傭兵将軍の嫁取り

018.傭兵将軍の嫁取り

アルカで一度宿営を張り、領主館に帰還したのは翌日の午後になった。勝利に浮き立つ傭兵達をエノラートが出迎える。

「活躍だったようだね。早馬が報せに来てるよ」

「わざわざ出迎え、いたみいります」

「だから、敬語は止めろって気色悪いね」

一応礼を取ったジオリールに、はっは……とエノラートが大きく笑って、「チアル!」……と呼びつける。

「チアル、傭兵達は先に休みたい?それとも呑むかい」

チアルが片方の眉をぴくんと上げて、ニッ……と笑う。めいめい馬や荷を運んでいる男達を振り返って、チアルが声を張った。

「あんたたち! 当然、風呂入って先に酒だよねえ?」

その声に、チアルの傭兵もジオリールが連れた男達も、わっ……! と歓声を上げて応じる。その様子を見て、エノラートが頷いた。既に準備はしてある。城に仕える傭兵や私兵らが共用している水浴び場と井戸を開放したから使うように、チアルとジオリールに指示する。ジオリールとシリルエテルにも、「部屋に戻ってその酷い格好をどうにかしな」……と言い含めて、なぜか控えていたスフィルとラクタムに視線を向け、こちらに来るようにと顎をしゃくった。

スフィルとラクタムがエノラートに連れて行かれてしまったので、ホーエン侯爵付きの執事と侍女頭に連れられてシリルエテルとジオリールは部屋に戻った。互いの気持ちに気付いて色めいた雰囲気になってから、すでに2日半は経過している。その間、マンティコアとの戦いがあり、馬上の旅程があり、宿営があって、一緒に居たにも関わらずジオリールは満足にシリルエテルに触れていない。

要するに、戦った後の昂揚感と共にシリルエテルと2人になりたかったのだが、早急に別々の部屋に戻された。元々部屋は別だったのだから当然といえば当然だ。ジオリールは戻ってきてからシリルエテルとほぼ何の会話も無く部屋に戻されたことに苛立ちを感じながら、湯浴みの用意がされた部屋へと行く。

そこに準備されているものを見て、思い切り顔をしかめた。

「ああん……? 何だこりゃ」

***

「あんときの隊長の顔見た? あんな腑抜けだとは思わなかったよ!」

あっはは!……と豪快に笑いながら、チアルが麦酒エールのジョッキをぐっと煽る。中庭に明るく火を焚いて、ホーエン家が用意した酒と肴を傭兵達が楽しんでいる。街の者にも手伝いを頼んで、傭兵達の口に合うような素朴な料理を振舞っているのだ。ジオリールの隊の者も、ホーエン侯爵領の傭兵達も、戦いに参加した者は楽しげにその時の様子を話す。

「隊長も大したもんだが、隊長の奥方も大した肝だ。あの怒鳴り声に顔色ひとつ変えないんだからよう」

「にしても、あんなに顔赤くするこたないのになあ」

どっと傭兵達が笑う。それにしても、この酒宴の中心人物になるであろう肝心のジオリールとシリルエテルの姿が見えない。2人の姿が見えないだけならば無粋な妄想が働くというものだが、副官のラクタムや仔リスのような侍女のスフィルも姿を現していなかった。それにエノラートも、である。

その違和感に周囲の傭兵達もようやく気付き始めたようで、「隊長ら、遅ぇなあ」「奥方と一緒かあ?」などと噂を始めた。そんな傭兵達に苦笑しながらチアルが探しに行こうかと腰を浮かせた。その時だ。

中庭に姿を現した巨体に、チアルが眼を剥く。

次の瞬間、くふっ……! と噴出した。

「やあ、どこのお大尽様かと思った!」

「うるせえ!」

傭兵らは常とは異なるジオリールの様子に目を丸くしている。ちっ……と大きく舌打ちしながら、ジオリールが頭を掻いた。ざんばらな髪を後ろに撫で付けて整え、髭を丁寧に剃ったジオリールは、宮廷の騎士のような詰襟の服を着ていて、色味を押さえた青墨色の長衣コートを羽織っている。どこぞの舞踏会にでも招待されたかと見紛うような服装だ。よくもまあ、この身体に合うように作ったものだと思う程には似合っていたが、まったく落ち着かない。傭兵将軍という逞しい男の、見慣れない格好に全員の目が滑ってしまう。

