砂漠は広く、一度入り込めば、オアシスからオアシスまでの間、水も食料も調達できない過酷な場所だ。
それでも人は砂漠に魅せられる。
洞窟や廃墟に魅せられて旅をする者が多くいるように、砂漠もまた例外ではなかった。
そういった、ある意味狂ったともいえる人間が集まり、その人間が落す品物を目当てに別種の人間が集まり、さらに、他では受け入れられなかった人間達が集まり、人々は大きなオアシスに身を寄せ、バザールを作り、定住し、それは砂漠の街となった。
そのような街の1つに、隻眼の男が歩いていた。
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「これは魔女の治癒薬だな。しかも3本だと?…そうとう高価なもんだが、買い取れない。」
「買い取れない…? なぜだ。」
「魔女の治癒薬の意味を知らないか。どんな王侯貴族が欲しがっても、気まぐれにしか与えない幻の薬だ。魔女が作る薬は他にもある。そういう類なら市場に出回ることもあるし、力のある商人なら発注もするがな、この薬はダメだ。市場に出したら混乱する。」
「あんたなら、裏の市場にも売り出せるだろう。」
「裏市場にだって決まりごとがあるんだよ。こんなもんを市場に出せる人間がいると、知られるだけでも命が狙われる。」
「……………。」
隻眼の盗賊は、なじみの商人に奪った品物を売りに来ていた。裏にも表にも顔が利き、当然、自分のような者からも平気で品物を買い取って商売をする類の人間だ。その商人の言葉を聞いて、顔を顰めて薬瓶を見下ろす。商人に取って、盗賊は上客だ。彼が売る品物は、金振りのいい裏の市場でまわせば、非常に高く、効率よく売却できた。だが、彼は抜け目の無い人間でもあった。自分の身を危険にさらすような、一か八かの大きな賭けには手を出さない主義である。当然、目の前の薬瓶には手をつけない。
「どうしてもと言うなら、自分で使うといい。手を傷つけて、飲むなり塗るなり。」
「どういう意味だ。」
「やってみりゃわかる。」
盗賊は返事をせずに薬の瓶を鞄にしまった。代わりに、いくつかの鉱石が入った袋を置く。
「ならば、これは売れるか。」
「おいおい、これは、また…。」
「売れんのか。」
「いや、これは売れる。そうだな、こんなもんだ。」
商人は、金貨を10枚を押し出した。盗賊が、1つしかない目を僅かに見開いた。盗賊に石の価値など分からないが、磨かれてもいない石3、4個がこれほどの価値になるとは思えなかった。逆に胡散臭げな顔をして、商人を見遣る。この件に関しては交渉するつもりのない盗賊は、ふん…と肩を竦めた。
「それほどに価値があるのか。」
「あるな。どれも魔女の好む鉱石だが、不純物が少なく削り取れる部分がとても多い。…おい。」
「なんだ。」
「まさか、魔女を狩ったんじゃないだろうな。」
商人が鉱石をしまいながら盗賊に訊ねた。盗賊は黙って金貨を受け取って自分の財布に突っ込むと、机に肘を付き顎を撫でた。
「あんたにそういうことを聞かれるとは思わなかったな。」
「砂塵の魔女か。」
「…………。」
盗賊は是とも否とも、返事をしなかった。
「まあ…砂塵の魔女が狩られるわけがないがな。魔女がらみのブツが出てくるのは歓迎だが、あまりそのつながりを表に出すなよ。」
「表に出せばどうなる。」
「魔女は人の世には無害な存在だが、生み出す薬や魔力を求める欲深な人間もいる。」
「あんたらしくもない。」
「そうか? 市場に、魔女の品物が出なくなるのは困るからな。」
「そういうものか。」
「そういうものさ。」
盗賊は立ち上がると、荷を纏めた。それを見送りながら、商人は、盗賊が腰に佩いた見慣れぬ短剣と、それに絡まる鎖と石に目を留めた。
「おい、その短剣と石は売ってくれんのか。」
「これは駄目だ。」
「だが、鎖は切れているようだぞ。」
「直せるか。」
「直したいのか。」
「ああ。」
「それなら、お前がいつも武器を調達している店に持っていけ。あそこの爺さんは、あれでもそういうもんを直せるからな。」
盗賊はそれには返答せず、ひら…と手を挙げて店から出て行った。
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簡素だが安っぽくは無い造りの一室で、隻眼の盗賊は、なじみの娼婦を抱いていた。
盗賊の硬い猛りを口に含み、音を立てて卑猥に娼婦はそれを舐めている。盗賊はそれをじっと見つめていた。娼婦は自分の行為を見つめている盗賊の、心ここにあらずといった風な様子に顔を上げる。どこか面白いものでも見るように笑った。
「いつもと様子が違うね?…なんかあったのかい?」
「何がだ。」
