける祝いの日だ。ライオエルトは帝国の理を支える重鎮として特別に許され、屋敷に皇帝夫妻を招待するという名誉を得た。
本来、帝国の宮廷を出て、部下の邸宅に皇帝夫妻自ら足を運ぶのは珍しい。今日は他にも、宰相に子が生まれたのを祝福する為、雷将シドや真紅の騎士バルバロッサの夫妻が招かれていた。皇帝夫妻は、護衛にギルバートとヨシュアを連れてくるはずだ。
ライオエルトの元に先触れとして、近衛騎士のヨシュアが訪れた。ライオエルトと小さく言葉を交わし、入り口近くへと控える。
「ヴィア。陛下とリューン様がお見えになったようだ」
オリヴィアが顔を上げて頷いた。ライオエルトが部屋の入り口へ出向くと、獅子にも似た風貌の逞しい濃い金髪の精悍な男が、宵闇を纏ったような黒い髪の女性を伴って現れた。室内で談笑していた者たちが一斉に姿勢を調えて、頭を低くする。
「楽にしてかまわぬ」
「陛下、リューン様、お2人にご足労いただきましたことに、感謝申し上げます」
アルハザードは室内の部下達に声をかけ、ライオエルトに向かって頷いた。獅子王アルハザード。相変わらず人を寄せ付けぬ威圧感を纏っているが、妃であるリューンを連れているときはそれがいくらか和らぐ。そのアルハザードの腕をすり抜けて、黒い女性が跳ねるようにオリヴィアの元にやってきた。
「ヴィア……!」
獅子王アルハザードの皇妃リューン。月宮妃と呼ばれているこの女性は、宮に入ったばかりの頃は短い髪だったが、今ではすっかり伸び、常に結わずに下ろしている。リューンはオリヴィアの一番親しい友人でもあった。そのリューンに、生まれる子供の名付け親になってほしいと頼んだのは他ならぬオリヴィアだ。リューンはもちろんそれを快く引き受けた。アルハザードにとっても、生まれてくる子供の父親であるライオエルトは、学友でもあり国を支える要の1人である。断る理由などはない。
****
「ヴィア、身体の調子は?」
「もう大丈夫よ。とても元気。来てくれてありがとう」
「この子ね」
「ええ」
リューンはオリヴィアの抱いている赤ん坊を覗き込んだ。眠っていたその子が、瞳を開ける。
母親譲りの綺麗な金髪に、父親譲りの綺麗な碧い瞳。金髪碧眼の可愛らしい赤ん坊だ。ああ、オリヴィアに似てなんて可愛いんだろう。そう思って綻びかけたリューンの表情が、ふと、止まった。リューンの胸に、失われていたと思っていた欠片が、すとんとはまったような感覚が降りる。
ああ、そうか。この子は。
「リューン?」
沈黙してしまったリューンを不思議そうにオリヴィアが見上げた。
「あ」
「リューンどうしたの?」
リューンの頬には一筋の涙がこぼれていた。それは、真珠のような綺麗な一滴だった。オリヴィアの顔が途端に心配そうになって、そっとハンカチでリューンの頬を押さえる。
「……リューン様?」
「リューン?」
いつのまにかアルハザードとライオエルトも傍に来ていて戸惑うようにリューンを見ている。少し距離を置いて、皇帝夫妻の様子を見守っていた帝国の将たちも、各々怪訝そうだったり心配そうな顔でこちらを見ていた。その沈黙にハッとした顔を浮かべたリューンは、すぐに笑顔に戻って、頬を押さえるオリヴィアの手を、愛しげに握った。
「名前を決めたよ。ヴィア」
「はい」
「ねえ、オリヴィア。ありがとう」
「え……?」
この子を産んでくれて、ありがとう。リューンは心からそう言って、指でそっと赤ん坊の頬に触れた。そして、赤ん坊に与える名前を呼ぶ。
「アデリシア」
その指を赤ん坊が握って、……笑った。
「貴女の名前はアデリシアだね。そうでしょう?」
「アデリシア?」
まるで生まれてくる前から、その名前は「決まっていた」とでもいうように、リューンが確信を込めて告げた。オリヴィアは愛しそうにアデリシアを抱き直し、その名を呼んで頬寄せる。
「ええ。私の名前がリューン・アデイル、だから、『アデリシア』愛称は『アデル』」
それを聞いた、オリヴィアがゆっくりと確かめるように赤ん坊に話しかける。
「アデリシア……?」
オリヴィアのその声に、あはーと声をあげてアデリシアが笑った。リューンはもう一度アデリシアの頬をそっと撫でてみる。
「よろしくね、アデル」
リューンがそう言って首をかしげると、あー、という赤ん坊特有の声を出して、再びアデリシアがにぱにぱと笑った。周囲の空気もそれにつられて、微笑むように和む。
ほら、私はちゃんと覚えていたでしょう。
貴方は、アデリシア。
ようやく会えた。
リューン、いや……龍には分かる。かつて異なる世界で同じ魂を持っていた、それはもう1人のリューン。龍の愛した年下の女の子。同じ運命を分つ存在。
リューンは思い出す。
会ったばかりの、まだあどけなさの残るリューンが話していた、リューンの理想のお姫様の話。
『ねえ、龍。私、こうやって、私と同じ姿をした龍に会えるのはうれしいけど、もし叶うなら、龍とは全然別の姿で、同じ世界で会いたかったな』
『別の姿で?』
『そうよ。私達、まるで同じじゃない。だから、違う私達の方が、きっと、もっと友達になれると思うの』
『そうね』
『それなら私、綺麗な金髪に碧い眼がいいわ!……ほら、丁度このペンダントの石みたいに。だってね、どんなお話を読んでも、お姫様っていうのは金髪に碧い眼じゃない? とてもあこがれるわ』
『リューンなら、よく似合いそうだわ』
