003.小さな手

明日は冬のおまつりの日です。

天使の女の子はとぼとぼと歩きながら、自分が尊いと思う願いごとはちっとも見つからないと嘆きました。
悪魔の男の子はその隣を歩きながら、自分がほしいと思うものがちっとも見つからないと悲しくなりました。

「うまくいかねえな」

「……悪魔、きみも?」

「天使、おまえも?」

「うん」

おまつりの街にはいろんな人がおりました。楽しそうな恋人たちや家族たちがあふれていて、その片すみには、おまつりに乗じて好き勝手に振る舞う人たちがおります。

でも、別におまつりじゃなくたって、楽しそうな恋人たちや家族たちはどこにでもあふれていて、好き勝手に振る舞う人たちもいつだっております。

天使の女の子は思いました。

神さまが探している尊いお願いごととは、いったいどんなものなのでしょう。

悪魔の男の子は思いました。

魔王さまが探している人間の強い欲望とは、いったい何であるべきなのでしょう。

明日おまつりの日がやってくると、天使の女の子は光の国へ、悪魔の男の子は闇の国へ帰らなければなりません。それなのに、2人は何にも見つけられないでいました。

「なあ、天使が欲しいものって、なんだよ」

悪魔の男の子は、ふいに、隣をあるいている天使の女の子に聞きました。

2人は初めて顔を見合わせました。今までずっとずっと一緒に、いろんな人間のいろんな願いごとや欲しいものを見たり聞いたりしてきました。けれどこんな風に顔を見合わせたのは初めてでした。

しばらくの間、天使の女の子は悪魔の男の子をじっと見つめておりましたが、その質問にも答える事は出来ませんでした。

「いこう」

「うん」

答えることはできなかったけれどその代わり、悪魔の男の子は天使の女の子と手をつなぎました。天使の女の子はそれを嫌がらずに、手をつないだまま、ぽてぽてと歩き始めます。2人はなんとなく、街をぶらぶらと歩きました。
街の広場の片すみで、今日もエドガーが小さな子供たち相手に、雪のランタンの作り方を教えています。明日はおまつりの日ですから、今日はいよいよ本番です。子供たちは真剣にランタンを作っておりました。そうして出来たランタンを見てその出来映えに満足した子供たちは、エドガーの手にめいめいお菓子を渡しました。お菓子を取ったエドガーは、走って広場を後にします。

悪魔の男の子と天使の女の子がエドガーに付いていきますと、小さい子たちがたくさんいる場所につきました。白い服をきた男の人や女の人が何人も歩いていて、つんと薬の匂いがします。どうやらここは、子供たちだけが入院している病院のようでした。

エドガーは一目散に、ある病室に行きました。

寝台の上にはエドガーによく似た女の子がいて、エドガーの姿を見ると小さく笑って身体を起こしました。寝台の横にはちいさなお菓子が二包み置いてあって、エドガーはそこにもらってきたお菓子を足しました。

エドガーが貰っていたのは、病気の妹のためのお菓子だったのです。エドガーはまだ子供ですからそんなにたくさんお金が稼げません。だから贅沢なお菓子は妹に買ってあげられないのです。でもおまつりの日はみんなやさしく気が大きくなるでしょう。いつもより余分に分けてくれるお菓子を、大事にもらっていたのです。
病室を出た2人は、病院の中庭に出ました。

するとそこには、足を悪くしたらしい男の人が、女の人に支えられて少しずつ歩く練習をしておりました。男の人は、いつだったか見た家具職人の旦那さんで、女の人はその奥さんでした。

奥さんと旦那さんは仲睦まじく中庭をゆっくりと歩いて、ベンチに腰掛けました。奥さんが旦那さんと自分の膝に、大きなブランケットを掛けます。

「あったかいな、メアリ」

「よかった。また編むわ。こんどはギリクのマフラーにしましょう」

「お前のマフラーを編めばいい」

「じゃあ、2人分、編むわ」

そうささやきあって、笑い合っておりました。

あの日、夫のギリクはまかれた炎に気を弱くしてしまい、妻のメアリと共に生きたいと願う自分の心に嘘をついて、メアリに逃げろといったのです。しかしその瞬間、どこからか男の子の声で「バカ!」と言われたような気がしました。その声に我に返ったギリクは、常の雄々しい性格を奮い立たせて、メアリに腕を貸すよう頼みました。2人で一緒に力いっぱい家具から逃れ、間一髪、燃える家を飛び出しました。ギリクは足を傷めてしまい、お医者さまからは一生杖が要るだろうと言われましたが、2人はこうして一緒にいられるだけで充分でした。
天使の女の子と悪魔の男の子は、病院の裏口から外に出て、再び通りを歩き始めました。

