「つまんないわ」
「そう?」
「貴女とアイス食べても全然おいしくないし」
「それは悪かったわね。人のおごりで食べておいて文句言わないでくれる?」
「なによ生意気」
「子供のくせに」
「子供って言わないで」
陽菜のムッとした口調に、優月は優しい瞳になって、小さく笑うと素直に謝った。
「ごめんなさい」
先ほどまで歯に衣着せぬ物言いをしていたくせに、急に優しい言葉になって、陽菜はそれ以上言い返すことも出来なくなって口をつぐんだ。
キラキラマン……ことライエと、散歩中にアクノテイオーンと鉢合わせし、そのまま戦いに雪崩れ込んだあの日から……丁度一ヶ月が経過した。キラキラマンはアクノテイオーンと刺し違え、その名の通りキラキラの光の渦の中に消滅してしまった。
陽菜はその場に居合わせた優月……アクノテイオーンが人質として連れていた女に事情を聞いて(優月から言わせれば、優月が陽菜に事情を聞いたということになるが、それはもはやどちらでもいい)、互いの事情を知るに至り、ライエと過ごす事の無くなってしまった時間を優月と潰している。
優月もまた、週末一人でいる時間を持て余しているようで、陽菜からのメールや呼び出しによく応じた。
ライエがバイトをしていた公園を歩き、ライエが奢ってくれたイチゴ味のアイスクリームをじっと見ていたら、優月がそれを奢ってくれたのだ。ライエと一緒に食べたとき、あんなに美味しかったアイスクリームは、今はなんだか切ない味がした。
二人がいなくなった一ヶ月の間に陽菜の両親が帰国して、その際、使用人の八嶋からライエのことも報告されたそうである。両親は咎めなかったが、見知らぬ男を雇って何事もなかったのはただ運がよかっただけだと、そこだけはひどく怒られた。人をそばに置くということがどれだけ大きな責任を伴うのか、その責任もまだ取れぬ内から身勝手な真似をしてはいけないと説教されたのだ。
今まで勉強にも身が入らず、特にやりたいこともなかった陽菜だったが、その日を境に真面目に勉強しようと心に決めた。せめておにぎりくらいは美味しく作れるようにならないと、ライエに笑われてしまう。
ライエに……また、ライエに笑われる日なんて、来るのだろうか。
……アクノテイオーン……ウォルフという男は、一ヶ月経ったら優月を伴侶として迎えに来る、と言ったそうだ。あんな風に目の前で消えてしまったというのに、優月はまだその言葉を信じて待っている。その証拠に、とても綺麗でよく似合う指輪を左手の薬指に着けている。あの男にもらったものだと言っていた。
うらやましかった、とても。
陽菜はライエとそんな約束をしていないし、そんな約束の証ももらっていない。もう一度会おうなんて約束をする前に、ライエはアクノテイオーンに突撃し、消えたのだから。
「後先考えないバカな男」
「え?」
「ライエのこと」
物思いに耽っていた優月がアイスクリームのコーンをかじるのをやめ、陽菜を振り返った。陽菜は唇を尖らせたまま、よく晴れた夕暮れの空を見上げる。
「だってさ、アクノテイオーンは優月に約束してくれたんでしょ? でもライエは特に何も考えてなくて、アクノテイオーンを見たらすぐに突っ込んで、あのざまよ」
「うーん……」
「アクノテイオーンは、ライエがあそこでバイトをしていたことを知っていたんでしょう? ライエは知らなかった」
「知ってた、っていうのはそうかもしれないけど……」
アクノテイオーン……ウォルフと優月が、キラキラマンと鉢合わせしたのは、いつものように休みの日を一緒に過ごしていた時のことだ。指輪をもらったことは……納得したとは言えないけれど、外すことも出来なかった。1ヶ月したら迎えに来る、という言葉は、しばらくの間ここを離れる、という意味にしかとれない。しかしその日がいつ来るのか分からず、優月は何も言えなくなった。
ウォルフの態度は変わらず、しかしいつもよりも、より態度をはっきりと示すようになった。優月の選択を尊重すると言いながら、選択肢は一つしかない。
どうしてウォルフが優月に執着するのかは分からなかったが、優月もどうしてウォルフを受け入れているのかよく分からない。指輪を外さないのがすべての答えだ。
いつ別れが来るのか、本当に1ヶ月で済むのか分からないまま、しかし突然その日はやってきた。
アクノテイオーンを打倒することが目的のキラキラマンは、優月をどうやらアクノテイオーンの人質と勘違いしたらしく、ウォルフもまたそれを否定しなかったため、戦いは始まった。
どう見ても勝負はウォルフに優勢に見えた。キラキラマンも見るからに強い動きではあったのだが、素人の優月から見てもウォルフのそれは桁違いだ。どのような技もウォルフは難なく受け止め、その数倍反撃した。
それなのに、最後の技を放ったのはキラキラマンだった。
ウォルフはあっけなくその場から消滅し、何事もなかったかのような静寂が残された。
……おそらく、ウォルフは知っていたのだろう。「真面目に仕事をしなければならない」と言っていたけれど、キラキラマンがウォルフを打倒しにくるタイミングが、そろそろだと。
そして真面目に仕事をして、二人とも消滅した。
何の言葉もなく目の前で消滅した様子に、さすがの優月も堪えた。あれは本当にウォルフの計画通りだったのか、不確定な要素で消えてしまったのではないか。そうだとすれば、もうあの男には会えないのではないだろうか。
