傭兵将軍の嫁取り

007.宿場町

空が少し白み始めた頃、ジオリールとシリルエテルが連れ立って戻ってきた。ラクタムはもちろん、恐らくは全員が何があったかを大方予想していたが、口を出す者も、どこに行っていたのかとからかうことが出来る者も居なかった。

「シリルエテル様……!大丈夫ですか!?」

「スフィル」

そわそわと周囲を見渡していたスフィルは、シリルエテルの姿を認めて真っ先に駆け寄った。シリルエテルはジオリールの片方の腕に抱き寄せられていたが、スフィルが声をかけると、ジオリールが大人しく片腕を離した。

「スフィル、準備を手伝わなくてごめんなさいね」

「シリルエテル様! シリルエテル様が、そんなことはお気になさらなくてもかまわないのです!……それよりも……」

スフィルはギリリ……と黒いオーラを噴出してジオリールを睨みつけている。ジオリールは敢えて無視して涼しい顔をしているし、シリルエテルもいつもの淡々とした表情で2人の間に立ち、やがて「スフィル、準備をいたしましょう」と言って、自分らの荷をまとめ始めた。シリルエテルが作業をしていては、スフィルも手伝わないわけにはいかない。難しい表情でシリルエテルの仕事を奪いながら、少しでもジオリールが近づこうとするとぐいぐいと引き離す。

「シリルエテル様……」

ひそひそとスフィルがシリルエテルに耳打ちする。

「スフィル?」

「大丈夫ですか?」

「何がです」

「何がって……分かっておられるでしょう、お身体です!」

「大丈夫です。何事もありません。いかがしたのです」

「いかが……って……」

いかがも何もいかがわしい。そう言い掛けて、さすがに口を慎む。

シリルエテルの姿が見えないことに気付いた時には遅かったのだ。もちろん探しに行こうとしたが、ラクタムというジオリールの副官に止められた。いわく、「ジオリール閣下が迎えに行かれたようですから、何も心配ありませんよ」とのことだったが、それが一番心配だ。心配……というよりも、もう事があったのではないかと推測する。あの妙にさっぱりしたジオリールの顔が憎たらしい。むしろけしからん。そもそもまだ婚姻の誓約も交わしていないというのに、旅の途中、しかも野外で。領地に到着するまで待てないなんて、なんという堪え性の無い。あんな、大男が。

「あああああああああああ」

ラクタムの騎乗する馬に共に乗せられているスフィルが奇声を発した。一体何事なのかとスフィルを見下ろすと、シリルエテルの忠実な侍女は相変わらずの黒いオーラを発しながら、ジオリールとシリルエテルが騎乗している馬を見ている。視線の先では、先頭を行くジオリールが馬を止めていた。山間の宿場町を指差して、道中を説明しているようだ。さりげなくシリルエテルの腹に手を回していて妙に距離が近い。

一夜の内に何があったか……などという無粋なことをラクタムは主君に問わなかったが、まあ、事があったのは間違いないのだろう。シリルエテルの頑なな表情は僅かに和らぎ、ジオリールとの間に流れる空気も少し親密になっているようだった。政略的な婚姻だとしても、仲違いするよりは睦まじい方が喜ばしいに決まっている。

ただ、侍女のスフィルは気に食わないようだ。その挙動不審振りが面白く、ラクタムはつい声をかけてしまう。

「どうされました、スフィル殿」

「あの髭……気安くシリルエテル様にさわ……、こほっ……なんでもありません、ラクタム様」

当然といえば当然か。元侯爵の妻が再び貴族に嫁ぐといっても、相手があの傭兵将軍である。普通の貴婦人ならば、見たことも無いような人種だろう。しかしこの侍女は、そうした泣く子も黙る傭兵将軍に向かって「シリルエテル様に触るな」と啖呵を切るのだから大したものだ。

スフィルの言い分も分かる。食人鬼オーガを倒したときにスフィルがジオリールを責めた内容は、傭兵達にも少なからずショックを与えたようだ。気付かなかった事が手落ちだとまでは言わないが、あれほど近くに居て、自分達ほど礼儀をわきまえずに強引に動ける輩は居ないというのに、みすみす見過ごしていたのだ。スフィルから見れば、信用は出来ても信頼のできる男達には見えないのだろう。

