正義の味方

004.突然なる別れ

その日は仕事が休みの日で、陽菜と一緒に公園に来ていた。バイトで休みをもらえると、八嶋夫人に作ってもらった小さなお弁当を持って公園を散歩するのが日課だ。八嶋夫人の作るおにぎりは美味しくて、心地よい外の空気の中でそれを食べるのは何よりも贅沢なものに思える。

「今日は楽しそうだね、陽菜」

「何よ。私がいつもつまらない顔してるみたいな言い方して」

「ふふ」

陽菜はいつも「つまらないわ」が口癖のくせに、今日は何だか楽しそうだ。からかってみると唇を尖らせて拗ねた顔をして見せたが、すぐに楽しげな顔になる。ライエは片方の手にお弁当を持ち、もう片方の手は陽菜の手を握って、お気に入りのベンチを目指した。

程よく日陰で、程よく日差しが心地よいベンチに座ってお弁当を広げると、いつもとおにぎりの形が違うことに気がついた。そして、隣の陽菜がどこかワクワクとした顔でライエを覗き込んでいることも。

「陽菜、食べないの?」

「ライエから食べてよ」

「うん?」

ん?と思いながら、ライエはおにぎりを一つ手にとってかじってみる。いつもと少し、違う味だ。形も違うし、いつもよりちょっとしょっぱい。具が少しはみだしているような気もするし、三角がちょっといびつな気もする。八嶋夫人の味ではなく、隣の期待に満ちた陽菜の表情から察するに。

「これ、もしかして陽菜が作ったの?」

そう指摘すると、陽菜の瞳がまん丸になって顔が赤くなった。しまった、機嫌を損ねたかも。陽菜はライエが褒めたり頭を撫でたりするとなぜか拗ねたりツンツン怒ったりするのだ。

案の定、陽菜は期待に満ちた顔をしていたくせに、急にツンとそっぽを向いた。

「そ、そうだけど」

「うわあ、すごいね! 陽菜、ありがとう」

「別にライエのために作ったんじゃないし! 私も食べるし!」

「うん。美味しい」

ライエは陽菜がどうして機嫌を損ねるのかわからなかったが、あれはツンデレというらしい。八嶋夫人に教えてもらった言葉である。素直じゃない陽菜は褒められると、ちょっとどうしていいのか分からなくてすぐに拗ねたりするのだという。

未だに何が陽菜を怒らせているのか分からなかったけれど、怒る陽菜も少し可愛いのでライエはニコニコしてしまう。そんな笑顔を見てさらに陽菜はムッとするのだが、やがてあきらめておとなしくなるのだ。可愛い。

おにぎりはちょっとしょっぱいし形も良くないけれど、陽菜が作ったのかと想像するだけで楽しいし、美味しかった。

陽菜の作ったおにぎりを食べて公園で日向ぼっこなんて、すごく平和だなあ……とライエはぼんやりと考える。ここ2ヶ月、本当に闇の惑星ヴァルキュイウルスがこの地球に「宇宙の至宝」を奪いにきているのだろうかと思うほど、平和な日々が続いている。無論、毎日の鍛錬はエルデュルスにいる時と変わらず継続しているが、それが役に立った日はない。ライエも時間を見つけてはパトロールを強化しているが、本惑星からの情報も途絶え、アクノテイオーンや怪人は姿を見せることがない。

それはそれで、ライエ自身、己の役割を見失いそうになるのだが、今の暮らしが心地よいのも事実だ。

このままアクノテイオーンが手を引くのか、だが欲しいものは必ず手に入れるアクノテイオーン、そしてヴァルキュイウルスが諦めたとは到底思えない。

現れるとしたらどのような形で現れるのか。

「帰ろうか、陽菜」

「うん」

不意に、素直になった陽菜がやっぱり可愛くてライエは小さく笑う。その笑顔を見て今度は陽菜が少し頬を染めたのだが、それには気がつかず、お弁当を片付けると手をつないだ。ライエの使命は宇宙の至宝を守ることだ。しかし、この小さな愛らしい笑顔を守るためなら、宇宙の至宝があろうがなかろうが、ライエは必ず戦うだろう。

そう決意を新たにした時だった。

2つの住宅街をつなぐ公園の小径を夕暮れが赤く染める中、向こうから悠然と歩いてくる人間。

驚愕に目を見開き、足を止める。

「ライエ?」

「陽菜、一人で帰れる? 八嶋さん呼べる?」

「え?」

陽菜に視線を落とし、戸惑う彼女から手を離し、背にかばう。

前方からやってくる人間が、まっすぐにライエを見て……ニヤリと笑んだ。その表情に、ライエが声を低くする。

「……アクノテイオーン……!」

****

ライエの力強い言葉に陽菜がハッと顔を上げる。リアルに「アクノテイオーン」という単語で呼ばれている人を見ると笑いがこみあげそうになったが、その真剣さと目の前の男の尋常ならざる気配に血の気が引く。

