004.平和もつかの間

「ダンテ、いってらっしゃい?」

「うん。いってくるよ、しらゆき」

魔の森の奥の小さな家の玄関が開いて、黒い髪の男が出てくる。白金色の髪の愛らしい娘が、まるで新妻のようにそれを見送り小さく手を振った。

あれからしらゆきは、ダンテの家に置いて貰っている。シェンスタドには帰れないと言うと、それならば家にいなさいと言ってくれたのだ。

ダンテは、この家の先にある鉱山の調査をしているらしい。シェンスタドの領地から丁度外れた場所で、どのような鉱石がどの程度採掘出来るのか、調べて国に報告しているのだそうだ。国に関わる仕事となれば役人なのだろうか。驚いたしらゆきに、ダンテは大した身分ではないから気ままなものさと笑っていた。

もちろんしらゆきは、ただダンテの家に置いて貰っているわけではない。

掃除と洗濯、それから料理はしらゆきの仕事だ。一体どのような生活をしていたのか、綺麗に整えられている割りに生活感の無いこの家は、しらゆきが働くことによってすっかり暖かな空間になった。そうして家の用事を何もかもこなして、ダンテの帰りを待っている。

食材庫の中のものは自由に使っていいと言われたので遠慮がちに使っていたが、ダンテがいつの間にかどこからか仕入れて一杯にしてくれた。沢から水を引く装置も付いていて、大きな湯桶にそれを溜めておけば、仕事から帰ってきたダンテが薪を焚いてお湯を沸かしてくれる。

しばらくの間、平和な時間が過ぎる。

生活に必要なこまごまとしたものも、しらゆきが不自由しないようにダンテが用意してくれて、申し訳なく思うほどだ。

ここでの生活が平和であればあるほど、ダンテとこのままこうして一緒に平和に暮らしていたいという思いが募った。

緑が濃く柔らかな陽の光が優しいこの家で、ダンテの世話を焼いて、仕事から帰ってきたダンテを出迎えて、一緒に美味しく食事をして、しらゆきの知らない国の話を楽しく聞いて過ごす。そんな中で、しらゆきは徐々にダンテへ思いを寄せていった。

もともとシェンスタドにいた頃から、ダンテが店にやってきてくれることを楽しみにしていたのだ。

しらゆきの作るお菓子はいつも早くに売切れてしまうのだが、まだ残っていれば、ダンテはぱあっと花が咲いたように嬉しそうな顔をして買ってくれるし、売り切れていると捨てられた犬みたいにしょんぼりする。その表情は心からしらゆきのお菓子を気に入ってくれているようで、ダンテの様子を見るのがいつしかとても楽しみになってしまった。

もしかしたら、これが恋心なのだろうか。

だがダンテは、最初に抱き締めて慰めてくれただけで、しらゆきに口付けひとつくれない。もしかしたら国に誓い合った人がいるかもしれず、どのみち鉱山の調査が終われば国に帰らなければならない人のはずだ。ダンテは優しいから、しらゆきをこの家に置いてくれているだけに違いない。だからしらゆきは、このほのかな恋心を胸に秘めることを決めていた。

いつかここを出なければならない。追い出されるよりは、自分から出て行った方がいいのかも分からない。ずっと空けているはずの自分の家も心配で、平和に慣れたしらゆきは、今ならばこっそり帰ってもソルシエには気付かれないかもしれないと考えた。

それで、ある日このように言ったのだ。

ダンテが仕事から帰ってきて、塩漬けにしていた兎肉で作ったシチューを出した。食べやすいようにと細かく切った根菜や、干した菜を戻したものをたくさん入れたしらゆき自慢のシチューだ。それらをお腹におさめ、爽やかで気分をすっきりとさせるお茶を飲む。

いつもならダンテの話を聞いたり、今日一日何があったか……という報告をしあったりする楽しい時間だったが、しらゆきはそうした流れになる前に、躊躇いがちに切り出した。

「ダンテ、私ね。ちょっとシェンスタドの自分の家に戻ってみようと思うの」

自分の家に「帰りたい」……と言わなかったのは、まだもう少し離れたくないと思ったしらゆきのほんの少しの我儘だった。両親の家に一度戻って様子を見てくると伝えるつもりだった。これ以上迷惑をかけてはいけないと思いながらも、もしかしたら、ダンテはまた一緒に暮らそうと言ってくれるかもしれない。そんな風に期待してしまった。

両親が死んでから2年が経った。自分は1人暮らしには慣れたと思っていたが、本当はそうではない。誰かと一緒に暖かい時間を過ごす日々は、まだ若いしらゆきには抗いがたい魅力だった。

だが、急に空気が変わり、しん……と沈黙が部屋に落ちる。

唐突に緊張を孕んだ雰囲気を不審に思って、しらゆきが「ダンテ?」と顔を上げる。

そこには、今まで見たことの無い程に表情を消したダンテが居た。

「しらゆき」

「ダンテ……ど、うしたの?」

ダンテがゆらりと立ち上がり、向かいに座っているしらゆきのもとにゆっくりとやってくる。何故か背中に汗が落ちて、思わずしらゆきも立ち上がろうとした。だが威嚇されるように見下ろされてそれが出来ない。ぽかんとダンテを見上げると、ダンテの手がしらゆきの頬にそっと触れた。

