002.僕の運命の人だから

「あ……あ、は……あ」

男の唇が彩花の胸の膨らみに吸い付いている。男の口腔内では舌がやわやわと動かされ、さらにその舌に彩花の胸の頂が包まれて、転がすように舐めとられていた。

舌が揺らす度に、ぞくぞくとお腹の内側がくすぐられているような感覚に襲われる。時々、ちゅ、と強く吸われて身体がびくりと震え、男の手がなだめるように彩花の頭を撫でた。

「あやかさん」

唇を離して、男が彩花の身体を抱き締めた。優しく耳元にキスされて、男の額がこつんと彩花のこめかみに触れる。何も身に着けていない2人の身体がぴったりと重なっていて、男の筋肉の硬さが知れた。

つう、と背中の筋を辿ってみると、「ん」とくぐもったような声をこぼして、男が瞳を細くする。硬い背中からも分かるが、男はほっそりと華奢に見えるが鋭い刃のように筋肉質だ。

「あやかさん?」

彩花が男の汗ばんだ額にかかった髪を払って、耳にかけた。青みがかった黒い髪に縁取られた顔にぱっちりと大きな瞳で、それだけ見ると少し幼げだが、凛々しい眉とすっと通った鼻筋は意志が強そうだ。

彩花は男のすべすべした頬に指を滑らせた。喉を撫で、男らしく出っ張った喉仏に触れていく。こくりとその喉仏が上下して、男が困った顔をした。

「誘わないで」

「や……、ちが」

「うそだね」

慌てて彩花が指を引っ込めると、くすくす笑いながら男が再び身体を重ねてきた。耳の下の首筋に歯を少し立てて、噛み付かない程度に触れていく。彩花が首筋への刺激に気を取られていると、下半身へと指が伸び、こちょこちょとくすぐるように裂け目を往復した。

「あ……!」

「だってここすごく濡れてる」

「……ふ、っう」

男が身体を離して彩花の下半身に移動すると、ぐっと足を開かせた。彩花が何かを言う前に、しとど濡れたその場所へと顔を近付ける。

先ほど指が往復していた場所を、今度は生温かくぬるぬるした舌で触れ始めた。舌を長く伸ばして細やかに動かし、秘部の花弁を捲っていく。剥き出しになった粘膜の奥に舌を挿れ、蜜を舐めとるように丁寧に触れた。時々親指で広げ、くすぐる場所を変える。指とは違うもどかしい刺激に、もっともっと……という恥ずかしい欲求が膨れ上がり、自然と足が開いてしまう。

花弁の上にある赤い真珠のような蕾が、ぎゅっと吸われる。思わずしゃくりあげるような声を出してしまい、腰が逃げを打った。しかしがっしりと男が腰を掴み、執拗にその部分を吸い始める。

「……あ、ああ。いやぁ……」

「ん、ん……あやかさ、ん」

少し唇を動かし、舌でしつこくその部分を舐めながら、男の指が急にくちりと入ってきた。びくん……と彩花の身体が跳ね上がったが、途端に指も唇も離れる。

「……は、あ」

達する直前で止められて、思わず彩花が男の顔を見る。男は唇を拭うと、色っぽい笑顔を向けた。

「かわい、あやかさん。だいすき」

ちゅ、ちゅ、と唇を重ねて、男が身体を近付けると、彩花は受け入れるようにその背中に腕を回す。

触れ合えばそこは容易く繋がった。濡れて柔らかくほぐれた彩花の場所は、情欲に強く硬くなった男の熱をいとも簡単に飲み込む。しかし行為の容易さからは想像がつかないほど、深く強い場所に、男の先端が届き、動き始める。

「あ、あぁ……わた、し」

「あやかさん、……触れたかった。これからも触れたい。ずっと触れていたいよ」

これは夢だ。

見る度に時系列がつながっている不思議な夢。夢のはずだ。

だから「今日の男は少し様子がおかしい」なんていう表現が当てはまるはずが無いのだが、だが、やはり今日の男はどこかおかしかった。激しくて、執拗だ。それでいてどこか縋るようで、見ている彩花の胸の奥も、なぜか切なくなる。

男の熱が、彩花の奥の一番好きなところを目掛けて激しく動く。

彩花は急に膨れ上がる愉悦を堪えて、男を締め付けた。

夢を見れば見るほど、愉悦は深くなる。まるでお互いの身体を、セックスを通じて研究しているようだった。男は彩花の身体を覚え、どんどん彩花のいいところを責めるようになってきている。しかしそれは彩花も同じだった。彩花だって男の感じる部分が何処かは分かるようになってくる。男がそうであるように、彩花もまた、夢での交わりを覚えているからだ。

「あやかさん、あやかさん……」

「ああっ、もう……っ!」

「ん、ぼく、も、一緒にイこ、あやかさん、一緒に……」

彩花の身体が男の熱に屈すると、男もまた、彩花の脈動に合わせて白濁を吐き出した。彩花の達した鼓動に寄り添うように、男の熱もどくどくと鼓動している。

くったりと男が脱力して、彩花の身体を抱き締めた。達した後の男の人の重みって、なんだかとても可愛くて愛しい。背中をさすってやると、男が大きな瞳で彩花の顔を覗き込み、嬉しそうに微笑む。

「あやかさん」

「ん……」

「もう、いいよね?」

……何が?

