それなり女と魔法使いの手紙

001.甘えたくなっちゃう

「ユイナ? どうしました?」

その日、いつものように結菜を召喚したジーノは、様子が少し違っていることにすぐに気がついた。いつもならすぐに起き上がって、ジーノがやってくるのを待っているのに、どこか身体を重そうに引き摺って起き上がったのだ。額には何か白い四角いものを貼り付けているし、手元には何か薄白い半透明の液体が入った細長い瓶が転がっている。瞳は潤んでぼんやりしており、まるで熱に浮かされているような様子だった。

眼鏡の奥の灰色の瞳が、驚いたように見開く。

「ユイナ?」

常の無表情で冷静な声が、わずかに焦ったような色を帯び、足早に寝台によると結菜に手を伸ばした。

「ジ、ノ、」

「ユイナ、貴女は」

「来ちゃダメ、か……」

「か、なんですか?」

かすれた声で、ジーノの手から逃れるように結菜が後ずさる。しかし、広いとはいえ寝台の上では、逃げる場所もすぐに無くなった。弱々しく頭を振って、途端に、ケホケホと咳き込んだ。

問答無用で、ジーノが手を伸ばして結菜に触れる。

「ユイナ」

ジーノの声が有無を言わさないものになって、結菜の身体を強く抱き寄せた。体温が高く、どう見ても身体の調子が悪い。ジーノは上掛けを捲って結菜の身体を寝かせると、眼鏡を外して顔を近づけた。

「うつ、うつっちゃ、う」

「うつる? ユイナ、これは何ですか?」

うつる、という言葉を聞きながら出来るだけ手短に問う。ジーノは結菜の額にぴったりと張り付いている白い布に指を触れた。

「ん……冷えピタ……熱、出て、」

「ヒェーピタ? 熱、ふむ」

ジーノは頷いた。ヒェーピタという物質が何かはよく分からないが、結菜は予想通り熱を出しているようだ。ヒェーピタというものを「取りますよ?」と問うと、結菜が弱々しく指を持ち上げて、ペロリとそれを自ら剥がした。

剥がした布の裏には水色の透明な何かが塗られており、触ってみると温かい。こんなものを額に貼って一体どのような効果があるのかは分からないが、今はそれよりも結菜のことだ。ジーノはヒェーピタと、半透明の液体が入った瓶……こちらもいったいどのようなものなのか、見た目よりも非常に軽い物質でできていた……を、サイドテーブルに置くと、結菜に上掛けを掛ける。

顔を近づけると結菜が困ったような表情になるが、ジーノは意に介さず額を重ねた。睫毛も触れ合うほどに重ね合わせ、小さく何かの呪い語を囁く。囁いた後も暫くの間結菜に触れたまま、やがて顎を少し動かして結菜の唇に唇を軽く触れると、静かに離れる。

唱えた呪文は、身体の異常を察知するもので、どのあたりにどのような疾患があるかが分かる。主に医療系の魔法使いが使うもので、ジーノも簡単なものなら扱えるのだ。ちなみに口付けたのは、単にジーノが結菜に触れたかっただけで、魔法とは全く関係が無い。

「熱がありますね。喉がひどく炎症しているようです」

ジーノは結菜の汗ばんだ額を優しく撫で、撫でる指先を頬に滑らせ、もう一度顔を近づけた。だが、結菜はやはりむずがる子供のように首を振った。

「うつ、ちゃう」

「ああ、なるほど」

逃げる結菜の顔を追いかけて無理やり音を立てて唇を重ねたが、しつこく「うつる」と言い張る結菜に頷いた。ジーノの世界にも感染する病気は存在する。結菜の世界もそうなのだろう。そして、確かに、結菜の症状に「うつる」という心当たりがあった。熱があり、喉の炎症。これは……。

「風邪ですね」

「ん……」

ケホ、と喉の痛みを堪えながら、結菜が何かを訴えようと試みている。しかしジーノは眼鏡をかけ直すと、汗ばんだ額を撫で、頬を撫でて唇に人差し指を当てた。

「少しお待ちなさい。今、風邪によく効く薬湯を作ります」

「ジーノぉ」

そうして結菜を寝かせた寝台から離れようとしたジーノの服の裾を、結菜がぎゅっと握った。振り向くと、心配そうな、不安そうな瞳でジーノを見上げている。うつるから離れろと言うくせに、いざ離れようとすると心細そうな顔をする。熱があるからか、いつもは遠慮がちな感情がはっきりとしていて、不謹慎ではあるが、愛おしい。

