002.美しいむすめが

それからしばらくが経った。

ここのところダンテは訪ねてきていない。もしかしたらしらゆきが<7人の小人>で店番をしていない時に来ているのかも知れないから分からないが、それはそれで少しだけ寂しい。

ダンテは旅の人だという。時々変な行動が多く、この間なんて鼻から血を出していたけれど、とても優しくて素敵な人だ。

しかもシェンスタドを気に入って、しばらくこちらにいようかななどと話していた。しらゆきが店にいるときはほとんど毎日会いに来てくれたし、お菓子を食べるダンテと共におしゃべりをする日々は、しらゆきにとってすっかり日常だ。

だから、そのダンテが突然来なくなると胸にぽっかりと穴が空いたように感じてしまう。

そんな風に心細く思っているタイミングにカランコロンとドアベルの音がしたから、しらゆきは大袈裟に顔を上げた。

しかし入ってきたのは、毛むくじゃらの大男だった。顔はむく犬のような形に髭と髪の毛で覆われていて、むき出しの腕にもみっしりと毛が生えていた。山男と犬が混じったような大男は、皮のベストと皮の脚衣を身につけている。ゴワゴワとした格好は年季が入っていて、外見から優秀な狩人だと知れたが、その格好に見合わず実は気弱で無口な男である。

男はこんな風貌に似合わず常連で、もちろんしらゆきとも顔なじみだ。

「あら、リュード、いらっしゃいませ!」

リュードと呼ばれた男は、無言でむっすりと頷いてしらゆきの前にやってきた。いつもは小さく切ったリンゴのタルトを指差すのだが、今日は少し様子がおかしい。リュードはもごもごと何事かを唸っていた。

「え? なあに、聞こえない」

「……んが」

「んが? ええと、今日もソルシエ様のおつかい?」

「ち。ちが、う」

ソルシエというのはシェンスタドを治める領主の名前だ。リュードはソルシエに仕える従者だった。しらゆきのお店にもよく買い物に来てくれるが、大体がソルシエのお使いである。だから今日の用件もそうかと思って、しらゆきは問うたのだ。

しかし、どうやら違うらしい。

「じゃあ、なあに?」

「リンゴ、の、た、た、タルト、ま、まるごと……」

しらゆきは首を傾げた。

****

「ねえ、リュード、どこに行くの?」

しらゆきはリュードに連れられて、シェンスタドの街の外れまでやってきていた。しらゆき流にリュードの話を訳したところ、「しらゆきのリンゴのタルトをワンホールまるごと届けて欲しいという人がいる」と言っているらしい。つまり、配達の依頼というわけだ。

しらゆきは、最初はリンゴのタルトをまるごとカゴにいれて「じゃあお願いしますね」とリュードに宅配をお願いしようとしたのだが、代金は注文主から直接貰えと言われて思い直した。代引きの仲介を気弱なリュードに頼むのは信用ならず、結局は自分の手で代金をもらうのが一番確実な方法だと考えたのだ。

しかしいつまで歩いても注文主の家らしき場所には到着することなく、それどころかシェンスタドの家々は遠ざかり、もはや道の先は悪名高い「魔の森」だけという場所までやってきてしまった。流石に不安になったしらゆきは、きょろきょろと周囲を見渡す。

「ねえ、リュード、注文してくれた人はどこにいるの?」

「……」

「この先なの? でも、もうこの先は魔の森しかないでしょう」

「……」

リュードはしらゆきのお菓子が入ったカゴを手に持ったまま目を合わそうとせず、しらゆきにも答えないまま、相変わらず黙々と道案内を続けていた。少しずつ木々が増え、いよいよ周囲が鬱蒼としてくる。不安も限界に来ていたしらゆきは足を止めた。リュードの行く手を塞ぐように前に出て、きっ……と毛むくじゃらの顔を睨み付ける。

