指先:賞賛(『獅子は宵闇の月にその鬣を休める』)

『獅子は~』より、バルバロッサとコーデリア。


陽王宮は皇帝が住まう住居の宮だが、当然多くの施設があり、その中にはもちろん修練場もあった。主に皇帝の家族が修練に使う場で、シドや護衛などを伴って獅子王自身もそこを使うときがある。その日は皇妃のたっての希望で、皇帝と皇帝の剣の師との手合わせが行われた。皇妃は2人の見事な剣術の試合にいたく感動していたが、皇帝は時折面白くなさそうな顔をしながら、なぜか師から皇妃を隠したりしていた。

そうした私的な手合わせが行われた後、修練場に2人の剣士が向き合っている。

片方は真紅の髪の初老の騎士。

それに向き合うのは同年代の藍色の髪の貴婦人。

双方、不適な笑みを浮かべて剣を持ち上げる。

相手を見据える精悍な瞳、不適に笑む口元。相対するのは、落ち着いた切れ長の眼差し。どちらも交わす視線がどこか余裕で、どこか無邪気なのは、対する相手をよく知っているからだろうか。まるでこれから一曲踊りましょうかとでもいうような仕草で剣を合わせ、2人の身体がふわりと近付いた。

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コーデリアとバルバロッサの剣戟は舞を舞うようで、剣を合わせた時の擦過音すら澄んで響く。

アルハザードとバルバロッサが対戦するときのような力強さは無い。コーデリアの剣の流れはバルバロッサを誘惑するように動き、バルバロッサはそれに敢えて乗って深く合わせている。バルバロッサの方から仕掛ければ、コーデリアはたおやかにそれから逃げて、バルバロッサが追いすがる。

バルバロッサは堂々と、優雅に正面からコーデリアを誘う。もちろんコーデリアは受けて立つ。型通りに剣を合わせて、それを不意に崩すのはバルバロッサだ。受け止め切れなかったコーデリアを自らの懐に抱えいれ、だが、そこに入ってくるコーデリアもまた、罠を持っている。

どちらかが剣を斜め下に弾き落とせば、それに大人しく従う。剣の切っ先が床を這い、さらにそれが弾き上げられる。突きを出せば巻き上げるように剣が合わさり、ゆるやかにも見える所作で半身を捻ってかわす。手を取り合って踊る男女が、離れたり近づいたりするように見える。

どちらも滑らかな動きで、最後に剣を合わせて身体が近くなり、互いにニヤリと笑って終わった。

一礼して剣を納めると、コーデリアはバルバロッサに肩を竦めてみせた。

「しばらく身体を動かして無いと、なまっていけない」

「なまった?どこが。あれでなまっているのならば、神殿騎士達が泣くまで修練せねばならんな」

はっは……とバルバロッサが大きく笑って、コーデリアに並ぶ。

後宮の護衛騎士だったコーデリアは、先代皇帝妃が亡くなったのを機に職を辞したが、以来、屋敷の人間やバルバロッサが世話する部下を相手によく剣の稽古を付けている。それは結婚して以来ずっと変わらぬ習慣だ。この年齢になってもなお滑らかなその剣筋は、アルハザードや男の騎士達とは違って昔から流麗で、バルバロッサには無いものだった。

アルハザードを預かり育てた時を思い出す。バルバロッサが教える戦いの技、コーデリアの教える狡猾な罠、アルハザードは2人の教える騎士の技をよく身に着けて消化した。むろん剣や魔法だけではない。家族からの情を知らないアルハザードが、獅子と恐れられながらも誰かを愛することを知っているのは、バルバロッサだけではなく、コーデリアの手腕が大きいだろう。

コーデリアは、アルハザードを皇太子としてではなく、手の掛かるただの子供として扱い育てた。不正をすればクソガキ扱い、失敗すれば原因を一緒に考え、成功すれば問答無用でぐしゃぐしゃに褒める。無論、バルバロッサとて同様だ。だが、1人では到底無理だった。

ふと周囲を見渡すと、見学していたリューンが興奮気味にアルハザードに何かしら話している。アルハザードは、むっと顔をしかめたり、優しい表情になったりしながらそうした妃を抱き寄せ、見下ろしていた。アルハザードがやっと見つけた伴侶だ。恐らく、皇帝という立場からも、ただの男の立場からも、愛することの出来るたった一人なのだろう。

身分の無い女をただの男として愛するのは簡単だ。だが皇帝としてそれを迎え入れることのどれほど難しいことか。……逆も然り。皇帝の隣に立つべき女の素質と、愛される女の素質は必ずしも一致するとは限らない。それを手にしたアルハザードが、リューンを手放そうはずが無かった。

2人の睦まじい様子を見ていたバルバロッサに、こっそりとコーデリアが話しかけた。

「しかし、バルバロッサにはいつまでたっても敵わないな」

「ん?」

夫婦になって30年以上経つのに、コーデリアはまだまだバルバロッサと勝負継続中らしい。剣をあわせるたびに、少しばかり拗ねたような口調で、そんな風に言うのだ。バルバロッサは修練場から控えの場への階段を登りながら、コーデリアに手を差し出した。

付き合いはじめた頃は、手合わせの後はこのように手を貸しても取りもしなかったが、コーデリアは今は大人しくそこに手を預ける。く……とその手を引いて、コーデリアを自分の立つ段の上まで上げると、バルバロッサはその指先を軽く咥えた。

「いつまでたっても敵わないのは、私の方だよ、コーデリア」

「バルは、本当に女を口説くのが下手だ」

くす……と笑って、コーデリアがバルバロッサを追い越し悠然と階段を登りきった。バルバロッサは淑女に礼を取るように、その手を取ったまま頷いてみせる。たった1人を口説くのだから下手で上等ではないか……と肩を竦めて、コーデリアに呆れ顔をされるのはいつものことだ。

顔を赤くしたリューンがアルハザードの影からこちらを覗きこんでは、何かを言ったり言われたりしている。2人の様子に微笑ましいものを感じて、バルバロッサとコーデリアは仲よく笑った。


【後書き】

キスよりもこの2人の手合わせシーンを書きたかったのでした。

バルバロッサは自分を選んでくれたコーデリアを心から敬愛しています。コーデリアも同じです。そういう夫婦です。そして、アルハザードが頭の上がらないのがバルバロッサで、バルバロッサの頭の上がらないのがコーデリア。……だとしたら、帝国最強はコーデリアですね。