004.あうぎもなければ かくるるみもなし

時子の柔らかい唇を甘噛みすると、あふん、と泣き声にも似た息の吐かれる音が聞こえる。

幾度か唇と顎でなぞり、我慢できずに甘く噛み付き、それでも満足できずに舌で舐めていると、息継ぎを求めて時子が唇を少し開いた。すかさずその隙に己の舌を潜り込ませ、一息を待って、唾液と共に時子の舌を吸い上げる。んく、と咀嚼する喉の揺れを感じ取り、さらに強く抱き締めた。時子までの距離が近付き、自分の上に乗せる程に引き寄せる。

「ん、ん……」

時子の舌が懸命に動いている。逃げようとしているのか受け入れようとしているのか、行為に夢中で判断できない。頼景は時子が自身に応えているのだと都合良く解釈して、導くように絡み付いた。

頼景の唇が少し離れると、追い掛けるように細い腕が背中に回る。それに合わせて絡まりを深くすると、しがみついている時子の指にきゅ……と力が入る。離れては近付く体温に、頼景の胸が甘く焦げていくようだ。

愛しい。愛らしい。

どうしてこの可愛い時子を、他の公達にやろうなどと思ってしまったのか。頼景は己の馬鹿さ加減に呆れ返った。時子は頼景の愛しい女だ。頼景がどのような強面の不作法であろうが、時子は変わらず隔たりの無い女だった。こんな愛らしい女、誰にも渡せるはずがない。

唇を離すと、互いの熱い吐息が交わる。

「時子」

「……あ、よりかげさま」

「お前、俺のおんなになるか」

「え?」

答えは一つしか選ばせない。それでも問うのは、僅かに残った理性の欠片だ。惑えば時子の初心な気持ちに刷り込んでやろうと、そんな凶暴なことまで考えている。

「……わたくしが、頼景さまの?」

「そうだ」

「頼景さまが、私の夫君になりますの?」

「ああ」

惑うな。選んでくれ。

そう思いながら頼景が眉間に皺を寄せると、時子は頼景のはだけかけた衣に埋もれるように額を押し付けた。

「時子?」

「でも頼景さま、私がお文をもらうようになってから、あまり来てくださらなかったでしょう」

「そ、それは……」

頼景が渋面を作る。それは、自分の理性が保つ自信が無かったからだ。一度味わった時子の唇を目の前にして、それを我慢できるはずが無かったが、その頃は自分が時子の求める公達にふさわしいなどと思えなかった。

「だから、私、頼景さまには他に通う女の人が出来たんではないかって」

「……はあ!?」

時子の思いがけない言葉に驚いて、頼景は思わず大きな声をあげてしまった。夜の闇にそれは思いがけず響き、慌てて身体を小さくする。時子を驚かせやしなかったかとヒヤヒヤしながら抱く腕を緩めると、温かい吐息が頼景の顎髭にかかった。

「私、頼景さまが来てくれなくなってから、なんだかお文をもらっても楽しくなくて」

「時子……」

「お返事を書く時も、頼景さまのことばっかり思い浮かぶの……」

「……お前は」

自分の心を懸命に言おうとするおろおろとした時子がいじらしくて仕方が無い。

「来てくださらない間も、お正月も、寂しくて」

「時子、すまん。時子」

しょんぼりと声を落とした時子の肩をさすりながら頼景は慌てた。

まさか自分が訪ねなかったことが、時子を寂しくさせているとは思っていなかった。時子はあれほど文に浮かれていたから、自分が訪ねなくとも大丈夫だろうと思っていたのだ。もちろんそこには、頼景自身が生み出したどこにも居ない文の公達への、苦い嫉妬も含まれている。

それなのに、時子は文の公達よりも頼景に会いたいと思っていてくれたのだろうか。表立って雅な事をひとつもしてやれぬ、頼景であるというのに。

「時子、俺と一緒にいるか」

「頼景さまが、一緒にいてくださるの?」

「ああ、夫婦だからな。ずっと一緒だ」

「……うれしい」

ぱあ……といつものように、素直な時子が笑う。時子の心が果たして頼景の想う心と同じかどうかは分からないが、そんなことは今はいい。時子が時子の心のままに、頼景に寄り添ってくれればそれでいい。それを恋か愛かと問うのは、二人の間には不要なことだった。

