瞼:憧憬(『ピウニー卿の冒険!』)

『ピウニー卿の冒険!』より、ピウニー卿とサティ。


オリアーブの王都。高位貴族達の邸宅が多く立ち並ぶ高級住宅街から少し外れた、どちらかというと草木などの緑が多いまだあまり整備されていない一角に、居心地のよさそうな小さな邸宅がある。小さい……とは言っても手入れはきちんとされており、趣味のよい高位貴族の別荘のような佇まいだった。

そこに荷物が運ばれ、見るからに立派な青毛の馬がつながれたのはここ最近だ。

しばらくの間は何かしらの業者が出入りしていて、それが落ち着いた後は多くの客がひっきりなしに現れた。そうして、ようやく閑静な様子を取り戻す。

その邸宅の、庭に向けてしつらえた大きな掃き出し窓が開かれて、セピア色の長い髪を揺らしながら1人の女が楽しげに出てきた。さらに女に手を引かれながら、精悍な顔立ちの男が現れる。

「サティ、そう走るな」

「平気よ、ピウニー。ねえ、庭にベンチとテーブルを置いてもいい?師匠の家みたいに」

「そういえば、庭はまだしっかりと手入れしていなかったな」

「手入れなんているの?今もとても綺麗に見えるのに」

ピウニー卿は余所見をしながら自分を振り向くサティの腕を引き寄せると、後ろから抱き寄せた。

「ほら。あまり走るな。庭は逃げないから」

「分かってるってば。ねえ。庭に何が生えているか、見てから手入れをお願いしてもいい?」

「好きにするといい」

サティはピウニー卿の腕の中でじたばたと暴れていたが、離そうとしないピウニー卿にあきらめて、やがて大人しくなった。

この邸宅は、ピウニー卿がサティと共に暮らすために買い上げたものだ。国王の覚えもめでたい竜剣の騎士ピウニー卿と、その妻である魔法使いサティが、新たな生活を迎えるための拠点。要するに、新婚夫婦の邸宅である。ピウニー卿の財産ならば実家近くの住宅街に家を持つことも出来たのだが、出来れば静かで緑のある程度豊かなところがいい……と2人で決めた場所が、郊外のこの邸宅だった。

アルザス伯爵家ほどの広い屋敷ではないが、剣の稽古をつける修練場も、サティのための書庫兼書斎も、愛馬シャドウメアをつなぐ厩も用意できた。アルザス家に仕えている信頼出来る使用人夫婦も雇い入れ、もし旅で家を空ける事があっても、いつ帰ってきてもいいようにしておくつもりだ。

まさか旅鳥のような生活をしてきた自分が、妻を迎えて、家を持つとは……と、ピウニー卿は感慨深かった。サティと共に旅をするのも楽しいが、こうしてひとつの場所に落ち着き、夫婦とか家族とか……そういったものを築き上げるのもきっと楽しいだろう。ようやくそう思えたのは、サティが隣にいるからだ。

腕の中のサティが、うむう……と唸った。

どうしたのかとピウニー卿が見下ろすと、少しだけ不安そうな瞳でこちらを見上げている。

「……あのね、ピウニー。私、……その、いい奥さんになれなかったらどうしよう」

「ん?」

「……だって。こういうの、初めてで分からない事ばっかりだし……」

「ああ」

ピウニー卿がサティの言いたいことを理解して、笑って頭を撫でた。

サティには両親がいない。物心ついたときに魔法使いの素質を理の賢者に見出され、ほんの小さな頃から理の賢者の下で、魔法使いの弟子として育ったのだ。もちろん、理の賢者の下で大切に育てられたに決まっている。愛情も教養も知識も仲間も、ずっと側にあったはずだ。だが恐らくは、ピウニー卿のように仲睦まじい両親が揃い、妹や弟がいて、学校に通って学友がいて……などという環境とは、全く異なった環境で過ごしてきたはずだ。それがいいとか悪いとか、そういうことでは全く無いが、サティはピウニー卿の弟や妹、父や母を、時々あこがれのような眼差しで見たり、話したりすることがあった。

それでも、サティにも家族や家庭を持たせてやりたい……などと、おこがましいことを思ったわけではない。

「安心しろ。俺だって誰かの夫になるのは初めてだからな」

サティがきょとんとした顔でピウニー卿を見上げた。

「好きな女と旅をしたいと思ったことも、夫婦になりたいと思ったことも、こうして家を持とうと思ったことも、初めてだ」

その言葉を真剣に聞いているサティの表情に、ピウニー卿がふ……と笑う。顔を下ろすとグリーンの瞳が閉ざされたから、その瞼に、唇で触れた。そのまま少しずれてもう一度。さらにずれて、咥えるようにもう一度。顔を離すとサティの瞳が開いて、綺麗なグリーンが潤んでいる。

「俺がいい夫になれないと思うか?」

「思わない」

「そうだろう」

子供をあやすように、ピウニー卿がサティの頭を撫でる。もう一度瞼の横に口付けた。

「別にお手本なんてない。俺達の好きなようにすればいい」

お手本も決まった形も何も無い。2人で旅をしようが、この家でいずれ家族が出来ようが、それが2人の形だ。「だが、まあ」……ピウニー卿が無精髭をざらりと撫でる。……本来は、ただ、サティと共にずっと一緒に在りたい……一緒に生きていきたい、そう思っているだけだ。

サティが、ぎゅ……とピウニー卿の首に抱きついた。


【後書き】

このお題、ちょっと悩みました。時系列的には最終話(結婚後の方)の後の話になります。やっとピウニー卿もオリアーブに落ち着くかな……というところです。

ピウニー卿って変人が揃っているヒーローの中でもかなり真面目な部類(だと思われる)に入るので、キスも真面目です。だから何だか、ピウニー卿の割に普通の話になってしまいました……。それにしても、結婚したから余裕ぶってる感じが、アレです(どれだ)

サティは、いわゆる普通の「親子」とか「兄弟」みたいなものを経験した事が無いので、憧れ半分、自信の無さ半分、みたいなところがあります。まあ、これが伯爵家の奥方……とかになったら修行が必要ですが、今のところサティが多少ずれた奥様でも世間的には何の問題も無いと思います。むしろ、多少ずれた奥様の方が楽しいですけどね。私が。