傭兵将軍の嫁取り

015.旦那候補

チアルがジオリールに初めて会ったのは17歳のときだ。もともとカルバル王国の人間ではない。周辺諸国のうち、国とはいえない程の小さな部族の女戦士だった。女はより強い男の子供を産み育てるのが慣習で、もっともっと強い男を……と求めた結果、当時国内外と小競り合いの多かったカルバル王国へと渡ったのだ。

傭兵が必要とされる国には、当然強い男が集まるだろうと、単純にそう考えての行動だ。もちろんまだ経験も浅く大物を体験したことのない若い女傭兵を、好んで雇う雇い主はいない。そこでチアルは、安定した収入と縁故を作るために、その時既に戦を経験して有名だった傭兵隊に一時的に雇われた。雇われた……というよりも、無理やり居座ったのだ。

その時、傭兵隊をまとめていたのはアシュラル・グレゴル伯爵。当時既に66歳だった。一目見た時から、チアルはこの男だ、と、そう思った。臥した虎のような男は、剣も技もなにもかも、チアルが知る男のどれよりも強かった。そのように見えた。そして実際に、そうだったのだ。

当然、チアルは猛烈にアピールした。しかし、17,8歳の小娘など相手にされるはずもない。ましてやアシュラルにはエノラートという伴侶が居り、結婚していないにも関わらず既に5人の息子がいる。時折立ち寄るホーエン侯爵領で見かけるその伴侶はチアルなど到底かなわない存在感の女で、アンタの男をくれ……などと言ったところで、「勝手におしよ」と、逆に可愛いらしいものでも見るような目で見られる。それは、先ほどのシリルエテルのような表情ではなく、「勝手にしたところで、アシュラルは決して貴女のものにはならないよ」という女の余裕だった。悔しいことに、力の差を見せつけられるだけだったのだ。

そして6年前にアシュラルが戦場で命を落とした。チアルはなんとなくホーエン侯爵領に残り、なんとなくこの土地を守る傭兵になった。時々、周辺で小銭稼ぎをするもののすぐにホーエン侯爵領に戻る。そういった稼業の合間に目を付けたのがジオリールだ。いろんな男を見てきたが、アシュラルに匹敵するいい男は、その男が育てたという男でしかありえない。チアルから見ればアシュラルには及ばないが、アシュラルの次に強い男だと言ってもいいくらいではあった。しかし、ジオリールはチアルには手を出そうとしない。アシュラルよりも若いから夜這えばなんとかなるだろうと思ったが、ジオリールは決して隙を見せないのである。

さては男色か何かかと思ったが、他の男達と花街にいったりする姿も見ているからそういうわけではないらしい。ならば、なぜ自分には食指が動かないのかと問うてみれば、「てめえを抱いてる自分の姿が想像できねぇ」……などという。チアルはジオリールに終始付き纏うような真似こそしなかったが、仕事を同じくする度に飽きずに迫った。

こうして段々と、傭兵達との間では恒例行事のようになりつつあったジオリールとの掛け合いだったが、45歳になるまで特定の女もいない様子だったから「まあ、ジオリールをものにできないのは私だけじゃない」……そう思っていたのだ。

だから、ジオリールが嫁を取るなど悪い冗談かと思って、聞いたときは酒を吹き出したくらいである。

「しかも、貴族の女だっていうじゃない。冗談じゃないって思ったわよ」

チアルは傭兵隊達から離れ、ラクタムとスフィルと3人、なんとなく階段脇に腰掛けて管を巻いている。スフィルはなんでこんな女の話を聞かないといけないんだ……という風体で、非常に不機嫌だったが、「まあ聞きなよ」とチアルが視線で促すと、しぶしぶ大人しくしていた。

「……ホーエン侯爵も、貴族ではありませんか」

「あの人は別よ。分かるでしょ」

チアルがどういう類のことを言いたいのかはスフィルにも分かったが、それを言うならばスフィルにとってシリルエテルは特別だ。普通の貴族などと一緒にされるのは気に食わない。

「ジオリール様のことが、お好きですの?」

「当たり前じゃない。だから子供が欲しいって思うんだもの」

「……でも、ジオリール様より強い殿方がいらっしゃったら、そちらの方がいいって思うのでしょう?」

「思うわね」

スフィルはいまいち腑に落ちない表情を浮かべる。チアルはその表情をちらりと見て、ははあ……と笑った。この仔リスは、男を好きになるという感情はそんな風なものではない……と言いたげな顔をしている。もちろん、チアルにだって普通の女が何を言いたいかは理解できる。だが、それは所詮普通の女の言い分だ。部族に育った自分の価値観と異なるのは当然なのだ。

「なんで強い男の子供が欲しいって理由で、男を好きになっちゃいけないんだか」

「いけないとは言っておりませんわ」

「それに好きな男相手に何にも言わなかったら、それこそヤレるもんもヤレないじゃない?」

スフィルが黙ってしまった。それが価値観だといわれれば反論できない。人を好きになる理由、男と女が共にいるきっかけなどそれこそ人の数だけ存在していいはずだ。

ふっと主とその夫の2人に思いを馳せた。……シリルエテルは、今、ジオリールと共に居る。今後、主人は何があっても自ら選んであの男の所に行くだろう予感がした。自分はそれについていくだけだが、……あの髭男、シリルエテルに選ばれたくせに泣かせた男。今度泣かせたら承知しないと思いながら、しばし沈黙していると、……チアルが素朴な疑問を呈した。

