帝国の男たち

ふたりの騎士のささやかな日常

帝都王宮に勤める騎士達が任務や訓練の合間に利用する食堂に、今をときめく2人の騎士が並んで食事をしている。1人は少し童顔の、亜麻色の髪が柔らかな雰囲気の騎士。もう1人は濃い金茶色の髪と整えられた髭が実直で真面目そうな騎士。亜麻色の髪の騎士が、食後のお茶を片手に、はあ……と溜息を付いた。それを窘めるように、もう1人の騎士が眉をひそめる。

「何をそんなに溜息をついているんだ、ヨシュア殿」

「ギルバート殿はいいですよね……」

ヨシュア……と呼ばれた騎士は、恨めしそうに隣の騎士を見た。

ヨシュア・ハルバード。エウロ帝国皇帝アルハザードの近衛騎士の長である。若い時分からアルハザードの従卒を勤めていた男だ。ヨシュアはお茶を片手に頬杖を付き、行儀がいいとはいえない格好で隣に座る騎士から視線を外し、拗ねた様に明後日の方向を見た。

一方、恨めしさを向けられたギルバートは首を傾ける。

ギルバート・キュール。エウロ帝国王宮の護衛を統括する、護衛騎士達の長だ。年の頃はヨシュアよりも1つ上。彼も若い時分からアルハザードの側仕えを経験し、年齢の割りに多くの実戦を積む機会を与えられた男だった。ヨシュアとは違い、卒のない身のこなしで器を置く。

「随分恨めしそうに言ってくれるな。……一体何なのだ」

「……昨日の午後も、陛下は執務の途中に陽王宮に出向いておられたではないですか」

「陽王宮は陛下のお住まいなのだから当然だろう」

「そりゃそうですけど……」

「それに、別段執務に影響が出ているとは聞き及んでないぞ」

「そういうことを言ってるんじゃないんですよ」

もちろん、ギルバートもヨシュアの言いたいことは分かっていた。

「はあ……。私もリュケイオン殿下とウィルヘルミア殿下にお会いしたいなあ……」

「お会いしたいといっても、まだほんの赤ん坊ではないか……」

とはいえ、帝国で一番高貴な赤ん坊ではあるが。

ヨシュアがギルバートを羨ましがる理由。それが、今、一番王宮を騒がせている2人、獅子王と月宮妃の双子の子供達を、側近くで見ることのできる機会があるからだ。ギルバートは護衛騎士の統括であり、自ら皇帝の住まいである陽王宮の護衛も行っている。その職務の関係上、主君アルハザードとその妃リューンが家族と共に過ごしているときも、側近くに控えることが許されているのだ。自然、赤ん坊2人を目にする機会も多くなる。

リューンは皇妃としては珍しく、公務に支障が無い限り子供を自分で見ているようだ。もちろん乳母も付いているが、出来る範囲で母乳も与え、言葉を教えたり抱いてあやしたりしていると聞く。このためだろう。当然、アルハザードの気持ちも雨王宮よりは陽王宮に向きがちだ。執務の時間が空けば雨王宮の留守を近衛に任せて陽王宮に出向き、リューンや赤ん坊達に構っている。

最近では居間の日当たりのよい場所に敷き布を敷いて皇子皇女を寝かせ、周りに柔らかなクッションを置いて、夫婦2人赤ん坊を仲良く眺めてくつろいだりしている。赤ん坊が寝返りを打つのを見てはリューンが喜び、喜ぶリューンを見てはアルハザードがその背を撫でて髪を梳く。子が生まれてからの陽王宮は、そんな光景で満ちていた。

「そういえば、先日はお2人が一人座りなさったと大層喜んでおられたな」

「でしょう。その話聞きましたよ。陛下が丁度来られていたシド将軍に『子供達が座った』……と仰って」

あの獅子王の口から「子供達が座った」という文言が出てくること自体が衝撃的で、思わず真顔で「おめでとうございます」……と言ってしまった。

ギルバートが職務上、陽王宮によく勤め、そこに住まう夫婦と子供達に接する機会がある反面、ヨシュアは執務宮である雨王宮が主な職場だ。リューンが皇妃になってから付いている近衛は、もちろん子供達に会う機会が多く憧れの職場になっているが、隊長であるヨシュアはアルハザードと共に執務に着いていてその機会に恵まれない。そもそもアルハザードは護衛の必要の無い男である。護衛も兼任するはずの近衛はその役割をあまり与えられず、執務の補助が主な仕事だった。陽王宮に出向くのは、休日でも執務を執るアルハザードの側に控える時位で、子供達と会う機会は少ない。

