寝台の上で二人絡まり合っているが、それほど激しく動いているわけではなかった。シルフリードはイェルルージュの身体を気遣っているのか、あまりその身体を揺らすことなく、ゆっくりと入っては最奥を撫でるように動かした。身体は揺れないが、その分重く甘い愉悦が続く。
「お身体は、痛くありませんか?」
「だ、いじょうぶ……っあ!」
シルフリードが何度目かの口付けをして、イェルルージュの髪を撫でた。繋がったままの角度が変わって、一際身体が反応してしまう箇所を抉られる。きゅ、と膣内を締め付けて、シルフリードが顔をしかめた。
「っイェルルージュ……は、やはり、ここが好いようだ」
「あなた、はっ……? シルフリー、ド、は、よくないの……?」
荒い呼吸を挟みながら、イェルルージュは首を傾げる。あんなにも柔らかくシルフリードを受け入れながら、なお初心な表情を見せるイェルルージュに、シルフリードは小さく笑った。
「貴女が感じれば感じるほど、私も、好い」
そう言って、少し大きく引き抜き、じっくりと奥まで。そして、奥まで辿り着いてもなお、先を探るように押し付ける。片方の手を結合している部分に伸ばし、少し膨れているであろう蕾のそこを親指で撫でた。
途端に、イェルルージュがシルフリードにしがみ付いた。
とろとろと穏やかに昇っていた快楽が、急に弾けたように膨らむ。思わず身体が動くが、シルフリードに押さえつけられる。
「あ……! あ、やあ、……そ……れ、」
「ええ、イェルルージュ。来て、来てください」
「……っい、あ……あ」
達したイェルルージュの身体をきつく抱きしめ、シルフリードはなお追い打ちをかけた。昇り詰めたばかりの身体に、それまで優しく動いていたシルフリードが、大きく抽動する。そうして残る愉悦の余韻の中に、シルフリードが吐き出した。熱いものがじわりと広がり、自分の中に混ざり、溶けていく感触がする。
ひとしきり、イェルルージュの中でシルフリードの鼓動を感じ、やがてゆっくりとそれが出て行く。自分の身体の奥深くで温まっていた心地が離れていくことに少し寂しさを感じて顔を上げると、寝台に手をついたシルフリードがイェルルージュを見下ろしていた。額には汗が浮かび、荒々しい息を吐いている。
普段は落ち着いている黒い瞳は、今、興奮するようにチラチラと銀色に光っていた。
「イェルルージュ、貴女が、足りない。……とても」
「シルフリード……?」
「貴女を……」
しかし、シルフリードはその先の言葉を飲み込んだ。何かを言いたげに、だが堪えるように、イェルルージュの喉元をそうっと撫でている。
「私が、欲しいの?」
「今、貴女は私のものではありませんか?」
「違う。……うぬぼれでなければ、私の、血が」
その答えにシルフリードが息を飲んだ。
幾度も口付けを交わし、その身体にシルフリードの舌を感じていたイェルルージュは、その度にシルフリードが人ではないことを感じていた。鋭く尖った牙が、何度もイェルルージュの喉をかすめたからだ。しかしその牙はイェルルージュの肌を通らず、躊躇いがちに触れては離れていく。
そんな躊躇いを感じる度に、シルフリードは吸血鬼なのだと思い知らされた。人とは異なり夜に生きる魔性。彼は、その魔性のままに誰かの血を飲み生きているのだろうか。
「あの夜のように、誰かの血を、飲んでいるの?」
「あの夜?」
不意に思い出すのは出会ったあの夜、誰かの……美しい女性の首筋に口づけしていたシルフリードの姿だった。シルフリードは確かに「血をいただいていた」と言っていた。あの行為が一体どのような意味を為すのか、人間のイェルルージュには分からない。しかしなぜか、あの倒錯的な行為をシルフリードと別の女性がしていたことに対して、言いようの無い胸の痛みが起こるのだった。
シルフリードが、ふ、と笑う。
「私はあの夜から、貴女以外の血はいただいておりませんよ」
「え?」
「貴女のお怪我を治す時」
それが唯一、シルフリードが人間の血を味わう時だった。イェルルージュに一切の怪我を負わせたくない己の感情とは矛盾しながらも、この世で最も美味な液体を口にする歓喜の一瞬だ。
シルフリードはイェルルージュの言葉の端を受け止めて、意地悪く囁いた。
