帝国の男たち

奥様方のお遊び

「おや、このような所に子供が迷い込んで」

帝国の騎士達を招き、貴族が時折開く夜会。その一夜に出席したフィルメールは、幾度目かに掛けられた声にうんざりした顔を向けた。彼女は18歳になるが、いつも子供に間違えられてしまう。確かに、赤銅色の真っ直ぐな髪に大きな薄い茶色の瞳は小動物のようで、背の低い小柄な体型も相俟って、13,4歳にしか見えない。それでも、夜会用のドレスを着て髪を結い上げれば間違えられることは無いかとがんばるのだが、余計に目を引いてしまうのだ。

「子供ではありませんわ。もう18です」

「ほほう。それはそれは……」

声を掛けた男は、騎士服を着ていた。淑女に対しては紳士たるべき帝国騎士のはずだったが、その瞳が一瞬で下卑たものになる。ニヤニヤ……と笑って、その男が一歩踏み込んできた。怯えたように身を竦ませて引いたフィルメールの姿が、ますます男の嗜虐心を刺激したようだ。

「なるほど子供のような姿で、もう女というわけか」

「何を……っ」

「何をしている!」

フィルメールの怯えた声が一瞬響く。しかし男の伸ばした手が触れる直前、男の後ろから引き締まった声が聞こえた。それほど大きくはないのに有無を言わせない声の主は、硬質の足音を響かせて2人に近づく。

2人の間に割って入った男は、フィルメールの小さな身体を庇うように立ち、静かに相対する男を見た。睨まれた方は身を竦めて1歩下がる。

「……シ……シド殿……!」

「随分夜会の会場から離れているようだが?」

「……わ、私はまだ何もっ……!」

「まだ?」

「い、いえ……」

「しかし、こちらの女性は怯えている様だ。……貴女の、知り合いか?」

シドと呼ばれた男が、フィルメールを振り返り首を傾げる。自分に向けられた問いと理解したフィルメールは、ふるふると頭を振った。

フィルメールにも、シド……という名前に聞き覚えはあった。シド・ハワード。帝国の若い皇帝に最も近しい騎士。まだ若いが、次の戦を経験すれば将となり、騎士団を統括する命を受けるだろうと目されている男である。褐色の髪は短めに整えられ、同じ色の瞳は不正を許さぬ意志を込めて、相手を睨んでいた。

「……し、失礼いたします」

睨まれた男はそれ以上争う気持ちは無いらしく、悔しげな表情でその場を立ち去った。シドは険しい顔でしばらくそれを見ていたが、再びフィルメールを振り返り、安心させるように静かに微笑む。

「大丈夫かな。騎士団の団員が失礼をした」

「……はい。あの、ありがとうございます」

フィルメールの傍らに膝を付き、困ったようにシドは笑った。フィルメールは、子供ではなく女性扱いをしてくれたシドの振る舞いに好ましいものを感じて、恥ずかしそうに頬を染める。だが、次のシドの言葉でそんな気持ちが霧散した。

「迷子に?……このような夜会は初めてか」

「は? 迷子?」

「違うのか?……今日の夜会に、君のような年頃の子は出席していなかったと記憶しているが……」

「年頃の、……子?」

「どうした。ともかく1人にしておくわけにはいかない。一緒に……」

「シド様……」

フィルメールはきっ……とシドを見返した。思いがけないその表情に、シドが一瞬怯む。

「私は子供ではありません!……もう、もう18歳です……!」

「……え」

シドが目を丸くして言葉を失っている隙に、フィルメールは踵を返して走って逃げた。

「……あ、待ちなさい。そちらは人気が無くて危ない……!」

その声に一瞬怯えたフィルメールは走るのを止めて、早足になった。心配したシドが後ろから追いかけて来て、つい止まるタイミングを逸してしまう。夜の庭は方向がよく分からない。初めて来た場所だから、なおさらだ。だから、この追いかけっこはすぐに終わり、フィルメールはシドに優しく捕まえられてしまった。

シドの長い足から、小柄なフィルメールが逃げ切れるはずも無いのだ。

****

「……いきなり2人っきりになるフラグ……っ」

「フラグ?」

陽王宮の皇妃の自室で、シドの奥方フィルメールとリューンが楽しげに話していた。フィルメールとシドの馴れ初めを聞いていたリューンは、若い時分から硬派だっただろうシドが、幼げなフィルメールに振り回されているところを、ひとしきり妄想する。この後、シドからの猛烈なアプローチを経て、結婚する前に子供が出来るというのだから、「あの」雷将がどれほど……。そのギャップに、リューンは身悶えた。