「時子」

頼景が再び時子の唇を塞ぐ。「ん」と時子がくぐもった声を出して、それに誘われるように床へと押し倒す。

「時子、痛いのを我慢できるか?」

「え?」

「今からお前を妻にしてやる。俺だけが出来る事だ。……だが、相当痛いだろう、我慢できるか?」

今にも時子の身体を暴きたいが、そうした雄の欲望を必死で押し込めながらきょとんとした時子の顔を覗き込む。時子は唇を引き絞めて、力一杯頷いた。

「葛貫から聞いておりますもの。我慢できます」

「聞いたって何をだ」

「新妻の床は痛いものだって」

言いながら、むんっ……と凛々しい顔をしてみせる。そうした様相に頼景は小さく笑って、早速時子の首筋に唇を触れ始めた。

****

時子の首筋を咥えるように食み、時折舌で濡らしていると、徐々に時子の身体から力が抜けていく。頼景の大きな手が時子の背中を抱えて、そっと床に下ろす。

袍を解き、小袖からも腕を抜いて時子に覆い被さる。紐を解くと幾枚か重ねた袿の中に手を差し入れ、時子の身体を引き出して寝かせてやった。互いに小袖だけの姿になって、寒く無いようにと着ていた着物の中に潜り込む。

襟に手を差し入れると、柔らかで吸い付くような時子の肌に直に触れた。

「あ」

慎ましやかでふんわりとした胸の膨らみに触れると時子が小さな声を上げた。力を入れそうになるのをぐっと堪え、出来得る限りそっと触れる。壊れ物のように……というが、頼景にとって時子は壊れ物だ。

「時子」

何度も時子の名前を呼ぶ。耳たぶに噛み付いて呼んでやれば、頼景の身体の下で大げさなほど時子の胸が震え、なんともいえない愉しさだ。小袖も解いて時子の肌を露にすると、外気にやられぬように辺りの衣を引き寄せて、いよいよ肌と肌とを触れ合わせた。

ちゅ……と、わざと音を立てて頼景の唇が時子の身体をなぞる。

首の下のくぼみに舌を差し入れ、片方の手で時子の胸に触れた。手でかさりと表面を撫でると、指の引っかかりを覚える。

「や……」

刹那、時子の喉から女の声がこぼれ落ちた。

ああ、いつのまにこのような声を出すようになったのやら。

胸の膨らみの頂の少し膨らんだ部分をぐるぐるとなぞり、軽く親指で引っ掻いてやると、頼景の背に掛かっている指が耐えるようにぎゅ……と握り込まれる。鎖骨を楽しんでいた舌が、もう片方の胸に下りて来た時には、どちらの先端も少し硬い弾力を帯びていた。

「ん、あ……」

頼景の乾いた指が時子の胸を弄り、湿った舌が吸う度に、時子の腹のもっと奥の方が重く疼いた。痛いほどだったが苦しい訳ではなく、何故か腰がもぞもぞと動いてしまう。

は……と息をついて、頼景が時子の乳房から唇を離した。時子はどうしてだか心細くなって思わず頼景の頬に手を伸ばすと、一度その指を噛まれて、すぐに離される。

「時子」

頼景が見た事の無いような真剣な顔で時子を見ていた。

ぞくぞくした。

胸の中に、熱いような苦しいような、それでいて心地よい緊張が込み上げて来て、時子はどうしていいか分からず頼景を見つめる。成道という男には唇を触れられただけで気持ちが悪かったのに、頼景から触れられるのは、それがどのような場所であっても胸が切なくなった。

頼景が瞳をやさしく細くして、少しばかり体重をかけた。

そして、先ほどまで胸に触れていた頼景の指が時子の腹をなぞり、脇腹に寄り道をして、お尻を撫ぜ……

「きゃ!」

足と足の間に触れた。

「あ、あ」

そのような場所に触れないで、そう言いたかったが声にならない。時子のその場所は、ぬるりとぬかるんでいて頼景の指をすんなりと受け入れた。頼景の指はすぐには入らず、その場所の裂け目に沿うようにじっくりと上下している。

