「つまり、その、ずっと昔からお付き合いされていた、と」
居間のソファにどっかりと座っているギフヴェントとその隣にちょん……と座っている愛らしい第二王女……ギフヴェントはエウフィミアと呼んでいた……を前に、使用人に事のあらましが説明された。離れで二人一緒にいるところをエウフィミアの侍女エイメに見つかり、そこで使用人達に心配をかけていたことを初めて知った二人は、趣味のこともエウフィミアとのことも、すべて話すことを決意したのである。
それはこういうことであった。
エウフィミアは名前と身分を偽り、中央司令府に就職。そこでギフヴェントと知り合い、趣味を通じてごく普通の流れで恋人同士になった。
職場に恋人がいるというのは事実だから否定しなかったが、正体が知れるとエウフィミアに迷惑がかかるために厳戒態勢を敷いてそこだけはバレないように行動していた。
つまりギフヴェントの知られざる恋人とはエウフィミア=第二王女であり、それを知ったギフヴェント自らが国王に頼み込み降嫁を許してもらった。
もともと恋人同士であったことを世間に公表すると、エウフィミアが身分を偽っていたことが知れてしまう。ギフヴェントの妻になればいずれバレることであるからして、エウフィミアの研究施設への部署異動を機にそれを公表することとした。公表する以外の方法で周囲に周知することは避けた。それは使用人達も同様である。
家の中でも特に仲違いの演技などはしていない。いつも通り仲良くしていた。
ただし、ギフヴェントの趣味についてはもちろんのこと、エウフィミアとは初対面ではないことは、使用人達の中でもスウェイクとヒルダ以外には秘密とされていた。
しかし説明を受けても第二王女の侍女エイメはまだ納得できない部分があるのか、食い下がる。
「で、ですが……閣下はいつもエウフィミア様と会話をなさいませんでしたし、朝食の時も静かで……」
「ミアとは、いつも離れで会話している。……それに、静かに食事をしているミアは、その」
朝食を食べているエウフィミアの様子が新鮮で、ただただ、見つめることに夢中だった、という意味のことをかいつまんで厳つい将軍に話されたときには、ティエルはあまりの糖度に喉をかきむしりそうになった。
「それなら、なぜレース編みをされているエウフィミア様を睨みつけて、あんなに冷たい言葉を掛けられたのですか!? 『勝手にやるがいい』……とかなんとか……」
「待って、エイメ。あれは……私が使っていた糸がこの間仕入れたばかりの最新の染色だったから……先に、好きなように使わせていただいて申し訳なくて『申し訳ありません』と。……ギフヴェントは『気にすることはない』という意味で、あのように……」
今度はエウフィミアが顔を赤くして俯いた。そして眼鏡越しの上目遣いでギフヴェントの顔を覗き込んでギフヴェントを悶えさせた後、おずおずと説明する。ギフンヴェントは離れでしか刺繍やレース編みができないのに、エウフィミアは女であるからという理由で、居間で堂々と手を動かすことができる。あまり離れに入り浸るのもよろしくないと、居間で団欒のような時間を持ってはみたが、早くレース編みをしたくてうずうずしているギフヴェントの様子に、エウフィミアは自分だけが楽しくて申し訳ない気持ちになったのだという。
つまり睨みつけていたのではなく、羨ましい、はやく離れに行きたい、エウフィミアと一緒にレース編みがしたい、という視線だったと。
「そ、それなら、それならば……!! いつぞや、『寄るところがあって遅く帰る』と言った時は……」