「フィルメール様かわいいですもんね……。シド将軍が放っておかないはずですよ」

まあ……そんなことはありません……と、照れたように俯く。その表情がまたこじんまりと愛らしい。

「……シド様は、いつも私の事を子供扱いしておりましたの。本当はもっと女性としてエスコートして欲しかったのに」

言いながら少し拗ねたような表情を浮かべる。だが、すぐに楽しそうに笑うフィルメールに、リューンも幸せな気分になってつられて笑った。シドがこの女性を大切にしようとすればするほど、フィルメールにとってはそれが「子ども扱い」に見えたに違いない。いやそれにしても、あの生真面目そうなシドが一体どういう流れで婚前交渉の経緯になったのやら。さすがに詳しく聞きはしないが、それだけ妄想も進もうというものだ。

……などという邪な脳内はさておき、リューンはフィルメールの顔を覗き込む。

「その時から、いかにも、騎士様……って感じだったんでしょう?」

「もちろんですわ。その頃はまだ、隊長クラスでしたからマントの丈が短くて」

「ああ、あの短めのマント、かっこいいんですよね。ギルバート殿とか」

「そうなのです。でもお若い方の特権、という感じですわね」

「年齢も上になってくると、やっぱり長いマントで威風堂々と渋めの感じを出して欲しいよねえ……」

ほう……と溜息を付いて、リューンとフィルメールは顔を見合わせ、うふふーと花が開くように笑った。話題はともかく、彼女の夫らが見れば、放っておかずには居られないほどのよい笑顔だ。

「でもね、私最近、ちょっと思うんです」

リューンが、ひそひそと声を落とす。つられてフィルメールも顔を寄せ、なにやら秘密めいた雰囲気だ。

「あら、何をですの、リューン様」

「あの帝国騎士の騎士服……素敵でしょう。ちょっと着てみたくないですか?」

「まあ」

フィルメールが両手を頬に当てて、瞳を丸くした。

「……リューン様ならきっとお似合いになると思いますわ」

「フィルメール様は?」

言われて、うーん……と首を傾げ、困ったように眉を寄せる。

「面白そうですけれど、私の身体に合うようなものがありますでしょうか」

「ちょっと着てみるだけだったら、仕付ける程度でいいのではないかな」

ふむ……と、リューンはフィルメールと顔を見合わせる。問題は、どこから騎士服を調達するか……だ。帝国の騎士が着用する公式な制服ともなれば、貸与は当然禁止されている。皇妃として用意させるのは簡単だろうが、それだとアルハザードにすぐ知れてしまって面白くない。女性の騎士あたりにこっそりお願いすれば出来なくもないけれど、手を煩わせるのも申し訳ない。……さて。

****

「リューンは、どこか」

「衣裳部屋にいらっしゃいます」

「衣裳部屋?」

今日は休日だったが、アルハザードはシドと共に雨王宮で執務を執っていた。

だがその執務も午後には終わり、2人は陽王宮を訪ねた。今日はリューンの元にシドの妻であるフィルメールがご機嫌伺いにやって来ている。アルハザードはシド夫妻と共に、夕食を取るよう自ら誘いに来たのだ。用向きを家令のラズリに伝えると、彼は丁寧に一礼して説明した。

「ハワード夫人が訪ねてきていたはずだが?」

「夫人も、共にいらっしゃいます」

「共に? 他に人は」

「トゥールー夫人が」

「コーデリア殿が? 何用で」

「衣裳部屋へ」

「それは先ほど聞いた」

いつになく、のらりくらりと本題を話さないラズリにアルハザードは怪訝そうな表情を浮かべた。今日はバルバロッサ卿にも会ったが、コーデリアが来ているという話は聞いておらず、特に衣装を作るなどという予定もなかったはずだ。どういうことだ、……と視線でラズリを促す。何故か、コホン……と咳払いを1つして、ラズリは姿勢を正した。

「……お呼びいたしましょうか?」

「いや、訪ねよう。シド、お前も来い」

衣裳部屋に? 淑女の衣装合わせの場に男が立ち入っていいのだろうか……とシドは恐縮したが、主に来いと言われてしまっては従わざるを得ない。短く了承の返答をして、足早に歩くアルハザードと案内をするラズリについていく。

