首筋:執着(『やさしい悪魔と召喚主』)

『やさしい悪魔と召喚主』より、アシュマとウィーネ


魔術学校女子寮。特別に成績優秀な者に許される、個人部屋のひとつをウィーネ・シエナは与えられている。もちろん、学生の身分に与えられる部屋だからそれほど大きくはない。ライティングデスクとチェスト。物入れを兼ねた長椅子にベッド……というシンプルな部屋だ。

部屋のカーテンや置物は居住する生徒にある程度自由が与えられている。ウィーネ・シエナの部屋は温かみのある色のカーテンと綺麗な小物が配置され、程よく書籍も並べられていて、居心地のいい空間になっていた。

ウィーネは普段、部屋にいる時はベッドに座って本を読む。足を投げ出したり、枕に背中を預けたり、ごろごろ転がったり……普段は品行方正でも、部屋で1人でいるときは誰だってお行儀は気にしないものなのだ。

「ウィーネ」

今日もウィーネはベッドの真ん中にぺたりと座って、「魔生物の生態と不思議」……という大きな図鑑を広げ、時々付箋を貼りながら内容を確認していた。数日後に受ける予定の、魔生物生態学のテストに備えた勉強だ。図書館でしようかと思ったのだが、このテストが特別にウィーネともう1人の男子生徒にだけ許可されたものである……ということに引け目を感じて、わざわざ自分の部屋で勉強している。

「ウィーネ・シエナ。聞いているのか」

ところでここは『女子』寮の一室であるはずなのだが、先ほどからしつこくウィーネを呼んでいるのは中低音の若い男の声だ。

「ウィーネ、勉強は終わったのか」

ウィーネはその声を無視してぱらりとページをめくる。闇の界の生物のページだ。……自然と手が止まり、書いてある図説を読んでしまう。だが、当然のことながらあまりに上位の生き物は掲載されていない。後ろから男の綺麗な手が伸びて、ウィーネの手に重なる。

「我は載っていないな」

「載ってたらびっくりするわよ」

「下位3位ほどまでしか載っていないではないか。使えぬ図鑑だな」

ウィーネはそれに答えず、次のページをめくる。男の言うように下位3位ほどの生物しか掲載されていないようだ。ウィーネが呼んでみたかった鶫の騎士の愛らしい絵姿もあって、はあ……とため息を吐く。小さな鳥の使い魔……肩に乗せたり手に乗せたりするのに憧れていたのに、実際に自分の使い魔になっているのは、肩にも手にも乗らない大きな闇色の異形だ。下手をすると、自分がこの異形の手に乗ったり肩に乗ったりする。

「ところで、勉強はもう終わりか」

「まだ終わってない」

肩が少し重いのは、男が顎を乗せているからだ。小鳥が肩に乗るのとは大違いで、時々、頬が寄せられ髪がフワフワとウィーネの耳元をくすぐる。声はすぐそばから聞こえてきて、熱い呼気がねっとりと吹き掛けられている。ウィーネはうっとうしそうに頭をふるふると振った。

「ちょっと、」

「ウィーネ、そろそろ勉強は終わりか」

「アシュマ、重い!」

「そうか?我は重くない」

後ろにいるのはウィーネ・シエナの使い魔アシュマだ。今は人型のアシュマは足を投げ出してウィーネの身体を挟みこみ、後ろからぴったりと抱き付いてウィーネの肩に顎を乗せていた。ウィーネがアシュマに顔を向けると、まったく悪びれずにアシュマがウィーネの頬を噛む。

「何し……」

「ウィーネ、もう勉強は終わっただろう」

「だから、今さっき始めたばっかりでしょう!」

「後で読め」

「ちょっと……あっ」

アシュマがウィーネの後ろから図鑑をパタンと閉じた。伸ばそうとした手を奪って、足と手でウィーネの身体を拘束する。

「そもそも、お前の能力ならばこんなもの読まなくても試験など心配要らぬ」

「何言って……ちょ、と」

「それよりも、こちらの方が重要だ」

「重要?何そ……っ……」

アシュマがウィーネの顎に手をかけて、細い首筋を自分の口元に引き寄せる。

「ウィーネ……」

ちゅ……と音を立て、アシュマの唇がウィーネの首筋をなぞり始めた。やめて、とウィーネが身じろぎするが当然のように身体は動かず、余計に押し付けられる。ウィーネの腰の辺りから、そわそわと甘い律動が疼いて力が入らない。

強引ではない口づけと柔らかな拘束は、常のように激しくは無く、だからこそ激しく抗えない。簡単に自分の息が上がってしまい、いっそこのままアシュマに身をゆだねてしまおうかという気持ちすら湧き上がる。

でもそんなこと出来るはずが無い。相手は悪魔なのだ。

「……重要って何。魔力は……」

「魔力は要らぬといったろう」

その言葉にバカみたいにウィーネの心臓が跳ね上がる。魔力が要らないなら、一体何が要るというのだろう。気が付けばぬらぬらと首筋に感じる唾液からも、熱い吐息からもアシュマの魔力は必要以上には感じられない。

ただ、アシュマの唇が、細やかな髪が、硬い指先が、ウィーネの肌を這うのが感じられるだけだ。その手が後ろから前に回りウィーネのブラウスを持ち上げ、腹から胸元へと登ってきた。

「我が今欲しいのはお前だ。ウィーネ」

「あ、わ、私……?」

「そうだ。お前の甘い魔力もいいが……たまにはよかろう」

「な、にが……」

アシュマの唇がもう一度ウィーネの首筋に喰らい付く。急に熱を感じ、自分を囲む腕がみしりと脈動した。

「生身のままの互いを喰らい合うのも」

ぞくりと耳に滑りこむのは甘い中低音ではなく、重低音。悪魔の本性の声と身体はウィーネに魔力を流し込むことなく、ただ悪魔の漆黒の手と吐息と舌だけで少女の身体を攻略し始めた。魔力を交換しない交わりはウィーネの心も暴き立てようとする。

悪魔はウィーネそのものが欲しいという。
それは魔力を求められるよりも、もっともっと直接的で感情的で甘やかだった。

心も身体も息も肌も声も、全て欲しいと求められるこの感覚は何かに似ている。でもそんなはずはありえない。相手は悪魔なのだから。しかし、少なくともウィーネはその声に強く抗えない。それが何故なのか、いまだに答えは出ないのだ。


【後書き】

そもそも、執着……といえばこのカップルです。
時系列的には、もちろん「やさしい悪魔と召喚主」の直後、試験勉強の邪魔をするアシュマさん。闇の界の生物は執着が深い上に集中力が高く、おまけに上位魔族なので持久力も半端無いです。こんなのに捕まったら大変ですよね。

短編から始まったこのカップル。最初はかなり無理矢理だったのに、いつのまにやら糖度の高いお話になってしまいました。

しかし人外はいいですね。自由でいいです。いろんな意味で。