「ちょっと、リュード、いい加減にして! 注文してくれた人は誰なの?」

「そ、そ、ソルシエ様、だ」

「領主様?」

だが、こちらは領主の館の方向ではない。まるで正反対だ。そう反論しようとしたしらゆきは、ただならぬリュードの気配に気圧される。確かに普段は怖くない男だったが、しらゆきよりも数倍大きな大男であるに違いない。しらゆきの細い腕など、引っ張られただけでポキンと折れてしまうだろう。

リュードの毛むくじゃらの奥にある瞳は何を映しているのか読めず、しらゆきは黙り込んだ。

しばらく睨みあった後、おずおずとリュードがつぶやく。

「…お、お、お前、を、シェンスタドから、追い出す、と」

「えっ?」

「悪く、お、思うな」

リュードはしらゆきに一歩踏み込んだ。それを受けてしらゆきが後ずさりするように、一歩下がる……が。

しらゆきの身体ががくんと下に引っ張られ、そのまま深い深い穴のような場所へと落ちていってしまった。

****

時は一週間ほど前まで遡る。

シェンスタドを守る領主の館の一室で、赤毛の女が1枚の鏡を見つめて怒りに唇を震わせていた。

女の名前はソルシエという。

シェンスタドの領主の家系は代々続く魔女の家系で、領主となる者も魔女の血を引く女であることが多かった。ソルシエは先代のシェンスタドの領主の孫で、彼女もまた優秀な魔女だ。

しかしソルシエは領主という由緒正しい身分の上に、年頃の時期を先代の領主に魔女の技を仕込まれていたため、世間知らずに育ってしまった。領主ともなれば男も寄ってくるため、そちら方面にあまり努力をしたことがなく、もっといい男をと贅沢を言っているうちに婚期を逃した。理想が高く我が強い女だ。しかも、無駄に美貌があるがゆえに、いい女は世界で自分だけでよいと夢見がちの、言ってみれば高飛車で我侭な……お嬢様だった。しかしお嬢様と呼ばれるには大幅に婚期を外している。

そうしたソルシエの元にある噂が届いた。

シェンスタドの街で働くとある娘に、とある若い男が求婚をしているらしい……という噂だ。しらゆきというその娘のことをソルシエもよく知っていた。しらゆきが両親を亡くした哀れな娘だと知って、気紛れに温情を掛けるつもりで娘の作るお菓子を買ってやったことがある。

若い娘に男が求婚するなどよくある話。だが、ソルシエは、その時僅かに興味を持って魔法の鏡を覗いたのだ。

「鏡よ、鏡。しらゆきと懇ろになっている、若い男を映しておくれ」

すぐに魔法の鏡はソルシエの要求に応じ、そこには美しい若者と美しい娘が、軽やかに談笑する姿が映っていた。

「まあ……なんて、美しい若者だろう」

緩いウェーブがかった黒い髪に、少し垂れ目な甘い瞳。カウンターの奥で働くしらゆきを見つめるその瞳はうっとりと細められていて、愛らしいものを見守る視線そのものだ。

その男の視線の先が、自分ではなくしらゆきであることが信じられない。

この美しい男は美しい自分の隣に立つのが何より相応しい。この男は私のもの。そう思って、早速ソルシエはこの男を領館に招いた。自分という美しい女が誘惑すれば、若い男などすぐに堕ちるだろうとたかをくくったのだ。

しかし、その男は笑みすら見せることなくソルシエの誘いを断った。

焦ったソルシエは問い詰める。どんな女ならば貴方の目に止まるのか。……すると、初めて男が微笑んで、それは優雅に言った。

「僕は美しい女性が好きなのですよ」

そう言って、丁寧に、紳士的にソルシエの元を辞した。相当育ちがよいのだろうと思わせる男の所作をうっとりと見送ったソルシエは、男の言葉をとても好意的に解釈した。

美しさならば、自分だって持っている。

それゆえ、数日後、ソルシエは自身の美貌を魔法の鏡に確認したのだ。

「鏡よ鏡、このシェンスタドで最も美しいのは誰?」

手堅くシェンスタド程度であれば、自分がもっとも美しいに違いないと、ソルシエは上機嫌で鏡の答えを待った。

しかし魔法の鏡はこう答えたのだ。

「このシェンスタドで最も美しいのは、白金色の髪に紫水晶アメジストの瞳を持った、シェンスタドに注ぐ雪解け水の源の、一番最初に降る雪の如く真っ白い肌をした、しらゆきです」