皇帝や皇妃の自室にも衣裳部屋はあるが、それ以外にも大きな部屋が設えてある。その扉の前に来ると、外には若手の護衛騎士アリシア、カイル、ルークの3人が控えており、部屋の中からは楽しげな女たちの声が聞こえてきた。

『ほらほら、こういう裏技とか……。どうです?』

『まあ……リューン様、それは……』

『おいおい、リューン、それはとんでもない作戦だな。』

『え、でもみんなやらないですか?』

『はしたなくはありませんか……?』

『いやいやー、女物の着替えが手元に無いときにさらっと……。というか、私が見たいです、私が』

『されると分かっていても、男は反応してしまうだろうな』

『と・く・に、フィルメール様みたいなのがこうやって着ると、いいんですってば、ほらほら』

……何を話しているのだろうか。思わず入るタイミングを逸したアルハザードとシドが、顔を見合わせて聞き耳を立てていると、しばしの沈黙の後に、リューンの歓声が上がった。

『ちょーっ……! フィルメール様……っ これ……、これはっ……!』

『え、え、やっぱり似合いませんか?』

『いや、似合わなくないです、むしろ狙い通りっ……!! あー、やばい鼻血とか出そう』

『落ち着けリューン。……しかし、こうなると、シド将軍も放っておかないだろうな』

自分の名前が出てきたところで、シドがなんともいえない表情になった。話している内容はさっぱり分からないが、なんだかとてつもなく恥ずかしい内容のような気がする。……アルハザードが護衛に視線を向けると、アリシアが声を掛けて衣裳部屋へと入った。

『え、アルハザードが来たの?』

『おやまあ、なんとタイミングのよい。ちょうどいい。ちょっと待っていろと言っておけ。……とりあえず、元の格好に戻るか。リューン。フィルメール』

『え、でも元の……って……』

元の……というのは一体何なのだ。

男性陣がいささかムラムラ……ではなかった、ムズムズしながら待っていると、アリシアが何故か視線を逸らしながらアルハザードを呼びに来た。女騎士の微妙な表情に首を傾げながら、案内されるままに部屋に入る。衣裳部屋と言っても、衣装が置いているわけではない。衣装が置いてあるのは続きの間で、リューン達が居るのは着替えを行う間だ。アルハザード達がそこに入ると、アルマを始めとする侍女達が何か作業をしていたらしかったが、全員一礼して下がった。なぜか、皆、一様に生温い笑顔になっている。

アルハザードが部屋に視線を向けると、妃の声が聞こえた。

「あ、アルハザード、どう、似合う?」

ファサッ……とマントを翻して自慢げな顔でふんぞり返ったリューンに、アルハザードは獅子にあるまじき表情を浮かべた。

「リューン……お前は……。一体、どういう遊びをしているんだ」

「えーと、……こういう遊びです」

リューンは帝国騎士服とは少し違う、だが騎士を思わせる凛々しい服を着ていた。色は黒。金の飾り紐がジャケットの合わせを飾り、肩章を思わせるフリンジが重厚感を現していた。長めの丈が腰周りを緩く隠し、そこから伸びたズボンはすらりと長くかっちりとした印象だ。マントは、……恐らく騎士将クラスを意識したのだろうが……裾の長いものを纏っていて、腰には細身の美しい剣を佩いている。

リューンはアルハザードの側に来て、可愛らしく首を傾げ群青色の瞳を見上げる。

「似合わない?」

「いや……」

上目遣いに自分を見上げた漆黒に、アルハザードは思わず怯んだ。似合わないか……だと?

いや似合う。
確かに似合う。

帝国には女性の騎士も居る。こうした服装は珍しくないはずだが、リューンが着ていると味が違った。普段のドレスも甘いものではないが、さらに中性的で……別の魅力が……。

アルハザードにしては珍しく次の行動を迷っている様子を見て、コーデリアがニヤニヤと笑っている。いつもは部下が居ようがコーデリアがいようが、所構わずリューンを抱き寄せるアルハザードだったが、何故かここで「似合う」と言ってそれを実行するのは憚られたのだ。抱き寄せてみたいのは、山々だったが。