アルハザードが陽王宮で執務を執っていれば、ヨシュアを伴い、リューンにちょっかいを出しに行くこともある。そんなときはヨシュアも控えることを許される。それが最近のヨシュアの癒しの時間だった。

「あー……私も早く子供が欲しいなあ」

「……ヨシュア殿、結婚していたか?」

「してませんよ。どうせ憧れですよ、あ・こ・が・れ!」

「そうか。それはすまん」

「ギルバート殿は結婚しておられるのでしょう。嫌味ですか?」

「私に当たるな。……ヨシュア殿は、この間から付き合っている女性が居ると言っていたではないか。ブルネットのあの……」

「もう、もう、いわないでください……」

ヨシュアは先日、付き合っていた女性から振られたばかりなのだ。がばーとテーブルに突っ伏したヨシュアを、ギルバートは呆れたように眺める。

「またか……。一体何と言われたのだ」

「またかって言わないでくださいよ。聞いてくれますか!?」

「あ……ああ」

聞かないと言っても聞かせるし、何も聞かなくても聞かせるのだが。

「私達いいお友達でいましょうって」

「またか」

「だから、またかって言わないでくださいよ!」

ヨシュアと長い付き合いのギルバートは、この童顔の男の性格のよさはよく知っているところだが、どんな人間にも人当たりがいいというか、いざというときに雰囲気に欠けているというか、……要するに、「いい人」止まりであることが多いのだ。ギルバートが手練れであればアドバイスも出来るのだろうが、彼自身、さほど女性の扱いに長けているわけではない。だが幸いなことに、ギルバートには想いあって伴侶となってくれた可愛い妻が居た。それゆえ、ヨシュアのように悩んだりすることも今は無い。

「……まあ、そう気落ちするな。世の女性は、その人ばかりではないだろう」

……とりあえず、使い古されたお決まりの台詞でお茶を濁した。ヨシュアが突っ伏した姿勢のまま、じ……とギルバートを見やる。

「……ギルバート殿はいいですよね……。陽王宮では皇子皇女殿下の護衛も為さって、なおかつ、家に帰れば可愛らしい奥方がいらっしゃるし、……お子さん……何歳でしたっけ?」

「4歳の娘が1人だ」

「可愛い盛りじゃないですか。くそう……なんで、なんで私には居ないんだ……っ!」

ある意味素面でこんな絡み方が出来るヨシュアが羨ましい……とギルバートがよく分からない感心をしている横で、ヨシュアが、ああ……と嘆息した。

「……私もギルバート殿みたいに髭伸ばそうかな……」

「……」

多分、問題はそこではないだろう……と言いたかったが、ギルバートは生ぬるく眺めるだけに止めた。ギルバートの整えた髭は、護衛の上に立つものとしては、若く見えてしまう風貌を抑えるために伸ばしたものだったが、妻はよく似合うと言ってくれている。そういえば、今日は早く帰ることが出来そうだ……と言ったら、娘と一緒にクッキーを作るとか言っていたか。うむ。今日は勤務が終わったら、早々に帰らなければ。

「ちょっとギルバート殿、聞いてます?」

「あ? ああ」

正直言うと、聞いていない。

「とにかく、相談に乗ってくださいよ! 今日、仕事が終わったら……」

「すまん。今日は早く帰らなければ」

仕事が終わったら街にでも出かけません?……と言いかけたヨシュアの誘いを先制して断ると、ギルバートは席を立った。

「ギルバート殿、それはちょっと薄情すぎやしませんかーーー!?」

「……ならば、仕事が終わったら家で食事でもするか?」

ヨシュアが、はっ……とした表情になった。ギルバートは至って真面目な顔だ。

「……って、嫌がらせですかそれはーーーーー!?」

「人聞きの悪い。家庭に飢えているヨシュア殿の役に立てればと思っただけだ」

「それなら、家庭的な女性を紹介してくださいよ!」

「家庭的な女性が好みなのか、ヨシュア殿」

「もう、私に付いて来てくれる女性なら誰でもいいです……」

「そこまで自分を追い詰めなくてもいいだろう」

ヨシュアは若くして近衛の長であり、ギルバートと共に、順当に行けば騎士将の地位も確実だろう。将来性も有望、女性には(なぜかいい人止まりだが)優しく、顔も端整で、しかも独身だ。それでもあまり女性に縁が無いのは、月宮妃辺りに言わせると、「……なんか、恋人っていうよりいい友達、みたいな風に見られるんじゃないかなあ。そういう男の人って確実に居るんだよねえ……」……となるが、それはヨシュアには言わないほうがいいだろう。

