首都レトラにある武具の店に、一人の青年が訪ねてきていた。
店は小さいが、実用性を求めるあらゆる身分の者が武具を所望する、信頼性の高い店だ。客は歴戦の騎士か将軍か、あるいは魔を狩る狩人か……という店だったが、その青年は、誰が見ても一目で仕立てがよいと分かるスーツを着こなし、どちらかというと城に勤める文官や高位貴族の上級使用人という風で、武器を見立てに来た者には見えなかった。
しかし、青年を見るや主人は分かった風に頷き、何も言われずとも店の奥から二振りの剣を持ってやってきた。
カウンターの上に置かれた二振りはどちらも同じ形をしており、一振りを青年が手に取った。少し鞘から出して刃の様子を確認し、カウンターから距離を置くと、完全に鞘から抜く。
「前のものよりも、少し軽くなったな」
「は。柄金属の強度はそのまま、装飾を少し減らして減量を」
店主の言葉を聞きながら、青年は銀の刀身の歪みを確認し、柄を飾る石に目を留めた。装飾を減らしたと言いながらも、その石だけはまるで剣の守護であるかのように美しく施されている。青年はその様子に満足気に瞳を細めると、元の通り鞘に仕舞ってカウンターの上に戻した。
「良い出来だ。持って帰っても?」
「どうぞ、お試しを」
青年が頷くと、主人が二振りの剣を丁寧に布に包んで飾り紐を結んだ。作業をしながら、主人が問う。
「前の剣は折れたのですか?」
「いや、……別の者にくれてやった」
「別の者? お嬢様がそれを許されたんで?」
主人の疑問は決して悪気のあるものではなかった。むしろ、「お嬢様」の剣が無くなったことを心から疑問に思っている様子だ。しかし、それを聞いた青年は、あからさまに顔を顰めた。その顔色の違いに主人は目を見張ったが、どうやら青年は主人に怒っているわけではないらしい。
「前の剣」と称した剣を鍛えたのは他ならぬこの主人だった。とある貴族の令嬢のために、その両親に頼まれて作ったのだ。もちろん店主は、その両親がもう故人であることを知っている。だが両親が亡くなった後も、令嬢が使用する武器の手入れはすべて請け負ってきた。
それゆえ、主人はその剣がどれほど大切に使われ、どれほど令嬢を守ってきたのかを知っている。だからこそ、その剣が手放されたことを意外に思ったのだ。
しかし青年の不機嫌な表情を見て取ると、少なくともこの青年にとっては喜ばしい出来事ではなかったのだろう。主人は令嬢のこともよく知っているが、その令嬢の使いとしてこの店に来るようになった青年のこともまた、よく知っている。彼は令嬢に仕える執事なのだ。
そして令嬢を守る者でもあった。
「この剣もお嬢様を守るよき刃となりますよ。私が保証しましょう」
眉間にしわを寄せた青年に、そう請け負う。主人は武器を生業にして長く、誠実な仕事をする男だった。青年は不機嫌な表情を戻し、「当然だ」と頷く。
この青年は慇懃な表情が常なのだが、意外なことに真面目な顔で店主に礼を言った。
店主もまた、深く一礼して客を送る。
剣は二本。令嬢は剣を一本使う手だったはず。この一本は、さて、誰が使うのだろうか。
****
シューラー家の鍛錬場で一対の男女が剣を構えて向き合っている。片方は白いブラウスに臙脂色のふっくらとしたスカートを履いた女、もう片方はラウンジスーツを着崩した男、どちらも剣を合わせるに見合った格好ではないが、不思議とそれが様になっていた。
女がトン……と床を蹴る。一度剣を振り下げ半身に隙が出来た。しかし男はそこに打ち込まず、すかさず跳ねあげられた刃を受け止める。刃が合わさる音がして、擦過音となって続いた。
音が止まり、力比べとなった。男も女も眉ひとつ動かさず、冷静な表情のままだ。力比べなら男に分があるかと思われたが、女が急にふっと力を抜く。斜めに傾けられた刃に合わさった刃が滑り、互いの身体がすれ違うように交差した。
滑る互いの刃が抜ける瞬間、男の長い足が女の足を引っ掛ける。しかし軽やかなステップを踏むように後ろに下がってそれを避けた女が、剣の切っ先を持ち上げた。
絡め取るように男が剣を回して、女がそれを受け止め損ねる。
初めて女が「あ」という表情をした。男が楽しげに口元を綻ばせて追い詰める。深く踏み込み、再び刃を合わせた。慌てて受け止めた女の剣ごと、首筋に刃が近づく。
