019.あなたの香り

人の肌の香りがする。

具体的には、甘い、彩乃の香りだ。昨日の風呂で使ったのだろう、いつも自分が使っているソープ類の香りと彩乃の肌の香りが混ざり、落ち着かないような、落ち着くような、愛しい香りがする。

腕の中に抱き込んでいる彩乃の身体はふんわりと柔らかく、驚くほど抱き心地がいい。電気はつけていないがカーテンごしの部屋は明るく、上掛けを少し持ち上げて覗き込むと、裸の肩が白くて目に毒だ。少し引き寄せて、首筋に唇を寄せる。

「ん……」

山科の吐息を感じ取ったのか、わずかに彩乃が身じろぎをし、もそもそと動いて再び寝息を安定させる。山科は彩乃の髪をそっと撫でて、抱える腕に力を込めた。

ずっとこうしたかった。

自分はそれほど性欲が強いとは思っていなかったが、彩乃に対してはなぜだか我慢や抑制が効きそうにない。この身体を味わいたいという欲望は、穏やかに彩乃を想う気持ちと根幹は同じのはずなのに真逆のように激しかった。短いとは言えない期間恋人がいなかったが、さほど飢えたことはなかったのに、彩乃と出会ってからは、それまでどうやって過ごしてきたのか分からないほど、彩乃が欲しかった。

無論、異性に不慣れな彩乃を無理やり抱くつもりはなかったし、彩乃の心の準備が整うまでいくらでも待つつもりではあった。口づけや抱き寄せる手が少し色を帯びると、彩乃の身体はわずかに震える。その度に、怖がらせているのではないかと怖気付いていた。

しかしもう、そんなことを言ってはいられない。

隣人の話を聞いた時、その場で走り出さなかった自分を褒めたいくらいだ。本当は、彩乃がなんと言おうと殴りつけたやりたかったし、できるなら二度と彩乃の視界に入らないようにしたかった。自分は彩乃が評するほど穏やかな男ではない。

山科を止めたのは「キスくらいで」と言わざるをえなかった彩乃の気持ちと、たった今彩乃に触れたいという山科の欲だ。彩乃に何も心配はないのだと分からせたかった。

最終的には彩乃の実家に出向くことになったが、一晩一緒にいる時間を与えられた。なんでも彩乃の姉が、「今日は恋人と一緒にいた方がいい」と言ったのだという。彩乃の姉がまだ会ったことのない山科にくれた時間。彩乃を大事に大事に扱って、隣人との嫌な思いを払拭させるのが山科の役目だ。

彩乃をコンビニで待つ間に避妊具を買った。

ゆっくり大事に進めたいと思いながら、準備万端な自分に苦笑してしまう。

夜、寝台の中で震える彩乃の身体に触れた時、それが怯えからくるものではないと気がついて、山科はどれほど嬉しかったか。離れないでと懇願された時、いつも彩乃が怯えていると思って手放したその身体が、昨晩は懸命に山科を追いかけた。今までためらっていた分を取り戻すように、山科は丹念に彩乃の身体に触れる。

ずっとずっと彩乃の全てを欲しいと思っていた。大事に甘やかし、同時に激しく愛する権利を。

胸を捏ねる感触にも、そこを嬲られる愉悦にも、秘められた箇所を開く指先にも、そこを濡らす唾液にも、山科が与える感覚に、初心な声を上げる彩乃は素晴らしく可愛かった。愛おしく、大切さが募る。

そして柔らかできつい、彩乃の膣内なか。彩乃にとっては随分と痛かっただろうが、山科にとっては極上のぬくもりと締め付けだ。彩乃の身体が好いとかそういう類のものではなく、自分の好きな女とこうした無防備な行為をする愛しみが身体に響いたのだろうか。不思議な感触だった。経験はゼロではないのに、他のどれとも違う。最終的な行為は変わらないはずなのに。

