月夜の小話集

[小話] 淑女達の華麗な午後

帝都ヴァイスディアスの陽王宮。

皇帝の住まう宮の中庭で、数名の女性達が、鈴のような声を響かせて笑っている。

今日はバルバロッサ卿の奥方コーデリアと、シド将軍の奥方フィルメール、そしてつい先日、宰相ライオエルトと婚姻したばかりのオリヴィアを招いて、皇妃リューンが私的なお茶会を開催していた。

皇妃たるもの、こうして時折お茶会などを開いて貴族達との社交の場を持たなければなりません、とはコーデリアの談。だが、真紅の騎士の奥方自身も、もともと貴族達が腹を探りあう場所を好むわけではない。社交界での重要度は別として、単に娘のように可愛い女性達を集めてお茶に講じるのが楽しいのである。

「フィルメール、貴女のお子は今何歳だったか。確かどちらも男の子だったと聞くが」

「もう6歳と3歳になりますわ」

コーデリアは先代皇帝の後宮で護衛騎士を勤めたことのある女性だ。こういった気が置けない場では、口調が常のような男口調になる。濃い藍色の髪に凜とした風貌は年齢を感じさせず、今でも時折バルバロッサと剣を合わせることがあるという彼女の立ち居振る舞いは美しい。自然、リューンを始めとする、宮廷の若い女性達を公私共に導く立場になっていた。

結婚したばかりの頃、バルバロッサとコーデリアが手合わせをする姿は、多くの騎士達の憧れの的だったそうだ。バルバロッサと並ぶとどこか厳粛な雰囲気だが、2人が顔を見合わせて微笑めば、年齢を重ねた穏やかで落ち着いた空気感が、途端に周囲に伝染する。まさに、社交界における男女のお手本のような夫婦だった。

そして、コーデリアの質問に頬を染めて可愛らしく答えるのはフィルメール。19歳の時に、雷将シドと結婚している。背が低く、すとんと真っ直ぐな赤銅色の髪が可愛らしい女性である。25歳でリューンやオリヴィアよりも歳は上だが、15、6歳ですと言われも不思議ではない程度に、幼く見えた。初めて会った時など、リューンは「あのシド将軍が幼な妻ですとーーーー!?」と(心の中で)叫んだという。

「6歳と3歳の男の子が1人ずつだったら、家の中は大変ではないですか?」

「ええ、2人ともとても元気ですの。暴れん坊で、困ってしまいます」

リューンの質問に、困ってしまいます、と言いつつ、ふふと花のように笑うフィルメール。その笑顔に、つられてリューンもむふんと微笑んだ。

「オリヴィア様は、体調は安定してらっしゃるの?」

フィルメールが瞳を細めて、オリヴィアを見つめる。その視線を受けて、頬を小さく染めたオリヴィアが自分のお腹をそっと撫でた。オリヴィアは、ライオエルトと結婚してすぐに妊娠したのだ。

「はい。ありがとうございます。あまり気分も悪くならず、体調も大分よくなりましたわ」

「ライオエルトさんって、ああ見えてヴィアのこと、すごーく甘やかしそうだよね」

リューンはオリヴィアに向けてそっと囁く。すると、他の2人にもその囁きが届き、全員から即突っ込まれた。

「アルハザードほどではないと思うが」

「でもきっと陛下ほどではないですわ」

「それは、陛下ほどじゃないと思うわ」

「そ、そうかな」

ゲフッとリューンは咳き込む。

コーデリアが、わざと声を落としてにっこりと笑い、リューンとオリヴィアに耳打ちするフリをしてみせた。

「そういえば、2人は知っているか? フィルメール嬢はな、あのシド将軍に相当押しに押されて結婚したのだ」

「え」

あのストイックなシド将軍が。ゴリ押しですと。

「それで、……結婚をする前に、子供が出来てしまいまして」

頬に手をあてて、フィルメールが恥ずかしそうに、懐かしそうに微笑んだ。

しかも、あのシド将軍が、出来……じゃない、授かり婚! しかも、すっげ幸せそうな顔しましたよこの人。まるで昨日結婚しました! みたいな顔しましたよ今!