「あの時は秘密裏に購入していたレース編みの糸を取りに行っていた」
「れーすあみ……!?」
使用人達には趣味のレース編みや刺繍のことをすっかり話してしまったギフヴェントは、観念するように唸り声を交えて言った。
「そ、の、あと、離れに行ったのは」
「ミアと一緒だ。新作の糸を早く見せてやりたかった」
目眩がした。後に推測したことだが、あの後、エウフィミアが随分と沈み込んでいるように見えたのは……単に、その、なんというか、正式な婚姻の儀を開いていないこともあり、初夜はまだ迎えず夫婦同衾することは遠慮していたらしいのだが、気に入りのレース糸をエウフィミアに披露したところ随分喜ばれ、偶然にも結婚が決まって以来初めて共に過ごす夜になってしまい、付き合って1年、今まで朝帰りしたことがなかったことも相まって、朝までエウフィミアを離さずにいたそうだ。つまりエウフィミアはお疲れだったらしい。
そういや、今日、二人で買い物に行ったあとにすぐさま離れに行っていたのも同じ理由か。そこで二人一緒にいるところを見かけて、こうして使用人達に何もかもを話すことになったのだが。
「ちなみに」
コホン……と家令のスウェイクが咳払いをした。スウェイクは、リムガウ家で唯一、ギフヴェントの協力者になっていた人物だ。ギフヴェントが幼い頃から仕えており、おそらくギフヴェントの両親であるリムガウ侯爵に仕えている使用人も全て合わせて、最も年長の男である。
「奥様とお買いものなさっていたときですが」
この時初めて気がついたのだが、スウェイクだけは、エウフィミアのことを「奥様」と呼んでいた。そういえばティエルは一度もエウフィミアのことをそのように呼んだことがなかった。なぜかそのことに、ティエルは申し訳なさのような、そわそわとした居心地の悪さを感じながら、スウェイクの話に耳を傾ける。
「お二人が店を出られた後、特別変わったことが無かったかと訊ねたのですが、大層長い時間飽きもせずに楽しげに商品を見て回られた、とのことです」
あのギフヴェント将軍が?
泣く子も黙る守護獅子が?
どうやら、奥方と一緒であれば堂々と店の中を見て回ることができるため、それはそれは楽しい時間を過ごしたのだという。ギフヴェントは、こうした店に入るのは初めてだったそうだ。
想像ができなさすぎて、ティエルは言葉を失う。
「たくさんの糸と布を仕入れられて、奥様にもご満足いただけたようで」
「はい。ありがとうございます」
再びかすかに頬を染めてエウフィミアはまっすぐにギフヴェントを見上げ、満面の笑みを向けた。その表情を見下ろして、ギフヴェントが瞳を細める。恐ろしい顔だった。
それを見て、ティエルは重大なことに気がつく。
この顔。
この顔は。
「……恋人を見て……笑ってる顔だったのか……っ!!」
その顔は、時折ギフヴェントがエウフィミアを睨みつける時の、恐ろしく不機嫌で厳つい凄みを効かせた顔だった。ティエルはこのリムガウ家でうまくやっている方だと思っていたし、ギフヴェントのこともよく知っていると思っていたのに、まさか、この顔が恋人に向ける最高の顔だったとは知らなかった。
いや知るか、くそっ。
それを踏まえて二人の様子を思い出すと、朝食を食べる時、エウフィミアが紅茶を淹れた時、いってらっしゃい、おかえりなさいませの挨拶、そして刺繍をしているエウフィミアを見ている時、ギフヴェントはいつもこの顔をしていたではないか。
「なんなんだ」
終始イチャイチャしていただけとかなんなんだ。
自分達が心配していた愛人の存在とか、政略結婚と愛情の関係とか一体なんだったんだ!!
