024.あなたの家族

プロポーズを受けたその晩、指輪の店を決めるのは楽しいながらも大変だった。山科が店のアドバイスを受けるために隼人や忍に連絡し、それらの話は各々の妻である美乃梨や璃子にまで及び、たくさんのサイトのURLが送られてくることになったのだ。忍と璃子に至っては、食事会から別れた直後の連絡だったこともあって、大いに笑われたのは余談だ。

ソファで二人並んで座り、後ろから彩乃を抱きかかえるようにタブレットを操作しながら、指輪のサイトを覗き込む。

「け、っこう高いですね」

「婚約指輪だからこんなものじゃないか?」

「そうなんですか……?」

「気がひけるなら普通の指輪を買ってもいいが、どっちみち婚約指輪は買うからな」

「ううっ……」

もらったURLを眺めながら目を丸くする彩乃に対して、山科の感想は本当に「これくらいだろう」というものだった。さほど遊んでいない山科の貯金ならば無理のない金額だ。実を言うと山科は彩乃と付き合うようになってから、この手の情報はかなり収集している。だからそれほど驚きはない。

彩乃は困惑しているが、山科は用意する気満々だった。彩乃を抱き寄せて膝の上に乗せ、顎を肩に乗せながらタブレットを覗き込む、彩乃の顔を覗き込む。

「彩乃」

「……はい?」

耳元で名前を呼ぶと、くすぐったそうに肩を揺らして彩乃が山科の方に顔を向ける。

「本当はもう少し雰囲気のあるところでプロポーズするつもりだった」

「え?」

「……女の人は、そういうのが好きだろう」

それはまるで告白をされた時と同じような言葉で、彩乃がそれに気がついて小さく笑う。山科の手のひらが抱えている彩乃の腹にするりと入り込み、肌に直接触れながらゆっくりと撫ぜた。

「指輪は買いに行くぞ」

「うー……はい」

「それでいい」

タブレットをテーブルの上に置いて、山科の手が彩乃の身体に集中し始める。後ろから抱きしめて、首筋に音を立てて口付けると、彩乃の使う甘いボディソープの香りがした。

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そうして二組の夫婦が勧める場所と、さらに彩乃の好きな店を順に巡り、結局は彩乃の好きな店で気に入ったデザインのものを見つけた。大きさの異なる石を幾つか、流れるように配したデザインは彩乃の小さな指によく似合う。毎日身に付けても邪魔にならなさそうな雰囲気で、重ね付けできる結婚指輪も進められた。結婚指輪は後日に改めることにして、二人が一目見てこれがいいと思った指輪を即決した。

山科の行動は早かった。指輪を買ったその晩に結婚したい人がいると両親に電話し、彩乃の許可を得た上で、会う算段をつけたのだ。山科の両親は、今は仕事を減らして田舎に移住し、夫婦水入らずで悠々自適の生活を送っている。忍の結婚のために近いうちに彩乃達が住んでいる都市にやってくるから、その時に会おうということになった。

さて、山科から連絡をもらった山科の両親は、彩乃のために、こちらに来る予定を一週間早くした。食事でもご一緒に……ということになったのは、指輪を買った一週間後だ。同席してくれる忍と璃子が選んでくれたお店は、静かな雰囲気の日本料理屋だった。

やや緊張しながら会った山科の両親は上品そうな方だった。優しげな眼差しは母親似、だが全体的な雰囲気は父親似だろうか。上流階級を感じさせるような凛とした雰囲気の二人に、彩乃も緊張を隠せない。

だが、山科の母がにこりと笑った時、糸をピンと張ったような雰囲気が、ふっと柔らかくなった。

「あなたが彩乃さんね、会いたかったわ」

向かい合わせの席を指し示される。

すでに、忍は両親の隣に、璃子はその向かいに座っていて、山科が彩乃を励ますようにそっと背中を支えてくれた。促されるように両親の前に座り、隣に山科が座る。山科の手がそっと彩乃の手に重なった。

励まされるように彩乃は丁寧に一礼する。

「山科さんとお付合いしています、湯木彩乃です」

山科の両親が顔を見合わせ、にっこりと頷きあって、二人揃って彩乃に身体を向け改まる。

「こちらこそ、来てくれてありがとう。彩乃さん、今日は私たちが会いたくて無理を言ったんだ。そんなにかしこまらなくてもいいから」

そう言ったのは山科の父親で、黙っていた時は失礼ながら気難しそうな方だなと思ってしまったのだが、声は優しく、そして山科そっくりだった。

「親父、彩乃ちゃん相手だと珍しくたくさん話してるな」

「なんだと」

山科の父親をからかうのは兄の忍だ。山科の父親はかなり寡黙な人らしい。小さい頃は何を考えているのか分からず、怒ったら怖い人だと思っていたそうだ。

だが話してみると眼差しの柔らかな、落ち着いた物腰の人だ。二人とも立ち居振る舞いの綺麗な人で、こちらの背筋も思わず伸びる。

出てくる料理はどれも美味しくて、彩乃の好きな控えめな味付けだ。

しばらくの間料理の話に花を咲かせていると、山科の家で育てている旬の野菜の話になった。田舎に移住しているという山科の両親は、話を聞いてみると野菜については全くの素人だったのだという。初めて育てる野菜は面白く、自給自足とまではいかないものの、家でのんびりと育てた野菜やハーブを生かした料理を考えるのは楽しいのだそうだ。