無論、早く治癒するに越したことはない。

困ったようにかすかに笑んだジーノの口元は、本当にかすかな動きで、誰かに見られていたとしても気づいたかどうか。もっとも、その笑みらしき動きはすぐに消え、しかし安心させるような柔らかな雰囲気のままジーノは結菜にかけていた上掛けを持ち上げて、隣にクマノヌイグルミを置いてやった。

****

隣に並んだふかふかの手触りに少し体重をかけながら、結菜はジーノの背中を見つめている。ジーノは結菜を無表情で優しく寝かしつけた後、何やら「薬湯を作る」と言って、書物机に向かったのだ。

結菜はそんな風に机に向かっているジーノの背中を見るのが嫌いではない。ジーノの寝室には書斎ほどではないが小さな書物机があって、いつもは寝る前に何かの書き物をしたり、少しだけ仕事をしたりしている。結菜はそれを寝台でお行儀悪くゴロゴロしたりお茶を飲んだり本を読んだりしながら、時々チラチラ観察してはジーノの気配を感じるのが好きなのだ。もちろん、そういう時のジーノはほんの少しの時間でそれらの用事を終わらせて、結菜の元に戻ってくる。

「ユイナ?」

クマノヌイグルミを片手に抱きかかえたまま、じっと背中に流れる灰色の髪を見つめていると、手作業を終えたジーノがゆっくりとこちらを振り向く。ジーノの顔はほんの少しも笑わないが、こちらを見つめる切れ長の瞳が優しいことだけは分かる、その瞬間が好きだった。なんだかとても安心する。

ジーノ、と呼ぼうとして、結菜は喉の痛みにケホケホと咳き込んだ。

体調が悪くなり始めたのは週の初めで、喉の軽い痛みだけだったので油断した。本格的に体調が崩れたのは金曜日になってからで、午後の仕事を休ませてもらって帰宅した頃には、38度を超える高熱が出ていたのだ。

結菜は風邪が長引くと扁桃腺が腫れて熱が出ることが多い。予防接種はしていたのでインフルエンザではないと思うが、風邪だとしてもジーノにうつしてしまうのは困る。困るけれど、夜になると召喚されてしまう。どうしよう、どうしようと思いつつ、せめて冷えピタとスポーツドリンクをお供に身体を休めたものの、結局夜までに熱は下がらず、そのまま召喚されてしまったのだ。

だが弱った身体で会うジーノに、結菜は体調を崩してしまって申し訳ないという気持ち以上に安心してしまった。「うつしたら困る」と言いながら、結局おとなしく寝台に寝かされてしまう。そしてジーノの作る薬湯を待っているのだ。頼りきってしまって申し訳ないという気持ちと、ジーノがいてくれてよかったというシンプルな想いが胸の中でせめぎ合っている。

寝台に近づくジーノは眼鏡を外していた。二つのカップを持っていたが、一つをサイドテーブルに置くと、手に持った方のカップから何かを口に含む。

あ、と思った時には、ジーノの唇が結菜の唇に重なった。

少しずつジーノの唇から温かくて、苦味のある液体が流し込まれる。薬湯というからには苦くて不味いものを想像していたが、吐き出したりするほどのものではなかった。コーヒーの味に近く、確かに苦いが飲めないほどではない。ただし、飲み込むときに喉に痛みが走る。

結菜の咳の気配に、ジーノが唇を離した。

咳き込む結菜の喉を、いたわしげに……耳元から首筋にかけてをそっと撫でて、もう一度薬湯を口に含んだ。

二度目の口移しは、結菜も要領を掴んでうまく飲み込む。少しずつ喉に流し込むと、先ほどよりも喉の痛みが和らいだように感じた。

幾度かそんな風にジーノから薬を飲ませてもらって、最後の一口というところでジーノの舌がゆっくりと結菜の口腔内を探り始める。結菜の唇から思わず甘い吐息が溢れて、それを捕まえるようにジーノの舌と結菜のそれが深く触れ合った。大きな面積で舌を重ね合わせ、少し強い力で捲られる。確認するように舌先が軽く触れ合うと、ようやくジーノの唇が離れた。

「苦かったでしょう。よく頑張りましたね」

「ん、苦かったけど、大丈夫」

「それはよかった。ユイナ、水も飲みなさい」

「じ、自分でのむ、飲むよ! ケホッ……」

「そうですか?」

ジーノがもう一つのカップを手に取ったのを見て、結菜は慌てて身体を起こした。ジーノは結菜の背を抱えるように寄り添うと、今度はカップを渡してくれる。支えてくれる手を借りて一口口をつけると、薬湯と同じように温かい。嚥下するときに喉がズキズキと痛んだが、それでも薬湯の苦味が消えて口の中がさっぱりするのは心地がよかった。

