悪の帝王

006.帝王の眼差し

ただ、人間というのは恐ろしいもので、ある程度落ち着いたら状況を冷静に見つめることが出来るものである。特に優月は肝が据わっている…というよりも、可愛い女子としては致命的な、黄色い声で「キャーーー!」と叫ぶことの出来ない人種だった。それでも1時間罵ってみたが、挙句けろりと「それで終わりか。こちらへ来い、女」…とソファの隣に座らされた。

男の名前はウォルフという。出身は惑星ヴァルキュイウルス。ヴァルキュイウルスの帝王、すなわち支配者と名乗った。キラキラマンと怪人オナカイタクナル、そしてアクノテイオーン。ああ。どう考えてもアクノテイオーンの方が悪役ではないか。しかも大ボス。その大ボスがなぜ優月の家のお気に入りのソファに座っているのだろうか。

「帝王って一番偉い人でしょう?」

「そうなるな」

「そんな人がわざわざ一人で地球にきて大丈夫なの?」

「心配しているのか」

「してない」

そこはきっぱりと首を振った。

「心配には及ばぬ。不自由ない程度に部下は連れてきてあるからな」

「心配はしてない。部下ってオナカイタクナルとか?」

「あれは怪人であって部下ではない。正確にいうと、生命体ですらないぞ。機人ロボットに映像を投影した使い回し機材だ」

「つ、つかいまわしきざい……」

つまり、使い回しの機材相手にキラキラマンとやらは翻弄されているわけか……。

話を聞くところによると、アクノテイオーンウォルフは、「宇宙の至宝」なるものを探して、帝王自らこの地球にやってきたらしい。一方キラキラマンはヴァルキュイウルスと敵対する惑星エルデュルスの戦士で、それを阻止するために地球に派遣されているのだそうだ。やはりキラキラマンが正義の味方ということか。名前もキラキラマンだし。アクノテイオーンよりは正義の味方っぽい。

まあ、優月から言わせればどっちもどっちであるが。

ところで。

「宇宙の至宝って何なの?」

「知りたいか」

「いや、いい」

無駄なことには頭を突っ込まない主義なのだ。

「我が宇宙の至宝は、この青き地球にある、というのが宇宙感の導き出した答えだ」

宇宙感とは。

「つまり、あなたは地球征服を狙う悪の親玉というわけ?」

「ほう、そう見えるか」

そこははぐらかして、ウォルフはゆっくりと腕を組んで笑んでみせた。見るからに整った顔は、キラキラしいイケメンではなく、深い渋みのある大人の男だ。憎らしいくらい優月の好みにマッチングしているが、いかんせん悪の親玉なのだから、絆されるわけにもいかない。

優月は食べ終わった冷凍ピラフの皿を片付けながら難しい顔をした。

あれからどうしても酒を出せ、飯を食わせろというので仕方なくコンビニにビールと冷凍ピラフを買いに行き、レンチンした冷凍ピラフを二人で分け、プレミアムなビールを空けるという事態に陥ったのである。夜中に女一人で出歩かせるわけにはいかぬとついてきてくれて、財布はウォルフ持ちだったおかげでビールがプレミアムなものになった点は評価している。

だが、いつまでもアクノテイオーンに家に居座ってもらうわけにもいかない。

「とりあえず、ご飯も食べ終わったことだし出て行ってくれます?」

「優月」

「何よ」

ウォルフはゆっくりと隙のない所作で立ち上がり、優月の部屋を見渡した。一応、キッチンは独立しているが、普段くつろぐソファと寝台は同じ部屋に置いてある。つまり1DKだ。ウォルフはシングルの寝台に視線を落とし、首をひねって腕を組んだ。

「この部屋の寝台は狭いな。致し方あるまい。添い寝を許す」

「私が許しません」

真顔で答えた。

****

あの日。

妄言を軽くスルーして部屋から叩き出したものの、翌朝になると至極当然の顔をしてウォルフは来訪した。いわく、

「お前の部屋は狭いから、隣に引っ越してきたやったぞ」と。

それからの展開は早かった。

どういう手を使ったのか、なんとこの男は「不自由ない程度に連れてきた部下」に手伝わせて隣の部屋に引っ越してきたのだ。壁を超える謎の扉(としか言いようがない)を優月の部屋に取り付け、隣の部屋……すなわちウォルフの部屋とつながるようにしてご満悦の様子だった

ここまでくるともう多少の現実離れはどうでもよくなった。何しろこの男は、出会って数分で、漆黒の仮面と鎧の姿から一瞬でスーツに身を包んだ紳士に変身し、警察官の記憶を操作するという芸当をやってのけているではないか。壁を超える謎の扉だってファンタジーだし、というか、この男の存在自体ファンタジーである。しかしまぎれもなく現実に起こっていることで、拒否することは出来なかった。

こうしてウォルフはなぜか優月の部屋と続きの部屋に住まうようになり、むしろ同居の勢いで、当然のように毎日優月の部屋でくつろいでいた。

優月が作った煮豚(レンジで作る時短レシピ)を肴に、(ウォルフが用意した)かなり美味な日本酒を嗜んでいる。

「どこから持ってきたのよこんないいお酒。ほんっとにムカつくわね」

「この地球、この日本には美味なるものがたくさんあるが、特にこれは至高の酒精だな」

「話聞いてる?」

そうしていつの間にかウォルフは優月と共に優月の作った晩ご飯を食すまでの仲になってしまった。恐ろしい。何が恐ろしいかというと、ごく自然にこのウォルフと会話をすることができるようになった自分の順応力の高さである。