意識を集中すると、彩乃がどこで感じているのかが伝わってくる。それらを拾い集めるのも楽しい行為だった。

「いい香りがするな、彩乃は」

それにとても柔らかい。

抱き寄せている背中をゆっくりと撫でさすり、腰の柔らかみに手を這わせる。形のいい腰の丸みを堪能していると、ふ、と彩乃が小さな息を吐いて、ごそごそと寝返りを打った。

向こうを向いてしまった彩乃を今度は後ろから抱え直すと、丁度良く胸のふくらみに手が触れる。筋肉は少ないが、ふんわりと柔らかく形の良い胸は弾力も肌触りも、すべてが心地いい。柔らかさに指を沈み込ませると、たったそれだけで眩暈がしそうだ。自分の下半身に血が集中する。

昨晩、彩乃の中に自分を収めた感触が蘇る。

悪戯するつもりはないのに、つい胸の先端に軽く触れてしまった。

「ん、ぅん……」

その指先に反応するように、彩乃の身体がびくんと震える。その反応が愛らしくて、まだ柔らかなその部分を丹念に弄る。

「ぁ……、ん」

ちゅ、と耳元を口付けると、甘い吐息ばかりだった声に、少し意識が浮上したような音が混じる。

「かおる、さ……んっ……」

触れている箇所の弾力が少しずつ変わり、固く上向いた形に変わる。弾きやすくなったそこを摘んで揺らすと、彩乃が軽く声を上げて背中を反らした。山科の身体に彩乃の柔らかい尻が押し付けられ、首筋が近づく。胸への悪戯を止めて抱き寄せると、息を荒くした彩乃が振り向いた。

「か、おるさん……?」

「ん、おはよう彩乃」

「おは、おはようございま、す」

なんでもない風に山科が目覚めの挨拶をすると、長い睫毛をふわふわと瞬かせながら挨拶を返してきた。てっきり抗議されるかと思ったが、起き抜けでまだ頭が働いていないのかもしれない。いつもはしっかりしている彩乃の、そういうところもまた、可愛い。

恋は病というが、確かに病気だと山科は思う。

「起きるか?」

言いながら、胸の悪戯を再開してみた。

「んっ……今っ、何時で……あっ」

「今は、まだ六時だな」

随分と早い。彩乃の実家に出向くのは正午の約束で、車で一時間ほどだ。朝食を食べるにしろ食べないにしろ、まだもう少しゆっくりする時間はあるだろう。

胸への愛撫に彩乃の反応が明確なものになってくる。小鳥がさえずるような繊細な声を上げながら、ヒクヒクと身体を震わせる、その跳ねる身体を支えるようにきつく抱き止めた。山科の熱は、彩乃の腰に少し押し付けるだけで、はち切れそうなほどに硬くなっている。

これ以上すると我慢できなくなりそうだ。

山科は手を止めると、ふー……と長い息を吐いて、彩乃の胸から手を離した。

「かおるさん?」

彩乃が不安そうな顔をして腕の中から山科を見上げる。先ほどまで胸に触れていたからか、瞳は潤んでいて頬が赤い。ひどく艶っぽいその顔に、おとなしくなりかけた山科の熱が再び鎌首をもたげた。