『それでね、優しいお母様とかっこいいお父様がいて、あなたと、お友達がいると、素敵でしょう』
『ええ、そうね……。本当にそうね』
そう話すリューンの横顔は少し寂しげで、絶対に手に入らないものへの憧れと、諦観が混じっていた
『名前もね、「リューン」っていうのも悪くは無いけど、「りゅう」に似ているし、できれば愛称があるのがいいの』
『愛称? そうね、私も愛称はあこがれるかな。……ねえ、それなら、リューン。貴方はもし別の姿になれるとしたら、……リューンじゃない自分になれるとしたら……どんな名前がいい?』
『私の名前が、「リューン・アデイル」だから、それから取って、「アデリシア」とかどう? 「アデル」って呼んでもらうの』
『アデリシア……か。女の子らしくて、リューンにきっとよく似合う』
『本当に?』
『ええ。本当に』
龍が頷くと、リューンはとても嬉しそうに、綺麗に笑っていた。
それが手に入らないものだと分かっているから、なおさら。傷めた心を決して見せないように明るく笑うのだ。
でも、リューンはちゃんと、手に入れた。
そして、今度こそ「私達」は、それぞれ別の「私」になったのだ。
龍は確信する。龍は完全にリューンになって、2人の運命は、ようやく別のものとして交差する。リューンがかつて願ったように、同じ世界に2人の人間として。
リューンはアデリシアの小さなおでこに触れた。
あの日。
龍とリューンが死んでしまったあの日。
龍に自分の人生をくれたリューンが、約束した、あの言葉。
『リューンとして生きて待っていて。いつか必ず貴女に会うから。』
そういったリューン。
リューンは約束を守った。ようやく、こうして、会えたのだ。
「リュー」
アルハザードが隣に来て、リューンの肩を抱き寄せた。意図せずにだろう。だが、唐突にリューンの……アルハザードだけが呼ぶ自分の愛称に、思わずその身体に身を寄せる。そんな2人を見上げて、またアデリシアが笑った。
こうして、いくつかの物語がまた始まっていく。今度は、貴女がその主人公なのね……と、龍は、いや、リューンは思うのだ。
リューン。もう1人の私。そして、私じゃない、あなた。
今度こそ幸せになるといい。貴女と貴女に関わる全ての人たちが。
****
さて、この物語。
これで終わりかと思ったら。
実はまだ、ほんの少しだけ続きがあるのだ。
そのほんの少しに、今しばらくお付き合いいただきたい。
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「素晴らしい名前をありがとうございます。リューン様のお名前からいただけるとは、とても光栄です」
「いえいえ。オリヴィアの頼みならなんでも引き受けるわ」
リューンの言葉にライオエルトは苦笑した。
「……リューン様は、ヴィアにはお優しいのですね」
「私は女性には優しいのよ」
オリヴィアと、顔を見合わせて笑い合う。ふと、その笑いを緩めてリューンは言った。
「ああでも。ちょうどいいかも。……アデリシアが、」
「なあに?」
オリヴィアが首を傾げた。ああもう、その首を傾げる表情も可愛いなあ……などと思いながら、リューンはそっと自分のお腹を押さえる。
「タイミング的に私達の子供のいいお友達になりそう」
…。
……。
………。
「……は?」
****
「……え、アルマ……貴方、黙っていたんですか?」
「いや。あの、ちょっと待ってください、ラズリ様。これは、リューン様がえっっっっっっっらく喜んで、私が一番に皇帝陛下に言うから絶対誰にも言わないでねと申されましてですね」
皇帝夫妻が宰相の元に赴いているため、今は主の居ない陽王宮で、リューンの家令……カリスト属領の領政も大分安定したため、渉外執政の任を解かれ、今は陽王宮の家令として皇帝夫妻の雑務を取り仕切っている……ラズリが、珍しくアルマに声を荒げた。
「リューン様はいつ話されるおつもりなのだろうか」
「いえ、昨晩お話されているとばかり……」
「……リューン様が……? しかし、陛下は今朝から変わらぬご様子だったし、夜に話したという風でもなかったが」
「……はい。……もしかして、あの、まだお話されていないのでしょうか」
「……」
「……」
ラズリが大きなため息をついて、アルマがそれを心配そうにそっと伺う。まったくあの方は……。皇妃になって1年弱。今では卒なく動かれているというのに、なぜ、こういう重要な事項がスコーンと飛ぶのか。結局のところ、我々があの方についていなければならないのだな……。やれやれ。なんとも飽きないことだ。
「ともかく。リューン様が陛下に直接お話されるまで、内密にな……」
「はい……」
****
「タイミング的に私達の子供のいいお友達になりそう」
「……は?」
この報告には、さすがのアルハザードも眼を丸くした。
オリヴィアはまあ、という顔で片手で口を押さえ、
ライオエルトはぎょっとした顔で眼鏡を直す。
シドは、飲もうとした紅茶をブフっと噴出してリューンを二度見。
バルバロッサ卿は、ほほうと期待満面のニヤリ顔を浮かべて顎を撫でた。
護衛のギルバートは、どことなく満足気に何度も頷き、
近衛のヨシュアはやっぱり目がきらきらしている。
シドとバルバロッサの奥方は、顔を見合わせて笑顔になった。
リューンからの唐突な告白は、もちろん室内の全員が初耳だ。
「お、……リューン、お前……」
「ん?」
あれ? アルハザード、何そんなにびっくりしてるの?