ああもう、何なんだこの可愛らしい人達は。こんな可愛らしい人達に囲まれて、私は幸せです。これも帝国に嫁に来たおかげでしょうか。我が夫アルハザードよ、私、今、皇妃になって初めてよかったと思いました。

すみません。初めてっていうのは嘘ですね。概ねよかったと思ってます。言わせんな恥ずかしい。

それはそれとして、3つの華に囲まれてリューンはとてもご満悦だ。そんなリューンを眺めつつ、コーデリアが笑いながら首を傾げてみせた。

「以前から聞きたかったのだが、リューンはあのアルハザードのどこに惚れたのだ?」

「へぁぃ!?」

変な返事になった。

「まあ、私も聞きたいわリューン」

「本当。リューン様ったら、あまり陛下の話をなさってくださらないもの」

「全くだ。私は、いつもバルの話を聞かせているというのに。リューン、あの無愛想な獅子の話を聞かせておくれ」

3人の淑女に追い詰められたリューンは、どうやら顔が真っ赤になっていた。

「惚れた、惚れた……。うーん」

あらためて問われ、リューンは少し考え込んだ。

自分を抱き寄せてくれる逞しくて強い腕。
(そんなに力を込めている風ではないのに、まったく動かない)

体重を預けると心地よい厚みの胸板。
(勢いあまって飛び込むなどすると、ぶつかって痛いのが難)

手を回すと大きくて安心する背中。
(試しに背中から抱きついてみたことがあるが、その夜大変だった)

自分が乗っかってもびくともしないお腹。
(乗っかるという状況がどういう状況かはご想像にお任せする)

こんな風に表現してみると、甘い雰囲気があるが、これは総じて。

「筋肉……ですよね(真顔)」

リューンの言葉に、3人の淑女は瞳を丸くした。

「ほう、筋肉か。それは確かに……分からなくもないな」

「まあ……リューン様ったら。……でも、ええ……なんとなく、分かりますわ」

「そうね、言い方はなんだかリューンらしいけど。ちょっと、分かるかも……」

まさかの発言だったが、意外にも全員がうんうんと頷き同意した。そういえば、3人の夫達もそれぞれいいガタイをしているはずだ。オリヴィアも頷いているということは、ライオエルトあたりもそれなりなのだろう。そもそも、あの獅子王に仕えている宰相だ。文官といえど、剣もある程度こなすに違いない。3人の反応を見て、リューンは顎に手をあてて首を傾げた。

「分かりますか。……お腹、背中もさることながら、」

「胸板、もしくは二の腕か」

「いえ、それももちろん外せませんが、私のオススメは腿の方で……」

「おやおや、ふふ……それはリューンにしか分からないな」

そりゃ、太腿の筋肉がどうとかって、夜にしか分かりませんよね!

やっべ迂闊なことを口走った。リューンは思わず顔を赤くしたが、それを見つめるコーデリアの切れ長の瞳は、愛娘を見るように愛しげだ。

「リューンとアルハザードは、本当に仲がよいな」

「本当ですわね」

「本当に」

今の会話で、リューンのアルハザードへの愛が伝わったらしい。3人は3様に頷き、くすくすと笑ってとても嬉しそうだ。アルハザードは多くの部下に忠誠を捧げられているが、獅子王として恐れられてもいる。その獅子王の心が安らぐ寵妃の存在は、どれほどに貴重なことだろう。

それならば……と、リューンもオリヴィアに聞いてみる。

「ねえ、ヴィアはライオエルトさんのどこが好きなの?」

リューンが小鳥のように首を傾げた。それを受けてオリヴィアがきょとんとする。ああ、その表情、とても可愛い。

「ライオエルト様の?……ええと……」

リューン、コーデリア、フィルメールが、期待満面の顔で、おっとりとしたオリヴィアの瞳を見つめている。オリヴィアは、しばらくの間、うーん……という顔をしていたが、やがて、ああ、という表情で頷いた。

「眼鏡……かしら」

もはや、人体の一部ですらない。

眼鏡男子はリューンも嫌いではないが……、ああ、だが、確かに眼鏡男子好きの我らの定義から言えば、眼鏡は人体の一部と言っても過言ではないな。リューンが微妙な方向で思案を巡らせている。

「ライオエルト様は、眼鏡が本当にお似合いですものね!」

まさかの、フィルメール様が同意!