「エウフィミア様!!」
「は、はい!」
ティエルがギフヴェントとエウフィミアの仲睦まじさに若干イラっとしていると、エイメが再びエウフィミアに詰め寄った。
****
エイメもまた、エウフィミアに仕えることに誇りを見出し、彼女のことを何よりも心配していた人間の一人だ。エウフィミアが身分を偽っていることは、ごくわずかな人間しか知らない。つまり王の家族と宰相などの一部の最高幹部、そして王妃の実家と彼女に仕える二人の使用人だ。重要な機密の一部を担っていることに、エイメは誇りを持っていた。
エウフィミアに仕える使用人は幾らか居たが、正体を知っているのは一番近くに仕えていたエイメと、元女官長のヒルダ・ジェイルのみだ。しかしエウフィミアがギフヴェントと恋人同士であったことを知らされていたのは、ヒルダだけだった。
そのヒルダは実は、リムガウ家の家令スウェイクの姉である。しかしもちろん、秘密は1年もの間、スウェイクにも国王にも知らせずにあった。最初は楽しげだったエウフィミアが時折物思いにふけるようになり、ギフヴェントに求婚されたことをとうとう相談したとき、ヒルダは弟であるスウェイクにこの重大な秘密を打ち明けたのだ。
「王家の秘匿を打ち明けました罪が問われれば、無論、この命を差し出す覚悟でございましたよ」
高齢ながらいまだ凛とした背筋の伸びた声で、ヒルダは答える。
もちろんヒルダの命は差し出されることなく、エウフィミアの身元の調査を命じていたギフヴェントの元に、その正体が知らされた。
そして、ギフヴェントは国王に第二王女を妻にしたいと申し出たのだ。
その話を聞き、全ての出来事から自分が除け者にされていたように感じて、エイメはしゅん……と肩を落とした。
「エウフィミア様……私にも、相談していただきたかったです……」
「エイメ……黙っていてごめんなさい」
エウフィミアは慌ててエイメに駆け寄って、困ったようにその両手をとった。自分の未熟さは分かっているつもりだった。しかし王家の秘匿である第二王女の身の上は知らされても、王女の秘匿であるエウフィミアの恋は知らされていないなんて、……全然信頼されていないのだ、と自信を失くす。
「エイメ。エウフィミア様は、何度もエイメに相談しようと思ったそうよ」
「え?」
ヒルダの声に、エイメが顔を上げた。言葉の続きはエウフィミアが引き取る。
「私、その……ずっとあまり、友達を作ってこなかったから、恋の、相談などをしてみたくて……でも」
エウフィミアは正体を隠して学校にも行き、王妃の実家の領地では農場で働いたこともある。しかし自分の正体を秘密にしている後ろめたさから、あまり深い友人を作ってこなかったのだそうだ。しかしとうとう、同じ年頃で自身の秘密を共有するエイメという女性が身近にできた時、嬉しくて、恋の相談もしてみたらどんなに楽しかろうと思っていたのだ。
しかし自分の正体は第二王女。恋の相談をしたとて、その先の未来は見えなかった。
「でも……たとえば、エウフィミア様のお召し物やお化粧や、髪型を華やかにすることはできます!」
恋の……未来の相談には乗れなくても、たとえば恋をする女性がデートの時に着る服や、可愛く見せたいと思う女心に協力することは出来たではないか。
それにはヒルダが首を振る。
「ええ。あなたならばそう言うでしょうね。普段から、エウフィミア様の装いを気にしていたから。けれどお二人の邂逅は秘密裏でしたので、誰かの印象に残るような華美な装いは禁物でした」
「そんなあ……」
エウフィミアは眼鏡と髪の色……そして何より、いつも職場で着ている白衣のせいで地味に見えがちだが、スタイルもいいし胸の大きさも見た目よりふくよかで、髪の色は地味と言いながらも不思議な色合いで美しい艶がある。華美でなくても愛らしく見える格好ならばいくらでもあったのに。
がっくりと肩を落とすエイメに、エウフィミアが声をかけた。
「これからは……私も、第二王女として将軍の隣に並ぶよう努めます。だからエイメ……色々と、私の知らないことを教えて欲しいの」
「エウフィミア様!!」
今度はエイメがエウフィミアの両手を握る。
淑やかなエウフィミア。エウフィミア自身はそんな自分に自信がないようだったけれど、上品な所作も整った姿勢も、本当はとても美しい。眼鏡も肩までしかない髪も、それに似合う服、可愛く見せる服、美しく見せる服はたくさんある。艶やかな髪がすっと伸びた首筋を綺麗に見せるし、軽やかに揺れる毛先がどれほど可愛く、そして眼鏡がどれほど知的に見えるか……!!