「ねえ、アンタのご主人様はさ……子供が出来ないってわけじゃあないんでしょ?」

「随分、あけすけなことを聞きますのね」

呆れたようにスフィルがチアルを睨み付けると、女はニッ……と笑って肩を竦める。

「だって、私の好きな男の子供を産むかもしれない女じゃない。情報収集」

……はあ……とスフィルがため息を吐いて、やがてぽつりと言った。

「子供ができなかったのは、……あの枯れ爺が種無しだったからですわ」

「はあん?」

「それなのに自分の直系じゃないと後継にしないと言い張って。子が出来ないのは女のせいだと妄言を吐くだけの、バカな男でした」

ぎゅ……と拳を握って眉をしかめるスフィルの横顔を、ラクタムがそっと窺う。先ほども思ったが、スフィルはノイル侯に個人的な恨みを抱いているようだった。好色で女も多かった、と聞く。思い当たる結論にラクタムの喉がからからと渇く。

「スフィル殿は、……元はシリルエテル様に雇われたのですか?」

ラクタムからの質問の意図に、思わず強い瞳を向けた。いつもの快活でくるくるとした表情ではなく、なんだか泣きそうな震えるような瞳で聞いた瞬間後悔する。強い瞳は一瞬で、ため息を吐くように視線が下がった。

「……私は、元々ノイル侯爵家に仕える予定でした。でも、逃げ出したんです」

「逃げ出した?」

「侍女はたくさんいました。新しく雇う必要なんてないくらいに。……ノイル侯爵がどういうつもりで……というのはお分かりでしょう。私怖くなって」

聞き返したラクタムを、再び、きっ……と見返して、前半は気の強いスフィルの口調だったが、後半になるにつれて、しゅんと声のトーンが下がる。こんなときなのに、そのような表情の移り変わりが愛らしく、庇護欲をそそる……などと思ってしまった。

「逃げた先で……シリルエテル様が貴女を?」

「はい。行くところがないなら、私が貴方を雇いましょうって」

「そうですか……」

「一度だけ、あの男に見つかった事があって……」

「え?」

その意味を知って、なぜかラクタムの心臓がぎゅうと縮んだ。

「ですが、……そのときも、シリルエテル様が、助けてくれたんです」

どう助けたか、とまでは言わなかったが、スフィルは今までにないほど気弱な顔をした。ラクタムは思わずその赤金色の髪に手を伸ばしたくなったが、チアルや他の傭兵達がいる手前、ぐっと堪える。

スフィルは侯爵家の侍女候補としてノイル家に拾われた。一緒に侍女として雇われた美しい女達は、旦那様の愛人に成り上がってやる!と息巻いていて、その様子から何故自分がここに連れてこられてきたかを知った。それまで侍女として雇われるという以外の事情を知らなかったスフィルは、怖くなってその場を逃げだし、離れの庭で震えているところをシリルエテルに拾われたのだ。

その時、あまりにも若かったスフィルに眉をひそめ、シリルエテルがそっと手を貸してくれた。もとより市井の戦災孤児で、逃がしてもらったとて行く宛てが無いスフィルをシリルエテルが弟子として、そして侍女として、そばに置いてくれたのだ。元々素質があったらしく、スフィルはすぐに、魔導師として才能を開花させた。

一度だけノイル侯に見つかり夜の世話を命じられそうになった事があったが、シリルエテルが誤魔化してくれた。あの時のことは一生忘れる事が出来ない。スフィルの代わりに、その夜は珍しくシリルエテルが連れて行かれたのだ。正妻なのだから、当然の勤めといえばそれまでだ。当時、一緒に雇われた侍女がノイル候の様子について話してくれたことがある。怪しい薬、子の出来やすいやり方……。女は子供が出来れば、侯爵家の母になる、一生が安泰だと笑っていたが、スフィルにはとても笑えなかった。その夜は眠れなかった。

幸いなことに多くの女が入れ替わり立ち代りしている状況では、そのときの出来事はすぐに忘れられた。

シリルエテルは愛人を許容したことによって、夫から逃れた。そうした罪悪感からの行動だったのかもしれない。しかしスフィルにとってやさしく穏やかなシリルエテルは、主人というだけではなく、師匠であり、母であり、姉だった。

目立たぬ立ち回りを続けていたシリルエテルは、離れで信の置ける使用人を連れ……侍女はスフィルだけを側に置き、夜は共に魔法の研究と勉強をした。時折、外に抜け出しては領館近くの森や川原に姿を現す小型の魔物や野生の害獣を沈静化する、というようなことも行っていた。

注視されていない離れから、熟練した魔導師のシリルエテルが抜け出すのは容易い。こうした日々を経ていたから、食人鬼オーガを見たときもそれほど動じることなく対処できたし、外で過ごすことも泥に汚れることも厭わなかったのだ。遠くに出向くことが出来なかったが、領館や周辺の街道の治安がシリルエテルによって守られていたというのは皮肉な話だ。

それに。

「魔導師は……子供が出来にくい人が多いのです。たかだか1年やそこらで妊娠するはずがありません」

「……魔導師? アンタのご主人は、魔導師なの?」

チアルが顔を上げて、油断ならない眼を向けた。どことなく、面白そうなものを眺める眼にも見える。へえ……と楽しげに口元の端を上げたときだ。突然、馬が駆ける音が響き、中庭に転がるように侵入してきた。ここまで来た……ということは、門番は通ったのだろう。その様子に弾かれたように3人が立ち上がり、すぐさまチアルとラクタムが駆け出す。

馬上の人間はずっと馬で駆けて来たらしく疲弊した様子で、たちまち傭兵達に取り囲まれて手を貸されて下ろされる。

よほど火急の用件に違いなかった。