「嫉妬しておられるのですか?」
「嫉妬などでは……」
ぷい……と顔をそらせるイェルルージュに、シルフリードが苦笑する。こちらを向かせようと背中から身体を重ねていると、イェルルージュが小さな声でもそもそと言った。
「でも……貴方が他の女性の血を飲むくらいなら、私の血を使えばいい」
「……」
シルフリードが驚いたように瞳を丸くする。その表情の変化に気がつかず、イェルルージュは続けた。
「他の女性にあんな風なことをするくらいなら……」
「イェルルージュ」
言葉を途中で遮って、イェルルージュの身体を無理やりこちらに向かせる。シルフリードの銀色の瞳が落ち着きをなくし、ギラギラと輝いていた。獲物を狙う鋭さと、逃げ道を作る理性が同時に存在する不思議な色だ。
「貴女がそんな風なことを言うと、私は貴女を逃がしてさしあげられない」
「逃す……?」
「吸血鬼に血を吸われてもよいとお思いなのですか?」
シルフリードは身体を起こした。それにつられて、イェルルージュも身体を起こしかける。シルフリードが手を貸して本格的に身体を起こさせ、向かい合わせに抱き寄せた。
「我慢していたのですよ。貴女の血しか欲しくない。しかし貴女に拒絶されるのが怖くて」
「拒絶、なんて」
「吸血鬼に血を吸われるなど、貴女にとっては恐ろしい出来事でしょう、拒絶してもよろしいのです。しかし、貴女がそれをお許しくださるのなら、私は満月の夜、駄犬の呪いを忘れるほどの媚薬を、あなたに与えてさしあげましょう」
駄犬の呪い……と言ったところで、イェルルージュが身体を強張らせてシルフリードに身を寄せた。満月に影響されない、ただシルフリードを感じていればいいだけの時間を過ごして忘れていた。未だ呪いは解けていないのだ。
「やっぱり、呪いは解けていないのね」
「貴女が満月にどれほど乱れようとも、私が必ず側におります。それではいけませんか?」
長く細やかな髪に指を通しながら、子供をあやすように背中をさする。心がすれ違っていたからこそ、満月の夜、シルフリードを見ない瞳が不安だった。しかし、今は違う。イェルルージュとて心を失い不安だったのだ。我知らぬ夜を我知らず過ごすのは、どれだけ恐ろしかっただろう。しかし、もうそのようにイェルルージュを一人にはするまい。守り癒すのはシルフリードにしか許されない。
「私がどんな風になっても、嫌わないで、そばにいてくれる?」
「貴女を嫌いになるなどあり得ない。しかし、それが貴女のご命令であれば。イェルルージュ」
「命じなくてもそばにいて」
命令でなくても、そばにいてほしい。この時だけは、主従を忘れて。イェルルージュはそんな風に言うけれど、シルフリードはとうに決めていた。生きろと言われたあの夜から、主従などそばにいる理由にすぎない。
シルフリードの居る理由が、イェルルージュの望みと重なるならば、それはなんという悦びなのだろう。
「魔性に愛されることの意味を知って、後悔なされぬよう」
脅すような言葉の意味とは異なり、愛を囁くようにシルフリードは言った。いや、まさにそれが魔性の囁く愛なのだ。再びシルフリードの手がイェルルージュに触れ始め、まろやかな曲線に手を這わせる。
向かい合わせに触れ合いながら、シルフリードはイェルルージュを自分の身体の上に乗せた。
「あ」
「すぐに入りそうだ」
ほんのわずかに触れ合っただけで濡れるイェルルージュも、熱く屹立しているシルフリードも、どちらももう充分だった。少し腰を浮かせてあてがい、シルフリードが腕の力を緩める。
シルフリードの熱量がイェルルージュの膣を広げ、みちみちと身体が沈み奥へと繋がる。身体を浮かせると内壁が引き摺られるように擦られ、力を抜くと最奥を感じた。腰を引き寄せるように揺らされると、子宮から湧き上がってくるような強い愉悦に押し流される。
そうして揺らされていると、イェルルージュの首筋にシルフリードが唇をつけた。
熱い液を塗るように、ペロリと優しく舐められる。うっとりとそれを享受していると、次の瞬間イェルルージュの喉元に深い熱を感じた。
「ひ、あ……っ」
思わず声を失う。その熱は、熱としか言いようがないが、熱いわけではなく痛みも全く感じなかった。いや、痛みを感じないというのは嘘かもしれない。そこがまるで男女の交わりの箇所であるかのように、愉悦を一気に流し込まれた。