「……で、来ないのか?」

「……行きます……」

ぶつぶつ言いながら、ヨシュアも席を立った。これから夕刻まで、アルハザードとリューンが揃う公務が控えている。ギルバートはその周辺の護衛、ヨシュアは近衛として2人の側に控えることになるだろう。

ああ、その前に、ヨシュアが家に来るから……と、妻に知らせを遣らなければ。クッキーは上手く焼けているだろうか。早く妻と娘に会いたいものだ。……ギルバートの整った顔が楽しげに緩む。

「ギルバート殿、今、『あー、自分、可愛い妻と娘が居て幸せ』って顔しましたね、そうですね! そうでしょう!?」

「早く行くぞ、ヨシュア殿」

幸せな顔をして何が悪い。
ギルバートは相変わらず毅然とした物腰で、ヨシュアと共に勤務に向かった。

****

【ふたりの騎士のささやかな日常のなかのささやかではないあるお茶会】

たとえばこんなことがあった。

月宮妃の妊娠が分かる少し前の、とある午後のことだ。

陽王宮の広い中庭にテーブルを置き、1組の男女が座っている。大きな身体に濃い金髪の野生的な体躯の男と、華奢な背に黒い髪を流した女だ。もちろん、このような男女は、陽王宮には1組しか居ない。獅子王アルハザードと、月宮妃のリューンである。2人は並んで座っていた。この2人はそろって食事をするときも、お茶をするときも、向かい合わせではなく必ず並んで座る。傍らでは侍女のアルマがお茶を淹れているようだ。その近くには、可愛らしいお茶菓子がいくつも置かれている。

皇帝陛下夫妻の、お茶の時間である。

実は公務の一環である。今度行われる夜会のために、料理長が新しいデザートをいくつか作ったので味見をして欲しいのだが……と零していたのがリューンの耳に入り、それならばいくつかみんなで試してみたら?……と、部下達と共にお茶会を開いたのだ。

周囲を守る護衛とアルハザードの側に控えている近衛、給仕を行う侍女達も多目の人数を揃え、半数ずつに交代でお茶が振舞われた。

「アルハザードは何にする?」

「リュー、お前が選べ。俺は甘くないので構わない」

「それなら、アルにはこれかな?」

アルハザードの前には、酒の効いた飾り気の無いケーキ。リューンはフルーツをふんだんに使ったゼリーを選んだ。リューンは楽しげに見た目を堪能し、うっとりと味わっていたが、アルハザードはやや事務的だ。とはいえ、アルハザードは甘いものもいける口であることをリューンは知っている。

「ねえ、アル、ちゃんと味見をしないとダメよ。ほら」

不意にリューンがゼリーを匙にすくって持ち上げた。アルハザードは顔を寄せ、真顔でぱくりとそれを口にする。

「ああ、あまり甘くはないな」

「見た目も綺麗だわ」

「それならこれはどうだ」

アルハザードがケーキを一口大に切って持ち上げる。リューンは顔を寄せて、ぱくんと口に入れた。

「お酒が結構効いてるなあ。……女の人よりは、男の人向けね」

「そうか? 俺はそれほど感じないが」

2人の会話にはあまり色気が無いが、お互い一口ずつ食べさせ合う様子は眺めていると大層仲睦まじい。お茶を許された侍女や騎士達が、そんな2人の様子を見て騒がしく、ヨシュアもそっと溜息をついてギルバートに耳打ちする。

「……今の見ました?」

「何がだ」

「あーん、しましたよ。あの陛下に! リューン様!」

「……先日もしていたぞ」

「そうなんですか!?」

部下達の前で平然とリューンを抱き寄せ口付けては困らせているアルハザードで、いちゃつくのは珍しい光景ではない。しかし、デザートの「あーん」は長年獅子王に仕えているヨシュアには初めての光景だった。役得。役得?

「真面目に仕事をしろ」

「してますよ。ああ……私も、『あーん』してくれる女性が欲しい……」

あの2人を見てその感想が出てくる神経が、結構図太い……と思うのはギルバートだけだろうか。

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【ふたりの騎士のささやかな日常のなかのささやかではない皇子と皇女のお遊び】

たとえばこんなことがあった。

アルハザードとリューンの間に生まれた子供たちが、1人座りをするようになったばかりの、とある午後のことだ。

居間の広い一角に敷物を敷いて柔らかな羽毛のクッションをいくつも置いてリューンが座り、その隣でアルハザードがくつろいだ姿勢で書類に目を通している。

そんな夫婦の前には、2人の赤ん坊が座っていた。めいめい何かしらのおもちゃを手に持って何事かを話し合っているようだが、大人達にはよく分からない言葉だ。1人は柔らかで真っ直ぐな黒い髪が端整な、群青色の瞳がアルハザードにそっくりな赤ん坊。もう1人は、くるくると豪奢な金髪の巻き毛が可愛らしい、黒い瞳がリューンの眼差しを思い出させる赤ん坊。エウロ帝国の皇子と皇女。リュケイオンとウィルヘルミア。その赤ん坊の様子をリューンが優しい眼差しで見守っている。