「別の女のことを考えてる顔をしている。」
盗賊は隻眼を細めた。娼婦の小さな頭を軽く掴み、自分の陽根へ無理矢理近づける。そこが娼婦の口に再び包まれたのを確認すると、掴んだ頭を動かし始めた。娼婦は苦笑して、口からそれを外す。
「お待ちよ。そんな気分じゃあ、抜けないだろう。」
娼婦はペロンと盗賊のものの先端を舐めて、その鋼のような身体をゆっくりと這い登った。自分の秘所を大胆に盗賊に沿わせ、ゆっくりと沈めていく。盗賊は特にその行為を咎めず、娼婦の腰に手を添えてやった。娼婦は盗賊の肩に手を置いて、やがてそこが完全に密着しあう。
「ねえ、誰のことを考えてたのさ。」
「別に、誰も。」
「それならアタシのことを考えているとでも言やいいのに、正直な男だね。」
盗賊は身体を起こすと、娼婦の豊満な乳房を口に含んだ。じっくりとそこを舐りながら、掴んだ腰を引き寄せるように促す。娼婦は、その催促に合わせて動き始めた。盗賊は焦れたように、腰を強く打ち付ける。
「…ぁっ…んっ…なに、いつもより、激しいじゃ、ないか。」
「しゃべると舌を噛むぞ。」
「…んっ…」
幾度目かの動きの果てに、盗賊が娼婦の中に自分を放つ。…はあ…と娼婦が荒い息を付くと、盗賊から自分を外してその身体に体重を預けてきた。盗賊はその豊かな身体を引き寄せてやりながら、やはりどこか遠くを見つめているようだった。その表情を娼婦は楽しげに見ながら、盗賊の抱き寄せる腕から逃れて傍らに肘を付く。
「魔女でも抱いたかい?」
その言葉に、盗賊の隻眼に光が不意に宿る。その鋼色の瞳の動きに、娼婦が色っぽく笑んだ。盗賊の胸板を指で、つぅ…となぞる。
「あんたの身体から、魔女の香りがするよ。」
盗賊は娼婦の腕を掴んだ。急に意志を持ったその行動に、娼婦はきょとんとした表情を浮かべ、次いでころころと笑った。
「ああ、何だ、まさか図星かい?」
盗賊は何か言いかけたが、やがて手を離して小さく舌打ちをした。先ほど商人からも似たようなことを指摘されたばかりだった。盗賊とて、砂塵の魔女という存在を知らぬわけではない。女が足りないと思っていたときに、魔女がいた。盗賊にとってはそれだけだったはずだ。
「やめておけと忠告されなかったのかい。」
「魔女のことを知っているのか。」
「アタシたちの間では有名さ。魔女は女じゃない。魔女だってね。…本当に抱いた男は見たことがないけどねえ。」
そうして、娼婦は御伽噺でも聞かせるかのように語った。
「1度抱けば忘れられず、2度抱けば虜になる。3度抱けば離れられず、4度目には魔女のものとなる。」
盗賊が眉を潜めて、娼婦をまじまじと見つめた。くす…と娼婦は笑って、盗賊の髪を払った。
「なんて…。信じたかい? 魔女に夢中になってしまってはいけないよ、って、男たちに忠告するただの寝物語さ。でも…」
娼婦は盗賊の首元に顔を近づけた。匂いを嗅ぐようにすうと息を吸い込む。
「あんたから魔女の香りがするのは、本当だね。」
「ならば、お前の香りで消すがいい。」
「ははっ、光栄なことだ。」
盗賊は娼婦に覆いかぶさった。どこか苛立たしげなその行為に、娼婦は再び苦笑を浮かべる。盗賊は、この街に来たときには必ず自分のところに立ち寄る馴染み客だ。男の様子の変化など、娼婦にはすぐに分かる。そして、盗賊から香る、どこか不思議な香りは娼婦には覚えがあった。
娼婦は、自分が初めてこの砂漠の街にたどり着いたそのときに、砂虫に噛まれて街の外で震えていたのを、黒いローブを被った女に助けられたことがあった。膝を抱えて泣いていると、急に風が変わり、鼻をくすぐるのは優しい魔女の香。自分に落ちた影に顔を上げると、そこに黒いローブの女が居た。その女は、娼婦の噛まれた手を黙って取って、小瓶を取り出して中身を降り掛けたのだ。たちまち噛まれた痛みが消え、毒が回りかけていた腕が軽くなった。何かを言いかけた娼婦の唇を、そっと人差し指で触れて黙らせる。女は小瓶を娼婦に握らせて、そして街には入らずに、砂漠の向こうへ消えてしまったのだった。
やがて、砂漠の住人になって彼女は知る。あの女が、砂漠を渡る旅人達から、畏怖と憧憬を込めて「砂塵の魔女」と呼ばれている存在であることを。
魔女は女ではない。
だから、普通の男は相手にしないのだと、それは娼婦が客に聞かせる寝物語だ。
まさか、その魔女の香りを放つ男がいるとは思わなかった。
そしてその男が、自分の馴染み客だったとは。
自分の客はそこいらの男とは違うのさ、なんて、若い娘のような馬鹿げたことを思ったことはなかったが、それでも。
魔女の香を纏う盗賊は、今までのような気安い存在ではなくなったような、まるで魔女と等しい存在になってしまったかのような。そんな気がした。