そんなアルハザードの思考を破ったのは、これまた珍しいシドの焦ったような声だった。

「フィ……フィルメール……!」

「シド様」

可憐な声はフィルメールのものだ。コーデリアの後ろから遠慮がちにそっと出てきたフィルメールを見て、アルハザードに迫っていたリューンが楽しそうに振り向いて、駆け寄る。

フィルメールも、また凛々しい騎士服と似た服を着ている。こちらも色は黒。騎士服によく似ているが、少し若々しい。飾りは抑えてあるが、詰襟にダブルのボタン。脇腹辺りから後ろにベルトを回して身体の曲線を出していた。リューンと異なり、騎士隊長クラスを意識したであろうマントは裾が短めで長さは腰辺りだ。身体の3分の1程を隠すように前に垂らされている。

それを見たシドは、アルハザードの倍は哀れな顔をしていた。驚いたことに、顔が赤くて照れている。そしてここまで照れた表情がはっきりと露になったシドは、誰も見たことが無かった。

「シド将軍、これだけではないぞ。さらにこうすると、より……」

コーデリアが、フィルメールの頭にぽふ……と、マントと同じ色のベレー帽をかぶせた。羽の飾りが付いていてふんわりと膨らんだシルエットは、なんとも可愛らしくフィルメールによく似合った。

さらに絶句したシドを差し置き、リューンが歓声を上げる。

「コーデリア様、もう、そんなアイテムどこに隠してたんですか……!」

「どうだ、フィルメールによく似合うだろう」

「似合うなんてもんじゃないですよ!」

コーデリアとリューンが、顔を赤らめたフィルメールを囲んで微笑む。

……確かに似合っていた。ただ、リューンやコーデリアのように男装の麗人……という風ではなく、フィルメールのあどけない魅力を全力で引き出す結果になっている。

「……あの、似合いませんか?」

コーデリアに押しやられたフィルメールが、シドの前でおずおずと問いかけた。

「い……いや……」

雷将シドは、妃を見た主君とまるで同じ反応をした。

****

「あー、楽しかったです。コーデリア様、ありがとうございました」

「何、私も楽しかった。オリヴィアが居ればもっと楽しかったな」

「本当ですわね」

「ね、ヴィアに子供が生まれて落ち着いたら、またやりましょう」

ひとしきり楽しんで、名残惜しく元のドレスに戻ったリューン達は夕食の準備が出来るまで、陽王宮の一室でくつろいでいた。結局、騎士服を調達する手立てをリューンはコーデリアに相談したのだ。コーデリアは、それならば私の若い頃の服がある……と言って、騎士服によく似たものをいくつか持ってきてくれた。侍女達に協力してもらって、軽く縫い上げ裾を詰めてもらう。2人の似合う様子にコーデリアも楽しげで、仕立てて2人への贈り物にしてやろうと請合ってくれた。

「またやりたい」と言ったリューンに、隣に座ったアルハザードが不満げな顔をする。

「駄目だ」

「いいじゃない」

「……ならば、陽王宮の中だけにしろ。ああ、いや、あの衣裳部屋か俺の前だけに……」

「えー……つまんない」

「つまる、つまらないの問題ではない」

……要するに、あの姿を他の男に見られたくないのだろう。アルハザードは、リューンを抱き寄せて不機嫌そうだ。すっかり元の獅子王に戻ったアルハザードは、リューンの髪を自分の指に絡ませてどことなくそわそわしていた。

一方、シドは疲れきったようにうなだれていた。

「どうした、シド将軍。フィルメールもよく似合っていただろう」

「はっ……その。コーデリア殿、お世話になりました」

「なんだそれは」

いつもと違い、フィルメールを見て何かを話しかけようとしては咳払いをしてみたり、フィルメールに話しかけられては、言葉を噛んだりしているシドに向かって、コーデリアは、おかしげに笑う。どちらかというと、リューンよりはフィルメールの男装の方が男を誘う。背の低い初々しい姿形と、勇ましい騎士服というアンバランスさは、目の離せない危うさがあった。

要するに、男たちは常に無い変身をした妻を見て落ち着かないのである。

****

王宮からそろって帰宅するシドとフィルメールは、揺れる馬車の中で寄り添って座っている。

「シド様」

「ん?」

「今日、ご迷惑でしたか?」

「何がだ」

「その……服のことで」

シドは目を丸くして、首を振った。隣に座るフィルメールの小さな手をそっと握って、自分の膝の上に乗せる。迷惑など、とんでもない。フィルメールと連れ添って7年になるが、また新たな妻の魅力に気付かされたのだ。

