006.それでもあなたが恋しいと

動かすことができないほど気だるい身体を寝台に沈めたまま、しらゆきはゆっくりと瞳を開く。

目の前には逞しい男の胸があり、その硬さとは正反対に柔らかいしらゆきの身体が引き寄せられている。腕が肩に回されていて、離れることが出来ない。すうすうと心地よさそうな吐息が髪の毛を温めていて、少しだけ顔を動かすと、幸せそうに眠っているダンテの顔がすぐ側だった。

上半身だけを見れば、恋人同士が幸せな余韻に浸っているように見える。

だが2人の下半身を見ると、赤みを帯びた触手がうねうねと娘の身体に絡み付いていて、その所有を誇示していた。今は大人しく、眠っている子供のような緩慢な動きでしらゆきの太ももや腰周りを撫で回しているだけだったが、ダンテが意識を取り戻せば、すぐにそこかしこかがしらゆきの身体を侵食しようと動き始めるだろう。

あれからもう3日は経ったか。

食べ物は全部ダンテが用意してくれて、お風呂もダンテが入れてくれた。花摘だけはゆるしてくれたが、そうした生活行為が終わるとすぐに身体の全てを触手に奪われる。外も中もダンテが触れていないところは何処にもなく、気だるさや筋肉の軋みは感じられても、身を裂くような痛みはもう感じない。

それどころか、気持ちがいいと感じてしまう自分がいて戸惑う。

きっとおかしくなったのだ。

ダンテではなく、しらゆきが。

「ダンテ?」

囁くようにそっと名前を読んでみると、ダンテが心地よさそうに頬を擦り寄せてくる。

「しらゆき……」

呼ばれてしらゆきは息を殺した。起こしてしまったのかと思ったのだ。だが、ダンテはしらゆきを一度抱き直して、触手をしゅわしゅわとしらゆきの腹周りまで巻き付けて体勢を整えて、また安定した吐息を聞かせ始めた。

触れ合うダンテの頬は温かくて、眠る前まで何度となく喘がされた激しさが嘘のようだ。ダンテがしらゆきの中で果てる度に見せる苦しげな眉間の皺も今は無い。ダンテがしらゆきにそういうことをする度に、辛そうな顔をする理由が分からなかった。苦しいのにしらゆきを抱くのは何故なのだろう。辛いのにどうしてしらゆきを離してくれないのか。聞きたいことはたくさんあったが、目を覚まさせるのは怖くて眠ったふりをする。

自分達はどこで間違ってしまったのだろう。

****

鏡の中に、幸せそうに抱き締め合って眠っている恋人同士が映っていた。

互いに何も着ていないようで、男の程よく陽に焼けた肌と引き締まった筋肉が、娘の白く滑らかな肌を大切なもののように抱えている。温もりを分け合うかのように、男は愛おしく娘を抱き締めている。娘は男の優しさを、胸一杯に心地よく感受しているように見えた。上半身しか見えなかったが、悔しさの余りそれ以上見たいとも思わない。

「……しらゆき、一体どういうことなの……」

怒りに握りしめた拳を振るって、サイドテーブルに置いてあったお茶のセットをがちゃんとひっくり返す。

「リュード、リュード!」

呼ばれて、人狼のなりそこないが飛んできた。大きな身体をソルシエの前で小さくし、肩を落としておどおどと鏡と主を交互に見る。

そこには魔の森に捨ててきたはずのしらゆきと、ソルシエの美しさに傅くはずのダンテが抱き合って眠っている。それを見て、「グルル」とリュードの腹が鳴った。

「お前、しらゆきを魔の森にちゃんと捨ててきたんでしょうね」

「すて、捨ててき、きました。ちゃんと」

「じゃあ、これは何!」

何、と言われても、そんなことはリュードが聞きたかった。しらゆきは確かに魔の森に捨ててきた。それは間違いない。しかしその先にダンテがいるなどとリュードは考えなかったし、それはソルシエも同じだろう。

ソルシエとて、リュードが失敗したとは思っておらず、ただのやつあたりだ。確かにしらゆきが魔の森をさまよっているのを鏡で見た。ということは、ダンテが助けたのだろうか。いなくなったしらゆきを探して?