****

それぞれの思惑を腹に抱えたまま、程なく宿場町に到着した。ここで3日ほど滞在する予定だ。男達には食人鬼の爪と耳飾りを売った金を分け与えたので、夜は花を買うなり酒を買うなり好きに過ごすだろう。久しぶりの寝台と風呂、暖かい食事にありつける。洗濯や補給などを別にすれば、3日ほどではあるが身体を休める時間になるはずだ。

ただ当然のことながら、宿を借り上げて滞在する段になったときに、スフィルが部屋は別々にしやがれと言わんばかりにジオリールを眼力で押さえつけ、さすがのジオリールもここで「シリルエテルは俺の部屋に」とは言わなかった。スフィルとシリルエテルを同じ部屋に。ラクタムとジオリールが1つずつ、他のメンバーは4,5人部屋となった。

部屋に通されて、やっとスフィルは一心地ついた。共に旅装を解き、自分でやるわと言うシリルエテルを無理矢理座らせて艶やかな髪を梳りながら、改めて自分の主人に問いかけた。

「シリルエテル様。誠に、あの方でよろしいのですか?」

シリルエテルがスフィルの言葉に首を傾げる。

「どういう意味?」

「あの方は……礼節を持っているとは言えませんし……なんていうか、そのう……」

「貴族らしくない?」

「そう、そうです。……その、シリルエテル様にふさわしいとは思えません」

「スフィルらしくないですね。そのような基準で人を判断するなど」

スフィルが唇を噛んで俯く。

スフィルはシリルエテルに仕えて7年になる。侯爵が生きていたころも、侯爵の様子も当然知っていた。シリルエテルが、その側でどのように過ごしていたかも知っているのだ。だからこそ、侯爵が死んだときは安堵した。スフィルはシリルエテルの侍女、つまりは侯爵家の侍女という立場ではあったが、彼女が仕えるのはただ一人シリルエテルだけだ。だからスフィルにとって侯爵は主ではない。主を束縛する、ただの枯れた老人だった。

そうして、侯爵のような男からやっと解放されたと思ったら、今度はあんな大男のところに嫁に行けという。シリルエテルの見目と心根ならば、どのような男でも引く手あまたと信じて疑わないスフィルには、2度目も意に沿わぬ相手と婚姻させられるシリルエテルの行く末に納得できなかった。それがたとえ貴族として当然の義務だとしても……だ。しかもグレゴル伯爵という男は傭兵などという信頼のおけない男達をまとめる男で、容貌も言葉使いもとても貴族などとは思えない。伯爵という位がくっついているだけの男ではないかと、歯噛みする思いだった。

しかし、それだけならばまだいい。スフィルとて分かっている。この婚姻は宮廷からの命令で、仕方の無い面もある。実際に目の当たりにしたジオリールという男は、傭兵達から慕われている様子も見て取れた。戦闘中の指揮もたいしたもので、すぐさまシリルエテルの魔導師の腕を信用する判断力も、傭兵将軍とあだ名されるだけある。確かに頼もしい男なのかもしれない。だが、……シリルエテルを7日間もむざむざと拘束したまま放置したのは、やはり許しがたい所業だった。

それを話すとシリルエテルは苦笑して、小さく首を振る。

「あの時も言いましたが、私たちとて諦めていたでしょう」

「それは……」

「あちらにとっても意に沿わぬ相手だったはずです。何をしてもどうせ助けてもらえないだろうと、大人しくしていました。外に出た時に暴れてみせたりすれば、気付いてくれたかもしれないのに、それをしなかった」

「でも、シリルエテル様……」

「スフィル。分かっているのでしょう? ジオリールは、貴女の思うような人ではありませんよ」

シリルエテルの声はあくまでも静かだ。スフィルはため息を付いた。シリルエテルは自分の判断や決断を滅多なことでは曲げない。

「それにもう私はあの方の妻なのですから」

ぴく……とスフィルが眉を動かす。

「はい?」

どういう意味か……と問う前に、トントン……と扉をノックする音が聞こえた。ジオリールの副官ラクタムが、夕食を共にするようにとシリルエテルとスフィルを呼びに来たのだった。