薬を飲ませてもらうと、起き上がっていたからか少しだけ疲れてしまったようだ。結菜が大きく息を吐くと、その頭をゆっくりと撫でてジーノが立ち上がった。サイドテーブルに置いていた眼鏡を掛け直す。

振り返り、再び結菜の身体を寝台に沈めて上掛けをかけると、手の甲で頬や額を撫でた。その手はひんやりと冷たくて、心地がよくて目を閉じる。

「すぐに戻ります」

「うん……」

静かなトーンのジーノの声は、とても安心する。今度はそれほど不安にならずに目を閉じた。

****

時間にしたら本当にわずかの間にジーノは戻ってきた。扉の開閉の音と気配に結菜が目を開けると、部屋が随分と暖かくなっている心地がする。

寝台が少し傾いて、ジーノが再び腰掛けたのが分かった。

「ユイナ、着替えを持ってきました」

「え?」

「汗をかいたでしょう。手伝いますから、寝る前に身体を拭いて着替えますよ」

「うん」

少しだが、喉の痛みは引いたような気がする。ジーノの言う通り汗をかいた身体は重いし、着替えるのは悪くない。そう思って再び身体を起こそうとすると、それより早くジーノの手が結菜の身体に触れた。

「ジーノ?」

思いがけず近くにジーノの眼鏡越しの灰色の瞳があって、結菜が小さく首を傾げた。ジーノは結菜に半分覆いかぶさり、抱き寄せるように結菜の背中に腕を回すと、ワンピースの形になっている寝間着を手繰り寄せている。

「え、え?」

「少し身体を持ち上げてくださいね、ユイナ」

「え? あ、はい」

言われて素直に腰を持ち上げると、着ているものが一気に引き抜かれた。うわああ、と思う間も無く結菜は下着だけの姿にさせられ、その有り様をジーノが冷静に見下ろしていた。

「ジ」

「ユイナ」

「は?」

ジーノ、と呼ぼうと思った声を遮られて、ジーノは結菜の背中に腕を回した。最初はどういう仕組みになっているのかよく分からない顔をしていたくせに、今ではもうすっかり慣れた手つきで結菜の下着のホックを外し、柔らかな胸を空気にさらす。

「ちょ、ジ、」

「身体を拭きますよ」

「え。え、」

喉が痛くてうまく言葉が回らない。ジーノはその隙に温かな布を結菜の身体にあてた。

「あ、わ」

「ユイナ、足を広げて」

「そ、そんなこと、ゴほっ、ケフッ」

「もう少ししたら喉の痛みも無くなりますよ」

「そっ、そそ、そう、いうことじゃ、なくて」

恥ずかしがる結菜の身体をジーノの身体が覆い隠すように大きく抱き寄せて、ジーノの持っている拭き布が結菜の肌を滑っていく。首筋、腕、お腹……色めいた動きではないはずなのに、なぜか胸の柔らかみは丹念に拭いた。濡れた布ごしに胸の膨らみをふき取るように軽く掴み、撫でると指先が尖った部分に引っかかる。こんな時なのに甘い痺れを感じてしまって、その感触を堪えるように結菜はぎゅっと目を瞑った。そんな結菜の瞼にジーノの唇が触れる。

その隙に拭き布は少しずつ下半身へ下りていって、太ももを拭くついでに下着もスルリと抜いてしまった。

「ちょ、と、ちょっと、ジーノ、じぶんで、じぶんでや、ん」

「部屋は少し暖かくしておきましたから、寒くないはずですよ」

「だから、ケホッ」

だからそういうことではなくて。

だが、結菜の困惑と拒否は受け入れられず、ジーノは無表情で淡々と全裸の結菜の身体を拭き清めている。ジーノが結菜にいやらしい目的ではなく触れているのは分かっているが、最後に足と足の間をゆっくりと丁寧に触れられた時には甘やかな声が出て震えてしまった。

ジーノの手のひらが熱と羞恥で赤くなった結菜の頬に触れ、新しい下着を穿かせてくれた。

「う、もう、恥ずかしい……」

「何を今更。見られ慣れているでしょう」

「そう、いう、問題じゃないし……」

言いながら上掛けを引っ張ろうとする手を止めて、ジーノがほんのわずかに苦笑した。ブラはさせてもらえず、新しいワンピースを被せられて、ようやく一息つく。

余裕のあるジーノに自分一人だけ、しかも風邪をひいて熱出して扁桃腺が腫れているというのに、なんだか変な気持ちになってしまって、恥ずかしいやら申し訳ないやらで、ジーノが後片付けに立った後、結菜は一人で上掛けにくるまってクマノヌイグルミに抱きついた。

