006.同じ月

10日が経った。

あれほど日を置かずに訪ねていたヤトウィアの元にシグムントは来なくなり、ラディス側の侍女達もヤトウィアから距離を置くようになった。ヤトウィアの身は孤立し、側に控えるのはベスプリムのみだ。

そのベスプリムが冷たい瞳で、窓辺に腰掛けるヤトウィアを見下ろした。

「……気付かれたようですね。あのような男でも、警戒はすると見える」

「……ベスプリム」

「あの蛮族の男。……卑しい男に辱められた貴女の身体でも夢中のようでしたのに。困りますね、ちゃんと惑して留め置いていただかなくては」

「……ベスプリム、止めて」

「貴女の閨の声を知らぬとでも? ……嫌がっているくせに、あのように甘い声を出されるとは上手なこと」

侮蔑したように、ふん……とベスプリムは笑い、怒りを含んだ銀色の瞳をすげなく見据えた。小国とはいえ、シグムントは国王。その妻の寝室ともなれば、隣に侍女部屋が控えてあるのは当たり前だ。そこに控えて声を潜めておれば、細かい話の内容は聞けなくとも、微かな気配は感じられる。

「あの男、まるで獣のようですわね。ヤトウィア様のことを娼婦か何かと間違っているのかと……」

「止めて……! シグムント様を……あの人を、そのように言うのは」

「おや、随分と大切になさって。情が移られましたか?」

「違う、違います」

焦ったように首を振るヤトウィアに、ベスプリムは顔色1つ変えずただ呆れたような表情を浮かべただけだ。しかし、やがてその表情をゆっくりと笑みに変えていく。ヤトウィアの肩を抱き、耳元にそっと囁いた。

「……ねえ、ヤトウィア様。貴女にはもう時間がございませんね……。来なくなったといえど、ずっとこのまま……というわけではありますまい。もうお薬もありませんし、あの時は飲んでおられなかったのでしょう? ……あるいは……」

「離して……!」

ヤトウィアが立ち上がり、ベスプリムの手を激しく振りほどいた。バシッ……と肌を打つ音が聞こえて、ベスプリムが横を向く。そのつもりは無かったが、振り払った手がベスプリムの頬を掠めたのだ。ハッとした表情で自分の手を押さえたヤトウィアを、ベスプリムはぞっとするような冷たい瞳で見る。

そこに、ノックの音が響く。

ベスプリムはすぐさま表情を凪いだものに戻し、部屋の扉へ歩みを進めた。

****

いつもはヤトウィアの部屋にシグムントが出向いていたが、その逆は初めてだった。今宵はシグムントの自室に来て休むように……と、侍女のアンナが伝えにきたのだ。

シグムントの居室はラディス風の調度品で整えられ、ヤトウィアの部屋とは全く雰囲気が異なっていた。2人はラディス風の夜着に身を設え、ソファではなく、窓辺に敷物を敷いて背もたれの付いたクッションを置き、地べたに座るようにくつろぐ。

2人とも言葉は無い。

シグムントの酒杯の相手をしながら、ヤトウィアは窓から見える薄い月に少しだけ視線を向けた。3年前のあの時と同じ弓なりの形をしている。ただ、2人の関係は全く異なっていた。……いや、変わらないはずなのに、心は通わない。通わせては、いけない。月から視線を外して俯いたヤトウィアの頬に、酒杯を置いたシグムントの手が伸びた。

「ヤト……」

大切なもののように呼ばれる、その丁寧な呼び方にヤトウィアの心が揺れる。そうした感情の揺れに気付いているのか、いつもは激しくヤトウィアを求めるシグムントの手は、壊れ物を扱うようにそっと頬をなでた。

「あの時と同じ月だな」

「あの時……というのは、いつでございましょう」

返す言葉は変わらず、そ知らぬふりをする。だが、憤るかと思ったシグムントはその言葉を咎めず、頬をなでるばかりだ。

「さあ、いつのことであろうな」

やがて、頬をなでる手が肩に回され、ゆっくりと抱き寄せられた。シグムントの広い身体がヤトウィアを包み込む。鍛えられた硬い身体は、こうしていると温かくて離れ難い。その離れ難さが、今のヤトウィアにとっては何よりも辛い、罰だった。

「ヤトウィア」

耳に吐息がかかり、唇が触れる。

「何か、俺に言うべきことはあるか」

その言葉に、思わずヤトウィアが顔を上げた。漆黒の瞳は優しかったが、嘘は許さぬ苛烈さも秘めていた。常の夜であれば、その視線から逃れていたかも分からない。だが、その日、ヤトウィアは漆黒の眼差しをじっと見つめた。

