それからしばらくののち、忍と璃子は無事披露宴を挙げた。披露宴といっても既に入籍はしてあるから、会費制のレストランウェディングだ。親しい人だけを招待した楽しい会で、友人たちに囲まれた璃子と忍は本当に幸せそうだった。
忍と璃子が座るテーブルの上には、彩乃もよく知っている小さな花瓶が置かれている。今日はプロに頼んだのか、小さな花瓶からは細やかな花が溢れるように美しく仕立てられていた。
「綺麗ですね、璃子さん」
「ああ。だが、彩乃も似合うと思う」
「か、薫さん!」
「今の格好も似合っている」
山科の言葉に彩乃は顔を真っ赤にした。山科はニコリともしないとか、真面目すぎるなどと評されるが、そんなことは全くない。むしろ真顔で彩乃を褒めたりするので困る。
今日の彩乃は、山科の婚約者として招かれていた。山科家の親族の席に同席させてもらっているが、堅苦しい席ではないので、所在なさは感じない。山科が彩乃のために婚約の指輪を用意したと聞いた璃子と忍が、それならぜひにと招いてくれたのだ。
どういう服装で行くべきかもかなり迷ったが、水戸と一緒にワンピースを買いに行った。爽やかなミントグリーンに、同色から白へのグラデーションがかかったふんわりとしたレースのストール。髪はストンと下ろしてバックカチューシャをつけただけのシンプルな装いだ。
こうした服装を見せるのは初めてで緊張したが、山科は顔を少し赤くして「似合う」と言ってくれた。むしろ見るたびに言ってくれる。それから何故か、肩が出ているが寒くないかとか、ストールが薄いが寒くないかなど心配された。
料理も素晴らしいイタリアンで、特に小さなホタテのドリアには彩乃も思わず「美味しい」と大きな声を上げてしまったほどだ。隣で上がった歓声に、山科が楽しげに瞳を細くする。
「ここのイタリアンは、秘書課の課長の旦那さんがオーナーなんだ」
「えっ、そうなんですか? 知らなかった」
「秘密ではないが吹聴していないからな。常務もよくお客さんと利用している」
秘書課とは何度か食事をしているが、課長の南方とはそういえばちゃんと会って話したことはなかった。美人だがかなりきつそうな顔立ちで、多くの社員から畏怖されていると同時に「鬼の南方」と呼ばれている。ただ、背筋が伸びていて颯爽と歩く姿が美しく、こちらも居住まいを正したくなるような雰囲気があって、彩乃は少し憧れる面もあったし怖いと思ったことはない。イタリアンレストランのオーナーが旦那さんとは意外だった。
璃子が秘書課に在籍していたことと、常務が仲人だということもあって、披露宴に協力してくれたのだそうだ。
「すごく美味しいですね」
「また今度、二人で来よう」
「はい!」
甘みと苦みのバランスとチーズのコクが美味しいティラミスを口にして、うっとりと彩乃が頷く。横にはもう一皿あって、こちらは先ほど入刀の儀式を行ったケーキのおすそ分けだ。こちらもお店のパティシエが用意してくれたもので絶品だった。
デザートをいただく頃、宴も終盤かと思っていると、突然司会の方に名前を呼ばれた。
驚いて山科とともに立ち上がると、璃子と忍が仲良く並んでこちらにやってくる。
璃子が微笑んで、手に持っていたブーケを彩乃に差し出した。
「次の幸せを貴方達に渡します」
璃子の差し出す手に忍が手を添える。
「引き継いでくれて、ありがとう。弟をお願いします」
引き継いで。
……という言葉に、小さな意味を見出したのは、おそらく常務と……そして山科の家族達だけだろう。他の人たちには文字通り、新郎新婦の弟とその婚約者がブーケトスで幸せを引き継ぐのだという意味に受け取ったに違いない。
だが、彼らだけが知っている。本当になんでもない、小さな幸せ。しかし、これがなければ出会ってなかったかもしれない出来事。
そうした偶然の先にある今この時の幸福を受け取って、涙ぐんだ彩乃が大きく頷き、隣に並んだ山科が婚約者の肩を抱く。
山科と彩乃が新郎新婦に一礼すると、見守る周囲の温かな拍手に包まれた。
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「薫さん、見て、景色が綺麗!」
「ああ、結構高いな」
「観覧車も見えますね」
山科と彩乃は、用意してくれていたホテルの部屋にやってきていた。遠方から来たお客様用にと準備してくれた部屋だ。遠方でもないし、電車で帰れる距離だからと遠慮しようとしたが、用意したついでだからと押し切られたのだ。それに山科から「俺だけ一人で泊まらせる気か」としょんぼりされてしまい、甘えさせてもらった。
山科との外泊は初めてで、見知らぬ部屋で二人きり。所在の無いような、近づきたいような、どこか不思議な冒険心めいたそわそわとした気持ちになってしまう。
そうしたそわそわした気持ちを隠すように、彩乃は部屋を一通り見て回った。こういうホテルに来たらお決まりの、洗面所と浴室を覗くのも忘れない。遠慮はしたものの、いざ泊まるとなるとはしゃいでしまうのは仕方がない。
普通の部屋だと言っていたが、ツインだけあって十分な広さだった。アメニティも愛らしく、お風呂も広くてジャグジーのようになっている。
「お風呂も結構広いですね。アメニティもかわいい」
「これはなんだ」
山科が小さな袋に入ったカプセルをつまみあげる。
「お風呂に入れる入浴剤みたい」
「……そうか。あとで一緒に入ろう」
「はい。えっ」