殺すには偲びないと思い生かしておいてやったというのに、今だにダンテを誘惑するなど、なんてふしだらな娘なのだろう。

シェンスタドから追い出すだけでは足りない。こうなったら、確実にしらゆきを殺すほかない。他の者には任せていられなかった。

「もう、いいわ」

「ソルシエ様……」

「今度は私が直接行く」

ソルシエの有無を言わさぬ声に、リュードの毛むくじゃらの奥の小さな瞳が、驚きに瞬いた。ぶるぶるぶると頭を振ったが、ソルシエはふんっ……と背中を向けて鏡の前から立ち去ろうとする。リュードは思わずソルシエの腕を掴んだ。

「ソ、ソルシエ様!」

「お放し!」

ぱちんとそれを弾いて、ソルシエは部屋を出て行ってしまう。1人取り残されたリュードは、主の行く末を為す術もなく見守った。

もうすぐ満月が来ようとしている。

****

しらゆきの身体が5本の触手に掴まれ、開かれた足の付け根に、ダンテが頭を置いている。しらゆきの身体を開かせるのは触手に任せ、両の指で花弁を押し広げると、そこに舌を這わせた。

「う、あ」

指や触手で犯されるのとは違うぬめぬめとした刺激と、そんな場所を舐められるという行為そのものに対する羞恥、そう思うのに逃れられない気持ちよさにしらゆきは翻弄される。

嫌だと言っても止められたことは一度もない。それでも懸命に止めてと訴えるのだが、口を開くと信じられないほど粘ついた声が上がってしまって怖い。

ダンテの触手が舌と交代して、するすると入ってきた。代わりにすぐ上の突起を舌で揺らすように嬲り始める。

下腹部に溜まっていた、ぞくぞくとした感覚が一気に這い登る。

「やだ、やっ、こわ、怖い、ダンテ、いやぁ」

大きな波が来るたびに、しらゆきは怖いと訴えた。痛くは無い。むしろ気持ちがよく、知らない感覚なのに欲しいと思う。そんな自分が怖かった。怖くて怖くて、助けて欲しいとダンテを呼ぶのが、それを聞いたダンテは、いつも眉間に皺を刻んで不機嫌な顔をする。

「……んっ、あっ、ああ……っ!」

何度味合わされたか分からない、怖くて甘い愉悦がしらゆきの全身を襲った。かくん……と崩れ落ちる身体を触手が支えて、ダンテの身体から引き離される。

「ダンテ……?」

今まではダンテの上半身の何処かが触れていて温かかったのに、急に離れて何故か心細くなる。しかし寝台の上にゆったりと座ったダンテは、表情の読めない顔をして、触手を使ってしらゆきの身体を持ち上げた。まるで磔にでもされているかのように持ち上げられて、しらゆきの身体の何もかもが晒される。

「や、何す……」

「もっと、見せてよしらゆき。君が感じているところ」

ダンテが何を言っているのか分からない。しらゆきはいやいやと頭を振ったが、ますますダンテの顔は表情を消していく。

そしてあの辛そうな顔をして、持ち上げたしらゆきの秘所にダンテのものを突き立てた。

「……っぁ!」

瞬間、ひくひくとしらゆきが小さく啼いて身体を仰け反らし、同時にじゅくじゅくと触手が動き始めた。

とろりと抜け出る時のやけに生々しい感覚、ぐちゅりと中に押し込まれる時の一体感。しらゆきにはこの行為に対する自分の気持ちが分からない。

ただ。

「ダンテぇ……」

触手に纏わり付かれながらも、ダンテに初めて手を伸ばす。

「しらゆき……?」

行為に酔うように没頭していたダンテがハッと顔を上げ、しらゆきの様子に気が付く。

伸ばされた手が届くように、しらゆきごと触手を引き寄せる。ダンテも手を伸ばしてしらゆきに触れると、指と指が絡まった。

「ダンテ、ダンテ……」

「し、らゆき」

そんなはずがない。けれど、まるで抱きしめてとでもいうように、しらゆきがダンテを引き寄せようともがく。するすると触手を退かせると、ダンテの胸にしらゆきの身体が飛び込んだ。

