手の甲:敬愛(『獅子は宵闇の月にその鬣を休める』)

『獅子は~』より、ウィルヘルミアと……?

※今まで出したことのない新規組み合わせです。作者の自己満足かもしれませんので、蛇足と思われる方には申し訳ありません。


遠くからダンスの音楽が聞こえてくる。

控えめに灯りの点された小さな庭は、音楽が鳴っている広間からは随分遠く、誰も来ない気に入りの場所。庭の手入れは申し分ないが意匠はそれほど凝ってはおらず、自然に近い形で花々が咲いているのが可愛らしい。

「ウィルヘルミア殿下、こちらにいらっしゃるのですか?」

若々しい男の声だ。よく通る声だが、今は他に聞こえないようにそっと控えめだ。

「いないわよ」

それに答えたのも、また若い女の声。舞踏会から抜け出して、気に入りの庭で休憩しようと思って出てきたのに、またこうして捕まってしまうのかしら。……つまらなそうに小さく溜息を付いた。

「……ウィルヘルミア殿下」

男は若い騎士だ。まだそれほど高い身分にはないのだろう。だが、帝国騎士の服を申し分なく着こなし、その身の動きは卒が無い。短く刈った髪の色は赤銅色で、光に照らされた真面目そうな瞳は褐色だ。周囲を見回すその視線は厳しかったが、名を呼んだ瞬間はその眼差しが緩んだ。

「踊りが始まりましたよ。行かれなくてもかまわないのですか?」

「いいのよ」

つん……とした声が聞こえて、若い騎士が歩みを進める。その視線の先には、手触りのよさそうなゆるく巻いた濃い金髪の少女が1人、小さな噴水の淵に腰掛けていた。そのすぐ傍らまで騎士がやってくると、主君にするように膝を付きかける。

「ウィルヘルミアさ……」

「膝はつかないで」

ウィルヘルミア……と呼ばれた少女が拗ねたような表情を浮かべると、騎士は苦笑して立ち上がる。指示されて、ウィルヘルミアの隣に座った。

「お父様に言われて迎えに来たの?」

「いえ」

「じゃあお母様?」

「違います。……お姿が見えなくて、俺……いや、私が」

今日の舞踏会は、今年初めて叙勲された若い騎士達と若い貴族令嬢を招いたもので、それほど公式なものではない。ウィルヘルミアは皇女として目玉商品ではあったが、彼女自身が商品として望まない限りは、立たなくても咎められないだろう。

ウィルヘルミアの目の前にいる騎士は、今年初めて叙勲された……というわけではなかった。彼女よりも5歳ほど年上で、年の近い剣の稽古相手としてよく城に招かれていた。だから小さい頃から、よく知っている。

「踊りは得意ではないわ」

「……ならば、陛下と踊りになっては?」

「お父様は背が高くて、力が強い」

「ではギルバート卿は?」

「………………恥ずかしい」

「リュケイオン殿下は」

「なんで弟と踊らないといけないのよ」

「……父を呼んできましょうか?」

「いいわ、もう」

はーあ……と溜息をついて、ウィルヘルミアは立ち上がった。ぱすぱす……とドレスの裾を払って、淑女の振る舞いとしてはあるまじき伸びをする。若草色のドレスは、彼女の金色の髪によく似合っている。あまり豪奢な飾りはつけず、シンプルな形は母親の影響で好むようになったものだ。

髪の色と少し巻き気味の癖が派手に見える……とウィルヘルミアは眉を潜めるが、そんなことは無い……と若い騎士は思う。彼女の瞳は母譲りの漆黒で、覗き込むと驚くほど深く落ち着いていて、だが読めない。金を溶かしたような艶めいた色の髪は、手に取ればどれほど滑らかで心地よいのだろう。

幼い頃からずっと彼女を見てきた騎士は、見惚れた一瞬を隠すように手を差し出した。

「参りますか?」

「行かない」

ウィルヘルミアは挑戦的な瞳で騎士を見上げた。そして、差し出された手に自分の手を重ねて握り、引っ張る。騎士のバランスが崩れたのは、手を引かれたからではなく、突然の行為に慌てたからだ。

「殿下!」

「ミーア」

騎士はウィルヘルミアを呼んだが、ウィルヘルミアは返事をしなかった。その代わりに、自分の愛称を呼べと言わんばかりに口にする。

幼い頃はちゃんと愛称で呼ばれていたのに、成長し、騎士の叙勲を受けた今では、主君の娘と騎士という立場を崩さない相手に少し苛立つのだ。仕方が無いとは分かっているけれど。だが、今は2人きり。

「踊らないといけないんだったら、ここがいいわ」

「……殿下」

「誰も見てないし、ステップを間違えても恥ずかしくないもの」

「ウィルヘルミア様」

「ほら早く。こっちの手がお留守よ」

「……ミーア」

「何?シン」

シン……と呼ばれた騎士は、困ったようにウィルヘルミアを見た。両手を取られ、引っ張られている。綺麗な黒い瞳は月明かりを映していて、楽しいことを思いついた……とでも言いたそうな頬は、夜会用に点された灯りが照らして薔薇色だ。こんな姫君にこんな風に手を取られて見つめられて、断ることのできる男がいるだろうか。諦めたように、シンは笑った。

シンは改めて姿勢を正し、ウィルヘルミアの片方の手を取って向き合う。
真摯な眼差しで漆黒を真っ直ぐに見返すと、ウィルヘルミアが少しだけ瞳を見開き、はにかんだように微笑む。その微笑にシンはなぜか心が安らいで、彼もまた笑みを浮かべた。

恭しくウィルヘルミアのたおやかな手の甲に口付ける。

「では一曲、踊っていただけますか。ウィルヘルミア」

「よろこんで。シンハーディ・ハワード卿」

遠くから聞こえる舞踏会の曲が変わった。

若い2人が楽しげに踊り始めた。
時々ステップを間違うけれど、そこはアドリブで誤魔化して、顔を見合わせて笑い合う。

ここにはたった今、2人しかいないのだから。


【後書き】

この話だけ、今までに出したこと無い新規カップルでした。
幼馴染の騎士とお姫様……っていう王道です。騎士の方は誰だか分かるでしょうか?

このお話、実は『獅子は~』の帝国の男たちを投稿した時、一番最後に投稿しようかなと思っていたエピソードの一部です。誰が誰と……というカップルを予測する方にはつまらないかもしれない……と思って、あえて投稿していなかったのでした。今も投稿して大丈夫だったかなとハラハラしています。蛇足だったらごめんなさい。

でも、こういうシーン、なんだか好きなんですよね。
作者の自己満足かも。