小さなお菓子と訪問者

「魔王様は案外近くに」用小話。
「悪魔と召喚主シリーズ」とのコラボ話注意。


人間の子供? ……いや、子供というには大人っぽい。葉月が見たところ、16,7歳と言ったところか。少し小柄で華奢な女の子と瞳があった。

「こんにちは?」

「あ、こ、こんにちは。……あの」

「あの……」

「人間ですか?」

葉月と少女の声が愛らしく重なる。

しかし、その平和な邂逅のそれぞれの後ろで、漆黒の体躯の悪魔と漆黒の6枚羽の魔王が、ギリギリと魔力を放出して対峙していた。

****

ルチーフェロとその妃である葉月が、魔界の魔王の庭を散策しているときだ。突如、巨大な闇の塊が葉月の目の前に落ちてきた。きゃ……!と悲鳴を上げる前に、異常を感じた魔王に葉月の身体が抱きすくめられる。2人の眼前に現れたのは、漆黒の体躯に血色の文様を這わせた闇の存在。それは身体と同じ漆黒のコウモリ羽をはためかせ、紅い眼光を揺らめかせた。そして、腕の中に何かを抱えている。

「……貴様」

「久しいな」

魔王ルチーフェロが葉月の身体を抱き寄せたまま、低い声を発する。それに短く答える漆黒の悪魔の声はそれよりもさらに重く低い。

「ぬけぬけと。……随分、遊んでいると聞くぞ、ア……」

「ねえ、下ろしてよ。おーろーしーてー」

「王よ。ぬしこそ魔力無き人間に現を抜か……」

「女の子? 制服かしら、かわいい」

「ふん……俺は己の心のままに伴侶を見つ……」

「ちょっとおろしてってば!」

「我とて遊んでいたわけではなく、召喚主の……」

「ねえ、ちょっと高司さん離して、あ」

漆黒の悪魔の腕の中から、何かが動き、飛び降りた。バランスを崩しそうになるその何かを、ルチーフェロの腕から逃れた葉月があわてて助け起こす。

「きゃ」

「危ない」

葉月の腕の中で、可愛らしい少女が小さく首を傾げた。

「あ、あの、ありがとうございます」

「いいえ、大丈夫だった?」

「はい。……ええと……」

葉月危ないその黒い悪魔に近づくなやめろと訴えるルチーフェロと、だから転倒するのだ怪我をしたらどうするのだと不機嫌な悪魔を完全に無視して、少女がにっこりと葉月に笑う。

「こんにちは?」

珍しい、別の界の人間の少女に葉月は出会ったのだ。

****

魔界を留守にしていた上位2位の存在が、唐突に帰還した。その事実に城内は騒然としている。

「魔王様!」

「なんだ、ダーガン!」

「あ、あ、ああの……!」

「あいつか、あいつが現れたのか!?」

「……魔王様と葉月様の分だと言ったのですが、無理やりっ……」

「そうか……いや、抵抗しなかったのは賢明だ。しかし、くそっ……!」

ルチーフェロは城内の漆黒の存在に集中した。葉月があの悪魔の連れてきた少女とうっかり仲良くなってしまい、一緒になってお茶を嗜んでいるのだ。その少女の安全が確保されたのをいいことに、あの悪魔は城の厨房の菓子部門に姿を現したらしい。

「む……。葉月!」

そして、その魔力は葉月の部屋に現れたようだ。

すぐさまルチーフェロもその場に現れ、お茶を嗜んでいる葉月と少女を間に挟んで悪魔と向き合った。不敵に笑う悪魔と、それを受け止める魔王。一触即発の空気の中、葉月と少女は穏やかに談笑している。

「帰還するなり厨房へ押し入るとは、随分と勝手な真似が過ぎるのではないか……ア、」

「美味しかった? もしよかったら、少し持って帰るといいわ。ダーガンさんに頼んでみるから……」

「……ほう。我を誰と思っているのか、王よ。勝手な真似だと言われる覚えは……」

「本当ですか、ありがとう、葉月さん!」

「……」

魔王との会話の途中、悪魔がゆっくりと少女を見下ろし、……きわめて不機嫌そうに表情を動かした。それを見上げて、少女が僅かに身を竦める。テーブルの皿の上には色鮮やかな丸い焼菓子が盛り付けられていて、どうやら少女はそれをご馳走になっていたらしい。少女はもう1つ焼菓子をいただこうと、薄茶色の小さな固まりをつまんでいる。マカロン……という、葉月や魔王の好きなお菓子だ。