その細い身体をきゅっと抱きしめて、ダンテは雄の触手の動きを速める。

「……! ダ、ンテ……、あ、あああ!」

「うう、く、っ……しらゆきっ!」

膣内なかが悦ぶように収縮したのは気のせいではなかった。ダンテを飲むように動くしらゆきの中に、熱い飛沫が吐き出される。

同時に達したのだ。

「ダンテ……」

しらゆきがダンテの体温を求めて、身体に頬を寄せる。

思わずダンテは首を振った。まるでしらゆきに愛されたかのような錯覚を覚えてしまったからだ。受け入れられて、求められて、互いに心地よいものを貪るその幸せ。欲しかったものが、一瞬手に入ったように思えた。

「……しらゆき、やめてよ。僕……」

期待してしまう。

たとえしらゆきが、朦朧とした意識の中で言ってしまった譫言だとしても、期待してしまう。

****

次にしらゆきが目を覚ました時、隣にダンテは居なかった。

「ダンテ?」

最初がどうあれ、ずっと触れていたぬくもりが側にいなくて、しらゆきは少しだけ悲しく思った。それに、ずっとしらゆきとダンテはまともに話していない。何かを話そうと思うと唇は塞がれるし、嵐が収まると途端に眠くなってしまう。しらゆきが眠るとダンテも眠り、起きていると話す暇を与えられない。

しらゆきはダンテと話をしたかった。あんな風にされても、まだダンテのことが嫌いにはなれなかった。麻痺してしまったのかもしれないが、それが正直な気持ちだ。

それに一番最初にダンテが向けた悲しそうな顔と声が忘れられない。

『……怖い……それは、僕が触手の魔物だから?』

始めは怖かった。それは間違いない。

しかし最初の恐怖は、優しいダンテが急に怒りを向けてきた混乱が大半で、恐らくゆっくりと説明してくれたらしらゆきはおびえなかっただろう。なぜなら、今はまったく怖くないからだ。

それを伝えることは、とても大切なことのように思えた。ダンテを怖く思っていないこと、そして、あの時は確かに「しらゆきは僕と一緒に暮らすんだ」と言ってくれた言葉を待っていたことを、しらゆきはダンテに伝えたかった。

「ダンテ、ひどいよ……」

あんな風に激しくするくせに一緒に眠る時は心地よくて、しらゆきの言葉を許さないくせに、自分はしらゆきのことをあんなに優しく呼んで抱き寄せる。

しらゆきは今だ自分の心が分からないし、説明できない。確かに合った恋心はいまだ生きているのか、ただ恐怖で麻痺しているだけなのか、それが分からない。

「もう戻れないのかな」

ただ、ダンテに会いたかった。

美味しそうにケーキを食べてくれるダンテを見て、幸せな気持ちになっていたあの頃には、もう戻れないのだろうか。ご飯を作って、家のお掃除をして、ダンテが帰って来るのを待って、一緒にご飯を食べていろんな話をした毎日には、もう戻れないのだろうか。

「戻りたい」

戻れない?

「違う」

しらゆきは涙が出そうになった瞳をこしこしと擦って起き上がった。身体は重いがどこも痛くないようで、立ち上がることも出来そうだ。

ダンテが居て、しらゆきがいて、楽しいと思った毎日を、2人はどうしていたんだっけ。それは、もう戻れないような難しいことだっただろうか。しらゆきに出来ることをして、ダンテが自分の仕事を勤めて、そうやって暮らしていただけなのだ。

今はダンテはいない。

ダンテがいないとき、しらゆきは何をしていただろう。

「戻ろう」

そうしらゆきは呟いて寝台から降りた。重い身体を動かして、ダンテが用意してくれた動きやすいワンピースを身に付ける。

寝室を出て、居間を見渡す。

誰もいない。

続きの間になっている食堂には、昨日ダンテが食べさせてくれたスープが残っていて、食器は洗わずそのまま置かれている。それを横目に食堂を通り過ぎ、しらゆきは外に出るための扉に手を掛けた。