あとウォルフの行動力と経済力。

ウォルフはバックボーンの資本力も相当なものらしく、彼の部屋には寝心地が極上の寝台が置かれ、音響も遮光も完璧なシアタールームにも変化する。どういう手を使ったら賃貸アパートにこんな設備を実装できるのか、そもそもこれらを揃えるのに幾らかかったのか、庶民には全く見当もつかなかった。ちなみに優月は常々「お前はこちらの寝台を使うべきだ」と言われている。しかし今のところその誘惑には負けず、自室のシングルサイズのベッドで休んでいた。その代わり、シアタールームでDVDは観せてもらっている。だってオススメの映画を教えろって言うから。

それはともかくとして、この状況に納得は到底できないが、かといってうまく抗うことも出来ない。

「ちょっとウォルフ、今ネギ食べたでしょう、ネギ」

「うむ」

「うむ、じゃない。ちょっと煮豚と一緒に煮たネギは好きだから取っておいたのに!」

「確かに美味であったぞ」

「そりゃそうでしょうよ!」

「優月、お前の作るものは、どれも美味で余の口に合う」

「そ……そう」

いつも不敵な笑みのくせに、こういうセリフをいうときだけ真面目で紳士的な笑みを浮かべるのだからやってられない。

「ところで、そろそろ食後にお前を味わいたい」

「やかましい!」

しかし、油断していると尻を撫で回して来るので我に返る。

****

悪の帝王とは、この地球で人間に擬態しながら普段一体何をやっているのだろう。一度、オナカイタクナル以外の怪人ロボットとキラキラマンが対決しているのを見かけたことがあった。なんとなく、……本当になんとなくではあるが、少し気になって最後まで見守っていたところ、怪人はキラキラマンに倒されてしまった。

なんだか複雑な気分で帰路に着くと、途中でウォルフに捕まえられ、負けたことを問うと「貴様らのいう『悪役』とは必ず『正義の味方』とやらに倒されるものであろう」とよくわからぬ回答を得た。なんとなく腑に落ちない。別にアクノテイオーンに肩入れしているわけではないのだけれど。

では、昼間は……というと、昼間は優月は自分の仕事があるので基本的にウォルフが何をしているのかは知らない。通勤の最寄り駅までウォルフが送ってくれるが、それ以降は付いてこない。ウォルフにも仕事があるようだ。怪人を使ってキラキラマンと対決しているのか、その割に、二度目に見た以来怪人は見ていないのだが、ともあれ、夜になれば同じ最寄り駅まで迎えに来てくれている。

これがまた、ちょうどよい時間に迎えに来てくれているから不思議だ。ずっと待っているわけではなさそうなのに。GPSでもつけられているのだろうか。しかしその程度のことでは、もう優月は驚かなくなった。

「わざわざ迎えに来てくれなくてもいいのに」

「夜道をお前一人で歩かせるわけにはいかぬ」

「平気よ」

「平気ではない。治安の悪い中、お前に何かあったらどうする」

「治安って」

正直、治安を悪くしていたのはウォルフが派遣している怪人のせいではなかろうかと思ったが、悪の帝王に向かってそれを指摘するのははばかられる。

そもそもこんなところで毎日毎日優月にかまって、宇宙の至宝とやらは探さなくてもよいのだろうか。

「宇宙の至宝か」

言及すると、ふ……とウォルフが男前よろしく瞳を細めた。少し渋みのある、ワイルド系の紳士が優しく笑うととんでもない破壊力だ。

言葉も行動も俺様であるのに、一緒に歩いているときは決して優月のペースを崩さない。ごく自然に、別段ゆっくり歩いている風でもなく優月の隣に並び、すれ違うものがあると軽く優月の腕に触れて避ける。そんな風に一緒に歩きながら、ウォルフが身体を少し低くして、優月を覗き込むように言った。

「宇宙の至宝を知りたいか」

優月の耳元で呼気と共に、甘く低い声が響く。

「いや、別に」

……が、そこはあっさりと首を振った。

「冷たいな」

「余計なことは知らないようにしようって常々思ってるの」

「賢明なことだ」

言う台詞からは想像できないほど、ウォルフは優しく笑って優月の頭を撫でた。その手がなぜだか心地がいい。悪の帝王のくせに、いつもいつも悪い笑みを浮かべているくせに、こんな優しい笑顔を見せるとかアンバランス過ぎて。

胸がそわそわする。

「優月? どうした」

「どうもしない」

胸のそわそわを隠すように、優月は少し足を速めた。もちろん、ウォルフは難なく隣に並び、相変わらずすれ違う人や車からそっと優月を守っている。いつものコンビニに立ち寄れば、初見はどうみてもカタギに見えない外国人のウォルフに腰が引けていた店員も、もう普通通りに挨拶をするようになっていた。

今日はおでんを作ってあるから、買うのはコンビニ限定のチューハイとワイン、それにデザートのチーズケーキ。財布はウォルフ持ち。割り勘にしたかったが、コンビニの会計ごときでそんな面倒なことができるか、と、いつも押し切られる。

ただ、そんなことよりも二人分買ってしまう(おでんも二人分作ってしまった)自分のことが一番腑に落ちないのだけれど。

「何か欲しいものはあるか?」

そして、必ずウォルフはこう聞く。コンビニに限らず、買い物に行ったとき、出かけたとき、二人でくつろいでいるとき、ウォルフはよくこのような問いかけをしてくるのだ。いつもは「別にない」と答える優月だったが、その日は何やら気分が違った。

「……からあげ串」

店員がプッ……と吹き出した。