それに陽菜とライエのことも心配だった。ウォルフが己の目的を遂行した時、ライエは一体どうなっているのだろう。彼は敵だ(多分)
しかし陽菜はライエを慕っているようだったし、陽菜と仲良くなった今では、ライエの無事も祈るほかなかった。
二人とも無事であってほしい。消滅したのではなく、単に……謎の力でどこかに行ってしまったのだと考えたい。いつか、ウォルフに……。
「会いたいな」
「うん……」
どちらからともなくそう言って、パリ……と最後のコーンの欠片をかじる。少し硬いアイスクリームを食べるのは思いの外時間がかかって、全てを食べ終わる頃には帰る時間が迫っていた。どうやら陽菜がよこした迎えが来たようだ。
「さて、そろそろ帰ろうかしら。陽菜、帰れる?」
「帰れるわよ! いま迎えが来たって知らせがあったわ。貴女のことも、送らせる」
「いいよいいよ、さすがに私は一人で帰れるから」
「でも!」
「一人で帰りたい気分なのよ」
「……」
そんな風に大人びたことを言われると、陽菜も引き下がるしかない。優月が立ち上がると、つられたように陽菜も立ち上がった。陽菜は大通りの方向に、優月は住宅街の通りに、いつものようにそれぞれ帰路は反対方向だ。
「じゃあ、またね」
「……うん」
いつものようにほんの少し物寂しい別れに、努めて気軽に振舞って、優月はひらひらと手を振った。陽菜が出口の方に向いたのを見届けて、自分も彼女に背を向ける。
すると。
「一人では帰さぬと言っただろう」
腹立たしいほどカッコよくスーツを着こなした、どこからどう見ても非カタギの渋い男が一人、立っていた。
足を止めてしまった優月に向かって、男は悠然と、急ぐ風でもなく歩いてくる。
側近くまで寄ってくると、腕を伸ばして優月を引き寄せた。
「もっと駆け寄ってくるとか、そういう演出はできぬのか」
「だって……」
「待ったか」
「ま、待ってない」
「冷たいな」
うそ。待っていた。
「遅いよ……」
だから、思わず、弱々しくつぶやいてしまった。その言葉と言葉に込められた震えに、ウォルフが少しだけ抱き寄せる腕に力を込める。
「悪かった。心配したか」
「あああ? 当たり前でしょう!」
ポムポムと頭を軽く頭を撫でられる。その手管に妙に腹が立って、優月は急に強気な口調でウォルフのガタイのいい胸板をどすどすと叩いた。むろん、ウォルフにとっては大したダメージにもならない。楽しげに口の端に笑みを浮かべてすらいる。
「あんな風に! 消えたら!!」
「ああ」
「誰だって心配するでしょう! バカ!!」
「バカーーーー!!」
優月の「バカ」と重なるように、背中からさらに大きな「バカ」の叫び声が聞こえた。その声に我に返って、優月が胸板ポカポカの手を止める。ハッと顔を上げて後ろを振り向くと、そこには困ったような顔をして12歳の美少女に怒られている優しそうな青年がいた。
****
「陽菜! 陽菜! アイス売ってたよ、食べる!?」
そう言いながら全開の笑顔で走ってくるライエの顔を見て、陽菜は一気に脱力した。まだ先んじてアイスを買ってきてないだけよかった。さすがに2個は食べられない。
……いやそういう問題じゃなかった。
「陽菜?」
感動の再会を期待していたのに、思いがけぬ空気にライエは焦った。なんだろう、また陽菜の機嫌を損ねてしまったのだろうか。
はて……と足を止めると、陽菜の瞳がみるみる潤む。遠目から見てもそれが分かって、ライエは慌てて駆け寄った。
「陽菜? あの、あの……」
「ライエの……」
「はる……」
「ライエのバカーーーーーー!! バカライエ! とんちき! とんちきライエ!!」
「え、っと」
「消えたと思ったんだから、バカアアアア!!!」
ああ。そっか。……自分のことを、この子は、心配してくれていたんだ。
そう思うと心がほんわりとあたたかくなって、そしてとても申し訳ない気持ちになった。たとえば陽菜が、この可愛い女の子が自分の前から何も言わずに突然消えてしまったら、ライエはきっとすごく悲しくて遣る瀬無い気持ちになるだろう。自分も誰かに「心配される」ことがある、それに初めて気がついて、ライエは心がくすぐったくなった。
「ごめん、ごめんね」
「ごめんで済んだら警察いらないのよ、うわあああああん!」
「そ、そうだね、ごめん」
「バーカバーカ、ライエのバーカ、バカライエ!!」
「う、うん」
これ、多分、大泣きしてる自分を客観的に見て、たった今すごく恥ずかしくなってる、割に引っ込みつかなくなってる状況だな……とライエは分析して、少し身体を離して身を低くした。
指を持ち上げて、涙に濡れた陽菜の頬をつまむように拭う。
「陽菜、黙っていなくなったりして、ごめん」
ライエの真剣な声に、ぴた……と陽菜の罵倒が止まった。驚いたような顔で目を丸くしている。じっとライエの青い瞳を見つめて、突然顔を赤くした。
「な、なによ、別に心配なんかしてないし! 黙っていなくなったからって……」
「うん」
「黙っていなくなるなんて許さないんだから!」
「うん、分かった」
ぎゅ……とライエが陽菜を抱きしめて、子供をあやすようにポンポンと背中を叩いた。しばらくそうして、立ち上がる。人の気配を感じて陽菜が顔を上げると、そばには先ほど別れたばかりの優月と、そしてアクノテイオーン……ウォルフが立っていた。