すると、ある家の前を通ったとき、小さな家からこぼれ落ちる明るい笑い声を耳にしました。聞き覚えのある声だと思って足を止め、そっと中を覗き込みますと、そこには幸せそうな新婚夫婦とその家族たちが、お祝いしているのが見えました。新妻はウェディングドレスではなく普段着より少し上等のワンピースを着ております。ただ頭に花嫁のヴェールを被っていて、誰よりも幸せそうな顔をしておりましたからそれと分かったのでした。隣には新妻の肩を抱いた、優しそうな旦那さんがおります。

その家族の輪のなかに、ちいさなおばあさんがおりました。

新妻はおばあさんのもとに駆け寄って、その手を握ります。するとおばあさんはやれやれといった顔をして、手をうろうろとさまよわせ、そうっと優しく新妻のヴェールに触れました。そうして、ぽんぽん、ぽんぽん……と、まるで小さな子供をあやすように新妻のヴェールを叩きました。

新妻が顔をくしゃりとゆがめて、泣いて、笑います。そのそばに旦那さんもしゃがみこんで、深く頭を下げました。

それは薬屋のおばあさんと、弟子の孫娘でした。

あの日、おばあさんはもうこれ以上眼を悪くしてはいられないと、いつもの倍、薬草の葉っぱを飲もうとしていました。そうすれば、眼以外の身体のどの部分も悪くしてしまうでしょうけれど、自分の命は、孫娘の結婚にさえ間に合えばそれでいいと思いました。結婚式には出られなくても、お家でひとり、孫娘の幸せを祈る事ができればそれでいいと思っていました。しかし、薬草を飲もうとしたときどこからか、女の子の声で「バカ!」と言われたのが聞こえました。その声にびっくりしたおばあさんは、薬草の鉢を落としてしまったのです。薬草はとても繊細なもので、すぐに枯れてしまいました。

枯れていく薬草の葉っぱを手にとって思いました。

本当は、元気になって一人娘の娘のそのまた娘も見たいのです。本当は孫娘が幸せになる姿を見たいのです。本当は、本当は……。

おばあさんは、薬草の葉っぱを乾かすと、さらさらの粉にしました。枯れてしまった他の葉っぱも残らず粉にして、1日に1度ずつ飲みました。

この葉っぱは生のまま口にしますと強い効果で眼を良くしますが、身体を悪くします。しかし乾かして飲むと、眼はよくしてくれませんが、身体を少しずつよくしてくれるのです。眼はすぐに見えなくなってしまうでしょう。孫娘が結婚するまでのほんの2週間も、もたないかもしれません。

でも、おばあさんは、もう、それでもいいと思いました。眼が見えなくなってもお薬の瓶がどこにあるかは分かりますし、それに孫娘の頭をなでることも、孫娘のそのまた娘を抱っこすることも、もしかしたら出来るかもしれません。

そんなことを考えていると、いつのまにかイライラした気持ちもおさまっておりました。

そうして悪くなっていく眼をそのままに、静かに過ごしておりますと、孫娘の家族たちはおばあさんの家で結婚式のお祝いをしようと言い出しました。狭いお家です。お客さんをおもてなしするものも何もありません。でも家族たちは、小さなおばあさんの家で、ささやかで、そしてとても幸せなパーティーを開いたのでした。
軽やかな笑い声に包まれたおばあさんのお家をあとにして、再び天使の女の子と悪魔の男の子は手をつなぎました。お互い、なんとなしに再び広場のほうに向かいます。

悪魔の男の子がちらりと天使の女の子の横顔をうかがうと、天使の女の子はほんのりと笑っておりました。そうして……。

そうして、悪魔の男の子の方を向いて、にっこりと笑ってくれたのです。

悪魔の男の子はなんだか胸の奥のほうがほんわりと暖かくなって、天使の女の子の顔をいつまで見ていたいような見ていられないような、そんな気持ちになりました。今までそんな風になったことがなくて、これはなんだろうと思います。だけどそれを天使の女の子には何故か知られたくなくて、こんな風に言いました。

