此度の襲撃について、後宮には大きな調査が入ることになった。そこで知れたのは、サーシャが犯人であったということだ。グラスの欠片やワインの出所が、全てサーシャの室に証拠が残されていた。グラスの欠片については、オリヴィアの室から一致する破片の残りが出てくる……という姑息なやり口と共に……である。こうしたやり口は、アルハザードの怒りを買う。姑息なことをするならば、もっと周到に行えばよかったのだろうが、サーシャは自ら墓穴を掘ることとなった。
ライオエルトは、この件の調査や始末を任されている。サーシャとその父親であるルルイエ伯爵の沙汰、後宮解散の通達。……そして、生き残った襲撃者の尋問。それらの指揮を執っていた。
そんな中、ライオエルトはオリヴィアを訪ね、白星宮に赴いている。他の姫君に対しては別の騎士を遣わしたが、何故かこの姫に対しては自分が赴かなければならないような気がしたのだ。
「後宮は解散となります。お父上のオーガスト伯爵には、陛下より正式に通達をお送りしました」
「そうですか……」
「お勤め、お疲れ様でございました」
皮肉になってしまうだろうか。オリヴィアが後宮の妃として勤めを為したのは、1度きりのはずだ。それはオリヴィアに限らず、他の姫君達も同等だった。
「いいえ。陛下には私のようなものに情けを掛けてくださり、ありがとうございました……とお伝え下さい」
ライオエルトは僅かに首を傾げたが、静かに頷いた。アルハザードが掛けた情け、とはどのようなことなのか。たった1年だけでも、宮廷に住まうことを許されたことなのか。それともたった1度の閨のことか。そのようなことが頭をよぎったが、言っても詮無いことである。
ライオエルトの来訪の用件はそれで終わりだったが、なぜか席を立つ気になれなかった。
ここのところ過密な仕事が続いているライオエルトは、そのような中でもオリヴィアに対する聞き取りや調査だけは、宰相という立場を利用して、同行するか自ら行うかしていた。
オリヴィアの元で、調査のためといえど言葉を交わして声を聞く。話題を求められることも無く、かといって気まずいほどの沈黙も落ちない。オリヴィアの言葉を待ち、自分の早急な判断や言葉を急かされることもない。そうしたゆっくりとした空気の中で、淹れてもらったお茶を飲んで執務室に戻ると、なぜか心持が穏やかになり疲れが取れているような気がするのだ。
もとより感情的な自分では無かったが、心が沈静する……というものとは別種の感覚は、最近では覚えの無いものだ。それは、執務に追われるライオエルトの心の奥に、抗い難く染み渡った。だからこうして、何かしらの名目を持ってオリヴィアの元を訪ねてしまう。
ただ、それももうしばらくすると終わりになるだろう。
調査は終わり、残作業はサーシャとルルイエ伯爵への沙汰のみとなった。ライオエルトがオリヴィアの元に来る用件は無くなる。さらに後宮は解散となり、この姫君も領地に戻ってしまう。
「オリヴィア姫は、伯爵領にお戻りの予定ですか」
「恐らくそうなることと思います。元々、田舎の暮らしが性にあっておりますから」
「そのようなことはないでしょう」
オリヴィアは、後宮の他の姫のような派手さは無いが、繊細な風貌と薄い色合いの金色の髪が美しいたおやかな娘だ。ライオエルトの目から見ても、どのような貴族令嬢と比べても見劣りしないように見える。快活さや華やかさに欠け、やや消極的なところはあるが、リューンと親しくなったところを見ると、その振舞いも教養も申し分が無い。
リューンが居なければ、獅子に見出されていたのだろうか。
あの獰猛な獅子王に、触れただけで壊れてしまいそうなこの硝子細工のような姫君が?