笑っている場合ではなかった。

「ライ……エ?」

「下がってて、陽菜。八嶋さんを呼んで」

唐突に始まった戦いの気配に陽菜はぶんぶんと頭を振った。ライエが困ったように見下ろして苦笑する。

「陽菜」

「や、ヤダ」

「陽菜、わがままは」

「いやよ!」

肩に触れたライエの手を振り払って、陽菜は一歩下がる。何を言われるかはわかっていた。きっとこういうとき、正義の味方はこう言うんだ。

「危ないから」

「いやだってば!」

だが、陽菜はこの場から離れる気持ちはなかった。なぜかはわからないけれど、ライエを一人にしてはいけないような気がしたのだ。続くと思っていた、当たり前のようにそう思っていた、その終わりの気配が、突然恐怖になって陽菜の胸を締め付ける。

「この人、悪者なんでしょう!? ライエは正義の味方なんでしょう!? じゃあ勝ってよ! いますぐ勝って、一緒に帰っておやつを食べようよ!」

「陽菜。……うん、うん、そうだね」

ライエは陽菜をかばうように前に立つ。来ている服が変化チェンジしてふわりとマントが広がり、陽菜の視界から眼前の男が隠された。男の声が聞こえる。

「キラキラマン。……ようやく戦う決心が付いたか、諦めたか。随分と長い事、のうのうとバイトなんぞをしていたな」

「……なんだと?」

「まあいい。もう少し待ってやろうかと思っていたが、余の方の事情が変わった。ゆえに、余が自ら決着をつけに来てやったのだ。感謝しろ」

「貴様……僕の事を知っていたのか」

「知らぬと思っていたか? のんきなものだな。エルデュルスの王子よ」

マントのゆらめきの向こうからチラリと覗くと、黒ずくめの仮面と漆黒のマントを着た一人の男が立っている。その傍らには人質か何かのように強引に手を引かれている女性がいた。

それを見たライエが、声のトーンを落とす。

「彼女は……」

「これか? お前には関係あるまい」

「関係ないなら手を離せ! 一般の人を巻き込むな!」

黒い仮面の男……アクノテイオーンの表情は分からない。しかし、ク……と笑ったようだ。身構えるキラキラマンに対抗するように、女を抱き寄せ、女が何かを言おうとすると後ろから抱えるように口を塞ぐ。

「貴様!」

「かかってこい、キラキラマン。全力でな!」

アクノテイオーンが抱えた女をひときわ強く引き寄せて、そして離した。同時に、ほとんど無造作とも思える所作でキラキラマンに近づく。

一方キラキラマンも後ろに一歩、ぐっと身を退き、飛びかかるように距離を詰めた。

「ライエ!」

陽菜の声は、もう届いていないようだった。

****

戦いは一方的なものだった。

キラキラマンの動きは鋭いものだったが、アクノテイオーンはそれらを全て見切っていた。一発を受け止め、あるいは受け流し、その数倍の手数をキラキラマンの体に打ち込む。キラキラマンが構えても、その腕をひねり上げ、あるいは不可思議な力を用いて動きを封じ込める。

キラキラマンが弱いわけではなかった。二人の動きからもそれは明らかで、こうした人間の打ち合いを見たことのない陽菜ですら、それは理解できた。しかし相手が悪いというしか言いようがない。キラキラマンの技など、アクノテイオーンにとっては、子供の遊びにも等しいようだった。

アクノテイオーンの腕がキラキラマンをつかみ、腹に3発拳を叩き込む。ケホ、と咳き込みバランスのくずれたキラキラマンの体を、ゴミでも捨てるように地面に放り出し、身体を転がすように横腹に足をかけた。

「その程度か」

嘲笑するアクノテイオーンはそれ以上追撃せず、キラキラマンが立ち上がるのを待つ。

「くっそ……」

不思議な鎧がダメージを軽減させていると言っても、想定を超過すればその分身体に響く。アクノテイオーンが与えるダメージは、エルデュルスの技術をはるかに超えた。

「ら、ライエ……!」

しかし。

倒れこんだキラキラマン……ライエの方に駆けてこようとする小さな気配を感じて、最後の力を振り絞る。どうしても、この技は使いたくなかった。できれば、自分の力で倒したかった。

できれば、ずっとこの日本に居たかった。戦いも忘れ、つつましいながらも労働の喜びを感じながら、かわいい陽菜の拗ねた顔を見ていたかった。

だが、この地に……陽菜と、八嶋夫妻が住むこの平和な日本に、この男だけは残してはいけない。

陽菜の足が、ライエの元に追いつく前に。

キラキラマンは立ち上がり、アクノテイオーンの腹に掴みかかる。体格の差があるが、それが逆に功を奏した。アクノテイオーンより小柄なキラキラマンの捨て身の行動を捌ききれず、アクノテイオーンの動きが一瞬、緩む。

「お前、もろとも……この地球から消してやる」

「貴様」

「くらえ!」

キラキラエクストリームムーヴメント!

「……!!」

陽菜が何かを言う前に、アクノテイオーンとキラキラマンの体がまばゆい閃光に包まれた。

「ライエ! ライエ!?」

一拍遅れて陽菜が叫ぶ。広がっていた光が何かに吸い込まれるように収束し、陽菜の叫び声すら吸い込んで、そして。

そこには誰も、アクノテイオーンもキラキラマンも消え、ただ陽菜と……そしてアクノテイオーンに捕らわれていた女の二人だけが残されていた。