「よかったな、天使」

それを聞いて、天使の女の子は今までで一番可愛い、いちばんきれいな顔で笑って、悪魔の男の子に頷きました。

「うん」

悪魔の男の子は、そんな天使の女の子と、いつまでも一緒にいたいなと思います。

「悪魔は、何かお願い事はないの?」

「え?」

天使の女の子は、これまで見てきた人たちを助けられなかったこと、お願い事を神さまに届けられなかったことを大変悲しくおもっていました。けれどその人たちが、べつだん天使や悪魔の手を借りなくても、たとえ不幸せなことが起こっても、でもその中でちゃんと自分たちなりの次の幸せを見つけて暮らしているのを見て、なんだかとても嬉しくなりました。そしてなんだかとても切なくなりました。だって、天使の手助けも神さまへのお祈りも、そこには必要ないのですもの。

きっとこの街には、自分は必要ないのかなって、そんな風に思って、それで最後に悪魔の男の子に聞いたのです。悪魔の男の子のお願い事はなんなのでしょう。ずいぶん長いこと一緒にいた気がしますけれど、天使の女の子はそれを聞いた事がありませんでした。そうして天使の女の子がそれを尊いお願いごとだと思ったら、……神さまに届けることはできないでしょうから、そうだ、天使の女の子が叶えたらよいではありませんか。

悪魔の男の子は、そんなことを聞かれたのは初めてでした。悪魔の男の子はこれまで見てきた人たちは、とても強い欲望を持ってはおりましたが、それらはそのまま叶えられることはありませんでした。もし魔王さまにお願いしてそれが叶えられれば、旦那さんは足なんて怪我しなかったでしょうし、おばあさんは眼なんて悪くしなかったでしょう。それなのに、あの人たちは自分たちで答えを見つけて、自分たちなりにお願いが叶ったことにしていたのです。決して思い通りになったわけでもないのに。

でも悪魔の男の子は、それを見て悪い気はしませんでした。もう少し前だったら「ちぇ、おもしろくないや!」って思ったでしょう。けれどそう思わなかったのです。なぜでしょうか。

悪魔の男の子は知っております。それは隣にいる天使の女の子が、あの人間たちを見てにっこりと笑ったからでしょう。それを見て、悪魔の男の子は思ったんです。他の人間たちはどうかしらないけど、自分はこれを見たかったんだって。あの人間たちが笑って、それを見て天使の女の子が笑ったんなら、それでいいやって。

そうして今度こそ、天使の女の子は悪魔の男の子のことを見てくれました。

だからこのように言いました。

「俺、おまえと一緒にいたいな」

「うん」

天使の女の子は頷きました。そして言います。

「私も」

悪魔の男の子のお願い事は、きっと神さまに言ったらお笑いになるでしょうね。けれど天使の女の子にとっては、とてもとても大事なお願い事でした。すてきで、愛しくて、尊いお願いごとでした。街の人のいろんなお願いごと、それらに天使の女の子は必要ではありませんでした。でも悪魔の男の子は、天使の女の子と一緒にいたいって、言ってくれてるのですから。

だから、2人は光の国にも闇の国にも帰らずに、2人でいようと決めました。だってそうしなければ、2人は一緒にいることはできませんでしたから。
天使の女の子と悪魔の男の子は、しっかりと手をつないだまま、おまつり前の広場を歩きました。

街の人たちは大慌てで雪のランタンを作っていて、そのまわりでいつもより少し高いアップルパイを売っていて、いつもより少しくっつきながら恋人たちが歩いていて、いつもよりすてきなお土産を買ったお父さんが家路を急いでおります。

そんな人間たちを見ながら、2人は鐘楼の中に潜り込みました。

もうすぐ夜になって、冬のおまつりが始まります。鐘楼の番人が火を持ってやってきたのを見守りました。

鐘のところまで吹き抜けの建物の内側に、ぐるりと階段がついていて、番人の持っている灯りが上へ上へと昇っていきます。

闇の中でその音を聞きながら、その光を見送りながら、天使の女の子と悪魔の男の子はそっと寄り添って少しだけ眠りました。外はとても寒くて、この冬最後の雪がしんしんと降り始めております。2人はずっと手をつないでおりました。

「ねえ悪魔、おまつりいっしょに見ようね」

「なあ天使、おまつりいっしょに見ような」

そんなふうに、約束します。

けれど、天使の女の子と悪魔の男の子がこの街にいられる時間は、もうすぐそこまで、せまっています。

2人はしっかりと手をつないでおりましたけれど、その手はあまりに小さく見えました。