45歳にして見世物のようにされたジオリールは、くそっ……!と毒付いた。

湯浴みをした後の着替えが、これしか無かったのだ。せっかく身を清めたのに血まみれの鎧をもう一度着るわけにもいかない。周到なことに湯浴みをしている間に使用人らが、さっさと元着ていた服を持っていってしまった。客室にあったはずのジオリールの荷はどこかへ運ばれており、他に着るものは無い。仕方なく用意された服に着替えて終わったと思ったら、使用人らがぞろぞろとやってきて押さえつけられ、髭を剃ろうとしてくる。これはさすがに止めさせて、自分でやると半ば叫んで下がらせた。そうして出来上がったのがこの姿である。

「いやあ、ごめんごめん。似合う、似合……うふっ……!」

もう一度まじまじと見たチアルが改めて吹き出す。その様子にますます不機嫌になったジオリールに、ほら……と麦酒のジョッキを渡そうとして、「あら……?」と視線を上げた。

周囲の男達が口をあんぐりと開けて、2階から外に向けられている階段を見ていた。全員がなぜだか頬を染めて、そわそわとし始める。その様子にジオリールも、いぶかしげな顔をして視線を持ち上げた。

ジオリールの薄い青い瞳がぎょっと見開かれ、次の瞬間、これまでに無いほど間抜けな顔をした。

****

2階から中庭に降りる階段は、建物の壁に這うように造られている。その階段から、数人が中庭へと降りてきた。年齢相応のきちんとした装いのエノラートを先頭に、柔らかな色合いと光沢を押さえた風合いの白いドレスを着た女が続く。その女の手を引いているのは侍女の正式な格好をしたスフィルで、3人の女の後ろを守るのはラクタムだ。ラクタムもまた旅の汚れをすっかりと落として身なりを調え、簡易なものだがきちんとした騎士服のような装いになっている。

しん……と沈黙した傭兵達にエノラートが満足げに笑う。中庭に降り立つと、道を開けるように脇に避けた。白いドレスの女が戸惑いながらも美しい淑女の礼を取って、エノラートの前を通り過ぎる。そのままスフィルに手を引かれて、女はジオリールの前に立った。

スフィルが、つん……と澄ました顔で、女の……シリルエテルの右手をジオリールに差し出す。……そうして、じろりとジオリールを見上げ、挑戦的な表情をした。

いわく、さっさと手を取れ。

その視線に促されて、ジオリールがシリルエテルの手を取る。伏目がちだったシリルエテルが顔を上げ、……困ったようにジオリールに笑った。

「その……これしか着替えがなくて……」

「お、……おう、そうか」

「ジオリール、とてもお似合いです」

「いや……くそっ……謀りやがって……」

ジオリールが、ぎぎ……とエノラートの方をうらめしげに睨んだが、当のエノラートは涼しげな顔だ。「私じゃなくて嫁を見てやんな」……と、視線でシリルエテルを指す。

ジオリールはシリルエテルを見下ろした。僅かに化粧も施していて、肌は上気したようにほんのりと桃色、控えめな紅を差した薄い唇が艶やかだ。思わず片方の手をシリルエテルの髪に伸ばして、そっと触れる。黒い髪は背中まですとんと下ろされているが、両脇の髪を小さく束ねて後ろで綺麗に結わえていた。白いドレスは華やかではないが身体のラインを緩やかに見せた落ち着いたものだ。鎖骨が美しく覗いているのに、それほど胸元が強調されていない。少し古風な形だが、むしろシリルエテルの淑やさを引き立てている。

ジオリールが、「あー……」と、何かを言いたげに口を開く。少し首をかしげてジオリールの言葉を待っているシリルエテルに、諦めたように息を吐いた。非常に不味い。うずうずする。肩に触れれば抱き締めてしまいそうで、言葉を交わせば唇を塞いでしまいそうだ。感情を極力抑えるように、ジオリールは傭兵将軍にあるまじき小さな声でぼそりとつぶやいた。

「……似合う」

「ジオリール……、ありがとう、ございます……」

少し距離を置いて向き合っている2人に、肩を竦めてエノラートが笑った。

「花嫁衣裳、なんてものを用意できりゃよかったんだけどね、まあ、上等だろう。立派にやりたきゃ、領地でおやり」

そういってぐいぐいとシリルエテルを押す。

「ほうら、なにやってんだい。ちゃんとエスコートしてやんな!」

「……シリルエテル!」

「あ、ジオリール……あの……」

バランスを崩したシリルエテルの腰をジオリールがさらう。困ったように自分を見上げる表情に、思わずそのまま腰を抱いて自分にぐいと引き寄せた。その途端、どっと歓声やらなにやらが響き渡り、冷やかすような口笛が聞こえる。冷やかされて、ジオリールが真っ赤な顔でがなり立てる。