「あ、あああ……っ……や、あ、」
「……ん」
シルフリードはイェルルージュの喉に牙を立てていた。その牙はイェルルージュの薄い肌を貫き、溢れる血が喉に流れ込んでくる。一度外に流されたものとは違う。体内に流れているものを直接味わう、愛おしい、愉悦の味だった。初めて味わう血の温もりに、イェルルージュを貫いている欲望がさらに硬く強くなる。
喉元の快楽が下腹部に繋がっているかのように感じ、わずかに身体が揺れ、擦れ合うだけでイェルルージュの身体が達した。びくびくと収縮する膣内と、口腔に広がる血の温もりに、シルフリードも高まる己を感じて、激情のままに一度白濁を吐き出す。
しかしそれだけでは収まらなかった。
吸血鬼の牙は愉悦をもたらす。その愉悦にイェルルージュの身体は何度も高鳴り、つながりあっているシルフリード自身の熱もそれを追いかけた。
幾度も達するイェルルージュの身体。シルフリードも、イェルルージュが達するたびに収縮する柔肉に敗北を喫することになった。彼自身もまた、何度も精を吐く。つながりあった箇所は、体積に押し出されて溢れる精と蜜でべったりと濡れていた。
「あ、……あ、もう、シルフリ、ド」
「イェルルージュ……っ、くっ……う」
気が狂いそうになるほどの愉悦を引き剥がし、ぷつ……とイェルルージュの喉元から牙を抜いた。それは一瞬のことだったが、あまりに濃密な一瞬だった。ただ快楽を貪り合うだけではない、愛おしいからこそ欲しい、与えたいと思う心地よさばかりが濃縮された時間だった。
くたりと崩れ落ちるイェルルージュの身体を受け止めて、シルフリードはずるりと己を引き抜いた。気を失いかけて朦朧としているイェルルージュを寝台に寝かせながら、血の流れた自分の牙痕を静かに舐めて塞ぐ。
美しい、この血のために、シルフリードはイェルルージュにこの身を捧げることができるだろう。血の味は身体と心が無ければ出来上がらない。血を愛することは、彼女自身を愛することと同義なのだ。
「イェルルージュ」
その意義を受け止めたイェルルージュは、もう彼の「お嬢様」では無くなった。しかし、シルフリードにとって唯一、膝を折る人間であるには変わらない。
ただ一つ、シルフリードの心には敗北感が残留していた。
忌まわしいあの人狼は、恐らく生きているだろう。シルフリードはそれを知っていた。あのとき、ラウバルトはイェルルージュに薔薇の花弁を飲み込ませた。ラウバルトはあれを主従の証としたに違いない。イェルルージュはそれを受け取り、咀嚼した。
その瞬間、ラウバルトは生きる糧を己に暗示したはずだ。この主従の命令があるまで、お前は生きろ、と。しかもイェルルージュはあれに剣を「くれた」。ラウバルトの懇願に答えて、剣を離したのはイェルルージュ自身だ。
イェルルージュは、生涯ラウバルトのことは忘れまい。呪いはいつか消えるかもしれない。しかし傷痕は消えない。治し損ねた傷は、いつまでも残ってしまう。
それは、ラウバルトの望む一つの勝利の形であったのかもしれない。ラウバルトはイェルルージュの剣を奪った。イェルルージュはたとえシルフリードが新しく剣を作ったとしても、父と母の形見を奪われたことを思い出して敗北に胸を痛めるだろうし、シルフリードはイェルルージュの傷を見るたびに嫉妬を覚えずにはいられない。
そして満月の夜の呪いが続くかぎり、ラウバルトはイェルルージュの中に残り、その心をかき乱し続けるのだ。
しかし、だからといってイェルルージュを離す理由にはならない。もう、イェルルージュの満月の夜をシルフリードが守ると約束したのだ。
嫉妬の気持ちすら、イェルルージュへの思い故。ならば満月の夜は人狼の呪いなど忘れるほどの、甘美な時間に変えてやろう。この吸血鬼が。
「ん」
ぎゅ、とイェルルージュがシルフリードにしがみついてきた。先ほどまでの乱れた姿も、仕事をしているときの凛とした姿も、剣を持ったときの凛々しい姿も、そのあどけない姿からは想像できない。シルフリードだけが見ることの許された愛しい女主人の表情に満足して、その体温を腕の中に閉じ込める。
