003.葉緑体が反応しました

「僕、初めてあやかさんを見たときは、側にいられるだけでいいって思ってました」

自称サボテン男はそのように語った。

気が付けば100均ショップで小さな鉢に植えられ、売られていたサボテン男。土は飾り砂でガチガチに固められ、一度水やりをされると水はけが悪く、その割に水を吸い上げにくい。

周囲に自分のような精霊はおらず、今の状態では力が弱くSPNスピリットネットワークにも接続できない。もうこのまま眠りについて、普通のサボテンになってしまったほうがよいのだろうか……と、半ば諦めかけていた時、突然世界が開けたのだという。

気が付くとサボテンは窮屈な飾り砂から助け出され、ほんわかした心地のよい土に植え替えられていた。

そして与えられるちょうどよい水、ちょうどよい日差し。まさか助かった……? そう思って顔(顔?)を上げた時、自分を心配そうに覗き込む彩花と眼が合った。

「その時、僕の葉緑体が反応しました」

サボテンは言う。サボテン男は彩花に運命を感じたのだ、と。太陽の光を浴びたときよりも遥かに勢いよく、葉緑体から生成されるエネルギー。つまり彩花は太陽だった。サボテン男にとって太陽だった。

それからは、幸せな日々が続いた。

毎日のように彩花が話しかけてくれる。おはよう、おやすみの挨拶から、日々のちょっとした出来事まで。理不尽な事があったといえば共に憤り、嬉しい事があれば共に喜んだ。

「何度か痴漢を針で刺してやりたいって思いましたよ」

サボテンに話しかけていたという事実と、独り言が全て聞かれていたという事実に悶絶していた彩花に、サボテン男は爽やかな笑顔で嬉しそうだ。本気でどこかにサボテンの針を仕込めないかと画策していたらしいが、それらは未遂に終わり、ともかく、そのように幸せな日々を過ごしていた。

「そんな時、僕に蕾がついたんです」

蕾。雄株のサボテンにとって、それは授粉できるという兆候だ。しかし、彩花は人間の女性。自分は100均のサボテンの精霊。……授粉することが出来るのだろうか。受粉してもらうことが出来るのだろうか。そもそもそれはどのようにするのだろうか。サボテン男は精霊のシグナル伝達体を利用したSPN(しつこいようだがスピリットネットワークの略)を利用して、人との交わりの方法を調べた。

「それで、その……あやかさんと、夢で……してみました」

もじもじとバスタオルの裾をいじりながら、サボテン男は語った。

サボテン男の募る想いは精霊としての力を強くさせ、より現実味を帯びた夢での触れ合いを叶える。ほんの少し触るだけで満足しようと思っていたのに、どうしても我慢することは出来なかった。夢の中だから、そう思って何度も抱き合い、徐々に答えてくれるようになった彩花に歓喜を覚える。

より深く、より現実的リアルになっていく触れ合い、より強くなっていく精霊としての力(主に光合成による)に希望が生まれる。

そして、そんな願いは現実のものになった。

花が咲いたのだ。

これは完全に授粉準備ができた……ということである。

「じゅふん……って」

じゅふん。

授粉だろうか、受粉だろうか。そんな脳内の漢字問題を読んだかのように、サボテン男が大きく頷いた。

「あ! もちろん、僕が出すほうです。受ける方はあやかさんだけど、あやかさんも準備が整うまで待ちます!」

「え、いやいや」

授粉が可能になる。植物の精霊にとって、それは自分自身の運命の相手が確定したも同義であった。逆説的に言えば、運命の相手を見つけたからこそ開花したのだ。きっかけはもちろん彩花が触れたことであろう。自分にとって太陽である彩花。その彩花が触れて、開花が可能になったのだから、これを運命といわずして何というべきか。

「ちょっと待ってよ、触れただけで運命とか言われても……」

「花って、人間で言うところのペニスみたいなもんじゃないですか」

「……」

みたいなもんじゃないですか、と言われましても。

動きを止めた彩花に、サボテン男は自信満々に言った。なんといっても彩花はまだ蕾の時にサボテン男の花に触れ、それがきっかけで花が開いた。それは曲げようの無い真実である。