「あ、よりかげさま……そ、んな」

「ん……」

びくんと大きく跳ねた時子の身体が頼景にしがみつく。ひくひくと震え始める腰を抱き締めて、頼景は解けた時子の中にゆっくりと指を挿れた。

「……い、う」

「少し我慢しろ」

「いたい、の?」

「まだだ」

頼景の言うように、それほどの痛みはまだ無い。しかしされたことの衝撃に、時子の身体が緊張していた。その小さな背中をなだめるように、頼景の大きな手が上下する。

「大丈夫か?」

「ん……」

時子の中に、頼景の指が入っているのがはっきりと分かる。味わった事の無い圧迫感だが、それが頼景の手であるのは不思議な思いだった。見えもしないのに、中で頼景の指が時子を擦っているのが分かる。にゅるにゅると頼景の指が動くと、時子のその部分は柔らかく広がっていくようだ。

もう一本の指が入り口を押し広げ、掻き分けるように入って来た。

「痛いか?」

聞かれて時子は頭を振る。本当は入り口を広げられた時、僅かに突っ張ったような痛みが走ったが、恐らく頼景の心配そうな表情はもっと別にあるのだと時子は悟った。それに指が中に完全に入ってしまうと、くすぐられるようなうずきが焦れったくなってしまう。

頼景の太い指が時子の中をゆっくりと抽送し始めた。指で膣内なかをくすぐりながら、時折、頼景の親指がぷるりとした突起に触れて、愉しむようにそれを揺らす。最初はちかちかと奇妙な感じがしたが、幾度か触れ方を変えられると、突然お腹の底をぞわりとした感触が走る。

「あ、よりかげ、さま、わたし……」

「時子、股の力を抜け」

「や、やあ……」

だって、力を抜くとどうなるか分からない。そう思ったが、頼景が時子の唇を舐めてやると、途端に身体の力が抜け、代わりに下半身から背中の筋が、縮まるような伸びるような、強烈な感覚が抜けていった。

「ん、あっ、……よりかげ、さまっ」

身体を必死で寄せてくる時子を抱きとめながら、頼景は我慢の限界が来る前に己のものを持ち上げた。

初めての身体にしてはいい具合に濡れているか。未通の女を抱くのは頼景にも経験の無いことだが、他の男にくれてやるわけにもいかない。時子は頼景だけのもので、痛みを知るのは頼景相手だけでいい。

「時子、時子……」

自分の声が、こんなにかすれているのは初めてだ。主上に書を献上したときよりも、遥かに緊張する。

ぐ……と怒張した欲を時子の濡れた秘部に押し付けた。

「ひ、あ」

時子が苦しげな声をあげる。

だが、止まる事は出来ない。出来る限り急にしないよう、ゆっくりと押し込んでいく。張った部分が柔らかな時子の裂け目を捲り、押し広げていくのが分かる。信じられぬくらい狭いが、押し付けて止まればじわりと広がり、それに任せて進めば徐々に中を犯していった。

「とき、こ、しがみつけ」

「は、い、……よりかげさま」

「そうだ、かわいい、いとしい……時子」

くう……と、頼景の食いしばった歯の間からうめき声が漏れる。まだほんの入り口だが、濡れて吸い付く時子の膣内なかはひどく好かった。最初の張りが通りすぎると、吸い込まれそうになる。恐らくここからが痛いはずで、ぎちぎちと柔肉が締め付けてくる感触に頼景は耐えた。

耐えているのは時子も同じで、背中にしがみつく指が苦しげに引っ掻く。

「いた、いたい……よ、り、かげさま」

「ん、もうすこしだ……」

もう少し……そう思って、頼景が僅かに力を込めると、ぐち、という不可思議な感触がして、一気に中へと納まった。あまりにぴたりと吸い込まれ、頼景が思わず時子を見下ろす。