「そんなことはない。楽しかったのだろう」

「ええ。とっても」

「それならば、よいのだ。それに、とてもよく似合っていた」

「本当ですか?……うれしい」

恥ずかしそうに笑いながら、フィルメールがシドを見上げる。その眼差しを受け止めて、しかし、少し困ったような表情を浮かべた。

「……だが、その」

「シド様?」

不思議そうに自分の言葉を待つフィルメールに、シドは小さく咳払いをして握る手に力を込める。確かに可愛かった。とてもよく似合っている。……しかし。しかし、だ。

「……他の男の前では、あんな格好はしてはいけない」

「まあ」

フィルメールの頬が染まる。シドはそんな妻の頬を、もう片方の手の平で抱きこむように撫でた。フィルメールと出会ってから、いつも思う。

「貴女は可愛いから、妙な男にかどわかされないか心配だ」

「もう、シド様ったら。私は……」

「……知っている。子供ではないだろう」

頬を撫でる手をフィルメールの頭の後ろに回し、2人の唇が近づく。触れ合う直前で止められて、微笑むようにそれが動いた。

「私が、貴女をいつ子供扱いしたのだ」

「……一番最初に」

「あれは数の内に入らない」

そう言って、2人の唇が重なった。それはすぐに離されたが、間を置かずに再び重なる。2度目は深く、簡単には離れなかった。

****

ところでこうした奥様方のお遊びには、物語の本筋とは全く関係の無い、瑣末な余談があった。

 

 

 

「そういえば、私達が来る少し前は、一体何をしていたんだ」

「少し前?」

ハワード家の屋敷に戻ったシド夫妻は、子供達の寝顔を見た後、夫婦の寝室……寝台の上に居た。雷将シドがいつも部下の騎士達に掛ける怒号や、主に向けるきりりとした口調と異なり、夫のシドが妻に向ける声色は甘く優しい。

「え、……えーと……」

「貴女に似合うと言っていたろう」

「その……」

フィルメールの顔が赤くなる。その様子はシドの目にも可愛らしいが、なぜ照れるのだ。……と不思議に感じたところで思い出す。はしたなくはないか……とか、シド将軍が放っておかない……などと言っていた気がするが。

誰も居ない2人きりの寝室なのに、フィルメールは「誰にも言いませんか?」……とますます顔を真っ赤にして、シドの耳に唇を寄せた。

****

「……男物の?」

「男物の」

「……シャツを?」

「シャツを」

ってさ、夢じゃない?

爽やかな笑顔で、リューンがアルハザードに言い切った。きらっきらした瞳で、翌日着替えが無くて困っているときに、男物のシャツを借りるのが浪漫なのだとよく分からない主張をしている。騎士服といい、男物のシャツといい……一体何を言い出すんだと思ったが、ふうむ……とアルハザードは唸った。唐突に後ろからリューンを抱き寄せる。「ちょっと何するのよ!」という抗議の声は当然無視して、リューンの着ている夜着を手繰り寄せて頭から抜いた。裸に剥いたリューンを片腕に抱いたまま、ためしに傍らに脱いである自分のシャツを手に取り、強引に袖を通させる。

「待って待ってちょっと待って朝起き抜けに見るものなんだってこれは!」……などとじたばたしているが、その足に自分の足を絡めて動きを封じ、後ろからボタンを半分ほど留めた。

寝台の上でひっくり返して、上に圧し掛かる。出来上がったリューンの姿を見下ろして、アルハザードは黙り込んだ。

「……」

なるほど、これは。

****

「……フィルメール」

シドが見下ろすと、羞恥で潤んだ瞳で自分を見上げるフィルメール。半分ほど肌蹴た大き目のシャツに、そこから垣間見える白い肌。やんわりと押さえている袖の先からは小さく指先が出ていて、袖口を掴んでいる。そして、何よりも見えそうで見えない腰周りと、そこから伸びる裸の足。

フィルメールの話を聞いて、悪戯心に自分の服を羽織らせてみたのだ。
小柄なフィルメールの身体は、大きなシドの服にすっぽりと隠れている。そのくせ白から透ける肌の色と、だぶつく具合からやっと分かる身体の曲線が……。

雷将シドは、その夜、ストイックな将軍の仮面を取り払った(かもしれない)