いまだ納得出来ていない風の彩花に、サボテン男は辛抱強く、優しく諭した。

「ですから、花って人間で言うところのペニスみたいな……」

「何回も言わないで!」

「だって!」

「いやいや、何が『だって』なの! 運命ってどういう意味なの、あなたがここに全裸でいる理由を説明してよ!」

「サボテンが服着てたらおかしいでしょ、あやかさん」

まあ、それは確かにおかしい……。

言い難い敗北感に彩花は頭を抱えた。目の前でもっともらしく超理論を展開するサボテン男……ふと思い付く。そういえば、サボテン男にも名前があったりするのだろうか。

「名前は?」

「え?」

「名前、貴方の」

「桂山彦です。桂が名字で山彦が名前。やまひこって呼んで欲しいな」

「やまひこ……」

山彦いわく、サボテンの精霊で一番一般的な名字が「桂」なのだそうだ。そして山彦は、本当の本当にサボテンの精の名前なんだとか。「かつらやまひこ」……すごく、和名です……。しかもどういうルートを使ったのか、住民票まで登録してあるというから驚きだ。

「だから安心して、結婚できるから」

「けっ!?」

サボテン男とて知っている。人間が受粉をし、子をなすには社会的な準備が必要なのだ。だからこそ、サボテン男も抜かり無く準備を行っていた。

「あやかさんが寝てる間に、ちゃんとSaHOに登録申請したから、大丈夫!」

「サ、何?」

SaHOサホだよ」

山彦……サボテン男のように、人間との運命の邂逅によって自らも人間になってしまう精霊は時折いるのだそうだ。そうした精霊を保護し、人として生きていく事ができるようにサポートする機関があるのだという。それがすなわち、SaHO(サホ:Spirit and Human Organization)である。住民登録などのカラクリは、どうやらこのSaHOの世話になったようだ。

サボテン男は取り戻した力でSaHOと連絡を取り、人間になった直後、まだ彩花が寝ている間にSaHOへの登録申請を行ったのだという。もちろん登録は即座に受理され、社会人として生きていくための必要書類はすぐに整ったということだ。おまけに精霊達の為の職の斡旋や、一時的な資金の貸し付けも行ってくれる。至れり尽くせりの機関である。

「だから、安心してあやかさん」

「いや、あの、ちょっと、ちょっと待って!」

「待ちます!」

「えっ」

ぐ……と前のめりで迫ってきた山彦に彩花が慌てると、それまでの情熱からは考えられないほどあっさりと退く。そして何もかも理解したような笑顔を浮かべて、優しく彩花の頭を撫でた。

「あやかさんの髪。つやつやで綺麗」

「あの……」

山彦は頷き、自分の想いを懸命に彩花に伝える。

「僕の、その、花に……彩花さんの顔が近付いて、僕、すごくドキドキしました。でもちょっと危ないなって」

頬を染めた山彦が言う。

先ほど彩花にも言った通り、花というのは(山彦にとって)人間で言うところの性器ペニスのようなものである。そこに顔を近付けられて、山彦はかなりドキドキした。そのまま、ペロってされたらどうしよう、とか。だが、同時にハラハラした。山彦の身体は棘だらけだ。そんなことされたら、とても危ない。

「そうしたら、案の定、指を刺しちゃったでしょう。……僕、びっくりして思わず、きゅうって縮こまりました」

本当にごめんなさい、と申し訳無さそうに謝った。

山彦の花は、驚きと申し訳なさのあまりに思わず萎えてしまい、その直後に見た彩花の下着姿に1度復活し、復活してしまった自分に自己嫌悪して再び萎えた。だが、大丈夫だ。夢ではちゃんとできたから。