問いかけようとして、急に睡魔に襲われた。事後だからだろうか。心地よいまどろみは、強烈な誘惑で抗えそうにない。懸命に起きようとして眼を開くのだが、男の唇が瞼に触れて温かく、身体の自由が利かなかった。

「今日たくさん触れてくれて、嬉しかった。ちょっと恥ずかしかったけど」

何を言っているのだろう。たくさん触れてって、どういうことだろう。夢の中のことではないのだろうか。

「ねえ、朝起きて」

起きて……

「ぼくが、隣にいても、おどろかないで……?」

「ど、いうこと……?」

だがもう男の声は聞こえずに、ぎゅ、ときつすぎず緩すぎない力で抱き締められただけだった。まるで極上の寝具に包まれているような気持ちよさで、彩花はそれを享受する。男が誰だかは知らないけれど、夢の中ならば別にこの腕に頼ったって不都合は無いだろう。

そう、思っていたのだが。

****

「あやかさん、いい匂い」

まだ夢が続いているのだろうか。ふんふんと鼻息を首筋に感じて瞳を開けると、覚えのある男の手が彩花を後ろから抱き締めている。

「ずっとこうしたかったんだ。本物のあやかさんとこうやって一緒に眠って、ごろごろ朝起きて」

耳の中に、男の囁く声に含まれた吐息が流し込まれる。くすぐったくて腰がぞわぞわし、思わずううんと唸ったら、くすくすと男が笑った。

「あやかさん、起きたの?」

「ん……」

きっと夢が続いているのだ。そう思って、彩花がころんと転がると、まるで新婚の妻を見つめる夫のような甘ったるい顔をした男が微笑んでいた。

「おはよ、あやかさん」

「うん、おはよ」

そう、これは夢だから平気。さっきまで抱き合っていた男……というか、夢でよく抱き合っている男、という気安さで答えて、すりすりと硬い胸の中に潜り込む。

「もう少し寝る?」

「ん、だって今日休みだもん……」

今日は休みで予定も無いから、昼前まで寝ていたって誰にも咎められない。惰眠を貪るのは現代人の何よりの贅沢なのだ。そう答えると、うふふ、と男が嬉しそうに笑った。

「じゃあ、もうちょっと寝てよっか」

「ん」

「あやかさんの寝顔見てていい?」

「んん……」

「あ、ちゃんと我慢するから! 本当は続きしたいけど、夢じゃないから我慢する。なんだろう、あれ、なんていうの? 受粉しないようにするには、つけないといけないんだよね、ヒトって」

「じゅふ……? つけ、るって何……」

「えっと、コンドーム?」

奇妙に現実的な響きの単語に、彩花は一気に覚醒し、がばっ……と身体を起こした。「夢じゃない」と男は言った。確かに例の夢は、夢にしては現実味を帯びてはいるが、それはいつものことのはず。しかし、今回は何故か胸騒ぎがする。自分を抱いているのは一体誰なのか、これは本当に夢なのか。

「……!!」

「あやかさん?」

男が楽しそうに首を傾げている。誰だこの人。

「誰?」

「誰って……僕だよ」

「誰、うそ、なにこれ、貴方だれ、いや、いやあああああああ!!?」

「ちょ、ちょっと、あやかさん、あやかさん!!」

男は多分、彩花を落ち着かせようと思ったのだろう。冷静に考えれば、こんなワンルームの部屋で甲高い叫び声をあげるのはいただけないし、下手すれば警察沙汰だ。いや、怪しい男がいるだけで下手をしなくても警察沙汰なのだが。

ともかく、男は慌てた風に彩花の身体を抱き寄せて、あわあわと慌てふためいて頭を撫でて、そして。

ちゅう、と唇を触れ合わせて吸い付いた。

彩花に身体を乗せて押さえつけて、唇だけ触れ合わせたまま囁く。

「あの、あの、ごめんね、あやかさん、落ち着いて、叫ばないで、近所迷惑だから」

どう考えても見知らぬ男が勝手に部屋にいる事の方が理不尽なのに、近所迷惑だからとか、そんな分かりきった事を冷静に諭されると妙に腹が立つ。

****

珈琲のいい匂いがする。それから、……そうだ、バターが溶ける匂いだ。時計を見るともう昼を過ぎていた。

「あやかさん、ごはん、食べる? 作ってみたんだけど」

「……食べる」

夢で見知っていたとはいえ、現実では会った事も無い見知らぬ男に抱き締められて眼が覚めたのは、少し前の出来事だ。かなり暴れたが、男になだめ諭され、何よりも夢で知っている人間……それも散々セックスした相手、という気安さ……、その、なんというか、よく「知り合った仲」という感覚に助けられたというか、補助されたというか、ともかく心を落ち着けて、「ありあわせのもので何か作りますね」という男の言に従ってしまった。