歳を重ねた後、夫婦でそのような生活を送るのが素敵だと彩乃が目を細めると、山科の母が恥ずかしそうに肩をすくめた。

「でも恥ずかしながら、私この歳になるまで真面目に料理をしたことがなかったのよ」

「え、そうなのですか?」

「ええ、共働きでね、家事も適当だった。掃除と洗濯だけはみんなが手伝ってくれたから頑張ったけど、料理は買って帰れるからっていつもサボっちゃって。ご馳走やお祝い事っていったらいつも外食」

全員が同じ時間に食卓について、同じ食事を摂る……ということがあまりなかったそうだ。家にいない両親で、申し訳なかったわ……と瞳を伏せたが、しんみりした空気に忍がおどけるように茶々を入れた。

「だけどそのおかげで俺は料理が上手くなったからな。なあ、璃子」

「上手くなったって言っても、すごく男料理だけどね」

「男料理だけどいいじゃねえか、カレー好きって言ってただろ、俺の!」

「まあ、忍の作ったカレーは美味しい」

言いながら、みんなでクスクスと笑う。隣の山科をちらりと見ると、彼もまた、ほんのりと笑顔で嬉しい。山科自身も料理に対して苦手意識のようなものはないので、よくお兄さんと料理をしていたのかもしれない。一番最初に「家でご飯を作りましょうか」と言った時の、山科の嬉しそうな顔を思い出す。

山科の母が彩乃に向き合った。

「薫は、真面目すぎるところがあるでしょう? 退屈な思いはしていない?」

「そんな! 一緒にいて……」

そこで彩乃は言葉を止める。山科と一緒にいて、何にもしていないのに穏やかで居心地がいい。真面目すぎるというが、頑固なわけではないし、バラエティ番組やコメディ映画を見ていて、ふと隣を見てみると静かに笑っているのを見ると、彩乃もまた小さく笑ってしまう。そんな時間が……好きだった。

「一緒にいて、楽しいし、その……安心します」

「まあ」

「それに、真面目なところが一番」

好きです、というのはさすがに照れて言えなかったが、真っ赤になった様子で母親は分かったようだ。鈴の鳴るような愛らしい声で笑って、「あらあら、ごちそうさまね」と頷いた。

山科の父親が言葉を引き継ぐ。

「妻は料理は下手だが、だんだん上手になってきているんだ。彩乃さんも今度、うちで作った野菜を食べに来てくれるといいんだが」

その言葉に山科の母を見ると、少しだけ寂しげに微笑んでいる。共働きであまり家にいなかったという話をした時、しんみりとした空気になったのを思い出した。

しかし、山科の両親もまた仲の良い夫婦だということが分かる。それに互いに家族を愛しているということも。

それが分かるだけでも十分だと彩乃は思う。

「お野菜を食べに伺っても、いいんですか?」

「野菜が好きなら大歓迎だ」

「私、お野菜大好きです。薫さんも、ね」

「ああ」

山科はおしゃべりは忍や璃子に任せて、聞き役に徹しているようだ。だが、彩乃の言葉には的確に頷いてくれて、こちらに視線を傾けてくれる。

山科の両親は、二人とも共働きで互いに会社勤めが忙しかったが、息子たち二人が成人して家を出て、夫婦水入らずになった時、不意にこんなあくせくした生活をしていてはいけないと思ったのだそうだ。

もっと息子たちが小さい時にそれに気がつけば良かったと言っていたが、夫婦二人になって初めて気がつくこともあるのかもしれない。

「急に田舎に移住すると言いだした時は、俺たちは何事かと思った」

ぽつりと山科が言って、忍がそれに大きく頷いて同意する。

だが結局反対する理由もなかった。むしろ空気のいいところに別宅ができたような感じで、忍も璃子を連れて遊びに行くのだそうだ。だから彩乃にも是非来て欲しいと、二人声をそろえる。

「今から家族団欒をやり直すというのもおかしいけれど、彩乃ちゃんが薫を連れてきてくれたら私たちも嬉しいよ」

山科の父の真面目な声に、彩乃も深く頷く。

やはり薫と声が似ていて、それを言うと山科の両親は今日会った中で一番嬉しそうに笑った。