しかしあの時、山彦は思ったのだ。どうして自分の身体は棘だらけなのだろう。どうして夢でなければ好きな人に触れられないのだろう。

本当は現実の世界で自分自身の身体を好きな人に触れて欲しかった。抱き締めて欲しかった。彩花を傷つける事無く触れたかった。

でもどんなにそう願っても、山彦の身体はサボテンで、彩花は人間で……それがとても切なかった。彩花を傷つけない人になりたかった。

「だから僕にとってはこっちの方が夢みたいだ」

山彦は自分の棘のない皮膚を満足そうに眺めた。人間の身体であれば、夢の中でなくても思う存分彩花に触れる事が出来る。彩花に触れても棘が刺さる事は無いし、柔らかな肌を傷つける事も無い。唇を重ねて、手をつないで、抱き寄せて、抱き合う事が出来る日が来るなんて、そんな現実の方が山彦にとっては夢のような出来事だ。

そんな現実の暮らしの中で彩花のそばにいられるなら、山彦はずっと待つことができるだろう。

「あやかさんが僕のことを受け入れてくれるまで待つなんて、触れられなかった時に比べたら、全然苦しくないんだ。こうして話す事が出来るし」

節ばった指先が彩花の頬に恐る恐る触れる。

「こうやって触っても、あやかさんを傷つけないでしょう。僕、こっちの方が幸せだ」

だから、ここで待たせてもらってもいい?

「……」

「あやかさん」

黙り込んでしまった彩花の唇に、そっと、山彦の唇が触れ……る前に、当然のごとく彩花が我に返った。思わず山彦の訴えに絆されそうになったが、とんでもない。そもそも、かなり重大で恥ずかしい事ばかり言っていたではないか。

「いやいやいやいや、それとこれとは別問題!……何、何それ! ペ、ペニ……顔近付けたとか、萎えたとか何言ってるのよ、それってずっと私に晒してたってこと!? 露出してたってこと!? 露出して興奮してたってこと、変態!変態じゃない!!」

「あやかさん、男は大体変態って聞きましたよ」

「誰から聞いたのよ!」

「だからSPNで……」

「それはもういいってば!」

彩花の顔は真っ赤だった。

サボテンの精霊……。桂山彦。匂いまで嗅いでしまったではないか……話が突拍子無くて、むしろ身近な羞恥の方が現実味がある。いまだにサボテンに話しかけていた事実と、花(山彦にとって以下略)の匂いを嗅いでいたことの方が衝撃過ぎて、立ち直ることが出来ない。

「あやかさん、もうすぐSaHOから受給品が届くので、服も着られますし、とりあえず買い物行ってみたいです」

「ちょ、私は、あの」

「あやかさんが言ってたコンビニスイーツ食べてみたいな、それに、あの」

「な。何よ……」

「コンドーム買っといていい?」

「……コッ」

何があるか分かりませんから。

植物のくせに頬を染めながらそんな風に言う山彦、それに対して咄嗟に何も言い返せなかったところが、すでに彩花が絆されかけている兆候だろうか。

ピンポーンと呼び鈴が鳴る。

「あ、きっとSaHOからです、僕出ますね」

「待ちなさい待って待って!」

バスタオルを腰に巻いたまま立ち上がった山彦を止めて、慌てて玄関へと走る。後ろで「短パンのあやかさん見せたくない!」という山彦の悲痛な声が聞こえるが、扉を閉めて聞こえないフリをした。

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桂山彦は、その後無事に就職し、彩花に反論を許さない立派な恋人になる。もちろん彩花だって流されないようにがんばったのだが、時に笑顔で「僕、棘が無くなってあやかさんに触れる事できてすごく嬉しい」とか、時に涙目で「あやかさんがぎゅってしてくれるまで待ってる」などと言われると、振りほどけないのも仕方が無いではないか。

そう。これはつまり、1人のサボテンの精が幸せを得た物語である。


■すごくもっともらしい用語解説■

※SPN:スピリットネットワークの略。全ての精霊が保持している霊的能力をスピリットシグナル伝達体でつないだ、精霊の情報収集ツール。

※SaHO:スピリットアンドヒューマンオーガナイゼーションの略。サホ、サホー、とも。和名は「精霊と人とをつなぐ生き生き暮らしを目指す会」
人になってしまった精霊の社会的生活を保護・保障する活動を行っている。

※ほら、花って人間で言うところの〜:サボテンの精霊の場合であり、実際のサボテンとは関係ありません。

というのは、全てフィクションです。
サボテンを育ててらっしゃる貴方、本当にすみませんでした。