ちいさなコイン

「傭兵将軍の嫁取り」用小話。
「ソードブレイカー」と微妙にリンクしています。


とある宿屋の一室で、1人の女が机に向かってなにか書きものをしていた。時折羽ペンを宙に浮かし、頬杖をついて何事かを思案している。女の顔を象るのは顎のラインで切りそろえた黒い髪。黒い瞳は楽しげに細められていて、時折まばたきをすると扇形の長い睫毛が揺れる。薄い唇は涼しげに笑みを浮かべ、思案が終わると再び羽ペンを動かす。

部屋の扉が勢いよく開いた。

「おい。おまえの言ってた情報、一応仕入れてきたぜ」

扉を開けた人間は入ってくるなりそう言って、遠慮なく部屋を横切り女の机のところまでやってくる。短く刈った髪に鋭い体躯の男だ。目つきもするどく風体は剃刀のようであるのに、口調も歩き方も飄々としていた。女がちらりと視線だけを気配の方向へ向けて、「ああ」と言った。

「ノックくらいしろと教わらなかったか?」

「悪ぃが、そんなご丁寧な教育は受けてないもんでね」

笑みを含んだ軽薄な声で男が肩を竦める。書きもの机のところまでやってきて、机の端に置いてあった1枚の金貨をひょいと手に取った。

「なんだこれ、送るのか?」

男が金貨を光にかざすように見つめていると、女が、はっ…と笑った。

「その金貨、呪いが掛かっているぞ?」

「は、はあ!?」

男がぎょっとした顔で女を見下ろす。その様子を楽しげに見上げて、女の表情が悪戯げな笑みに変わる。

「あいかわらず、お前はうかつだね」

「……くそっ、何の呪いなんだよ!」

「さてね。……それはお前にあげよう。お前が手に取ると思って、別の金貨を用意しておいたから」

「……てめえ……」

女が机の上の封筒をめくると、その下にもう一枚、金貨が隠れていた。書き終わった書簡を丁寧に折ると封筒に入れ、その中に金貨も一緒に入れる。

「おい! お前が掛けたのか、なんの呪いなんだよ!」

「さあ? お前がうかつなのが、いけないのだよ」

「だからー!」

頭の上でぎゃあぎゃあと騒ぐ男を軽く無視しながら、女は封蝋を手に取って、もう片方の手をかざした。ふ……と息を吐くと、その手の指先に炎が灯る。炎で蝋を溶かして封の合わせ目に落とし、傍らに置いてあった印璽を押した。

女が席を立った。少し下がって、男がいぶかしげに女を見つめる。それを強い笑みとまなざしで見返しながら、男が手に取っている金貨を、す……と取り上げた。先ほど男がしたように、光にかざして裏と表を見る仕草をする。

「まあ、お前が手に取ったのだから、これはお前のものだ。使わずに持っておくといい」

「は? だから、何の金貨だ……って」

「間違えて使うなよ? その店の商売がうまくいくかもしれない」

「はあ?」

「落として誰かに拾われれば……ああ、本当の『ひろいもの』かもな」

「はああ?」

「大切に懐にでもいれておけ」

「あいかわらず、訳のわかんねえ女だな……」

「おや、なまいき。そのような女の従者のくせに」

「うるせえ、それはお前が」

男の言葉を制するように、女が金貨を指で弾いて放り投げる。言葉を止めた男がパシッと受け取って、憮然とした表情で、……それでも、財布にいれずに金貨を懐に入れた。

「さて、と」

女が美しい唇を尖らせて、ヒュウ……と口笛を吹くと閉ざされていた窓のガラスがコツンと鳴った。女が手を伸ばして窓を開けると、一羽のつぐみが縁にちょこんと止まっている。よくよく見ると、腰にベルトを巻いて細い楊枝のような剣を差していた。つぐみはひょこんと頭を下げると、用向きを待つように首をかしげた。

その様子を男が眺めている。男はよく知っている。その鳥は、女の使い魔だ。

「つぐみの騎士カイム。この手紙を届けておくれ」

つぐみの騎士は、片方の足を持ち上げてその手紙の端を掴むと、ハタハタ…と飛び立って、手紙ごと空に消えた。窓からは爽やかな風が部屋に吹き込み、女の髪を揺らす。しばらくの間、沈黙が落ちた。つぐみの騎士が消えた方向を女が美しい横顔で見つめていて、その横顔を男が見つめている。

やがて、ふ……と女が息を吐いた。窓を閉めながら、男を振り返る。

「……で、どんな情報を仕入れてきたって? 食事はまだだろう。昼でも食べながら聞いてやろうじゃないか」

「そりゃわざわざどうもご主人様。……ホスフォーン遺跡の警備が、ゆるくなったって件だ」

男がふざけたような口調で女を「ご主人様」と呼んだ。しかし別段それを気にする風でもなく、女は難なくその言葉を受け止めて内容を吟味する。

「ほう。あいつらめ、やっと動いたか」

ならば作戦を練るか……と言いながら女が颯爽と部屋を出て行くと、その背を守るように男が付いていく。「そういえば」……と女が足を止めた。後ろを歩いていた男の胸が、立ち止まった女の背を受け止める。まるで恋人同士のような距離で、女が男を見上げた。

「おまえ、傭兵将軍と呼ばれる男を知っているか?」

「あ? カルバル王国の傭兵将軍か。知ってるぜ。カルバル王国北方の虎だろ」

「ほう、虎」

ふうんというような顔で、女がひとつ頷いた。

「なんだ。その男に用でもあるのか?」

「いいや。でも成る程、虎か。いい男なんだろうな」

男が眉をぴくりと動かし、面白くなさそうな表情で何かを言い掛けたが、それが言葉になる前に再び女が軽やかに歩き始める。少し男が歩みを速めればすぐに追いつき、隣に並ぶ。男が、ふん……と肩を竦めた。

「国境を守る虎、それを支える黒い牝鹿」

「鹿?」

「奥方が、これまた恐ろしい虎に不似合いな美しい鹿なんだとよ」

「不似合い……か、それはいい」

はははっ……!と実に楽しそうに女が笑った。そんな女の表情を見下ろしながら、男は悪くない気分で顎を撫でる。いつもの挑戦的な笑みで、女が男を不意に見上げた。

「虎か。一度会ってみたいものだ。なあ」

「あ? 野郎にゃ興味ないね。俺は鹿とやらを拝みてぇな。……おい、ハウメア」

「なんだい、ケレク」

「昼飯は肉がいい」

「おやおや、ぜいたくな従者だこと」

女は男の主人。男は女の従者である。

とある国のとある宿屋。とある一組の男女、主人と従者は連れ立って秘密めいた会話を楽しみながら、昼の雑踏へと紛れ込んでいった。