ちなみに男は全裸でぶらぶら……ではなかった、うろうろし始めたので、とりあえずバスタオルを腰に巻いて洗濯バサミで止めさせた。それでも上半身は裸のままで、変にキレキレの腹筋だの胸筋だのが見えるので、いたって普通のOLである彩花にとって、眼のやり場に困る事この上ない。

彩花自身はショートパンツとタンクトップの上にパーカーを羽織って座った。一つしかない小さなローテーブルを前に、男は向かいではなく、わざわざ隣にやってきて座る。狭い部屋で、ぎゅうぎゅうと肩を寄せ合う状態なのは気になったが、珈琲のよい香りに誘われて、目の前に出されたパンケーキをいただいた。バターの乗ったパンケーキはシンプルだが、ほんのりと卵とミルクの甘さでほっとする。

「おいし」

「よかった!」

男は実に楽しそうだ。彩花はもぐもぐとパンケーキをほうばりながら男を観察してみる。男は自分で作ったくせに、フォークに刺した固まりをまじまじと眺めて、ふがふがと匂いをかぎ、恐る恐るかじって、ぱあ!と顔を輝かせた。

「おいしい!」

「あなたが作ったんでしょう……」

「そうだけど、僕はレシピ通りに作っただけだよ。ホットケーキミックスがあったから」

「レシピ……?」

「ん、SPNです」

「え? えす、ぴー、なに?」

「えす・ぴー・えぬ、スピリットネットワークの略で、SPNです。僕らみたいな精霊同士をスピリットシグナル伝達体でつなぐ、ほら、あやかさんも使ってるでしょ、インターなんとか」

「インターネット?」

「そうそう、そういう感じのネットワークがあって、それで」

「ちょっと待って」

よく分からないが、今聞き捨てならないことをさらっと言ったような気がする。たしか「僕らみたいな、精霊」と。彩花はパンケーキを切り終わったフォークを止め、男を見つめた。

「精霊……って、な、何?」

「精霊は、精霊ですよ」

さも当然!と言った風に、明るく頷いた男に、彩花がぽかんと口を開けた。精霊……などというファンタジックで身近に無い単語は、危うく耳を通り過ぎそうになる。

「どういう意味……えっと、もしかして、それが貴方がここにいるのと、何か関係がある?」

「当たり前じゃないですか、だって僕、サボテンですから」

彩花の眼が今度は丸くなった。フォークに2cm角のパンケーキの一部を刺したまま、先ほど男が言った言葉を心の中で反芻する。

サボテンですから。

サボテンですから。

僕、サボテンですから。

彩花は眼を丸くしたままパクリとパンケーキを食べた。もくもくとそれを噛んで、飲み込んで、フォークを置き、やがて顔を掌で覆う。がっくりと声も無く俯いてしまった彩花の様子に、サボテンを名乗る男が慌てた。

「あ、あやかさん!? どうしたんですか、大丈夫ですか!? 身体の調子が……!?」

「いや……うん。多分調子はすごい悪いと思う」

目の前の男が自分をサボテンだと真面目に言い放っている。この状況は、おそらくどちらかの頭が相当悪いに違いない。サボテン男は大層心配そうな表情で、彩花に触れようと手を伸ばした。

「やっぱり!! すごい悪いとかダメじゃないですか寝てないと! 僕添い寝」

「添い寝はいらない、ちょっと待って、抱きつかないで!」

言われたサボテン男が多大なショックを受けたような顔で仰け反る。そうしてしゅん……と肩を落とし、ちらちらと彩花に視線を向けた。

「だって抱きつきたいです……調子が悪いあやかさん、大事にしたいです」

「そういう……そういう問題じゃなくて、そうじゃなくて、説明! 説明してよ、誰なのよ、なんでこんなところにいるのよ、なんで服着てないのよ……!!」

朝起きたら、一人暮らしの部屋に全裸の男が添い寝している……というだけでも充分驚愕の事実なのに、何を当たり前のように受け入れているのだろう。彩花にはこの現状を問い質す権利があるはずだ。すなわち、なぜサボテンを名乗る男が全裸で彩花の部屋に居るのか。

寝台の脇に置いてあったはずのサボテンに視線を移すとそこには小さな鉢と土だけが残っていて、あの可愛いサボテンは消えていた。

「だって……だって、あやかさんが、僕の運命の人だから」

そうしてサボテン男が、ポ、と頬を染めたのだった。