ケホ、と咳き込む。

「大丈夫ですか? ユイナ、喉はまだ痛いですか?」

「だいじょぶ、ジーノ、ごめなさい、寝るとこ」

「いいえ」

起き上がろうとした結菜の口元にカップを持ってこられて、一口だけ水を飲む。ほっとひと心地ついた結菜の身体がジーノの腕に抱き抱えられるように寝台に沈められた。

「これはもういいですね」

そうしてクマノヌイグルミが引き抜かれ、それが置かれていた場所にジーノが滑り込んでくる。

ため息ではない長い息を吐いて、結菜の身体に腕を回してその体温を引き寄せる。ジーノの腕の中にすっぽりと包まれて、一度、ぎゅ……と強く抱き締められた。

うつしたくないと騒いでしまったけれど、いざこうして抱き寄せられて、いつもの距離のジーノを感じるとひどく安心する。いつもより甘える気持ちで擦り寄って、しばらくお互いの体温を感じてから、結菜はもぞもぞと動いて収まりのいい場所を探した。

こうしているとジーノもまた、結菜が眠りやすいように腕枕などをしてくれるのだ。今日は大きくふわふわした枕に二人して頭を預け、互いの顔を近付ける。結菜は恐る恐る指を持ち上げて、ジーノの前髪にそっと触れた。

「うつっちゃったかも……」

「風邪がですか?」

ジーノの腕は結菜に巻き付いたままだ。離れるつもりはないらしく、結菜の声がしょんぼりと下がると、抱いている腕の力が少し強くなった。

「うつりませんよ」

「え?」

「ユイナに飲ませたあの薬湯を私も飲みました。あれにはそういう効果もあるのです」

なんでも、結菜のためにジーノが作ったあの薬湯は、単に薬が混ぜられているだけではなく、病に効く魔法の効果もあるらしい。結菜が聞いても分からないが、癒しの効果のある魔方陣と炎症を鎮める魔方陣、そして同様の症状を受け付けないようにする魔方陣とやらを組み込んでいるという。

さらに、癒しや解毒の魔法を持つ魔法使いは、自分にそうした防毒、防病の術をかけることができるため、そもそも病気になりにくいのだとか。

「ほんとうに?」

「本当ですよ」

「ほ、ほんとに、うつ、うつったりしてない?」

「してません」

この世界では魔法使いが病気になりにくい、というのは周知の事実らしいが、どうにも馴染みのない結菜は何度もしつこく確認してしまう。だが、ジーノは聞かれる度に何度も平坦な声で答え、その度に結菜の背中や首筋を撫でた。

ようやく結菜が納得したのか、質問がされなくなった頃、ジーノが結菜の頬に唇を触れる。

「ユイナ、心配しました」

「ん、ジーノ、心配かけてごめんね」

「本当に。あなたが病にかかっていると分かっていたら、無理やりにでも呼び寄せて、こうしたのに」

「お、大げさだよ、ただの風邪、ゴホッ」

咳き込んで、結菜は慌てて身体を離そうとする。しかし意外と強い力で抱き締められていて、もぞもぞと動いただけに留まった。ジーノの手のひらが、優しく結菜の髪を梳いている。

「大げさなどということはありませんよ。喉の痛みも熱も、随分と辛かったでしょうに」

「うん、ありがと……」

本当は少し心細かったのだ。結菜は一人暮らしだし、一人暮らしで高熱が出るというのは社会人になっても心許ないものである。そして、一人だと分かっていたら平気なのに、ジーノがいる……と思うと、途端に甘えたくなってしまう。

それを素直に口にしてみる。

「風邪うつしちゃダメだなって思ってたのにね」

「ええ」

「でも召喚されたらジーノがいるって思うと、甘えたくなっちゃう」

「……」

それにはジーノは沈黙で答える。

「ジーノ?」

ジーノは無表情だが無口ではない。結菜の問いかけには必ず答えてくれるのに、今はなぜか言葉がなくて、不思議に思ってそっと視線を持ち上げてみる。持ち上げたその視線を塞ぐように、ジーノがそっと唇をおろしてきた。

つられて目を閉ざすと、瞼にジーノの体温が触れる。

ギュ、とジーノの着ている服を握ると、絡みつくように腕と足で引き寄せられた。

「甘えていいのですよ。むしろユイナはもっと私に甘えるべきですね」

「もう甘えてるよ」

ふふっ……と笑いながらジーノの体温に寄り添って、そういえば随分と喉の痛みが消えていることに気がつく。いつもだったらこういう時は眠れないほど痛いのに、薬湯の効果だろうか、それともジーノがそばにいてくれているからだろうか、喉の痛みもだるさも、そして心細さも、今はかなり楽になっていた。