雰囲気とは裏腹の優しい仕草にドキリと心臓が跳ね上がった。

…が。

「そんなに僕と一緒に居るのが嫌なの?」

「え?」

「折角、楽しく暮らしていたのに」

「ダンテ、嫌じゃないわ? ただ、少しだけ戻って……」

「ダメだ!」

ダンテはしらゆきの腕を強く掴むと、無理矢理立ち上がらせた。そのまま乱暴に抱き寄せられ、唇を塞がれる。

「んん……っ!」

唇が重なってしばらくもしない内に、何かがこじあけるように唇を開かせた。その何かがダンテの舌だとしらゆきが認識する前に、ぬちゃりとそれが入ってくる。初めての感触に思わず腰が退けて逃げようとするが、片方の手がしらゆきの頭を抱え、もう片方の腕がしらゆきの腰を抱えていてぴくりとも動かせない。

「ん、あ……」

時々、唇の重なる方向が変わって声を許されるが、くぐもった息を吐くことしか出来なかった。それでもダンテに離して欲しくて、必死で声を出そうとするが、言葉にならぬ声が上がるたびにダンテはしらゆきを抱く腕に力を込める。

「……は、あ、しらゆき」

これは口付けなのだろうか。

しらゆきが夢見がちに妄想していた優しい口付けとは違って乱暴で、それなのに、舌のぬめりを受け取っていると足に力が入らなくなる。

蹂躙されたのは唇だけなのに何故か腰に力が入らず、胸がざわめいて苦しかった。「ダンテ……?」とやっと声を出すと、眉間に皺を寄せてダンテが舌打ちする。そんな怖いダンテを初めて見たしらゆきは、思わず身を竦めた。

「離さないよ、しらゆき」

「……ダンテ?」

「離れようとされるくらいなら、力尽くでも手に入れる」

そうダンテが低い声で宣言した瞬間、じゅわじゅわと奇妙な音が足元に響く。

「え? ……あっ!」

しらゆきを抱き締めていたと思っていた腕は、2本ではなく3本、4本、……もっと増えていた。いや、増えていたのではない。腕だと思っていたものは、腕ではなく、赤みを帯びた長い蔓のように見える。しかし蔓よりももっと生々しく見た目のそれらは、今や全部で4本、しらゆきの身体のあちこちにうねうねと巻き付いている。

「……あ、あ、……なに、これ……やっ、ダンテ、助けて!」

「ダメ、助けてあげられない」

「何これ、いや、止めて!!」

「だって、これは僕だもの」

しらゆきが、驚きに目を見開く。

その蔓……触手がしらゆきの身体を支えたまま、少しだけダンテの身体から離す。そこには、上半身はダンテの……人間のものだが、下半身は何本もの触手の生き物が居た。

「これが、僕の正体。シェンスタドの本国ウィンドバルの第3王子ダンテは、7の大罪しょくしゅを持つ魔物なんだよ」

「ウィンドバルの、だいさん、おうじ……?、触手……? 嘘」

ふるふると首を振るしらゆきの紫水晶の瞳に、みるみるうちに涙が溢れて膨らむ。その様子にダンテは僅かに視線を逸らしたが、再び真っ直ぐにしらゆきを見た。

「本当」

下半身が触手のダンテはにっこりと笑って、さわさわと動き始めた。触手がうねり、しらゆきとダンテを運んでいく。しらゆきは身を捩じらせてなんとか触手から逃れようとするが、きつく締め上げられている訳では無いのに、全く抜け出すことが出来なかった。

「は、離して、離してダンテ、何す……」

ガチャリと寝室への扉が開いて、触手がしらゆきの身体を寝台へと運ぶ。

しらゆきの両手が触手に絡め取られて、頭の上に押さえつけられた。床をうねって動く触手達の上に乗っているかのように見えるダンテが、触手ごと寝台の上に登ってくる。ただならぬその気配に、しらゆきが仔兎のように身を震わせた。

ダンテは触手でしらゆきを押さえつけたまま、少し離れたところで、逃れようともがく姿を見つめている。

「ちゃんとしらゆきに気持ちを打ち明けてからって、思ってたのに、ごめんね」

「ダ……ダンテ……何するつもり、お願い……!」

「ダメだよ。君の家には帰らせてあげない」

「違う、違うの、そのことじゃない……!」

「君はずっと、僕と一緒に暮らすんだよ」

もう2本の触手がダンテの下半身から伸びてきて、しらゆきの足首から太ももにまでぐるぐると這わせられ、そのまま割り開かれる。

さらに2本の触手がしらゆきの胸と腹に伸びてくると、白いブラウスの袷に入り込み、ぶちぶちと無理矢理開いて破いた。胸の膨らみを覆っていた下着の隙間にも、服を破いたばかりの触手が遠慮なく入ってくる。

「……ひ、う」

下着と胸の間に入り込んだ触手がぬらぬらとしらゆきの肌を刺激して、思わず変な声色の息が零れた。その事実が、否が応でもこれから始まる行為が何であるかをしらゆきに知らしめる。

ダンテの正体と突然の行為に頭が真っ白になったしらゆきは、反論も言い訳も何もかもが出来なかった。それよりも見たことの無い触手の魔物とのその先に、言葉も口に出来ないほどの恐怖を覚えて震え上がる。

「……や、だ。嫌、怖い! ダンテ、嫌ぁ!」

「……怖い……それは、僕が触手の魔物だから?」

しらゆきの強い拒絶の言葉に、何故かダンテが悲しそうな顔をした。その悲しそうな顔が、強く強く、しらゆきの脳裏に焼き付く。

一緒に暮らすんだよ……と、しらゆきの欲しい言葉を言ってくれたのに、その言葉に思いを寄せることが出来ないまま、しらゆきの衣服は剥ぎ取られた。