唇:愛情(『獅子は宵闇の月にその鬣を休める』)

『獅子は~』より、アルハザードとリューン。


リューンは陽王宮に設えた自室のバルコニーで、弓なりの月を見上げていた。

その日の夜はアルハザードと2人でしばらくの間、酒精を嗜んでいた。リューンは酒杯を置いて、少しだけ酔った頬を冷まそうと、夜風に当たっていたのだ。

不思議なことに、リューンが……龍がかつて生きていた世界とこちらの世界では、天の形が同じだ。「太陽」があり「月」がある。それがかつての世界と同じ物質なのかは知れないが、空には昼間地上を照らす光と夜を彩る闇があり、月は日によって形を変えた。

ただ、こちらの月には満月というものが無く、完全に満ちることなく再び欠けていく。

その似て非なる満ち欠けを見ていると自分がここにいる不思議を感じる。そして、否が応でもリューンと重なった人生……2つの人生が1つになってしまったことを意識してしまうのだ。かつては自分が「リューン」であればいいと思っていた。だが、そうすれば龍の大事な「リューン」が消えてしまう。リューンはそうした矛盾を常に抱えていた。

ずっとずっと抱えていたその矛盾と葛藤を、たった一言で解いてくれた男がいる。その男が、彼だけの呼び方でリューンの名前を呼んだ。

「リュー」

気配がして、後ろからゆっくりと太い腕が自分の腰に回された。強引に引き寄せられるように、腕を伸ばしてきた人物の胸板に身体が受け止められる。

「アルハザード」

「リュー。そろそろ中に入れ。冷える」

「入ろうかと思ってたんだけど」

「だけど?」

「アルがそういうふうにしたら、入りたくなくなるわ」

「なぜ」

笑いながら答えるリューンの身体を温める様に、一層包み込む範囲を広げながらアルハザードは問う。

だが答えずに、リューンは僅かにアルハザードの身体に自分の体重を掛ける。逞しい獅子の身体は軽々とリューンを包み、少しだけ上を向くと、自分を覗き込むように群青色が見下ろしていた。常は濃密な魔力と威圧感で周囲を圧倒している気配は、リューンと共にいるときは僅かに穏やかになる。

そのアルハザードが、むっとしながら答えた。

「入らないならこのまま抱えていくぞ」

「ダメよ。もう少しこのままで居て」

リューンからの懇願に、アルハザードは諦めるようにため息を吐いて体勢を変えた。肩と腰に腕を回し、本格的に抱き寄せる。

しばらくそうしていたが、やがて触れているところをアルハザードがそっと指でなぞり始めた。アルハザードの指がリューンの耳元に触れる。やがて頬に触れ、顎をたどり、唇の位置を確認するようにそっと押さえつけられる。少しずつ首筋に降りてきて、胸元に触れようとしたところをリューンの手が止めた。

「……ちょっと、アルハザード!」

「リュー……」

リューンの抗議の声などもちろん聞きはしない。アルハザードはいつもそうだ。その手は強引だが優しく、激しいが甘いことをリューンは知っている。アルハザードは大人しくなぞる手を止めて、再び、ぎゅ……と抱き寄せた。

リューンは自分を抱き寄せるアルハザードの腕を取って、その硬い手の指に自分の指を絡ませてみた。アルハザードはリューンの手遊びを特には咎めなかったが、しばらくして絡まった指を解き、こちらを向かせた。

唇が重なる。

上唇を食まれ、下唇を舐め取られる。リューンが思わず唇を開くと、今度は下唇を咥えられた。何度か互いの唇を甘噛みし合って、リューンがアルハザードの服を掴むと腰を引き寄せられ、より身体が密着する。ぬるりとアルハザードの舌が入り込み、リューンが思わず身を引くと、それを分かっていたように大きな手が頭を抱えた。

「あ、……は」

絡みつくような粘ついた音が響き、息継ぎで少しだけ離れるたびにリューンの吐息が色めいて聞こえる。しかしその息も飲み込まれる。流し込まれ、吸い上げられた。口腔内で触れ合っている舌は熱く、先だけが触れ合ったかと思うと包み込むように持ち上げられ、離されたかと思うとリューンの舌の上をゆっくりと摩る。濃密な混ざり合いはリューンの意識を奪い、アルハザードも冷静さを失って、抱きしめる腕が強くなり荒々しい吐息が容赦なく入り込んだ。

何度こうした口付けを交わしたかしれない、それなのに身体に力が入らない。

リューンの膝が崩れるのを受け止めて抱え直し、一度唇を離した。銀色の糸がかすかに、名残惜しくつながる。

「あ、……アルハザード」

「誘ったのはお前だ、リュー」

頬が染まったリューンの顔を悪びれもせずに見下ろして、アルハザードが静かに笑う。先ほどまで熱く唇を重ねていたのに、今は余裕を取り戻しているように見えて、少しだけ腹立たしい。

「別に誘って、なんか……」

「部屋に入りたくないのだろう?」

「だっ、て……」

「だって、何だ」

む……と拗ねたようにうつむいて、アルハザードの方を向かずにリューンはぼそぼそと言った。

「外は寒いからと言って、ずっと抱きしめていてくれるでしょう」

だから。

それを聞いてアルハザードは少し驚いたようにリューンをじっと見下ろした。……ふ……と瞳を細めてリューンの顎を取り、再び顔を下ろす。噛みつくようにリューンの唇を奪って、2度3度、飽きずにそれを繰り返す。最後に大きく音を立てて啄ばみ、そのまま耳元に唇をずらした。

リューンにだけ聞かせる甘く掠れたバリトンでささやく。

「誘っているではないか」

もちろんアルハザードの身体は離れず、それどころかますます触れ合いは濃くなっていった。……リューンの言葉はアルハザードの身体を熱くして、ささやき声が自分でも驚くほど甘ったるくなってしまう。だが、喉の奥に愛情と情欲が糖蜜のように絡みついてうずくのだ。仕方が無いではないか。

獅子が、宵闇の月を捕まえるように深く覆いかぶさった。
夜風から守るように身体で囲い、離さぬ様に強く腕を回す。

長いような短いような抱擁。やがてアルハザードはそれを解くと、リューンを抱えた。リューンの身体ならば、寒くても暑くてもずっと抱き締めておいてやるのに。……それをこれから、リューンに分からせるためにバルコニーを後にする。


【後書き】

いつもと変わりません。ちゅーしてるだけです、すみません。
あとやたら、この2人が出てきているみたいな感じですみません……。

唇へのキスって、一番、「らしい」ですよね。だから余計な話は付けずに、単にキスしているだけの話にしようと思ったのでした。そういう意味では、どのカップルも通ってきた?シーンなので誰にするか迷ったのですが、やはりこの人達にしたかったのです。思い入れの一番深い2人なので。

シチュエーション的には舞踏会で何曲か踊ったあと、参加者を置いて先に下がった皇帝陛下と皇妃様……というイメージです。