「うるせえ、冷やかすんじゃねえぞ、てめえら!」

「ほらほら、祝うにはまだ早いよ!」

エノラートの声に、傭兵達の声がぴたりとやむ。ラクタムを振り返り、頷いた。合図を受けたラクタムが丁寧に一礼する。手には何か盆を持っていて、その上に綴じた書類が置いてあった。畏まった表情をしてみせ、それをジオリールとシリルエテルの2人の前に差し出す。

婚姻とその仲人の書類だ。すでにエノラートの署名は済ませてある。エノラートが真剣な眼差しで2人に向き合った。ジオリールとシリルエテルも、思わず背を伸ばし真っ直ぐに立つ。

エノラートが白い羽の付いたペンをジオリールに渡す。

「夫、ジオリール・グレゴル。シリルエテル・リーンとの婚姻に同意を示すならば、ここに署名をなさい」

エノラートの言葉にジオリールが神妙に頷き、自らの名前を書類に記入する。ペンを受け取ったエノラートは、今度はシリルエテルに視線を向けた。

「では、妻、シリルエテル・リーン。ジオリール・グレゴルとの婚姻に同意を示すならば、ここに署名をなさい」

シリルエテルが柔らかに微笑んだ。渡されたペンで署名を施し、美しい所作でエノラートに一礼する。それを受け止めて、エノラートが静かに頷いた。

「ジオリール・グレゴルとシリルエテル・リーンの婚姻を、ホーエン侯爵エノラートが真と認めます。また、ここにいる全員がその証人となりました。2人とも、よき夫婦であり続けなさい」

ジオリールとシリルエテルは顔を見合わせる。ジオリールが思わず首筋に掛かる黒髪に指を通すと、シリルエテルがその指にそっと頬を寄せた。ホーエン侯爵の後見の下、傭兵将軍グレゴル伯爵がとうとう奥方を娶ったのだ。

「あんたらの隊長が嫁を取ったよ。めでたいじゃないか!」

今までの神妙な気配を吹き飛ばして、エノラートが傭兵達に向かって声を大きくする。

「傭兵将軍の嫁取りだってさ。こんな機会、滅多に拝めないね!」

今度こそ、チアルがジョッキをかかげて大きな声で囃し立てた。緊張した空気が、一瞬にして陽気なものになる。チアルの声に乗って周囲の傭兵達も、わあっと声を上げた。いつもなら傭兵らに加わって馬鹿騒ぎも慣れたはずのジオリールはきまり悪げに顔を赤くし、シリルエテルははにかむように微笑んで、ジオリールにそっと寄り添う。

柔らかな重みを感じて、ジオリールがシリルエテルを抱く腕に力を込める。

確かに愛しい自分の妻だと実感した。

シリルエテルもまた、ジオリールの強い腕を感じて安堵する。伯爵夫人だからとか、2度目の結婚だからとか……そういった打算やうしろめたさや不安を何もかも抜きにして、この男と共に生きていくのだと心を決める。ふと、顔を上げるとすがすがしい笑顔のチアルと瞳が合った。美しい自信に満ちたチアルはいまだシリルエテルには眩しいが、もう心は揺るがなかった。シリルエテルがゆるやかに笑うと、チアルが頷く。そうして、悪戯を仕掛ける子供のように自分の頬を指差した。

その意味を知って、ぽっとシリルエテルが頬を染めた。

通じたことを知ったチアルが、やれ!いけ!……と促す。

「ジオリール」

冷やかす傭兵らをけん制していたジオリールが、呼ばれて、シリルエテルを見下ろす。「どうした」……と少し顔を下げたとき、そっと背伸びをしてシリルエテルがその頬に口付けた。「うぐう……!」と妙な声がジオリールの喉から込み上げ、シリルエテルが顔を染めてそっぽを向く。