夜が明けようとしていた。
****
シルフリード……と名前を呼びそうになって、イェルルージュは口をつぐんだ。
いつ寝てしまったのか思い出せなかったが、シルフリードに血を飲まれたことはしっかりと覚えていた。あの時の激しい感情と快楽は、恥ずかしいけれど心地がよかった。ただ乱れていた満月の夜は羞恥と惨めさしかなかったが、行為は同じはずなのに羞恥よりも心がつながりあった悦びがあった。
気持ちと行動が一致したばかりでまだ戸惑いも多いが、今、シルフリードが隣にいることに安堵を覚える。シルフリードと触れ合った後の2度の目覚めは、こんな風に隣に彼はいなかった。
しかもシルフリードは今、なんと眠っているのだ。
無防備な男の寝顔に嬉しくなって、イェルルージュは一人でクスクスと笑った。眠っているくせに腕はしっかりとイェルルージュの身体に回されていて、まるで子供のようだ。
そうっと手を伸ばして、シルフリードの前髪に触れてみる。黒くてまっすぐな、繊細な髪。起こさないように気をつけながら静かに払うと、その奥に閉ざされた瞼がはっきりと見えた。長い睫毛がかすかに揺れていて、もう少しで目が覚めそうだ。
唇に指先を持っていくと、吐息が温かい。触れたいけれど、触れると本当に目が覚めてしまうかも。
今にも触れそうなところで指を止めると、唇が指先を咥えた。
「あ」
「イェルルージュ」
イェルルージュの指先を咥えながらシルフリードが瞳を開けた。いつもの冷静な表情からは考えられないほど優しく瞳を細めている。頬を染めて指を引っ込めると、代わりにシルフリードの腕がイェルルージュの頭を引き寄せて、きまり悪げに呟いた。
「眠ってしまっていた」
「もっと寝ていてもいいのに」
「朝日と月が入れ替わる数時間だけですよ」
「え?」
シルフリードの声は苦笑混じりだ。
魔性は夜を支配している。しかしシルフリードはイェルルージュと共に過ごす昼もまた、活動時間だった。人と異なる身体能力を持ち、魔性だからといって昼間動けないというわけではないが、それでも多少の間合は空けねばならない。夜が終わり昼が始まる夜明けの数時間が、シルフリードの休む時間だ。
その休む時間だけは、シルフリードの動きも鈍る。イェルルージュがラウバルトに怪我を負わされた時も、同じくらいの時間だった。
「昼、休んでいなくても大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。そもそも起きていなければ貴女を見られない」
魔性と人と、生きる時間が異なるのは致し方のないこと。しかし、そんなことはイェルルージュのそばにいると決めた時から分かっていたことだ。夜も昼もイェルルージュをこの視界に入れておける方がいい。
「ただ、夜明けの数時間、貴女から離れると、その身をお守りすることができない」
活動していれば離れていても気配を感じることができるが、最も身体の鈍る時間に離れていると、その気配を感じにくい。そう言って顔をしかめるシルフリードの手を取って、イェルルージュが頬を寄せた。
「そう。ならば、夜が明ける時間、私があなたを守ってあげるわ」
言われてシルフリードが首をかしげる。
「私のそばにいてくれたら、私が守ってあげられる」
そう言うイェルルージュの眼差しは、意外なほどに真面目だった。ずっと自分が守っていたと思っていた、シルフリードの大切なイェルルージュ。イェルルージュとて理解しているはずだ。戦いの技術だけでいえばシルフリードの方がずっと上で、本来ならばイェルルージュなど出る幕はない。
しかし、それでも。己が守るのだと確信しているこの強い瞳。この瞳が、シルフリードは愛しいのだ。
柔らかな深緋の髪。手を出そうとすると燃える薄翠色の瞳。まるで薔薇のようだった。
「貴方が、私の目覚めの薔薇になるのですね」
いつもイェルルージュが目覚めるたびに枕元に置かれていた赤い薔薇。イェルルージュの目覚めを見守るのがシルフリードの用意した薔薇であるならば、シルフリードの目覚めを守るのは、イェルルージュという薔薇なのだ。
頬が染まり、恥ずかしげに俯いたイェルルージュを抱き寄せる。
シルフリードは彼だけの美しい薔薇を愛でるために、そっと唇を寄せた。