フレデリクはウルリカをさがして、館のなかをうろうろしていました。館が聖堂のかわりになってから、お庭のしごとも少し任せてもらっているので、フレデリクは自由にいききができます。
朝、ウルリカにうすもも色のバラをあげてから、もう夕方になりました。館のなかはそれほどひろくないのに、あれからフレデリクはウルリカを見ておりません。フレデリクは庭師のしごとをしているおとうさんにウルリカを見なかったか聞いてみました。
「おとうさん、おとうさん、ウルリカを見なかったかい?」
「ウルリカか、今日は見ていないなあ。刺繍をしているんじゃないのかい?」
「どこにもいないんだ」
「それはいかん。探さないと! のどが焼けちまってからすっかりふさぎこんでいたから、部屋にとじこもっちまってるんじゃあないのかい?」
「もう刺繍はしないのかな」
「そうさなあ。…ウルリカの作る刺繍は、ゆっくりだがとてもていねいで好きなんだが」
「もしかして持っているの?」
「もらったんだよ」
ほら、と言って庭師のおじさんはハンカチを一枚ひろげました。いつも聖堂の中庭をきれいにしてくれてありがとうございます…といって、ウルリカからもらったハンカチでした。ハンカチのすみっこには、白いスイカズラの花が刺繍されておりました。とてもかわいらしい、ウルリカを思わせる花でした。
おとうさんのハンカチを見て、いつか自分もこんなふうにハンカチをプレゼントしてもらえたらなあとフレデリクは思いました。そういえばスイカズラは、いつだったかおとうさんが苗木を聖堂の中庭に植えてくれていたはずです。ウルリカはそれを見て刺繍をしたにちがいありません。聖堂が燃えてしまって、あの花はどうなってしまったのでしょうか。
それなら自分もウルリカをさがしてみようとおとうさんと約束をしたあと、フレデリクはみんなが刺繍をしているところにまわってみました。そこにはちいさなこたちと、ちいさなこたちに刺繍を教えているおばさんがいました。
「ねえおばさん、ウルリカを見なかったかい?」
「見ていないねえ」
おばさんは困ったように首をかしげました。
「ずっと探しているけど、どこにもいないんだよ」
「そりゃあ探さなきゃ!…ウルリカは歌えなくなってから、ずいぶんと元気をなくしてしまっていたから」
「…刺繍をしたりオルガンを弾いたりしなよって言ってみたんだけど、そんな気になれないって」
「あんたは、ウルリカに刺繍をしてもらいたいのかい?」
「どうして?」
「だって、うたっていると刺繍をする手がおそいって言ってるだろう」
「それは…だって、そんなこと気にしなくてもいいって思ったからだ」
ウルリカは、刺繍をするのはとてもおそいけれど、そのぶんとてもていねいですから、きれいなきれいな刺繍をするのですよ。フレデリクはそれを知っています。
けれども、ウルリカは刺繍をする手がおそいのをいつも気にしておりましたから、フレデリクはそんなこと気にしなくてもいいのにって思って、ウルリカが歌のれんしゅうをしながら刺繍をしているのを見ては「歌をうたいながら刺繍をしているから遅いんだよ」だから気にするな、って伝えようとしていたのでした。
おやまあ、と、おばさんはあきれたようにため息を吐きました。
「せっかちなフレデリク。あんたは、どうもことばが足りないみたいだよ」
「え?」
「ウルリカはいつもあんたがからかってると思っていたんだ」
おばさんのことばをきいて、フレデリクはあわてて首をふりました。そんなこと、とんでもありません。だってフレデリクは、ウルリカのことが大好きだったのです。
「俺はどんなことをしているウルリカだって好きだ」
フレデリクはウルリカの仕事がおそくてもていねいなことを知っております。そしてすこし自分に自信がないところも、そのぶん迷惑をかけないようにがんばっていることも。ちいさい子たちにやさしくて、ゆっくりだからおしえるのもじょうずで、天使さまが大好きなことも。ウルリカの髪はゆきをとおくにみたようなきれいな灰色をしておりましたし、ほっそりした身体はささえてあげたいと思うのでした。だから、ウルリカが歌えなくなったときは、どんな風にだって元気づけたいと思っていたのに。
だから少しでもウルリカが元気になるようにって思って、うすもも色のバラの花をあげたのです。あの灰色の髪にきっと似合うと思ったからです。
そのようにフレデリクが考えた通り、ウルリカのなめらかな灰色の髪に、うすもも色はとてもきれいに映えました。バラはとてもあいらしく、ウルリカがそれを身に付けると、お花もウルリカもたちまちきれいでかわいくなったように、フレデリクには思えたのです。だから「思ったとおりだ」って言ったのです。 フレデリクの思ったとおり、ウルリカにはうすもも色のバラの花がとても似合っておりました。
だけど、そのあとフレデリクはなんと言ったでしょう。フレデリクはウルリカがあのあと、とてもかなしそうな顔をして走って行ってしまったことを思い出しました。
「俺、ウルリカをさがさないと」
「あたしも探してみるよ」
刺繍のおばさんに大きくうなずくと、フレデリクは急いで走ってウルリカの部屋にいきました。