仲睦まじい様子にエノラートやチアルが大きく笑い、いよいよ騒がしい夜が更けていく。

****

「あーあ、傑作だったねえ、あの男があんな服着せられて」

チアルがスフィルとラクタムと共に、何度目かの笑い声を響かせる。何年もお前の子供を産ませろと言ってきた相手が別の女と結婚した……というのに、なんともあっけらかんとしていた。あそこまで見せつけられちゃね……と笑って、チアルは肩を竦める。

「別にあたしがあの女に負けたなんて思わないけどさ、ジオリールが選ぶんだから仕方が無いよ。まあ、これを機に他の男に目を向けてもいいかもね」

「それはいい心境ですね」

「試してみる? ラクタム」

ぐい……と胸を強調させながらチアルがラクタムに迫って見せる。ぎょっとした表情で、ラクタムがぶんぶんと頭を振って後ずさりした。

「……チアル! 私では力不足ですよっ!」

「あら、顔が赤くなってるわよ、いつも冷静なラクタム君」

その様子にスフィルが、ちょこんと首をかしげた。

「試すって何をですの?」

「だから、試しません、試しませんよスフィル殿。何言ってるんですか!?」

「ラクタム様、顔が赤いですが、酔っ払ってまして?」

「赤くなってませんってば! 誤解です、誤解!」

「誤解って何がですの?」

誤解って何の話なのだろう。ラクタムの様子を横目でちらりと見ながら、ふう……とスフィルはため息を吐く。エノラートに言付けられて、シリルエテルのドレスを仕付けたのはスフィルだ。城を空けている間に持っている衣装に合わせて大体の寸法を決めてくれていたらしく、着せてから細かいところを詰めていくだけになっていた。急遽……だったから、最後の仕上げは仮縫いになってしまったが、それほど大きく修正することなく着付ける事ができた。

ドレスは花嫁衣裳ではないが、エノラートが若いときに着たものだそうだ。

『私のお下がりなんて嫌かもしれないけどね。』などと言ってエノラートは笑っていたが、そんなことはなかった。古く落ち着きのある色柄はシリルエテルにぴったりで、ため息のでるほど綺麗だった。その姿を見ながらスフィルは思う。今までのスフィルなら、もっともっと豪華でシリルエテルのために誂えた新しいドレスじゃないと嫌だと思っただろう。同時に分かってもいた。シリルエテルの控えめな性格は、派手な結婚式も祝いの席も好まない。ジオリールにとっては初婚かもしれないが、シリルエテルには2回目だ。尚更、華やかな場は落ち着かないに違いない。エノラートが用意した祝いの席は、傭兵達が将軍の嫁取りを祝う場としても、シリルエテルが気を張らずに皆に祝ってもらう場としても、言わなければこうした場を用意すらしないだろうジオリールを前に立たせるためにも、ぴったりの席だった。その気遣いは自分には出来ないもので、スフィルはエノラートの心遣いに感謝した。

そうした素直な心情の変化は、ジオリールやラクタム、この傭兵らと過ごした短い間に自覚したものだ。たった3週間ほどの旅程を共にしただけなのに、この大雑把な集団はしっかりスフィルやシリルエテルを仲間と認めているようだった。なんとなく癪に障る。けれど、なんとなくくすぐったくもある。……ここが、確かにシリルエテルとスフィルの居場所なのだ。

「ねえ、アンタは賭けない? 仔リスちゃん」

「何をですの?」

チアルはラクタムをからかうのを止め、今は男達と下世話な賭けに興じているらしい。すなわち、ジオリールとシリルエテルが翌日いつ頃姿を現すか……という賭けである。ジオリールとシリルエテルの姿は早々に見えなくなった。宴もそこそこに、どこに行ったかなどは言わずと知れている。

「そのような賭けに私が乗ると思いまして?」

「あら、いい子だこと」

うっふふ……! とチアルは笑って、無理強いなどはしなかった。立ち上がったスフィルに、「おやすみかい?」と首を傾げる。ラクタムも慌てて立ち上がり、「部屋までお送りしましょう」……とエスコートする風を見せた。2人の様子に「あらあら」とチアルは楽しげだ。

ラクタムがスフィルを城の中へと先導する。その途中、相変わらずの澄まし顔でスフィルはチアルを振り返った。

「私、明日の夕食前になると予想しますわ」

それを聞いたチアルが一瞬、きょとん……とした表情を浮かべて、にんまりと笑って「ああ」と頷く。

「それから、私、仔リスではありません。スフィルです」

「それは悪かったね、仔リスのスフィル。おやすみ、いい夢を」

チアルは楽しげにジョッキを掲げた。