月夜の小話集

[貴方と共に] 001.叛意

国は荒れていた。

1人の青年は魔法の腕を磨き、その力を役立てることを願っていた。青年の友は貴族に生まれ、民のために自分が学んだことを生かそうと願っていた。

2人の青年はそれぞれの技を磨き、自分が仕えるべき主君、自分が生かせる道を探していた。

1人の青年の妹は、幼い頃からそんな兄の友人を憧憬の眼で見つめていた。

青年もまた、自分の友の妹を、かけがえのない存在として大切にしていた。

そして、青年の父は国を憂い、国を思うがゆえに、主君に反旗を翻すことを誓った。青年は父の意図に従った。父と共に帝国に赴き、亡命した自国の人間を同志として集める任に就いた。友と、そして友の妹を自国に置いて、道は分たれた。いつか、国に帰ることを誓って。

その誓いは果たされた。

だがその代わり、青年はかけがえのない友人を、失っていたのだ。

****

昨日言葉を交わした友人が、兄が、親が、女王の気まぐれで首を狩られる。それは、この国にとっては珍しいことではない。

なぜ、兄が死ななければならなかったのか。
兄は一体何をしたのか。
ただ、1つ分かっていることがある。

兄の仇はベアトリーチェという。

アルマの生まれた国。カリスト王国の狂った女王。

兄は、その女に、首を刎ねられた。

****

2代前の国王の御世までは、小さな小さな国でありながら昔から魔法に満ちた人材をよく生み出していたカリスト王国という国がある。

そのカリスト王国でも有能な魔道師の家系に、アルマは生まれた。

アルマ自身、幻惑の魔法が得意な有能な魔道師だった。世が世であれば、宮廷魔道師にも上がれたかも知れぬほどの腕だ。だがカリスト王国は、たった2代の王のうちに、国としての存在が地に堕ちた。

先代の王は愚鈍で何も出来ない王だった。何も出来ない君主は、国家にとって致命的だ。敵も味方も王には区別が付かず、宮廷は己の利を得ようとするもので溢れかえった。国民は搾取される対象となった。

愚鈍な王は、その愚かさゆえに何も見えてはいなかったのだろう。だが、2つ。はっきりと分かっていることがあった。

1つは、彼には代々続く国王にあるべき強い魔力が無いということだ。ここ最近周辺諸国を、戦争だけでなく、外交によっても手に入れている帝国の皇帝とその息子は、他に比類無いほどの満ちた魔力を持っていると聞く。それなのに、自分には凡庸な魔力しか無かった。王の父は、自分の息子の魔力が凡庸であることに落胆し、落胆した態度を隠そうともしなかった。この事実は、王の心に歪んだ影を落とし、周辺の力のある魔道師への強い嫉妬となった。力のある魔道師は、自分の味方になればよし。味方にならない者は粛清の的とされたのだ。それゆえ、力と権力欲の強い者が宮廷に集まるようになり、正義感の強い者は遠ざけられた。

そしてもう1つ。彼は妻であるベアトリーチェの虜だった。彼女は王位継承権をも持つ、王の従妹。彼女自身もまた、魔力が少ない。だが、その代わりに持っているものがあった。これは魔力と言うべきなのかもしれない。男を狂わせる女としての気質を持つ、生まれながらの女王。王自身も、そのベアトリーチェの虜だった。

だが、王の治世は15年ほどで終わる。殺されたのか、あるいは、ベアトリーチェとの行為に耽った末なのか、それは判然としない。

1ついえるのは、王が死んでも堕ちた治世は終わらなかったということだ。

以後15年間、ベアトリーチェは狂った女王として君臨した。

ベアトリーチェの毒に引き寄せられるように、さらに力の強い者達が集められ、逆らうことの許されぬ宮廷が作られた。入るには寛容だが、逆らえば死を意味する。腐れば腐るほど支配力が強くなる、底なし沼のような宮廷。それがカリスト王国の宮廷だった。

****

兄がベアトリーチェに首を刎ねられたのは、女王の一人娘リューンに魔法の使い方を教えた、という、ただそれだけの理由だった。そもそも、その魔法を教えろと命じたのは他ならぬベアトリーチェだった。その命を受けて彼は宮廷へ出向き、リューンに魔法の手ほどきをしていたという。そこでどういったことがあったのかは分からない。アルマの兄はリューンと親しくなった。そして、リューンに甘言を呈したとして、首を刎ねられたのだ。

