傭兵将軍の嫁取り

[小話] 餌付け、もしくは手乗り

手のひらに木の実を乗せ、愛らしい小動物が食べに来るのをどきどきしながら待っているときのあの気持ち。
警戒心の強そうな大きな瞳がこちらを窺いながら、恐る恐る手のひらから木の実を持っていったときのあの高揚感。
手のひらにちくちく触れた爪のくすぐったさ。

胸が高鳴る。

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宿場町での滞在2日目。

昨晩はジオリールに部屋に来いという隙を与えなかったスフィルは機嫌が良いようで、1階に降りてきたその姿を認めたラクタムは、一息入れませんか? ……とお茶に誘った。

お茶と言っても、宿屋の食堂に座るだけだ。厨房の人間に2人分の冷たいお茶を頼んでからテーブルに着くと、ラクタムは懐から小さな紙袋を取り出した。

「スフィル殿は甘いものはお好きですか?」

「甘いもの?」

今日はスフィルの眉間に皺も無く、顔もいささか綻んでいる。不思議そうな表情で、首を傾げた。

「この宿場町は私達もよく寄るのですが、こうしたお菓子を作るところがありまして」

ラクタムが紙袋の中から銅貨よりも少し大きな楕円形の塊を取り出した。

「デュルスという木の実を粉にして、砂糖に漬けた果物と混ぜて練ったお菓子なのですが、どうですか」

「え……私に、ですか」

「道中、男達ばかりで甘いものが少しもありませんからね」

ラクタムからお菓子の1つを見せられて、スフィルは機嫌のよい表情を消し、警戒するような怪訝そうな瞳を見せた。上につるりと糖衣が掛かっていて、側面は薄い琥珀色のお菓子だ。じっとそれを眺めながら、手を出していいものかどうなのか、迷っているようだ。

手のひらに置いて差し出し、ラクタムはにっこりと笑って見せた。

「どうぞ?」

スフィルはじ……とラクタムとお菓子とを交互に見つめていたが、「ありがとうございます」と小さな声でお礼を言って、恐る恐るお菓子を取る。

「食べてみても?」

「もちろんですよ」

仔リスがまるで自分の手のひらから木の実を取っていったような、妙な高揚感を覚えた。餌付けをしているような気分である。

ラクタムの手からお菓子を取ったスフィルは、それを瞳を丸くして見つめた。旅程の食料に、酒や味気の無い食べ物や干した肉などはあるが、こうした愛らしい甘いものは用意されていない。男所帯なのだから当然だが、スフィルも年頃の女である。甘いものは嫌いではなく、むしろ好きで、多少口寂しく思っていたところだったのだ。

ぱくりと一口かじってみると、硬そうに見えた琥珀色は口の中で溶けてほろりと崩れた。ほんのりとした爽やかな果実の甘みと木の実の香ばしさが口の中に広がって、素朴なお菓子といいながらとても細やかな美味しさだ。スフィルはラクタムに向かってぱあ……と笑った。

「美味しい」

「そうですか。それはよかった。他の味もあるのですよ」

「どんな味ですか?」

「お店に行ってみますか?」

初めてみたスフィルの全開笑顔に、思わずラクタムは口元を隠した。普段は冷静さを勤めているが、スフィルのあどけない顔は抜群の破壊力で、にやけてしまいそうだ。懐いた仔リスが初めて手のひらに乗ったら、こんな気分になるのだろうか。もっと懐いて欲しくて、ついついあの手この手を考えてしまう。

が、往々にして最初の手乗りはつれないものである。

「どちらのお店ですの?」

「ああ、それなら、この宿屋から少し中央の通りに近付いたら、こうした物売りが並んでいるところがあるでしょう。そこで野菜を売っているところの、向かいで……」

「わあ、ありがとうございます。ちょっと行って、シリルエテル様の分も買ってきます」

「でしたら、後で私と」

一緒に買いに出かけませんか?……と言い掛けたところで、「スフィル、お話中ですか?」……とシリルエテルから声が掛かった。スフィルの頭の中は一気にシリルエテルのことでいっぱいになった。そうだ、このお菓子を昼食後のお茶の時間に付けましょう。もちろんシリルエテル様だけをお誘いして2人きりでお茶の時間で、などとうきうきしながら立ち上がる。シリルエテルは絶対に喜んでくれるだろう。一緒に買いに行ってもいいかもしれない。うわー、そう考えると、とても楽しみだー!

「ラクタム様、ありがとうございました」

「あ、いえ……」

「シリルエテル様ー! 後でお茶の時間に、すっごくすっごく素敵なものがありますの!」

スフィルはラクタムにぴょこんとお辞儀をすると、上機嫌でシリルエテルの方へと駆け寄った。それを出迎えたシリルエテルが僅かに困った顔をする。ラクタムにちらりと視線を向け、「お話中だったのでは……?」と首を傾げた。ラクタムは苦笑して、「大丈夫です」と頷いてみせた。スフィルは期待に満ちた眼差しでシリルエテルを見上げているし、邪魔をする気にはとてもなれず、そもそもスフィルに恨まれそうだから大人しく退いておいたのだ。いまだラクタムを気にしているシリルエテルだったが、スフィルに促されるように食堂を出ていった。

****

一言付け加えておくならば、スフィルは人の手柄を自分のものにするような悪い娘ではない。……で、あるからして、いただいたお菓子もちゃんと「ラクタム様から」貰ったのだとシリルエテルに報告して、感謝しつつ二人で美味しくいただいた。

数時間後、「ラクタム様から」お茶のお菓子をいただいたシリルエテルが、わざわざラクタムを呼び止め、「先ほどは美味しいお菓子をありがとうございました」と、にっこりと、それはそれは優しい笑顔を見せた。「あ、いえ。お気になさらず」と返答し、あれはスフィルにあげたものだったが、元々2人が楽しめるようにと買ったものだからまあいいか……と小さく笑う。ふと、背後に視線を感じて振り向くと、そこには傭兵将軍が実に恐ろしい笑顔で腕を組んでいた。

「はあん。菓子を買いに行ってたのか、気が利く副官だな、ラクタム」

いやな予感がした。

「ちがっ、ちがうんです、隊長、いまのは! あの、スフィル殿、にっ!」

「俺ぁ、別に何も言っちゃいねえが?」

「ですからっ! ちがうんです!」

「ああ? 何が?」

「隊長!!」

後から聞いた話によると、ラクタムがジオリールから大量の食料・医療品調達の準備を言付けられ、それをこなしている間に、スフィルはちゃっかりシリルエテルと2人で出かけていって、楽しく甘いもの調達をしてきたそうだ。その後、ちゃんとジオリールの許可をもらって爽やかな味わいの茶葉も購入し、傭兵らの旅程の食事事情は幾分華やかなものになった……とか。