ウルリカが瞳をあけると、知らない部屋におりました。ウルリカの知らないおくすりの香りがします。
ここはどこだろうと思っておりますと、司祭さまともうひとり、白い服をきたおとこのひとがはいってきました。おとこのひとはお医者さまでした。
司祭さま?
ウルリカがそう言おうとしたときでした。のどがきゅうにひりひりと痛み、思わず涙がでてしまうほどです。
「ウルリカ、しゃべってはいけません」
司祭さまがあわててかけより、ウルリカのせなかをさすってくれました。
痛みをこらえてどういうことかと顔をあげますと、お医者さまのかなしげな目が見えました。
「ウルリカ、よくおきき。聖堂で火事があったのをおぼえているかい?」
ウルリカはゆっくりうなずきました。天使さまは無事だったのでしょうか。その心配がわかったのか、司祭さまがつけくわえます。
「ウルリカのおかげで、天使さまは無事だったよ」
それを聞いたウルリカがほっとした顔をしますと、司祭さまとお医者さまはまたかなしそうにしました。そうして、お医者さまはこう続けたのです。
「ウルリカ、君ののどは焼けてしまってひどいけがをしてしまった」
ウルリカは眼をまるくしました。
「れんしゅうをすればゆっくり話せるようになるが、もうもとのように歌はうたえないかもしれない」
歌はうたえないかもしれない。
お医者さまのその言葉は、いままでのどんなできごとよりもかなしいものでした。お医者さまによると、ウルリカは3日もねむっていたそうです。息のしかたからお医者さまがみたところ、ウルリカはあついけむりと火の粉をたくさん吸ってしまったので、のどをけがしてしまったのでした。ねむっているあいだ、お医者さまも司祭さまもいっしょうけんめいお世話をして、おくすりをのませてくれたり、のどを冷たくしたりしてくれました。そのおかげで、ゆっくりものをたべたり、ゆっくりお話をしたりすることはできるようになるのですが、大きくきれいな声で歌をうたうことはできなくなったのです。
ウルリカがかなしいまま、1週間がすぎて、2週間がすぎました。ウルリカはどうしてもうたいたくて、この2週間のあいだ、ずっと声をだすのをがまんしていました。のどの痛みはだいぶなくなり、おくすりもたべものも、なんとか飲みこむことができるようになりました。お医者さまも、そろそろお話をするれんしゅうをしてみようかといいましたので、ウルリカはがんばって声をだしてみます。
<てんしさま、しさいさま>
そうして声をだしたとき、そのあまりのひどい声に、ウルリカはびっくりして、「歌はうたえない」と言われたときよりももっともっとかなしくなりました。声はかすれていて、ほんの少ししかだせません。どんなにきれいな声をだそうと思っても、のどのどこかになにかがひっかかったようで、かすれ声しかでませんでした。
お医者さまがウルリカのせなかをはげますようにそっとなでました。
「がんばれば、ゆっくりお話できるようになるよ」
でもウルリカは、元のようにうたいたいのです。ウルリカはしくしくと泣きました。
<でも わたし うたいたいのに>
なみだをぽろぽろとこぼしながらウルリカはお医者さまと司祭さまに言いましたが、ウルリカのためにも歌わせることはできませんでした。けれども、それが何よりもウルリカをかなしませたのです。
だってウルリカにはきれいな歌をうたうことしかできません。刺繍をするのものろまですし、ウルリカは髪の色だって灰色できれいではありませんし、やせっぽちの身体はちっともかわいくありません。天使さまをかかえたときだって走ることができませんでした。それなのに、お話をするのもごはんをたべるのも、のろまになってしまいました。もうウルリカが自慢できることなんて、なにひとつなくなってしまったのです。
聖堂が火事になったあと、街いちばんのおかねもちのひとが、いくつも持っているお家のひとつを司祭さまに寄付しました。こどもたちとウルリカと司祭さまは、ここでいつものように刺繍をして、パンを焼いて、天使さまにおいのりをして暮らしています。けれど、ウルリカは刺繍をする気にもなれず、聖歌隊がれんしゅうしている様子を聞きながら悲しいまいにちを送っておりました。
領主さまのおたんじょうびにひとりで歌う役には、ソフィアにきまりました。街いちばんのおかねもちのひとの、娘さんです。ソフィアはなんでももっているのに、ウルリカの歌の役割までもっていってしまったように思いました。
なにもしないウルリカがぼんやりお庭に座っておりますと、フレデリクがやってきました。
「ウルリカ、刺繍はしないのか?」
<したく ない>
「なあ、司祭さまが、オルガンを弾いてみないかって言ってるぜ」
ウルリカはオルガンを弾くこともできました。聖歌隊のなかでいちばんたくさんの歌をうたって、いちばんながいこと聖歌隊といっしょにいるウルリカは、だれよりもオルガンの音を聞いていましたから、オルガンも得意なのです。でもウルリカは首をふりました。オルガンならウルリカじゃなくたって弾くことができます。ウルリカは歌をうたいたいのに。
<わたしは うたいたいの>
「でも」
<ほうっておいて>
思いきりきつく言ったつもりだったのに、ウルリカの声は低くてがらがらとひびいただけでした。くるしくてけふけふとせきこむと、あわててフレデリクがせなかをさすってくれます。けれども今はそのおおきな手がよけいにかなしくて、思わず振り払ってしまいました。
<はなして>
ウルリカはこれいじょうフレデリクと一緒にいることがくるしくて、天使さまの像が置いてあるところに走ってにげてしまいました。
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天使さまはいつものようにかわらないやさしい微笑をうかべておりました。ウルリカは天使さまの前でおいのりしました。
<てんしさま わたし もう うたえないのですか?>
いつまでそうしておいのりをしていたでしょうか。ふと気付きますと、ウルリカに話しかけるふしぎなこえが聞こえました。
『ウルリカや』
<てんしさま?>
『おまえは私をたすけてくれましたね』
<てんしさま!>
なんと、ウルリカの大好きな天使さまが、話し掛けてくださっているではありませんか。ウルリカはうれしくなって、かすれた声でなんどもなんども天使さまを呼びました。天使さまはやさしい声で、このようにおっしゃいました。
『ウルリカや、おまえはわが身をかえりみることなく、火のなかからわたしをたすけてくれました。おれいに、おまえのねがいごとをなんでも3つかなえましょう』
<え…?>
よく考えて、自分にいちばんよいおねがいごとをするのですよ。
…天使さまはそうおっしゃいました。ウルリカがかすれた声で天使さまをもう一度よびましたが、もう天使さまはお返事をしてくださいませんでした。