リューンは、小さな笑顔で小鳥のように首を傾げた。
「あれ、今朝言ってなかった?」
「聞いてないぞ俺は」
「え、だって、こういうのは一番にアルハザードに聞いてもらいたいと」
「だから俺はまだ聞いていないんだが」
「いやでも、話して……あれ?」
「聞いていたら、流石の俺でももう少し反応する。ああ、いや、だが、」
アルハザードは指折り数えつつ、最近のリューンの様子を思い出す。そういえば、思い当たる節がなくも無い。それに、最近は確かにそのあたりのことも考えて、そう激し
「わーーーーー! アル坊、何数えてんの、何考えてんの、それ以上言わないで」
アルハザードの口をがっしと塞いで、リューンはその言葉の先を止めた。その手を剥がして、アルハザードはふん……と鼻を鳴らす。
「まだ何も言っていない」
「いいえ、私には分かります」
「それから、何度も言うがさりげなくその名前で呼ぶな」
「多分、気のせい」
「全く、お前は……」
アルハザードはリューンの手を取ったまま、その細い背中が自分の正面に来るように、ゆるりと回した。
「リューン」
「はい」
優しく名前を呼ぶと、後ろからゆるく抱えるように抱きしめて、リューンの下腹にそっと触れる。
本当に、ここに居るのだろうか。自分と、リューンの子が。それはリューンに出会う前までは、希望や憧れを諦めた、皇帝としての義務だった。だが今は違う。アルハザードにとって、皇帝としても、一人の男としても、リューンはかけがえの無い唯一の存在だ。そのリューンが、自分との子を生す。ひどく神聖な心持がして、アルハザードは力を込めないように気をつけながら、そこを繊細に撫でた。
「身体は大丈夫なのか」
「大丈夫」
「確かか」
「それは確か。分かるよ」
分かるよ。少し集中すると、リューンのくれた癒しに満ちた魔力が、そう言っている。だからこれは、確かな事実だ。
「そうか」
「言うのが遅くなってごめんなさい?」
「全くだな。だが、もうよい。リューン、無茶はするなよ」
獅子王のいつもは厳しい精悍な横顔が、今は柔らかな笑顔になっている。その顔を見て、オリヴィアの顔が綻んだ。
こうして。
獅子王が宵闇の月を手に入れた物語は終わる。
終わる。
おわ……。
あの、だから、なんでちょ、まてまてまってまって、
ああもう、額に口付けまでは大目に見る! もういい。
だけど、なんで、
待て、
唇はダメだ、しかもそのかぶり付く様な勢いはダメだ。
いやいや。ほら、誰か止めろってば!
シド将軍もライオエルトさんも半笑いで目を逸らさないで。
バルバロッサ卿までニヤニヤしないでください。
うわ、オリヴィア顔が赤!……いや、ほんとごめん、見捨てないで。
ギルバート殿!!そこは、見て見ぬふりしないでいいですから。
いやヨシュア殿、何? 何そこで白目剥いてんの!? 近衛なら何とかして止めろよ!
ああ、もう、アル!
この……野獣! 肉食系!……父親になるんだからちょっとは落ち着いてってだから舌はダメだって舐めまわすなって味見するなっておおおおおおいい!!
アルハザードの腕をぺちぺちとタップしているリューン。
リューンにがばーっと被さっているアルハザード。
そんな2人を、帝国の要人達は生ぬるく……いや、違う。あたたかく見守っている。
こうして、数日後、獅子王アルハザードと寵妃リューンの間に子供が出来た吉報が瞬くまに帝国に広がったとかなんとか。
リューンと、龍。
今度こそ幸せになるといい。
貴女と貴女に関わる全ての人たちが。