「ウルリカ、ウルリカ?」
コンコンと部屋をノックしてみましたが、何もきこえません。やっぱり部屋にはいないのでしょうか。はいるのをためらっていると、歌のれんしゅうを終えたソフィアがやってきました。
「フレデリク、どうしたの?」
「ソフィア。ウルリカを知らないか?」
「知らないわ。私もさがしているの」
「どうしたんだい?」
ソフィアはどうしても音がずれて歌えないところがあるから、ウルリカにオルガンを合わせてほしいのだといいました。けれど歌えなくなったウルリカにそれをおねがいすると、かなしませるかもしれないって思って、どうしようかしらと迷っていたのです。
「かなしませる?」
「だって、ウルリカは本当はオルガンなんかじゃなくて、歌をうたいたいって思っているはずよ」
「だけど…ウルリカは歌っちゃだめだ」
「そうよ。だけど領主さまのまえではだれかがどうしてもうたわなきゃならないの。でも私、ウルリカより上手にうたう自信なんてないわ。どんなふうに上手にうたっても、ウルリカのほうが上手、ウルリカがうたった方がよかったって、みんな言うに決まってるわ」
ソフィアはくちびるをかんでうつむきました。ソフィアはじょうずにうたうことのできるウルリカのことが、ずっと前からうらやましくてしかたがありませんでした。だからウルリカがけがをしてしまって、ウルリカの代わりにひとりで歌う役をもらったとき、本当にほんのすこしだけれども、うれしかったのです。でも、それはとってもひどいことだと思いました。だってウルリカがけがをしてかなしんでいるのに、まるでそれをよろこんでいるようではありませんか。
こんなに悪いことをかんがえるからでしょうか。ソフィアはどんなにがんばっても、ウルリカのように上手には歌えませんでした。司祭さまはとてもじょうずだとほめてくれましたが、そんなのあてになりません。ちいさい子たちが歌っても司祭さまはほめるのですから。
ウルリカにオルガンを弾いてもらいたいけれど、ソフィアはウルリカに悪いことをしているようで、どうしてもそれができませんでした。
フレデリクは、そんなソフィアの話をきいたあと、自分もウルリカをさがしているんだといいました。
「部屋にはいないの?」
「返事がないんだ」
「はいってみましょう」
ふたりはうなずいて、そうっと扉をあけました。しかしそこにはだれもいませんでした。
だれもいないかわりに何かが落ちていました。
「みて、フレデリク」
ソフィアがそれをひろってフレデリクに見せます。それは、フレデリクがウルリカにあげたバラの花のようでしたが、なぜかうすちゃいろに枯れておりました。
「…バラ、枯れてしまったんだ」
フレデリクはじっとそのバラを見ておりましたが、やがて何かを決めたようにどこかに走って行きました。
****
ウルリカがいなくなってしばらくして、フレデリクまでいなくなりました。ハンカチの話をしてから暗くなってもかえらず、朝になってもおりません。心配したフレデリクのおとうさんと司祭さまと、ソフィアのおとうさんが相談をして、ふたりを探しに行こうときめました。すると血相を変えた街の人が、館にとびこんできました。
「たいへんだ、司祭さま、たいへんだ、フレデリクが!」
司祭さまとフレデリクのおとうさんがあわてて見に行きますと、別の人に抱えられたフレデリクのすがたがありました。
「フレデリク!」
「街のはずれにある崖の下におっこちていたんだよ。水ッ気がおおくてすべりやすくて…見つけた時には…」
血だらけで。
そういう街のわかもののことばにフレデリクのおとうさんはぶるぶると震え、司祭さまがお医者さまを呼びに行きました。ソフィアのおとうさんは館のなかにフレデリクを運ぶようにいい、ちょうど空いていたウルリカの部屋にフレデリクを寝かせました。
フレデリクは崖のたかいところから落ちて、身体のあちこちを打ったり切ったりしてしまっていました。そのために、息もちいさくておとうさんが話しかけているのに答えられないくらいでした。
すぐさまお医者さまがやってきて、フレデリクのぜんぶのきずをみてくれました。しかし、しばらくするとお医者さまはむつかしい顔をして首をふります。
「これはもう、たすからないかもしれません」
「そんな」
「息がどんどん小さくなってしまっている」
「フレデリク、どうして崖から落ちたりしたんだ!」
よく見るとフレデリクの手には、スイカズラの花が付いた枝葉がにぎられていました。身体のどこにも力がはいらないのに、離すものかとでもいうように、それはしっかりとにぎられておりました。スイカズラは街のはずれの険しい道にだけ咲く花です。きっとフレデリクはそれを取りに行ったのでしょう。
「バカな。ひとりであんな危ないところの花をとりいにくやつがあるか!」
おとうさんがどんなに話し掛けても、フレデリクの目は開きませんでした。それに、もうことばを話すこともできません。それほどよわっていて、いまにも息がとまりそうです。
そのはずだったのに。
すう…とフレデリクの目が開きました。そしてこう言ったのです。
「俺は、ウルリカといっしょにいたい」
フレデリクははっきりと、そのように言いました。