「な……なに? どこ行ってたの」

悪魔はその質問には答えず、別の質問を少女に投げた。

「それはなんだ」

「え?」

「もらったのか」

「うん」

「誰に」

「葉月さんに」

室内の視線が一斉に葉月に向けられる。悪魔の鋭く静かな眼差しに射竦められたように葉月がびくんと身体を揺らしたが、それをかばうようにルチーフェロが抱き寄せる。その様子をうっとりと少女が見て、その少女を見下ろしている悪魔がさらに声を低くした。

「どれを食べた」

「え?」

悪魔が不機嫌な声そのままに少女に問いを重ねた。

「どの色を食べたのかと聞いている」

「えっと……このオレンジのやつと、黒いつぶつぶのやつ」

「オレンジ味と黒ゴマ味ね」

少女がテーブルの上のマカロンを順々に指差したのを見て、ルチーフェロの腕の中で葉月がにっこりと補足する。

「それでこの薄茶色のいい香りのやつをこれから……あっ!」

悪魔が少女の腕を取って、つまんでいるそれを少女の指ごと自分の口に入れた。

「ちょっとなんで食べるのよもう!」

少女が盛大に抗議しながら指を拭き拭きしていたが、悪魔は無表情…いや、何度も言うがきわめて不機嫌な顔で手に持っていたバスケットをテーブルに置いた。その中から先ほど少女が食べようとしていた色の小さな固まりを1つ取り出すと、強引に少女の顎を掴み、親指で唇に触れる。

「口を開けろ」

「んあ?」

素直に少女が口を開けると、そこにマカロンが放り込まれた。もぐもぐと少女がそれを味わう。

「美味しい」

少女の顔が嬉しそうにほころぶのを見て、悪魔が実に得意げにふふんと笑った。だが、少女は悪魔ではなく葉月に向かって身を乗り出す。

「葉月さん、これ、何味?」

「さっきの色は多分紅茶ね。アールグレイ」

「いい香り」

「アールグレイならまだある、持って帰ればいい」

「本当ですか?」

口を挟んだルチーフェロを、期待に満ちた顔で少女が見上げる。その様子に、悪魔がぴくりと片方の瞳を動かし、唐突にその小さな身体を腕に抱き上げた。少女の身体を片腕に乗せて持ち上げ、唇の端についていた菓子の欠片を吸い付くように舐め取り、ついでに悪魔の唇を押し付ける。人前で口付けするというその行動に、やめてよ!……と少女が抗うが、悪魔はその身体が落ちない様にさらに腕をきつくしただけだった。見せ付けるようにもう一度唇を舌で舐めて、ニヤリと悪魔が笑う。

「案ずるな。その菓子ならば我が全て持ってきた。帰ってゆっくり味わえばいい」

「え? 持ってきたって、どこから……」

後半咎めるような口調になった少女にルチーフェロが視線を向け、さらにテーブルに乗っていた別の焼き菓子を薦めようとした。

「なんだ、必要ならまだ……」

「ルチーフェロ」

だが、葉月がルチーフェロの口を手でそっとふさぐ。む……と困った顔で、口を閉ざされた魔王は、葉月のその手を掴んだ。だが魔王が何かを言う前に、悪魔が2人を眺めて、バサリと羽をはばたかせる。帰るつもりらしい。

「邪魔をした」

「あ、葉月さん!……あの、これ……お菓子たくさん持ってきちゃったみたいで……」

「大丈夫よ、ダーガンさんとルチーフェロには、私からお願いしておきます」

少女が悪魔に持たされたバスケットにはたくさんの様々な焼菓子が入っていた。それを見た葉月が笑って頷く。悪魔と少女を包み込んだ闇が消える直前、愛らしい少女が葉月に向かって手を振った。

「かっこいい旦那さま、仲がよくてうらやましいです! それじゃあまた、さよなら!」

「ありがとう、またね」

優しい笑顔で葉月が手を振り返す。ルチーフェロは何がなんだか分からないまま、ぎゅう…と葉月を後ろから抱きしめた。

「なんだったんだ、あいつは……」

「ね、高司さん、今の女の子ね……」

葉月がくすくすと笑いながら魔王の手を引いて隣に座らせた。招かれざる訪問者に渋面を作る魔王へ、あの少女とどんな話をしたのかを楽しげに訊かせ始める。

一方、とある少女が魔王と妃を「かっこいい旦那さまと仲のよい綺麗な奥さま」と評した事について、悪魔による無言の…あるいは行動による抗議が一晩中続いたのは、また別の界の話である。