『傭兵将軍の嫁取り』より、ラクタムと仔リス……じゃなかった、スフィル。
たとえば、目の前に懐く直前の……もしくは懐いたばかりの小さな動物が、瞳を閉じて眠っているとしよう。ふわふわの毛皮は心地よさそうに上下していて、吐息は温かく規則正しい。時々、ぷるぷると頭を振って、再び眠りに落ちていく様子を見ていると、その愛くるしさに口を慎んでしまうのと同時に、起こすか起こさないかのギリギリの、独特の緊張感に襲われる。
眠っている様子をずっと見ていたい。でも、びっくりして起きてしまう瞬間も見てみたい。
手を伸ばして、そうっと撫でてみたらどうなるだろう。
****
これは忍耐力を試されているのだろうか。
ラクタムの目の前には、一匹の仔リス……いや、スフィルがすやすやと眠っている。暖かな午後の日差しが差し込む、ケテン砦の書庫。ジオリールの奥方シリルエテルのために整備したこの書庫に、ラクタムは過去の領主とその領主が編制していた護衛や傭兵らの記録を閲覧するためにやってきていた。
すると、書庫の奥、大きなガラス窓がしつらえてあるすぐ側の読書用の長椅子で、心地よさそうに眠っているスフィルを発見したのである。
ソファの半分ほどを使って柔らかな背もたれに身体を沈め、膝の上には小難しそうな魔術書が開いている。午後の用件は終わったのか、シリルエテルの許可を得て勉強しているのか、……いずれにしても、日差しが心地よく降り注いでいて、午睡に誘われるのも無理は無い。
起こさないように気を遣いながら、ラクタムはスフィルの隣に座ってみる。そっと覗き込むと、綺麗な睫は下を向いていて、少し開いた唇からは心地よさげな吐息が零れていた。前髪がふんわりとおでこに掛かっていてそれを指で払うと、一瞬くすぐったそうに瞼をぎゅ……と動かした。起こしてしまったかとひやりとしたが、再び吐息が安定する。
可愛いなあ。ずっと見ていたい。
しみじみそう思ったが、このまま起こさずに寝かせておく……というわけにはいかない。もうしばらくすると夕食の準備が始まる時間だ。シリルエテルはスフィルが寝坊してしまったからといって叱りはしないだろうが、スフィル自身が落ち込む姿が目に見える。
「……スフィル殿」
起きない。
そっと手の甲で頬に触れて、もう一度呼んでみる。
「スフィル?」
やはり起きない。
こう起きないと、悪戯を仕掛けたくなる。だが、それでもし、今まで懐いていた仔リスを怖がらせてしまったらどうしようか。……ラクタムはしばらくの間葛藤していたが、やがて小さく笑って、スフィルの顔に唇を寄せた。
品よく通った鼻梁に、ちゅ……と唇で触れる。
「……ぅぅん……」
むずがるような可愛らしい声は聞こえたが、まだ起きなかった。ラクタムは少しだけ眉根を寄せる。よくよく考えたらここにいるのが自分だからよかったものの、こんな風に無防備に寝顔を晒していたかと思うと、妙に腹立たしい。
「スフィル、起きて下さい」
今度は少し強めに吸い付いた。
「ふえっ!?」
途端、素っ頓狂な声が響いて、がばりとスフィルが身体を起こす。ラクタムがそれを抱き寄せるように受け止めて、きょろきょろしているスフィルを支えた。一瞬状況が把握できていなかったスフィルが、近くにあるラクタムの顔に驚いて身体が固まる。その後、盛大に真っ赤になった。
「え、えええっ!?ラクタム様!?わ、わた、私っ」
「落ち着いてくださいスフィル殿。……その、呼んでも返事をいただけなかったので、どうしたのか……と思って」
確認しようとしたら、目が覚めてしまって……と、ラクタムが苦笑した。顔が近くてびっくりしたけれど、確認……顔を覗きこまれていたからあんなの近かったのか……と、スフィルはほっとするのと同時に、ほんの少しだけ残念に思った。
「すみません。驚かせてしまいましたか?」
「え、……いえ、あの、こちらこそ私、眠ってしまってて」
「いえ。……本当は、もう少し休んでいただいた方がいいかと思ったのですが……」
寝顔を見られたことに焦って、自分の頬に触れたり髪を直したりしつつ、徐々に心が落ち着いてきたスフィルが、きょろきょろと周囲を見渡す。窓の外はずいぶんと日が落ちていて、もうそろそろ夕食の準備をしなければならない時間だ。
「いいえ、あ、起こしていただいてありがとうございます……?」
「いえいえ」
疑問系になったのは、いまだにラクタムがスフィルの肩を掴み、軽く抱き寄せているからだろう。しかしスフィルがそれに気付いて何かを言う前に、ラクタムが名残惜しげに少し腕に力を入れ、余韻を残して離した。椅子から立ち上がり、エスコートするように手を差し出す。
「立てますか?」
「は、い」
いまだ完全には覚醒していないスフィルは、ついついラクタムの手を取ってしまう。
「本は、このまま?持っていきますか?」
「あ、持っていきます。あの……」
「はい」
さりげなくラクタムの腕がスフィルの腰にまわされている。それに気付いて何かを言おうと思ったのだが、とがめるにはあまりにも自然で、寄り添った距離感がなんとなく居心地がよくて、スフィルは首を振った。
「いえ……なんでもありませんわ」
結局スフィルは図書室を出るまで、ラクタムの腕に頼っていたのだった。
【後書き】
これは割とすんなり思いつきました。
「愛玩?そりゃ仔リスだろ!」って思った人はいらっしゃるでしょうか。私は思いました。というわけで、この話です。お姫様のお目覚めはやっぱり王子様からのチッスですよね。
腹黒そうに見えて実はヘタレっていう男が多くて申し訳ない。……というか、ラクタムの場合は普通にヘタレなのかも。さりげなく呼び捨てになんかしちゃったりしてますけど、目が覚めたらまた元に戻る仕様です。