不意にそんな考えが頭をよぎり、その瞬間苦々しい気持ちになる。この喉の奥に感じる、ざらついた苦味はなんなのか。
ライオエルトは一瞬顔を顰めそうになったが、表面上はいつもの笑みでオリヴィアを見る。
相変わらずしとやかで、遠慮がちだ。しかし、そこに漂う空気感が心地よかった。無血宰相である自分の言葉や感覚は、鋭く人を傷つけやすいと思っていたが、そのような自分は鳴りを潜める。その心地よさも終わりかと思うと、ライオエルトにはどうしても聞いておきたいことがあった。
「オリヴィア姫は……」
「はい」
「あの時……私は貴女に呪文を使って取調べを行いましたが……、なぜそれを許可したのですか?」
「なぜ……と申しますと?」
「私が宰相といえど、潔白に近い伯爵令嬢の貴女を、父君の許可無く呪文を使って尋問するなど……常識で考えれば、正気の沙汰ではないでしょう。しかも、数人の騎士がいる、目の前で」
か弱い姫君にとっては恐ろしい出来事が起こった直後だっただろうに、3人の男に囲まれて黙秘も嘘も許されない尋問を受けるなど、幾ら自分が潔白であったとしても普通の貴族ならば断るだろうし、断るべきだ。だが、オリヴィアはそれをしなかった。その理由を聞きたかったのだ。
「ライオエルト様は、あの場で私の身の潔白を証明してくださったのだと思っておりました」
「え……?」
「将軍閣下と護衛の騎士様がいらっしゃるあの場で、私に何も無い……と証明してくださいました。そのおかげで、調査の方が来られたときも、証拠めいたものが見つかったにも関わらず、私にはほとんど疑惑がかからなかったではありませんか」
それは間違いない。事前に、シドとギルバートの2人によってオリヴィアの潔白は証明されている。だから、いくらオリヴィアの部屋から証拠物品が出て来たところで、ライオエルトはそれを否と判断して再調査を行わせた。シドやギルバートも、調査要員の騎士や護衛の手配に積極的に協力したのだ。
もとより疑っていたわけではない。ワインの件と後宮の姫君の力関係から見て、このオリヴィアにも何らかの罠が仕掛けられている……と考えるのは容易い。だから調査対象と方向性を絞り込んだつもりだった。ライオエルトは、オリヴィアの大人しい従順さを利用したのだ。
そのような自分のやり方に、なぜ礼を言われるのだろうか。
「ですから、感謝こそすれ、不満に思ったりなどはしておりませんわ」
「そうですか……」
「ありがとうございます。ライオエルト様」
自分の策がこのように真っ直ぐに純粋に「感謝」などされたことが無かった。ライオエルトはいつのまにか淹れ直されていたお茶を口に含む。染み渡る温かさは、いつにも増して気持ちが穏やかになっていく気がした。
****
オリヴィアが領地に戻ってしまうまでの間、ライオエルトは白星宮に幾度も出向いた。何かしら理由をつけて、アルハザードの許可を得にやってくる。常に無いライオエルトの様子にアルハザードも気付いてはいたが、特に咎めずにおいた。リューンがオリヴィアを月の宮に招いた時などは、わざとライオエルトを伴って顔を出したりもした。表面的にはそ知らぬ風を装ってはいるが、ライオエルトがオリヴィアに興味を持っているのは間違いないだろう。ただ、そんなライオエルトの背中を押してやるほどアルハザードは親切ではない。
仕事が一段落したアルハザードがリューンの元でくつろいでいると、ライオエルトが訪ねて来た。後宮の沙汰についての報告を持って来たらしい。アルハザードは遠慮しようとしたライオエルトを制し、共に報告を聞いた。
リューンの淹れたお茶は、少し味が違うようだ。いつもアルハザードが居るときは、彼好みの苦味のある濃い目のものが出されるのだが、その日はすっきりとした甘みのある味だった。それほど詳しいわけではなかったが、アルハザードも味の違いに気付く。ただ、それを口にしたのはライオエルトだった。