「時子」

「頼景さ、ま」

時子もまた、はあ……と息を吐きながら、頼景のことを見上げている。頬に張り付いた髪をそっとぬぐってやって、涙の溜まった目尻に唇を寄せた。

「大丈夫か? もうこれで全部だ」

「ぜんぶ……」

「痛いか?」

涙目で頭を振って頼景の首にしがみついた。

「痛い、です……でも、よりかげさま、が、私の中にいるの……」

「ああ」

「すごく近くにいるみたい……」

「すごく近くにいるんだ、時子」

まこと、その通りだ。心も身体もその通り、これまでになく近くに重なり合い、一つに絡まり合っている。挿れたまましばらく動かさずに抱き合って、頼景は時子のやわい中の弾力を堪能した。

そうして、ゆっくりと引き抜き、それと同じほどゆっくりと中に戻す動きを始める。

「ん……んう……」

突き入れるとき、こくんと時子の啼き声と身体が揺れる。腰を抱き締めて時子の身体を逃さぬように支え、じわりじわりと抽動する。

「時子?」

「も、あまり、痛く無いです……あったかくて」

「うん、うん」

本当は痛いだろうに我慢をする時子に、頼景の方がまるで子供のように何度も頷いた。時子の身体をきゅうと抱き締める。激しく動かしたいのを必死で我慢しているが、激しく動かさなくとも限界が近い。

再び息を吐く。

「時子、時子……愛しいな、お前は。愛しい。可愛い……」

「きゃ、……あ、や、」

言って、大きく激しく二度三度頼景が動いた。時子の身体と言葉もそれに合わせて激しく揺れて、きちきちと中が締まっていく。

一際大きく穿って、一番奥で頼景が止まった。その途端、とくんと中に納められているものが脈打つ。鼓動に合わせて、中に熱いものがじわりと広がっていくのを感じた。

暫くの間、その様を互いに味わった。満たされた思いは離れ難い。頼景は腕の中の小さな時子を閉じ込めるようにさらにきつく抱き締め、時子は頼景の厚い身体を頼るように頬をすり寄せた。

外の空気は冷たいはずなのに、互いの身体の温もりに、そんなことは気にならなかった。

****

小袖を着せて時子の頭を己の腕に乗せてやると、緩く抱いて頬をくすぐる。喉を鳴らすように笑って腕に感じる重さが変わり、時子がころりと転がった事を知る。

「大丈夫か?」

「頼景さま、そればっかり」

わずかに疲れたような表情だが、優しい顔で時子が頼景の喉にごろごろと額を摩り寄せてくる。頼景は時子の黒い髪を梳きながら、「だが痛かったろうが」とまだまだ心配顔だ。

「これで頼景さまの妻になったのでございましょう?」

「そうだ。あと二日通うてやるから、それから俺の邸に来るといい。北の室を拵えてやる」

はい、と頷いて、幸せそうに時子の手が頼景の胸に触れる。

だが、すぐに、「あ」と声を上げた。

「ん?」

「これは?」

脱いだ着物が二人の身体を包み暖めていたが、その中から、ぐしゃりと皺になった檀紙が出て来た。

「それは」

ば!……と頼景が慌てて取り上げたが、時子の手がそれを追い掛けた。

「お文?」

「待て、時子」

「見せて」

「分かった、分かったから待て、時子」

うんと身体を伸ばした時子が頼景からずり落ちそうになって思わず支える。はあ……とため息を吐いて、時子の腰を抱き直し、観念したように檀紙を渡してやった。

時子がそれを広げて灯りに掲げると、時子に見覚えのある手蹟で歌が書かれていた。

『げに雪に 隠るるかげは 我が身なれど 君が夢に我をうつさむ』

本当に雪に隠れたいのは私の姿です。しかし、貴女の夢に現れることにいたしましょう。

しかし、時子の夢に自分よりかげなど現れやしないだろう。頼景は正月を過ぎたら、時子への文を止めるつもりだった。そうして、よい公達でも紹介してやろうと思っていた。思っていたが未練がましく、このような歌を書いてしまったのだ。「かげ」とは頼景のことだ。成道あたりが詠めば、馬鹿にするに決まっている。

しかし、どうにも憎たらしいがあの成道のおかげで時子への思いを遂げたのだから、許してやらんこともない、などとも思う。

「この手蹟」

「ああ?」

しかし時子は別の事が気になったようだ。

「……文の公達の?」

「あ、ああ」

「頼景さまの香りがいたします」

鼻を近付けると、かすかに沈香の香りがする。今までの文とは異なる香りだった。この香りは頼景がいつも使っている沈を強くした菊花の香りに似ている。懐に入れていたからだろうか。