****

「ユイナ、これはなんですか?」

「うわっ、冷えピタ、捨ててなかったの?」

「捨てるべきものなのですか?」

予想通り、翌日になると結菜の熱も引いていて、喉の痛みもだいぶ和らいだようだ。寝台の上で座った結菜を背中から抱き寄せて肩に顎を乗せ、後ろから回した手で、結菜の額に貼ってあったヒェーピタをまじまじと眺める。

白い不思議な感触の布。

「そして青い液状生物スライムのようなものが塗られている」

「ええっ、やめてよ、なにそれ」

「違うのですか?」

液状生物は素材としてもよく使われるものだが、いつもその話をすると結菜はギョッとして否定する。それならばこの青く塗られている物質は何なのか。気になったが結菜もよくわからないと教えてはくれなかった。結菜の説明によれば、このヒェーピタというものは、ひんやりと冷たい感触がして、熱を和らげるものらしい。

「しかし、冷たくありませんが」

「もう時間経っちゃったから。使い捨てなの」

「使い捨て? なんという……効率的ではありませんね……」

熱が出てた際に額を冷やすという療法はこの世界にも存在するが、基本的に薬湯などで熱を下げることが可能なため上流階級では一般的ではない。そもそも額を冷やしただけでは病が治らないではないか。青い物質に何か病を治すような効能があるのだろうか。問うてみたが、そのようなものは無いと思う……との結菜の回答だった。

「ではこれは?」

「えと、ポカリ」

「ポカる?」

「ポカリ、風邪引いたら熱出て汗かくでしょう。水分補給にちょうどいい飲み物だよ。飲んでみる?」

「……」

正直に言えば気は進まなかったが、結菜の口に入れても大丈夫なものかどうかを確認しておきたい。一口口に含むと香りも味も、ジーノは味わったことの無いものだ。不味くは無いが、美味とも思わない。

「水分補給に、これを飲まねばならないのですか?」

「水を飲むよりも水分を補給しやすいんだよ」

「なるほど。どのような成分で出来ているのでしょう」

だが、これもやはり薬のような病を治癒する目的の成分は入っていないようだった。結菜の世界には魔法がないというが、病気の治療は一体どのような方法になるのだろうか。こちらの世界では、医療系の魔法使いが呪いを含んだ薬湯を作るのが常だ。

「ユイナ、……」

「ジーノ? どうしたの? だいぶ良くなったし起きる?」

「いいえ、今日はユイナはここでゆっくりしていなさい。良くなったと言っても体力は落ちている」

「ジーノは……」

「私もここでユイナに甘えたり、そちらの机で仕事をしたりしますよ」

「うん。でも甘えてるの私だってば」

結菜がホッとしたようにジーノに擦り寄る。

昨晩。

『甘えたくなっちゃう』

……と言った結菜の身体を弄りそうになって、ジーノは理性を総動員してそれを止めたのだった。今もまた、我慢している。理性と性欲が勝負をすること自体、ジーノにはそれほど縁のない話だと思っていたのが遠い昔のようだ。自分はさほど性欲の強い方ではなかったはずだが、結菜に対しては勝手が違う。結菜に対する感情が募って、場所も時も忘れて無性に抱きたくなる時がある。

結菜が体調を崩して落ちてきたときには本当に驚き、狼狽えた。もちろん、少し魔法で診ただけでいわゆる「風邪」だと分かったが、それでも、もしジーノが呼ばない時にあの喉の炎症と熱が結菜を襲っていたのかと思うと気が気ではない。

ヒェーピタもポカも興味深いが、しかし、自分や自分の世界で確実に効果のある方法でなければ信用できない。こと、結菜の体調を整えるものなのだからなおさらだ。

「甘えたい」とか「安心する」などと結菜は言うが、腕の中で結菜を感じていると、安心するのはジーノだ。結菜をそばに置くために、ジーノは結菜に甘えている。

結菜が向こうに行ってしまったら、ジーノの手は届かない。結菜に何かあったら、ジーノには守れないのだ。それを守るためにはどうすればいいのか、たかが風邪なのにと結菜は笑うだろうか。しかし、結菜がわずかにでも心細いと思うのなら、その瞬間に結菜を抱くのは自分の腕でありたいのだ。

結菜の重みを感じながら、ジーノはそれを深く堪能する。

頭の中に、構築せねばならぬ魔法の公式を思い浮かべた。