リュケイオンはあはーと歓声を上げながら剣のおもちゃをがぶがぶと噛んでいる。その横で、むにゃむにゃ何かを言いながらその剣を取り上げようとするウィルヘルミアが居る。皇子と皇女の教育に関しては、リューンの方が神経質で、アルハザードの方が大らかで大胆なのは周囲から見ると珍しいことだった。早い段階から剣や盾のおもちゃを与えられている様子に、最初リューンはいい顔をしなかったが、バルバロッサ卿とその奥方コーデリアに窘められ、シド将軍とその奥方フィルメールに大丈夫だと請け負われて、今では諦めたようだ。

本日、雨王宮は休日だ。いくつかの執務があったアルハザードは、書類に目を通すだけの簡単なものだったため、リューンや子供達を見守りながら、居間でそれを行っていた。

「ヨシュア」

「はっ」

それゆえ、側近くに控えてることが許されていたヨシュアはアルハザードに呼ばれ、膝を付いた。

「これの関連資料を、用意させておけ」

「いつまでに」

「出来るだけ早いほうがいい。そうだな。2日だ」

「了解しま」

「こーら、リュカ」

「あー!」

恭しくアルハザードから資料を受け取ろうとしたヨシュアの言葉が、リューンの声と赤ん坊の声で途切れた。

「だっ……!」

スコーン……! 小気味よい音が響いてヨシュアの額に剣のおもちゃがヒットする。飛んできた方向を見ると、群青色の瞳を爛々と輝かせたリュケイオンだ。さっきまで手に持っていた剣は無く、それは代わりにヨシュアの足元に落ちていた。

「あはー!」

さらにそれを見たウィルヘルミアがきゃはーきゃはーと笑っている。何がツボだったのか勢い余って後ろに転がり、うぃーひひひひひと呼吸が苦しそうなほどに大笑いだ。さらにリュケイオンもつられて足をじたばたさせながら、うきゃきゃきゃきゃはー!と大笑いし始めたために、居間には赤ん坊特有の謎の激しい笑い声が響く。

「ちょっと、リュカ、ミーア、こら。ヨシュア殿、大丈夫?」

「は、お気になさらず」

リューンは言いながらも顔が笑い、ギルバートは思わず噴出した。しかし、アルハザードはわざと声を低くして言った。

「ヨシュア」

「は、はいぃっ!?(裏声)」

「随分ミーアに気に入られたようだな」

「いえ、いいえ、恐れ多くもそんなことは!」

「ほう」

声が低い。声が怖い。なにこれ、なにこの空気!

あらぬ嫉妬を向けられているヨシュアにギルバートは心から同情した。

****

「あーあ……本当に、いいなあ。私も家族が欲しいですよ……」

ヨシュアが空を仰いだ。それを横目で見ながら、ギルバートは苦笑する。

「もうすぐ陛下の夜会があるだろう。どなたかいい令嬢でもいらっしゃるのではないか?」

「ああ、夜会ですか。なるほど!」

明るい声でヨシュアの顔がぱっと輝く。1年に2回開催されている皇帝陛下主催の夜会では、帝国の主だった貴族の令嬢達も参加するはずだ。いまだ独身の騎士達には、よい出会いの場でもあった。まあ今までだってそういった機会は幾度もあったわけで、その果てのヨシュアの現状ではあるが。……とはいえ、出会いは毎回異なるものだ。どこにどのような縁が転がっているかは分かるまい。ギルバートは小さく笑った。

アルハザードが皇位に就いて10年が過ぎようとしている。

当初は安定したとはいえなかった宮廷で、さらにリューンという妃を迎えていくつかの波乱があり、今はこうして平和だ。もちろん、その裏には様々な陰謀もあるが主君や宮廷を傷つけるには至っていない。この平和を守るのが、ギルバートとヨシュアの任務であり誇りとしている仕事だった。

2人が控えていたところに、1人の騎士がやってきた。

「近衛騎士隊長ヨシュア殿、護衛騎士隊長ギルバート殿。皇帝陛下と皇妃陛下の準備が整われました」

「今、行く」

ヨシュアとギルバートが顔を見合わせて頷いた。雑談を交わしていた表情から一気に引き締まった凛々しい雰囲気に戻り、主君夫妻が待つ部屋へと赴く。

エウロ帝国はこうした騎士達によって、今日も守られている。