それに。

「『げに隠るるかげ』……って、あの、あの、文の公達は……」

「あれは……俺が」

「頼景さま?」

「俺が、あー、……俺が書いたんだよ」

時子が、はっと息を飲んだような気配がして、頼景はきまり悪げにそっぽを向いた。人違いだとか、頼まれただけだとか言い訳はまだ出来ただろうが、もう隠すつもりも無かった。しかし、あれほどの恋文を贈っていたのが自分だと知られるのは、いささか気恥ずかしい。

「頼景さまでしたの……そうでしたの」

だが、頼景の説明に意外にあっさりと時子は納得した。もっと驚かれたり、嘆かれたりするかと思ったが、むしろ恥ずかしがるように頼景に背中を向ける。

「なんだよ時子、こっち向け」

「だって」

「なんだ」

「ということは、頼景さまは私の文を見たのでしょう?」

「ん、ああ、それが……」

「私、まさかほんとうに、頼景さまだって思わなくて……」

「『本当』に?」

どういうことだ、と頼景が無理矢理時子をこちらに向かせる。時子の軽い身体はひょいと頼景に向かい合って、だがこちらを見る事無く胸の中に隠れてしまう。

「なんだよ、時子」

「私、私……あのお返事、考える時に、とっても迷いましたの」

「うん?」

頼景はいくつかもらった時子からの返歌を思い浮かべた。それほど技巧を凝らしていたわけではないが、素直で時子らしい言葉に頼景は柄にもなく心をときめかせたものだ。その相手が頼景に向けられたものでなかったとしても、あれを必死で考えていたのかと思うと可愛く思う。

しかし、時子はこのように続けた。

「殿方にする初めてのお返事でしたけど、私、殿方は頼景さまにしかお会いしたことありませんでしたもの。だから」

だから。

「頼景さまが、もしあのお文をくだすった方だったらって考えて、お返事を考えましたの……」

「……は?」

時子にとって、頼景が唯一面識のある貴族の男だった。つまり、どのような返事を書けばいいのか分からない時子は、文の公達を頼景に見立てて返事を考えたのだ。

それがいまさらながらに恥ずかしい。

しかし、恥ずかしいだけではない。今まで頼景に対して在った共に居るとホッと心が安らぐ気持ちと、これまで頼景に対して抱いた事の無かった恥じらいと、初めて経験した身体を重ねた時の熱くなる心……これらが混じり合うのは、とても心地よい気がした。

腕の中でもじもじとしている時子の様子に、頼景は、は……と息を吐いた。つまり時子は照れているということか。そう思うと先ほどまでの羞恥も忘れてニヤニヤが止まらない。

「あうぎもなければ、かくるるみもなし。……随分と拗ねてたじゃねえか」

「だって……だって、頼景さまだって。幾度寝も幾度の夢も、って」

思いがけぬ反撃に、今度は頼景が仰け反る。

「ああ? くそっ、いいんだよ、あれは」

「本気ではありませんでしたの?」

「何?」

「成道さまが、『本気ではない』って」

時子が唇を尖らせて頼景を見上げている。自分の腕の中で愛する女のこのような表情を見せられて、落ち着く男がいるはずがない。頼景は顔を赤くした。暗がりで時子にあまり見えぬのはちょうどよかった。

「本気じゃねえと書かねえよ……」

「まあ」

うふん……と時子が笑う気配がする。十も下であるはずなのに、頼景はすっかりしてやられてしまった気分になった。だが、可愛い妻にしてやられるのも悪くは無い。

「時子、こっちに来い」

「頼景さま」

「結局、時子が俺の夢に来てくれたんだな」

ぽつりと言って、首を傾げた時子の温もりに顔を埋める。頼景はここで時子を抱き潰してしまわぬように、今はこの温もりだけで我慢しろよ……と、疼き始めた己の分身に言い聞かせた。

****

『せめて夢にも 君を見えこそ』

お前は夢に隠れてばっかりだな、時子。

『ゆめにかくれず あうぎにかくるる』

夢に隠れていませんわ、ちゃんと「扇」に隠れていますもの。