腕:恋慕(『日の出の国の司書』)

『日の出の国の司書』より、ジルコニアンとミヤ。


「ミヤ、昨日お渡しした本、翻訳できましたか?」

「ああ、これね。出来たよ」

ユレイアイト国聖遺騎士団の騎士将ジルコニアンの執務室に、うきうきした声の魔法使いが訪ねてきた。その声に若干イラッとしながら答えたのは、不機嫌そうな表情を浮かべた聖司書ミヤである。

「どうしたんですか、ミヤ、機嫌悪いですね」

「別に」

「ジルコニアンはものすごく上機嫌でしたけど……」

「ああそう」

今、執務室にジルコニアンはいない。先ほど、王太子に呼ばれて出て行った。

ジルコニアンが上機嫌でミヤが不機嫌なのには訳がある。その訳……というのが、タンザニスに依頼されて翻訳した本の内容だ。その本のおかげで昨日は執務室で散々だった上に、今夜は城に泊まろうと言い出して、ミヤが与えられている聖司書の部屋にやってきて、一晩中無駄にがんばっていった。

その元凶になった本を、ミヤはタンザニスに渡した。

「わあ、ありがとうございます。どんな本ですか?表紙は錬金術っぽ……」

表紙に目を落としたタンザニスが固まる。どうでもいいが、タンザニスの髪の毛は緑色だ。いい具合にくるくると巻き毛でワカメみたいである。

タンザニスが目にした表紙にはこう、翻訳されていた。

『最高責任者執務室の秘密―愛欲に濡れた側近の暴かれた花弁』

……。
…………。
………………。
……………………。

ワカメの土台がみるみるうちに真っ赤になった。タイトルだけで半分は理解できたようである。

「こ、ここ、これっ、これ、ホントにあの」

「ホントにってどういう意味。私がそんなの創作するわけないでしょ」

「ぼ、ぼぼぼ、僕そんなつもりじゃ」

「音読してみる?」

「ええええええええ」

タンザニスは本からをぱっと手を離してテーブルに置くと、何やらばっちいものでも触るかのように、そうっと突いた。せっかく翻訳したのに失礼な。ミヤはふん……と鼻を鳴らして、腕を組んだ。

「で、何の勉強したかったのかな?」

「いやいやいやいやいや。だって勉強とかじゃなくてどんな本なのか分からないわけですから」

「その本で日の出の国の言葉、勉強してみる?」

「だだだだだから、勉強とかそういうのではなくて」

「ジルは、大層、参考にしてくれてたわよ……?」

「よ、よよ、読んだんですかっ」

「読まれたのよ!」

ミヤはバンッとテーブルを叩いた。ヒィィィとタンザニスが縮みあがり、「まあ、読んでみなよ」というミヤに促されて、恐る恐るページを開けて見る。途端にバターンと閉めてぷるぷると生まれたての何かのように、小刻みに首を振った。

「ぼ、っぼくには無理ですよ!」

「既婚者のクセに」

「妻には黙っててください!」

「どうしよっかなー」

もちろんミヤだってそんなことをタンザニスの嫁に告げ口するなどということはしない。単なる八つ当たりである。ただ、本の内容とタイトルに衝撃を受けたのか、タンザニスの慌てっぷりはそれはそれで面白いものだったので、一通り八つ当たりをしたミヤは溜飲を下げた。この本のせいでどえらい目にあったのだから、これくらいは許されるだろう。ちゃんと依頼された仕事はやったのだし。

ともかく。

「その本は持っていってよね」

「えっ」

「タンザニスの依頼でしょう?」

「で、でもこんなの図書室には入れられませんよ」

「知らないわよ。家に持って帰れば?」

「妻に見つか」

その時ノックもせずにバーンと扉が開いた。青みがかった黒い騎士服に青い髪の男が部屋に踏み込み、じろりとタンザニスを見下ろす。

「……タンザニスか」

「ジ、ジルコニアン。お邪魔してるよ」

「ああ」

今までミヤとタンザニスが2人きりだったのが気に食わないのだろう。だが、そのように口に出すわけにもいかないので、オーラでそれを表現した。気まずい沈黙が流れる中、テーブルの上の本にジルコニアンの視線が止まる。しまった、と思った時には遅かった。

ひょい、とそれをジルコニアンが持ち上げる。

「持って帰るのか、タンザニス」

「あ、……いや、そ、それは……あ、ああ!」

ひらめいた!という風にタンザニスが手を打って、立ち上がった。ミヤの方は見ないように見ないように、後ろに下がって行く。

「その本、よければジルコニアンが持って帰ってもいいよ?せっかくだし」

「な、ちょっとタンザニス」

「じゃあ、僕これで」

「待ちなさいよ、このワカメ!」

「ワカメって何ですか!」

タンザニスの捨て台詞を残してバーンと扉が閉まり、ミヤは自分の恋人と部屋に2人きりになってしまった。ジルコニアンがミヤを呼ぶ。

「ミ……」

「ジル、返して!」

ジルコニアンの呼びかけが終わる前にミヤが振り返り、手から本を奪おうとした。だが、いつかと同じように、ひょいと本を持ち上げられる。目一杯本を持ち上げるとミヤの背の高さでは届かない。ミヤは、ジルコニアンの腕に手を掛けて、うんしょと腕を伸ばす。届かない。

「ちょっとう、返してって。これは没収」

「ミヤ」

「ジール、没収です。離し、きゃっ……」

ミヤの声が変な色になる。気が付けばジルコニアンが密着したミヤの腰に片方の手を回し、自分の顔のすぐそばに伸ばされた腕に吸い付いていた。

****

ジルコニアンからすれば、伸ばした自分の身体にミヤが張り付いている事になる。
硬い胸板にあたる恋人ミヤの柔らかな胸のふくらみ。
登ろうとしてとりすがるしなやかな指先。
今にも絡み合いそうな腰。
少し顔を横にすれば、目の前にはむき出しになった細くて柔らかな白いミヤの二の腕。

ああ。なんて可愛い女だろう。

そう思った時には、ちゅ……と唇を付けていた。

付けただけではなく、思わずそのまま吸ってしまった。とても柔らかい。

「ちょっと、何してるのよどこ触ってるのよどうやって触ってるのよ、ああもう、ジルの変態ーー!」

なぜか怒られた。


【後書き】

腕にキスなんて、いやらしいシチュエーションしか思い浮かばなかったのですが、そんないやらしいことをさせるはずがありません。……というわけで、なぜか、ジルコニアンの健康的な変態さばかりが目立ってしまう結果になりました。

当初、腕にキス……という話を考えた時に、なぜか「女子の二の腕とおっぱいの柔らかさは同じ」という言葉を思い出したのです。思い出してしまったのです。さらに思い出した瞬間浮かんだカップルが、ジルコニアンとミヤ。もうこうなってしまったからには、考えが頭から離れません。いっそ、本に「二の腕とおっぱいの柔らかさは同じ」と書いたメモが挟まれていて、それが落ちてきて、興味を持ったジルコニアンがミヤにそれを翻訳させて試してみる……という話にしようかと思ったのですが、あまりにジルコニアンへの偏見が高まりそうだったので止めました。

ちなみに、これでもジルコニアンは立派な将軍なんです。あと、ミヤはその恋人です。うわあ……。無理矢理ですみません。でも、この話、書いてるのすごい楽しかったです。