「おまかせください、エウフィミア様!! このエイメ……全身全霊を込めて、エウフィミア様の装いを、エウフィミア様らしく揃えさせていただきます。よろしいですね、閣下!!」
「う、うむ」
ギフヴェントをもたじろがせる勢いで、エイメが期待に満ちた顔を向けた。思わずギフヴェントは頷き、その後エウフィミアを優しい(恐ろしい)顔で見下ろした。
そっと、髪に触れる。
「だが、本当は目立たぬ格好のほうがいいな。新しい職場では俺の目が届かない」
「まあ」
「出来れば俺が触れられるときだけにしてくれ」
恐ろしい形相でそんなセリフを言うものだから、部屋にいる使用人全員が耳を塞いだ。
****
かくして。
ウェルギルス王国の英雄、守護獅子ギフヴェントに精算できぬ愛人がいるまま第二王女が降嫁し、政略結婚ゆえに不仲が心配された日々は一瞬で終わった。
箱を開けてみればそこには、付き合って1年になってようやく結婚することが叶った妻を溺愛する夫と、夫の趣味も顔の怖さもまとめて愛する優しい妻がいるだけだった。
第二王女が静養のために身分を隠して王妃の実家に預けられていたこと、王族の身分の差無く研究施設への就職を希望し、それゆえ偽りの名前のまま中央司令府に就職していたことは公にされることになった。
非難する声ももちろんあったが、そこで出会った守護獅子との恋愛譚はそれを打ち消した。そして、二人並び立った時の……いかつい獅子と優しく愛らしい奥方とのギャップは市井に広く楽しく親しまれたという。
幸せの裏には、一つだけ……秘密がある。
ギフヴェント・リムガウは数々の美しいレース編みの編み図や刺繍図を生み出したが、それらの名義はいつまでも、謎のままであったそうだ。
*
*
*
*
「あれは、私の娘だ。分かっているのか」
「存じております」
「お前の行い。許さぬぞ」
ウェルギルス王国王城の、王がごく私的な客を迎えるために設えている応接室に、ギフヴェント・リムガウ将軍が招かれていた。国王に内密に報告したいことがあるとギフヴェントの言を受け、設けられた席である。
ギフヴェントからの報告とは、報告ではなく願いだった。いつぞや、国境を平定した褒美に望むものをと提案し、しかし領地に帰りたいとの願いは退けたまま、保留になっていた報償の件である。ギフヴェントが自らそのようなことを願い出るのは珍しく、国王はそれを聞いた。
願いとは、国王の娘シルウィウス・エウフィ・ミア・ウェルギルスを妻にしたいとの内容だった。
諸事情全て聞き入れ、納得した上での王の回答が、
「お前の行い。許さぬぞ」
である。
しかし、間髪入れずに王妃がぴしゃりと言った。
「許さぬぞってあなた。単に悔しいだけでしょ」
言われて国王は、グヌヌ……と拳を握る。
「だって!! 余ですら、ミアに自由に会うことはまかりならなかったと言うのに、その間この男はミアと楽しくレース編みだの刺繍だのしていたのだろう!?」
「ふふ。レース編みといえば、あなたのお誕生日にとっても凝った鞘飾りが贈られてきたではありませんか」
「それが! 時期的にこやつと一緒に楽しく作ったものだと思うとだな」
「あらいいじゃない、仲良くて。ねえ?」
さすがのギフヴェントも国王夫妻の前で、しかも第二王女との婚姻を望むともなれば恐縮するのは当然だ。王妃に「ねえ?」と言われて、背中に冷や汗をにじませながら「は」と答えるのが精一杯だった。
「しかしだな、なんでミアは! この父に一言も相談が無いのだ」
「あらあ……それは確かに、ちょっと寂しいわね」
王妃がクスクスと笑うと、国王はそうだろうと頷いた。しかし、王妃は肩をすくめて続ける。
「でもまあ、年頃の娘だものしかたがないわ。私だって貴方と恋人同士だったときは、ずううっと黙っていましたもの」
「あれはいろいろ事情があって!」
「事情? 事情ってなんのことかしら。貴方の女性関係? それともお母様のこと?」
「それは誤解で全て片付けただろうが!!」
うふふ……とおっとり笑う王妃に、国王が顔を真っ赤にして慌てふためいた。国王と王妃の仲睦まじさは国はおろか、近隣諸国にも恋愛話として伝わっているほど有名である。国王を見事に手懐けるその手腕は、国でもっとも強いのは王妃ではないかと囁かれているほどだった。
「ともかく、私たちはミアが幸せであればそれでよいのです。そうでしょう?」
「……む」
「ギフヴェント・リムガウ将軍は我が国で最も信頼できる戦士。ミアが大切にしてもらえるならば、よいではありませんか」
グウウ……と国王は唸り、ついに頷いたのである。