「なんですって!」

それを聞いたソルシエは大変なショックを受け、同時に怒りに震えた。しらゆきは領主であり魔女である自分よりもちっぽけな、ただの菓子作りの娘である。そんな娘がこの領主であるソルシエを差し置いて、シェンスタドの街一番の美しさを手に入れるなど許せるはずがない。

しらゆきが哀れな娘だったから、少しばかり温情をかけてやっていたというのに。なんという恩知らずなのだろう。

ソルシエの感情は完全に逆恨みだったが、愚かしい権力者というのは大概がそうした性格である。ソルシエは怒りに身体を震わせながら、それでもなんとか問いを続けた。たった今しらゆきの方がソルシエよりも美しいのだとしても、次にあの男と会うまでにソルシエの方が美しい女であればよい。

「おお、鏡よ。それなら私がシェンスタド一の美しさを手に入れるには、どうすればいいの」

「ソルシエ様、それならば、あのしらゆきという娘を『魔の森』に追いやってしまいなさい」

「魔の森……?」

「魔の森」というのは、シェンスタドの外れにある美しくも恐ろしい森だ。一年中枯れることのない黒い樹に覆われたその森には、シェンスタドで最も腕のよい狩人ですら近づこうとはしない。その森の奥には恐ろしい魔物が住んでいて、森に入った者を1人残らず食べてしまうという噂があったからだ。もちろん、信憑性の無いただの噂というわけではない。実際、よそから来た流れ者の狩人が森で狩をしようと入って行って帰ってこないことがしばしばあった。

そのような森にしらゆきを追いやる?

さすがのソルシエも少しだけ躊躇ったが、鏡がきらめき、このように付け足した。

「ソルシエ様。何をためらいますか。しらゆきをシェンスタドから追い出してしまえば、ソルシエ様がシェンスタド一の美女。求婚者も引く手数多でしょう」

「そ、そうね」

そうすれば、1人寝の寂しさを味わうことはないかもしれない。ソルシエは心を決めた。忠実な従者を呼んで言い付ける。ソルシエの従者……むく犬のような大男は、おどおどとソルシエの前に控えた。

「リュード、シェンスタドのしらゆきを魔の森に捨ててらっしゃい」

「えっ」

「えっ、じゃないわ、聞こえなかったの? さっさと行きなさい」

「でも、ソルシエ様、ま、魔の森は、魔物が、い、いると……」

「だからよ。しらゆきは邪魔なの。私がシェンスタドで一番の美女であるために」

リュードという男は、実は人狼のなりそこないだ。なりそこない……リュードの身体は狼のようにスマートではなく、まるでむく犬だった。だから「なりそこない」である。しかも毛むくじゃらで大男で怪力の持ち主のクセに非常に気弱な男で、気の強いソルシエはイライラすることが多かった。

「さあ、さっさとお行き! しらゆきを魔の森に追い出してらっしゃい!!」

「は、はい、はい……」

情けない返事をしてリュードは館を出て行き、ソルシエはようやくほっとした。ソルシエにとってリュードは図体が大きいだけの男だったが、やると決めたことは必ずやり通す。確実にしらゆきは魔の森に追いやられるだろう。

しかし、そうすれば明日からデザートにしらゆきのお菓子は食べられなくなってしまう。特にリンゴのタルトは名残惜しい。代わりのお菓子を<7人の小人>に注文しなければ……と、ソルシエはわずかに残念に思った。