一族郎党まで罪が及ぶことはなかった。単にベアトリーチェの興味が無かっただけだろう。だが、アルマとその家族はもうカリスト王国には居られない。国を出なければならない。ベアトリーチェの取り巻きに目を付けられる、その前に。

荷など作っている暇は無かった。アルマ達は帝国へ逃げようと決めた。帝国ならばあの人達がいるはずだ。兄の友であった、あの人とその父が。アルマは、油断すれば涙が出そうになる瞳をぐっと拭った。

「アルマ! アルマ!」

「お父様」

「準備は」

「いつでも。お母様。こちらへ……」

アルマは自分を呼ぶ父親の声に強く頷くと、憔悴しきった母親の肩を抱いて、そっと家を出た。追う者はいないはずだが、音を消す魔法を周囲に施し、念のために不可視の魔法を家族にかける。慌ただしい気配の中では、数割程度の効果しかないだろうが、かけないよりはマシだろう。

「ディール様には……」

「連絡している。国境に使いの者をよこしてくれると」

「お立場は悪くならないでしょうか」

「あれはもうすでに悪くなっておろう。帝国に擦り寄る奸臣として。普通には帰ってこれまいよ」

ディール伯爵。カリスト宮廷において、最後の良心と呼ばれている忠臣だった。だが、彼は宮廷より遠ざけられている。今は帝国内で、名ばかりの在外公使としてその任についている。3代前の王が、彼の真の主君だった。だが今は、女王に追われて帝国に亡命している自国の人間を保護している。無論、忠義のためではない。いや、忠義のためというべきだろうか。彼が目指すのは、狂王ベアトリーチェを倒すことだった。

どれほど馬を進めただろうか。追ってくる者は確かにいなかった。ベアトリーチェにとって、気まぐれに首を刎ねた男の家族の動向など興味も無かったに違いない。だが、アルマ達は必死で馬を走らせ、3日のうちに帝国の治める地方領の境に近づいた。そこには懐かしい人が居た。

アルマ達を出迎えに来てくれたその人は、アルマが憧れた兄の友。ディール伯爵の1人息子、ラズリ・ディールだった。

「ラズリ様……!」

「アルマ、ルイスご夫妻……よくぞ無事で」

アルマはあまりの懐かしさに胸が詰まるのを感じた。最後に見たのは3年前。アルマが15歳だったときだ。その頃に比べると、ラズリからは若い軽やかさが抜け、大人の男としての落ち着きを纏っている。線の細い、真面目な雰囲気は相変わらずだ。栗毛の髪と同じ色の茶色の瞳は、今は頑なで厳しい表情を湛えていたが、アルマを見るときだけは、一瞬その瞳に穏やかな微笑が浮かぶ。その瞳の奥に昔と変わらない穏やかさを見つけて、アルマは何故だかホっとした。

ラズリはアルマの髪を撫でると、3人を促すように大きく頷いた。

「手続きは出来ております。帝都への入都も可能です」

帝国は大小さまざまな国家を吸収してきた国だ。国家ごと敵意を向けられることには容赦がなかったが、個人が入国し、実力を試すには寛容な国だった。また帝都には、表向きは公使であるラズリの父も居る。たかが3人の亡命者など、ものの数にも入らない。

こうして、アルマは両親と共に帝国へと逃れた。

1年ほどは、ディール伯爵の邸宅でラズリや、ディール、そして仲間たちの身の回りの世話を行っていた。ラズリもその父のディール伯爵も忙しく、時にひっそりと動いている。アルマの父も同様に、彼らと共に何事かを企てているようだった。どのような企てかは、アルマももちろん知ってはいたが、詳しい内容まで知らされることはなく、……何も出来ないその身をもどかしく思いながらもひっそりと暮らしていた。それは意外なほど静かな時間だった。だが、その時間が限りある短いものであることを、アルマは知っている。

いずれ近いうちに、自分の国は動く。これは予感ではなく確信だ。

ベアトリーチェに叛旗を翻し、あの狂った王を倒すために。