勝負は明確に着いた。女もそれが分かったのか、悔しげに視線を鋭くさせる。男がその表情に小さく笑って囁いた。
「今日はここまでにいたしましょう、お嬢様」
それを聞いた女が、ムッとする。
「まだダメよ、シルフリード。全然動いてないわ」
「いいえ、存分に動きました。もう終りです」
「シルフリードってば!」
男……シルフリードが剣を離した。諦めきれずに追い掛けてくる声に苦笑しながら、シルフリードは剣を納める。
「今、水を用意しましょう、イェルルージュ様」
「ちょっと、もう……! まだ3度合わせただけじゃない」
「本当は1度か2度と思っておりましたよ。3度も合わせたら十分です」
イェルルージュの声をまるで子供の我儘のように聞き流しながら、シルフリードは修練場のすみに置かれてある補給の水を取りに行く。イェルルージュはその後ろ姿を眺めながら、鞘に剣を納めた。
「剣の具合はいかがでしたか」
補給用の水に柑橘の果汁を落としながら、シルフリードが問う。イェルルージュは新しく作らせた剣の使い心地を確かめるために、修練場でシルフリードと稽古をつけていたのだ。人狼に剣を奪われてから、新たな剣を作らせるまでしばらくの期間を要した。思い入れの深かった剣を奪われ、イェルルージュがなかなか新しい剣を作らせなかったからだ。
もちろん狩人としての己を忘れたわけではなく、屋敷の武器庫にある予備の小剣を幾つか試してはいたのだ。しかしどれも手に馴染まず、かといって新しい剣を作る気にもなれずにいた。
そのように馴染まぬ剣を手に過ごしていると、シルフリードがイェルルージュのために新しい剣を作ったのだ。それも独断で。
ずっと作らせる気にならなかった新しい剣は、思いの外手にしっくりと馴染んだ。以前の剣を作った職人に作らせ、作りも材質も同じ。柄も刃も同じ長さに作ったという。ただし少し軽い。これは振ってみて分かったが、軽すぎるということもなかった。かなり細やかに指示を出して作らせたのだろう。
シルフリードがイェルルージュのために剣を作らせたというのも意外だった。イェルルージュが怪我をしてからというもの、シルフリードは彼女が戦いの場に出ることを嫌がっていたからだ。稽古をつけることすら渋々で、夜に出かける用件にもいい顔をしなかった。
そんなシルフリードが作らせた剣を、イェルルージュが手にしない理由もない。
「イェルルージュ様」
シルフリードが差し出した水に唇をつける。冷たい水に爽やかな香りがついていて、さほど身体は動かしていないと思っていたのに、一口喉を潤すと渇きに気が付いた。
「休憩した後、もう一度よシルフリード」
「まだご満足いただけませんか、お嬢様」
「駄目?」
イェルルージュがグラスに口を付けたまま、少々お行儀悪くシルフリードを見上げた。その表情にシルフリードが目元を緩ませたが、すぐに元の通りの飄々とした顔に戻る。
「では、あと一度だけ」
****
イェルルージュの下僕となり、初めて手合わせをしたときのことをシルフリードは鮮明に思い出すことが出来る。
「どれでも好きな武器を取りなさい」
そうシルフリードに命じたイェルルージュは、まるで懐かぬ猫のようにピリピリとした緊張感を纏わせていた。修練場に置いてある武器に視線を滑らせ、シルフリードを促す。
まだシルフリードを……吸血鬼の男を側に置いて一ヶ月と経っておらず、男をどのように扱えばよいのか分からないのだろう。イェルルージュらしい誇り高さは失わないまま、決して心許さぬ様子でシルフリードの挙動を見つめている。
その様子をシルフリードは軽く受け止めながら、肩をすくめた。
「本当に私と勝負なさるおつもりですか?」
「当たり前でしょう?」
不思議だった。
イェルルージュは人間でありながらシルフリードという剣を手にし、行使できるというのにそれに甘んじない。もし魔獣を狩りたいのならば、シルフリードを伴って狩りの場に行き、命じるだけでいいというのに、イェルルージュは必ず自身が前に立つ。
それで怪我をすることもしばしばで、その度にシルフリードはイェルルージュを癒す僥倖を得たが、同時にこの柔肌が自分の手以外で怪我をするのを見るたびに不愉快な気分になった。