「リューン様。……このお茶は?」
「オリヴィアから貰ったんです。疲れが取れるからって。味、大丈夫でしたか?」
「味は……大変美味しいですが、……疲れが取れる?」
「はい」
少しだけ寂しげな瞳を見せてライオエルトに答えるリューンの髪を、アルハザードは一筋梳いた。他の姫と同様、オリヴィアとのことをアルハザードはあまり覚えていない。派手で積極的な2人に比べて、怯えていた……という記憶があるだけだ。ただ夜会の日に見たオリヴィアには、持っていた印象ほど怯えの色は見えなかった。男としての感情と興味は沸かなかったが、好ましい印象だったのは間違いない。リューンと親しくなったことについても感謝せねばと考える。リューンの周囲に国内の信頼できる人間……特に女性が増えるのは好ましいことだ。これからリューンが皇妃になる準備としても。
「ただ、あんまり出さないって言ってたんですけど」
「ほう。なぜ」
興味をそそられたアルハザードが尋ねる。カップを両手でそっと持って手を温めながら、リューンが首をかしげた。
「アル、どんな味がする?」
「いつもより苦くないな。少し甘い」
「そう。よかった」
「よかった?」
「疲れているときは爽やかで甘いけど、そうじゃないときはちょっとエグみを感じてしまうんだって。だから、あまり出さないって」
だから、確実に疲れていると分かる相手か、自分が疲れているときに自分のためにしか淹れない。そういう意味だろう。ならば、自分は疲れている……とでも知れたか。確かに、アルハザードは連日後宮の始末で忙しく、ようやく落ち着いた今日の時間だった。アルハザードは口の端を上げて笑み、リューンの頬に指の背で触れる。
「俺が疲れていると?」
「毎日遅いなって思ってただけです」
リューンが照れたようにそっぽを向く。……が、すぐに気遣わしげな瞳でこちらを伺った。アルハザードがリューンに構うのは常のことだったが、夜会の日を境に、時折リューン自身からアルハザードに気持ちを添わせてくるようになった。僅かに残っていたもどかしい距離感が取り除かれ、まるで麻薬のようにその心地よさが手離せない。アルハザードは、リューンの頬に触れていた指を顎まで下ろし「こちらを向け」……と甘い声で囁きかけたが、リューンの声がそれを遮った。
「ライオエルトさん?」
そういえばライオエルトが居たか。自分と共に居るときに他の男の名を呼ぶな……と戯れてみたくなったが、さすがにそれは自重して意識をライオエルトに向けると、忠義な宰相は、意外そうな顔で、じ……と2人の様子を見つめていた。アルハザードが部下の前だろうがリューンを抱き寄せて、その髪や頬に触れるのは常のこと。ライオエルトにもそれは知れているはずだが、この視線にはさすがのアルハザードも怪訝そうな顔をした。
「ライオエルト、どうした」
「陛下……」
我に返った風にライオエルトが表情を正常に戻し、身を正した。唐突な部下の様子に、アルハザードはリューンから手を離す。
「……なんだ」
ライオエルトは真剣な眼差しで眼鏡の位置を直し、頭を下げた。
「私に、オーガスト伯爵令嬢を……オリヴィア姫をいただけませんか」
****
オリヴィア姫をいただけませんか。
気が付くと、ライオエルトはそのようにアルハザードに頼んでいた。
主君と妃の甘やかな会話のひとつひとつが、オリヴィアとのやり取りを思い出させたのだ。いや、正確には、オリヴィアと過ごした僅かの時間の穏やかな心地を……だ。
リューンが出したお茶の味は、確かにオリヴィアのところで淹れてもらったものと同じ。
疲れているときにしか出してはいけないお茶。
それを飲んだときにほっとした自分の心地。