予想外に、フィルメールが食いついた。そのフィルメールは、うっとりと両手を組んで微笑んでいる。可愛らしい、少女のような微笑みだ。この微笑を独り占めしているとは、シド将軍うらやましすぎる……と、リューンは心底思った。そう思っていると、うっとり顔のフィルメールが、頬を染めてさらに言う。

「私は、シド様の騎士服姿が好きですわ……」

「確かにシド将軍は、歳を経る毎に似合うようになってきているな。若い頃は騎士服に着られていたというのに」

フィルメール様は制服も好きなのか!

コーデリアがふむふむと頷いている。確かにストイックなシド将軍は、騎士服の姿がとても似合っていた。正直言うと、リューンはそれが大変うらやましい。当然、アルハザードには騎士服というものが無い。皇族用の礼服はあるが、普段から着用しているわけではないのだ。いつもは騎士が着る服に近い形の服を身に付けているし、皇帝用の軍服を見たこともある。確かに求めるかっこよさはあるのだけれど、ちょっと違うのだよ、そういうことではないのだよ。それをぼやいてみせると、くすくすと笑って、コーデリアの表情が悪戯っぽく輝いた。そんな瞳の動きは、夫であるバルバロッサによく似ていて、とても魅力的だ。

「自慢ではないが騎士服ならば、私のバルバロッサもよく似合うぞ?……赤い髪に真紅の騎士服が似合うのは、あの男くらいしかいないだろう」

「それは同意いたします! もう、コーデリア様ったら、充分自慢じゃないですか!……うらやましい、実にうらやましいです」

リューンが、コーデリアの言葉に力強く頷いた。その言葉を聞いて、コーデリアはさらに身を乗り出して囁く。

「それにな、ここだけの話だが……」

「なんでしょう」

3人の淑女達が、コーデリアの言葉に、瞳を輝かせる。バルバロッサ卿は、リューンに限らず、若い奥方達の憧れの紳士なのだ。

「あれは、老眼鏡もよく似合う」

「まあ!」

3人は感嘆の声を挙げた。リューンはテーブルの下で、思わず拳をぐっと握り締めている。

「だが、似合うと言っているのにバルバロッサは不機嫌になって、あまり掛けてはくれないのだ」

コーデリアはちょっぴり拗ねた顔をした。

「コーデリア様に言われて不機嫌になるなんて、バルバロッサ卿もちょっと可愛らしいところがあるのですね」

「リューン様ったら、可愛らしいだなんて……ふふ」

「きっとコーデリア様にだけ、お見せしてくださるのですね」

まあ、とか、素敵……とか言いながら、3人の姫君達はそれぞれ顔を見合わせて楽しそうにしている。まるで自分の娘と言っても差し支えない年齢の姫君達の様子を見ながら、コーデリアも嬉しそうだ。

リューンが、ぽんと手を打った。

「あ、私アルハザードの好きなところ、1つ思いつきましたよ!」

「何かな?」

「何でしょう」

「なあに、リューン」

あれだよ、あれ。

「手です、手。大きくてこう、すじすじしたところが」

「あー」

帝国の頂点に君臨する男達のそれぞれの奥方らは、分かる分かると深く頷いた。淑女達のおしゃべりは、いつも大体こんな調子で続く。

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妻を連れてきた3人の男と陽王宮の主は、打ち合わせと称して中庭がよく見える応接室に集まっている。愛する妻達が、楽しげに笑ったり頬を染めたする様子を応接室の窓から見ては顔を緩めているのだ。

「随分楽しそうですね。何を話しているのでしょう」

「それがな、コーデリアに何を話しているかを聞いても、いつも具体的には教えてくれん」

「フィル……私の妻もです。……女性にしか分からない話なのでしょうな」

そのとき、アルハザードが大きくくしゃみをした。

「陛下、風邪ですか?」

「知らん」

帝国を治める獅子王とて、それは例外ではなかった。月宮妃にどんなに聞いても、お茶会で何を話したかはいつも曖昧に交わされている。

4人の男は、各々同じことを考えているに違いない。
まったく。愛する妻よ、自分に「だけ」は話してくれてもよかろうに。

今度は、4人全員がくしゃみをした。