硬いそれに気がついたのか、彩乃が触れている箇所をそわそわと気にして微かに動かすと、その刺激でさらに硬くなる。

「……っ」

まるで覚えたての高校生のようだ。

「あやの」

抱き寄せて、耳元に唇を触れ合わせる。ちゅ、と音を立てると「あ」と彩乃の声が上がった。ここは我慢するべきだと分かってはいたが、身体を離すことが出来ない。

再び胸に触れ、今度は少し強引に首筋に舌を這わせる。

震えた身体を止めるように強く引き寄せ、足を絡ませた。

愉悦を逃がせなくなった彩乃の肌が愉悦に強張っては解けていく。その度に、触れている山科もまた、我が事のように下半身が疼いた。

堪らなくなって、彩乃の足と足の間に手を伸ばす。

昨晩暴いたそこに指を沿わすと、太ももを濡らすほどぬかるんでいた。

「濡れてる。痛く、ないか?」

「あの、あんまり、痛くないです……」

「本当か? 我慢はするな」

「入り口は、少し、痛いかも……」

「……分かった」

「でも」

ぎゅ、と彩乃が山科の回している腕を握って、身体を丸めるように俯いた。

「あの、やめない……で」

「……あや」

理性の糸が切れる音を初めて聞いたかもしれない。

彩乃に「きつい」と言われるまでぎゅっと抱きしめ、抱きしめたままサイドテーブルに手を伸ばした。彼女を逃したくなくて、片方の腕で彩乃の身体を抱いたまま、ゴムの封を噛み切って、手早く己に被せる。

片方の足を持ち上げると、後ろからあてがい、ぐ……と力を入れた。昨日よりは抵抗がなく、すんなりと奥まで到達する。締まりは変わらないのに、蜜の絡まりが昨日よりも多く感じる。

「痛く、ないか」

「もう痛くない、ですっ……んっ」

子宮を押し上げるようにゆっくりと力を入れる。根元まで包まれる感触が堪らない。

あまり激しい抽送はしないで、つながった箇所を奥に留めたまま揺さぶる。時折、柔らかい胸を捕まえ、噛み付くように首筋に舌を這わせる。彩乃の声はあえかな吐息が混じり、切なげで細やかな喘ぎが高まりを伝えてくる。

なめらかな滑りに助けられるように、揺さぶりを激しくする。

山科の昂りを吸い上げ、飲み込むように彩乃の膣内なかが脈動した。それに抗うことなく山科は熱を解く。このまま留まりたいという意識が、どくどくといくつか膣内で脈を打つのを待ち、その間彩乃の身体をひとしきり抱きしめると、名残惜しく引き抜く。

彩乃をこちらに向かせて、もう一度ぎゅっと抱き寄せる。彩乃の細い腕も山科の背中に回り、しわくちゃの掛け布団と柔らかい二つの枕に囲まれて抱き合うのは、形容しがたい幸せがあるのだった。

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結局、こうして抱き合った後の余韻が心地よすぎて、大きく寝過ごしてしまった。なにしろ朝六時に起きて抱き合った後の、ぬくぬくとした二度寝だ。山科の腕に抱えていた滑らかな温もりが、ぴょこんと起き上がり、きょろきょろと動き出した気配に、山科の意識も覚醒した。

「ん……彩乃?」

「かおるさん、今、今何時ですか? 私、寝過ごして……」

「彩乃が寝過ごしたのなら、俺も同じだ」

言いながらサイドテーブルに手を伸ばす。時計を取ると九時半を示していた。十一時に家を出なければならないことを考えたら、ギリギリだろうか。もう少し、あと十分と思って彩乃の腰を抱き寄せてみたが、ダメですよと怒られた。彩乃はこういうとき、意外と押しに強くて可愛い。

だが彩乃から手を離すのは嫌で、上半身を起こしてから、再び裸の彩乃を抱きしめた。

「あの……?」

「ん」

「起きます、か?」

「ああ。彩乃、シャワー先に使うか?」

「あ、はい」

かなり名残惜しかったが、山科は彩乃のうなじに口づけしてから、抱く腕を緩めてやった。拘束が外れて寝台から抜け出す彩乃の身体は何も身に着けてなくて、いい眺めだ。

だがもちろん服を隠すなどという意地悪はしないで、寝台の角に追いやられていた彩乃のパジャマを渡してやる。下着も合わせて上掛けの中でゴソゴソと着替えると、寝台を降りて振り向いた。

「あの、シャワーお借りします」

「うん、彩乃」

手招きすると、彩乃がおとなしく顔を寄せてくる。ちゅ、と小さく音を立てて唇を軽く触れ合わせると、彩乃が顔を真っ赤にした。

「身体は痛くないか」

「痛くない、と思います」

山科は頷くと、彩乃がシャワーに行ってきますと寝室を出て行った。それを見送りながら山科も本格的に寝台から降りる。

身体に残る心地の良い気だるさに、満ち足りた感覚を覚えた。