オリヴィアに、自分はなぜ「疲れている」と知れてしまったのだろう。
一度知ってしまった穏やかな心地は何ものにも変えがたく、執務の合間に麻薬のようにそれを求めてしまうのは何故だったのか。ライオエルトは己の心に気付く。もう一度あの空気に触れたくて仕方が無い。そしてその気持ちの答えを、妃を眺める獅子の穏やかな眼差しの中に見た。
自分の気持ちを自覚した今、あの姫君を逃したくはなかった。
「オリヴィア姫は既に後宮から外れた。俺の許可は要らぬだろう」
「正式にはまだ外れておりません。事務手続きの途中です」
「律儀だな」
「許可を?」
「許可は要らぬというのに」
皇帝からの下賜……となれば、それは臣下と実家への命となる。いつになく強いライオエルトの意図に気付いて、アルハザードは苦笑した。ふと何か思いついたように、アルハザードは、隣のリューンを少し強く抱き寄せる。
「そうだな。リューン、お前はどう思う」
「どう思うって……」
リューンがアルハザードの腕から逃れ、テーブルに手を付いて身を乗り出す。その視線を受け止めるように、ライオエルトが見返した。オリヴィア姫とリューンは仲がよい。まず落すべきは、決まっていた。
「……いい話だとは思うけど、オリヴィアはこの話を知っているの?」
「いいえ」
ライオエルトが眼鏡の位置を整え、堂々と言い放った。年頃の姫君が後宮から下がる。皇帝につながりを得たい貴族らから、縁談を求められることもあるかもしれない。まず先手を打たなければ。そんな心の内は隠して、ライオエルトは穏やかにも見える笑みを浮かべて首をかしげた。だが、リューンにはその笑みが腹黒い笑みに見える。
「何か問題が?」
「え、いや……こういうのはまず同意を……」
「リューン様。私の邸宅は、帝都にあります」
「や、そりゃそうだろうけども……」
「私の妻ともなれば、いつでも陽王宮に連れて来ることが出来ますが……」
「それは……」
「オリヴィア姫が実家に戻られて、寂しくはありませんか?」
「……」
ライオエルトから畳み掛けられて、リューンは押し黙る。額に手を当てて、長い溜息を付いた。ソファに再び身を沈めてアルハザードの腕の中に戻りながら、呆れ顔で、ライオエルトを見遣る。
「あのさ……もとより私の意見なんて、聞くつもりないんでしょう」
「本件に関しては、怖れながら」
「……ヴィアを泣かせたら承知しないから」
「御意に、リューン様」
勝ち誇った顔で、ライオエルトはリューンを見た。面白いものでも見るように2人を眺めていたアルハザードが、ライオエルトに声を投げる。
「件の令嬢の父親らが持っている領地についてだが」
「はい」
突然全く異なる話題を振られて、ライオエルトはすぐに宰相の顔に戻り、姿勢を正す。アルハザードはリューンの少し短い黒い髪を指に絡めて、それを眺めながら言葉を繋ぐ。
「……そろそろ視察をせねばなるまい」
ライオエルトは怪訝そうに蒼い瞳を細めた。
話題に登った「件の領地」……というのは、後宮の元妃たちの実家のことだ。3つの領地それぞれに対して、近いうちに何かしらの視察を予定していた。こうした視察には数名の騎士を連れた宮廷の要人が指揮を行い、領主の館を宿泊地に使う。もちろん、どれも公式には後宮の解散とは関係が無いが、非公式には後宮に対する不穏な動きへの敬遠と示威の意味があった。
「オーガスト伯爵領は特に重要な地だったな。文官を遣わそうと思うのだが、誰かいい人選はあるか」
「それは……」
ライオエルトが小さく笑んで、アルハザードに一礼する。リューンがその意図に気付いて、驚いたようにアルハザードを見た。移り変わる表情を楽しげに見遣り、その頬をなだめるように撫でる。
「問題ないぞ、リューン。……こういう仕事をライオエルトに任せて、失敗したことは無いからな」