まるで当たり前のことのようにサラリと言われて、思わず頷いてしまったが、その内容に浴室を覗き込んでいた顔を上げてしまう。彩乃の肩から覗き込むようにしていた山科の顔が近づいて、瞼の横にそっと口付けられた。
「ダメか」
「ダメじゃないけど、は、恥ずかしい……」
「今更」
「今更って言わないでください……」
「悪い。でも風呂は一緒に入る」
普段は優しいくせにこういう時は意思を曲げない山科を恨めしげに見るが、どこ吹く風という顔だ。そのままゆるりと彩乃の腰を抱き寄せると、身体を低くして耳元に唇を寄せた。
呼気が肌をくすぐって、肩がビクッと震えてしまう。
だが山科はもう、彩乃のこの反応が何なのかを知っていて、身体を止めずに追いかけてくる。肩を撫で、ストールを取り上げた。むき出しの肩を山科の太い指がなぞって、こちらにもまた、口付けが落とされる。
「これ、よく似合うが寒そうだな」
「寒くないですよ、ストールもあるし」
「それにあまり他の男に見せたくない」
「そんなこと」
「そんなことなくはない」
「あっ」
ちく、と小さな痛みを感じて肩を揺らす。何事かと思って見てみると、山科の顔が彩乃の肩に触れている。どうやら強く吸い付いているようで、避けようとしたら強く腰を抱き寄せられた。
ふ、と息を吐いて唇を離すと、山科は満足そうにそこを撫でている。洗面所の鏡を見ると、そこに小さく痕が付いていた。
「薫さん!」
「見えないところだろう?」
「そうですけど……」
「なるほど……付けたくなるものだな」
赤くなった部分を撫でながら、山科がした行為とは真逆の優しい眼差しをしている。山科はこういうことをする性質ではないが、付けてみると意味が分かった。自分だけがここにこの痕を付けることが許されている、そういう独占欲は誰にもあるものなのかもしれない。
だが、それ以上の意地悪はやめて、山科は唇を離した。
「コーヒーでも飲むか。少し酒を飲んだから酔いを醒ましたい」
「……はい。コーヒー、飲みたくなりましたね」
山科のいたずらに最初は渋々……と言った様子だったが、いつの間にか屈託のない笑顔になっている彩乃の肩を抱き寄せる。
ひとまず戯れは止めることにする。ワンピース姿の彩乃と並び、ポットでお湯を沸かしたり、備え付けのコーヒーメーカーの使い方をキョロキョロと調べたりしながら、いつもとは違う非日常を楽しむことにした。
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もらったブーケは持って帰れるように始末してもらっているが、彩乃が心配そうにそれを解いて余分に貰ったコップに水を張って挿している。嬉しそうなその横顔に山科の頬も緩んだ。
「よかったな」
「はい!」
「兄貴が、もし加工するなら作ってもらった花屋を紹介してくれるらしいが、どうする?」
「加工……してもらいたいです。お部屋に飾りたい」
「分かった。明日一緒に持って行こう」
「いいんですか?」
「当たり前だろう」
ベッドの上に座った山科は、花を解き終わった彩乃を手招きして自分の膝の上に乗せた。
「薫さん?」
「ん?」
「あの、重くないですか?」
「いいや」
ぎゅっと抱きしめて、そのまま二の腕の柔らかさをゆっくりと撫でさすって堪能する。彩乃が小さく声をあげたが聞こえなかったふりをして、そのままうなじをたどり、背中の骨をなぞってファスナーに指を掛けた。
「あ、薫さんっ……」
「しわになるだろ」
「そうだけど、自分で、あ」
そのまま、すっとファスナーを下げると、滑らかな背中があらわになる。ワンピースの中に手を入れて抱き寄せるように力を込め、彩乃の唇に自分の唇を重ねた。
「私、まだ、お風呂に入ってないですしっ」
「俺も入ってない」
「だから、あの」
「分かった」
「え?」
あっさりと彩乃から身体を離すと、山科は浴室へと向かった。彩乃は慌てて背中のファスナーを戻そうと奮闘するが、いつもならすぐに出来るのに、先ほど撫でられていた手の感触を思い出して上手く上がらない。あれ、あれ? と思っていると、山科が戻ってきて、手を止められた。
「戻さなくていい」
「でも、」
「俺が脱がす」
「あ、の」
「ん?」
「あの……お風呂、一緒に入るんですか?」
「入る。何を気が急いてと思ってるんだろう。……俺も、今日は自覚がある」
そう言って、山科は彩乃の隣に座った。片方の腕で抱き寄せて、中途半端な位置に止まっているファスナーを完全に下ろす。肩のラインに沿って手を入れると、ストンとワンピースが落ちて上半身が顕になった。
寝台に押し倒すと、皺にならないようにやや慎重にワンピースを引き下ろした。空いている方の寝台にそれを放り投げ、彩乃のやわらかな胸に唇を当てる。
汗ばんでいるからか、彩乃が恥ずかしそうに身をよじるが、愛おしさが込み上げて離すことができなかった。
自分でも少し制御が効いていないのが分かる。兄と義姉の幸福な様子に当てられて、そして隣に並んだ恋人とは、近いうちにあの場所に行くことを約束しているのだ。早くあの場所に行って、その先に行って、そのずっと先に行きたい。
下着はまだ着けたまま、柔らかい胸の膨らみに唇をつけ、歯を付ける。軽く噛みつき、下着の中にそっと指を入れると、今度ははっきりと愉悦を感じる声をあげた。それに気を良くして、念入りに指を動かす。少しずつ起き上がる弾力に、興奮して息が上がった。これ以上触れると、多分「最後まで」我慢できない。
指の動きを止めると、山科は彩乃を寝台の上でぎゅっと抱きしめた。