****

「ホーエン侯爵?」

「ああ、知っているか」

「お名前とお噂だけは。グレゴル伯の現在の領地を管理なさっている方ですね」

「そうだ。いってみれば、俺の上司だな」

「大層な女傑である……とお聞きしておりますが」

シリルエテルの言葉に、ジオリールとラクタムがなんともいえない表情になった。

さすがに隊の主であるジオリールの部屋は少し広い。寝室と居間の二間続きの部屋の、寝室ではないほうで4人は食事を取った。本来、侍女のスフィルは主と共に食事に着く事は無いが、そもそもジオリールという男の隊にそのような貴族然とした決まり事があるわけでもない。本当は、下の食堂で他の傭兵達に混じって食事をするかと言っていたほどだったが、さすがにそれは無いでしょう……とラクタムにたしなめられて、ジオリールでの部屋での食事となった。

その食事も終わり、スフィルが宿屋から借りた茶道具でお茶を淹れている時に、ジオリールが口を開いたのだ。

ジオリールが任地として出向くのは、先代グレゴル伯爵の領地だ。ジオリールが彼の養子であり平民出身であることと、ジオリール自身が後継に名乗り出なかったことから、先代が亡くなってからは伯爵の名前だけが残り、領地は宙に浮いていた。しかし、元はホーエン侯爵家の領地の一部を伯爵に任せたものだったため、管理はホーエン侯爵が引き継いだのだ。ただ、先代もまた傭兵達を率いる勇猛な将軍だったから、領地に帰って執政を執っていたことはあまりない。要するに、正式に伯爵領であったころからホーエン侯爵が管理していたのである。

だから、ジオリール自身が領地へ赴いたとて、主な仕事は執政ではなく魔物の討伐になるだろうと踏んでいる。

ホーエン侯爵は女性で、今年で68歳になる。
5人の子息と、その倍の孫たちがいるにもかかわらず、いまだ現役で侯爵の地位に就いており、楽しげに働いているという。子息達もひとかどの人物ばかりで、ホーエン侯爵に命じられて、適材適所、その手腕を奮っているらしい。その息子の1人が、現在グレゴル伯爵領の管理をしており、執政を行うに当たってもその者の世話になるだろうとのことだ。

ジオリールも先代も、随分と世話になった女性だということだ。

「夫人には唯一、俺も頭が上がらねえ」

「隊長だけではありませんよ。我ら傭兵隊全員、頭があがりません」

ラクタムが細い面を柔らかい表情に変えて頷く。ラクタムの表情にそれだけではない何かをシリルエテルは読み取ったが口を閉ざした。代わりにスフィルが言葉を続ける。

「ホーエン侯爵は、ご結婚されていないのですか?」

当然上がるだろうその質問には、ジオリールが答えた。ふ……と瞳を懐かしいものを見るように細める。髭面がニヤリと歪んだ。

「結婚はしてねえな」

「ですが、ご子息は多くいらっしゃるのでしょう?」

「ああ」

話題の矛先が私的なものになっているのを感じ取って、シリルエテルが「スフィル……」とたしなめたが、気に留める風でもなくジオリールが背もたれに身を預ける。この男が椅子に座ると、どのような椅子でも小さく見えるのが不思議だ。

「息子らの親父は、俺の親父だ」

「え?」

「先代グレゴル伯爵。アシュラル・グレゴルが、そいつらの親父だ」

意外な名前にさすがのシリルエテルも瞳を丸くする。シリルエテルの表情を変えさせたことを喜ぶように、ジオリールはいかにも楽しげだ。侯爵家の息子たちを「そいつら」呼ばわりするのもジオリールらしいが、彼の養父が女侯爵とただならぬ仲であったというのもまた、なぜか、なるほど……と思わせるものだった。

ともかく、そのような女性がジオリールの伯爵としての上司なのだ。当然、グレゴル伯爵を継ぎ、領地へ赴き執政を行い、さらには妻を娶るとなれば挨拶に赴かなければならない。ここからさほどの距離ではないらしく、領館に立ち寄るとのことだった。

シリルエテルはしっかりと頷いた。

「分かりました。私もお会いするのが楽しみです」

「この歳でこういうのもなんだが、俺らにとっちゃ親みてえなもんだ。そんなに堅苦しく考えるこたねえよ」

そういうジオリールの言葉の裏には敬愛の情が込められていて、シリルエテルも柔らかに微笑んだ。