「恐れ入ります」
「いやいやいや、仮にも……って仮じゃないけど、宰相閣下でしょ。こういう仕事って……どういう仕事を……」
「お気遣いは無用ですよ、リューン様」
「気遣ってないっつの!」
「では、早速準備を。失礼いたします」
ライオエルトが立ち上がり、つられて思わず席を立ったリューンの腰にアルハザードは腕を回した。無理矢理自分の膝の上に引き寄せる。「ちょっと、なんでライオエルトさんばっかりオリヴィアに会うの」……などとリューンは言っているが、ライオエルトのために聞こえない振りをして捕まえておいてやった。
あとはあの無血宰相がうまくやるだろう。
****
帝都から少し離れたオーガスト伯爵領。辺境というほどの距離ではなく、かといって都会というほど洗練された土地ではない。だが豊かな地は信頼の置ける貴族に……と、オーガスト伯爵に任されてきた地だ。
その領主の館で、オーガスト伯爵令嬢オリヴィアは広く取ってある庭を眺めていた。
あの夜、「いずれ返してやれるだろう」……と言った獅子王の言葉は嘘ではなかった。ただ、ほんの少しだけ寂しい。もちろん寵を得られなかったことでは無い。元々望まない後宮入りではあったが、そのおかげで得られた貴重な縁に、もうあまり会えなくなる……ということが、だ。このような機会が無ければ、もう2度と声など掛けられぬだろうと思っていた獅子王と、その獅子が寵愛する……とても親しみやすくて可愛らしい妃。
……そして。
オリヴィアは首に提げているペンダントに触れた。
これは皇帝の妃……自分の友人であるリューンがくれたペンダントだ。なぜか「貴方に付けていて欲しい」と言われた。その言葉の意味は分からなかったが、ペンダントに付いている蒼い石はある人の瞳を思い出させ、銀色の鎖はその人の綺麗な髪を連想させた。
得られた貴重な縁のひとつだ。
「ライオエルト様はお元気かしら」
そっと、オリヴィアは呟く。
あの襲撃から連日執務が厳しかったのだろう。よくオリヴィアを訪ねて来てくれたが、ライオエルトは時々険しい顔で眼鏡に触れていた。自分をエスコートするために差し出される手は冷たく、疲れているのではないかと知れる。だから、少しでも疲れに効けば……と、普段はあまり客には出さないお茶を淹れたりしたのだ。ライオエルトができるだけ長い時間ゆっくりしていってくれれば、それでいい……と、そう思った。
無血宰相……などと呼ばれているが、オリヴィアにはそうは思えない。
静かな眼差しも穏やかな声色も、オリヴィアを待ってくれるゆっくりとした所作も言葉も。少なくともオリヴィアを不快にさせないように気を回してくれていた様子だった。血も涙も無い人間には、到底見えなかった。
「もう一度お会いできるかしら」
……と、そこまで言って、オリヴィアは頬に手を当てる。
これではもう一度会いたい……と言ったも同然ではないか。
****
その日オリヴィアは、オーガスト伯爵邸の庭をライオエルトに案内していた。伯爵領の視察をライオエルト自ら行うという話と、その視察隊が領主の館に滞在する……という話を聞いたのは、つい先日。ぎりぎりまで知らされていなかったため、オリヴィアにとっては突然の来訪だ。家人達はなぜか率先して、ライオエルトの相手をオリヴィアに任せる。オリヴィアは白星宮で感じたような宰相と後宮の妃……ではない、もっと近しい距離感に少し心臓が高鳴った。
ライオエルトもまた、帝都で見たときよりも僅かに頬を染めているオリヴィアを好ましく思いながら、宰相としてのエスコートにしては少し強めにその手を取る。
「そのペンダントは……リューン様からいただいた?」