そして、この手合わせである。
剣を合わせる相手を得たことが嬉しいのか、それともシルフリードを見定めようとしているのか、その両方か。いささか興奮ぎみに頬を染めた女主人の剣に触れる名誉を、シルフリードが逃すはずもない。
「貴方が得意な武器はそれ?」
シルフリードが手にした武器を見て、イェルルージュが首をかしげる。少なくとも普通の男が身につける程度の長さと刃幅の剣を選ぶと思っていたのだろう。しかし実際にシルフリードが手にしたのは、イェルルージュが持っているものと同じサイズの小剣だった。
もちろん、修練場にはあらゆる武器が置いてある。シルフリードが好んで使うような大きめの短剣も、普通の体格の騎士や兵士が使うような少し長めの剣も、斧や槍もあった。剣の手合わせをするならば、普通の剣を手に取るのが妥当だろう。しかしシルフリードは、自身の手には軽すぎる小剣を選ぶ。
「何を選ぶとお思いでしたか?」
「……別に」
自分とまるで同じ武器を選んだからだろうか。それとも予想が外れたからだろうか。イェルルージュが少しムッとしていたが、すぐに気を取り直すように自分の持つ剣の切っ先を持ち上げる。
互いに向き合い、互いに完璧な所作で一礼した。
****
少しの休憩を挟んで四度目の手合わせは、あっさりと決着が着いた。
シルフリードの剣をすり抜け、追い詰めたのはイェルルージュの剣。誰が見ても勝負が着いている二人だったが、しかし、その表情は着いた勝負とはまるで逆だった。剣が通ったことに驚いているのはイェルルージュで、口元に笑みを浮かべているのはシルフリードだ。
「さすがです、お嬢様」
「シルフリード……手を抜いたわね?」
「いいえ。抜いておりません、イェルルージュ様」
「うそ」
「本当です」
イェルルージュは納得いかないのか、拗ねた風に唇を尖らせた。それでもシルフリードが剣を鞘に仕舞うと、自分も諦めて剣を納める。小気味のいい金属音が響いて、今日の修練が終わったことを告げた。
「剣は使っていただけそうですか、お嬢様」
その言葉にイェルルージュが真面目な表情になり、神妙に頷く。
イェルルージュが戦いの場に出ることに、シルフリードは相変わらずいい顔をしない。イェルルージュが剣を持つことすら、良しとしない風のところがある。しかし、イェルルージュの剣筋を最も知っているのもまた、この男だ。この男を執事にしてから共に戦い、剣を合わせてきた。
そのシルフリードが作らせた剣は、両親がイェルルージュに贈ってくれた剣と同じほどに、手によく合う。
腰に穿いた新しい剣の柄を、イェルルージュがそっと撫でた。
「ありがとう、シルフリード」
そうしてイェルルージュが顔を上げて、誇らしげに笑った。その声に、イェルルージュの手を取ろうと伸ばそうとしていた手が止まる。
手を取ろうとしていたシルフリードの指先は、代わりにイェルルージュの頬に触れ、美しい深緋色の髪を一房掬った。
紳士が淑女に礼をとるように頭を下げ、一房の髪に口付ける。
「その剣がお嬢様をお守りする第二の剣になりますよう」
「第一の剣は、持っていかれてしまったから?」
頬を染めかけたイェルルージュが、わずかに瞳を翳らせる。しかしシルフリードは、持ち上げた髪を丁寧にイェルルージュの胸元に下ろすと、小さく笑って首を振った。
「いいえ、第一の剣は私です、お嬢様。忠誠を誓った時に申し上げたでしょう?」
シルフリードはイェルルージュの剣となり、盾となって生きている。
今ではそこに別の誓いも加わったが、その誇りある役割は永遠にシルフリードのものだ。誰にも邪魔はさせない。
「剣を」
「は」
「研ぎに出しておきなさい」
「かしこまりました。すぐにお手元に」
照れてしまったのか、視線を逸らしてイェルルージュは腰の剣を鞘ごと外してシルフリードに差し出した。大切にそれを受け取り、修練場を後にするイェルルージュに後続する。
シルフリードが携える二振りの剣。イェルルージュが使った剣の柄の飾りには、黒曜石が飾られている。そしてシルフリードが腰に吊った揃いの剣の柄の飾りは、薄翠石だ。どちらも同じ形で、同じ職人によって作られた。
イェルルージュはその意味を知るだろうか。
シルフリードがイェルルージュと同じ小剣を、己の武器とするその意味を。