「ヤト?」

「私、は……」

躊躇いがちの言葉の先を待つように、シグムントは微かに頷く。

「ラディスに……陛下……シグムント様の生まれた国に来ることができて……とてもうれしゅうございました」

本当はもっと言うべきことがあった。しかしそれを口にすることは出来ない。これがヤトウィアに伝えることの出来る精一杯だった。シグムントはやはり怒ることも咎めることも無く、ただ長く息を吐いてヤトウィアの身体を深く抱いた。ごつごつとした手がヤトウィアの柔らかな身体を這い始め、片方は上へ、もう片方は下へと降りていく。

やがて、下に落ちてきた手が腰に回されて引き寄せられ、ヤトウィアはシグムントの胡坐の上に乗せられた。
着ている夜着は質のよいものだが、上衣は前を合わせて紐で留めているだけで、女物の下衣も同じだ。シグムントの腰の上に跨ぐように乗せられると、しゅるりと音を立てて紐が解かれる。

シグムントも片腕でヤトウィアの身体を支えながら、自分の夜着の紐を解く。互いの夜着を開いて肌を露にすると、シグムントの手がヤトウィアの柔らかな身体を撫で始めた。

ヤトウィアは抗わなかった。
シグムントからは、羞恥を誘うような言葉も愛の囁きも無い。

ただ熱い息を吐きながら、ヤトウィアの肌に舌を這わせていく。舌が滑り、時折ヤトウィアの肌に吸い付いては離す音と、互いの甘くなってくる吐息だけがいつまでも部屋に響いた。硬い掌が柔らかな肌を下り、後ろからヤトウィアの最も深い箇所に行き着く。

指は簡単に入り込み、付け根まで飲み込まれた。中を引っ掻くように指を曲げると、微かな声がヤトウィアから上がる。仰け反る喉を追いかけるように唇を這わせ、顎を辿り、唇を貪る。舌が絡まりあい、ヤトウィアの喘ぎ声をシグムントは飲みこんだ。その間もヤトウィアに挿れた指は秘裂をなぞるように浅く動かされては、深く沈む。

ほどなく、シグムントがヤトウィアを少し持ち上げ……屹立した熱い昂りを宛がった。少しずつ動かしていくと、濡れて柔らかくなった箇所と硬い楔が繋がりあう。ヤトウィアの手が縋るようにシグムントの背に回され、シグムントの太い腕がヤトウィアの腰を支えて動かし始めた。

2人の間には独特の甘い香が漂い、吐く息だけが艶かしく、揺れる身体は急いてはいない。

時間を掛けて、2人は一度きり愛し合った。
いつになく優しいシグムントの抱擁と言葉少なな雰囲気に、ヤトウィアは静かに身を任せる。

覚えておきたかった。

この人の掌の大きさと低い声。抱く腕の強さと、甘さを。

****

シグムントは珍しく酒に酔ったのか身体を寝台に横たえると、ヤトウィアを腕に抱いたまま眠ってしまったようだ。ヤトウィアも、瞳を閉じて呼吸を整える。

ヤトウィアには分かっていた。

シグムントは酒に酔ったのではない。……この酒は、ベスプリムが用意したものだ。ヤトウィアの部屋に来ない……と知れて、ベスプリムは侍女部屋に控えることが許されなかった。そのため、深く眠る薬を入れた酒をヤトウィアに持たせたのだ。

「もう貴女に翌日は無いのです」……と囁いて。

ヤトウィアは目を開けると、自分を腕に抱いて静かに寝息を立てているシグムントの頬に触れた。

「愛しております、シグムント様」

そして、小さく口付ける。
起きないことに安堵の溜息を付き、シグムントの腕を自分から外して、そっと起き上がる。

ヤトウィアは左耳につけた飾りを外して寝台に落とした。次に右耳の飾りを外して小さな石を捻る。よく見なければ分からぬほどの小さな針が先端に付いていた。ヤトウィアはその針を持ち直す。

****

「うまくやったのですね、ヤトウィア様」

「……ベスプリム」

「あの針の毒は身体を動けなくさせ、心臓を弱らせますが……あの蛮族のことです、まだ息があるのでしょう。……どいてください。最後は私が」

朝、空が白み始めた頃にシグムントの居室にベスプリムがやってきた。やってきたのはもちろん、扉からではない。窓から侵入してきたのだ。ヤトウィアに内側から鍵を外させると、侵入はたやすい。後は音も無く、獲物を狩るだけだ。

動きやすい服を着たベスプリムは無造作に歩きながら、腰に佩いた細い剣を静かに抜き放った。

もうヤトウィアには目もくれない。
獲物を狩る戦士そのものの目つきと動きで、寝台の側に近づき、目的の身体に照準を合わせる。

ベスプリムはニィと笑った。