胸元に下がっている蒼い石に目を留めて、ライオエルトはオリヴィアの顔を覗き込んだ。オリヴィアは覗き込まれた距離に照れたように一瞬俯いたが、躊躇いがちにライオエルトに視線を向ける。
「ええ。何故かは分からないのですが、付けていて欲しい……と」
「いつも身に付けていらっしゃるのですね。確か、私がこちらに来たときも」
「はい」
何気ない会話に、突然思い出したようにオリヴィアが笑う。
「綺麗な蒼で、そういえばライオエルト様の瞳によく似てるといつもおもっ……」
……と、言いかけて、驚いて自分を見下ろす眼鏡越しの蒼い眼差しにぶつかる。瞳を丸くしたその表情に、盛大にオリヴィアは顔を赤くした。ライオエルトを焦ったように見上げる。
「も、申し訳ありません。私ったら、失礼なことを……」
「……いえ」
ライオエルトは思わず口元に手を当てた。不味い。自分の口元が緩まっているのが分かる。ライオエルトは緩んだ顔を引き締めつつ、オリヴィアに改めて微笑みかけた。
「陛下が、リューン様に贈り物をされたのをご存知ですか?」
「贈り物、……ですか?」
「ええ」
歩みを留めて、ライオエルトはそっとオリヴィアの胸元を飾る控えめな蒼い石に手を伸ばした。触れるか触れないかのところで指を浮かせる。不思議そうな表情で自分を見上げるオリヴィアの、柔らかそうな頬にも触れたかったがそれは抑えた。話の続きを待っているオリヴィアに、言葉を傾ける。
「群青色の小さな石が付いた、装飾の無いペンダントを贈られまして」
「まあ、リューン様のために陛下がお選びになったのですか?」
「はい。仲睦まじいことで、……宝石商が早速流行らせようとしているようですよ」
「流行らせる?」
「ええ。大切な人や伴侶となる人に、自分や相手の持つ色の石を、シンプルな装飾品にして贈る……と」
「ふふ、……素敵なことを思いつくのですね」
オリヴィアが顔を綻ばせた。かつてのライオエルトであれば商売人のうまい宣伝方法よとしか思わなかっただろうが、自分が当事者ともなればこれほど叙情的に受け止められるものなのかと、自然に思う。
「私は、……しまった、と思いました」
「え?」
「リューン様に先を越されてしまった」
一瞬、何のことか分からず、オリヴィアがきょとん……と、子犬のような顔をした。ライオエルトは伸ばすのを我慢していた手をオリヴィアの頬に伸ばして、そっと触れる。
「貴女がそれを私の瞳に似ていると言ってくださるなら、……その色の石は、私から貴女に贈りたかったのですが」
大切な人や伴侶になる人に、自分や相手の持つ色を贈るのであれば。
一拍遅れて、ライオエルトの意図に気付いたオリヴィアが言葉を選び損ねて、ただ「ライオエルト様……」とだけ、小さく口にして、再び顔を赤くした。
その様子を微笑ましく見ながら、ライオエルトはオリヴィアの背を抱くように手を添えて歩みを促した。
「さあ、もう中に入りましょうか」
「は、い」
「オリヴィア姫」
背に添えた手を少しだけ腰に回して、オリヴィアの細い身体を強く引き寄せてみる。
逃げられないように囲ったのは自分だ。既にオーガスト伯爵にもそれとなく手を回してある。後宮の手続きが済む前に、獅子王からの命……妃の下賜があるだろう。そうしておけば、もしオリヴィアに縁談があったとしても、何よりも優先されるはずだ。……こうしたやり口を、オリヴィアは許してくれるだろうか。
2人の間に落ちる離れ難い柔らかな空気に、ライオエルトは満足を覚える。
もう一度、名前を呼んでもよいだろうか。
リューンがオリヴィアのことを親しみを込めて「ヴィア」と呼んでいることを思い出し、少しだけ顔を低くして、耳元に唇を寄せた。
「私も、貴女のことをヴィアとお呼びしても?」
「もちろん、です、ライオエルト様……」
恥ずかしそうにしながらも、腕の中でオリヴィアは逃げなかった。