コーヒイギューヌ

キスの日小話。


ほかほかとしたいい塩梅の湯に浸かって足を伸ばしていると、一日の疲れもほぐれていくようだ。コハルはカカラ神殿に作られている浴室で、存分に身体を伸ばしていた。

もちろん毎日のように使えるわけではない。普段はたらいなどに溜めた湯で身体を拭き清める程度ではあるが、何日かに1度、交代で浴室を使う事も許されていた。街にある公衆浴場ほどではなく、利用できるのも1人までだが、足を伸ばせるのはありがたい。浴室は2つ作られていて、男女別になっていた。

男女別になっているのはいいのだが、給湯の手間を省くために浴槽は一つで、真ん中に仕切りがあるだけである。

「コッハルー!!」

というわけで、隣に誰か入っていれば気配で分かるし、隣にシャンハが入っていれば気配も何もなく分かるのであった。

「シャンハ、ちょっと静かにしなさいよ……」

「いや、俺普通の声でしゃべってるし」

浴室は広くない。コハルの国の浴室よりは少し広く、浴槽で手足が伸ばせる……というくらいだ。そんな狭い部屋が2つ並んでいるだけなのだから、普通のトーンで話たってよく聞こえる。

「はー、人間、食事とかは上手いが風呂は狭いな」

「神様の施設とは比べられたくないでしょ」

「コハル、うち来るか、この数倍広い風呂に入れるぜ、もちろん一緒に!」

「遠慮しておきます」

「なんで! 一緒の風呂! 一緒の風呂だぞ、恋人は一緒の風呂に入る……はっ」

プッシュするところが微妙に間違っているシャンハの声を聞き流しながら、コハルは濡らした髪を上に纏めて湯船から上がった。

「今、俺とコハルは同じ風呂に入っている、ということは恋人……ってコハル? コハルー?」

さらにシャンハの繰り言を聞き流しながら、コハルは脱衣場へと出て着替えを手に取った。ことあるごとに恋人宣言するシャンハは、どれほどコハルにすげなくされてもめげる事は無い。どちらかというとコハルもこのやり取りを楽しんでいるのだから困りものだ。

もちろん、何が困るか……といえば。

「よーう、風呂上がりのコハルも色っぽいな」

着替えて脱衣場を出ると、コハルの方が先に出たはずなのに、シャンハが長椅子に座っている。

「シャンハ様、服着てくださいよ」

「そのシャンハ様っていうのよせって。あと風呂上がりだから暑くってよー」

「風邪ひくわよ」

「心配してくれてるのか!? 俺の事を……!!」

盛り上がった胸筋と腹筋は細マッチョですらなく、むっちりと鎧のようだ。左半身にはびっしりと文様の入れ墨が施され、それはシャンハの顔や頭髪の無い頭にまで描かれている。一見すれば悪の化身のようだったが、シャンハはカカラ神殿でも崇められている戦神シャンの化身……というか、戦神シャン本人だった。

そして、どうやらコハルに鍛え上げられた肉体をアピールしているようだった。

コハルはむしろ中肉中背が好きで筋肉には興味が無く、いや、むしろ筋肉とかはあまり付いてなくてもいい、というタイプだったので全く興味が無い……と伝えているのに。

「触ってもいいぜ!」

などと言ってくる。しかし、筋肉に興味が無い女子にとって、段々になったカッチカチの胸筋や二の腕は、愛でる対象ではなく、どちらかというとちょっと得体の知れない物体だ。というか、女子に筋肉見せて「触ってもいいぜ!」アピールしてくるとか、神様の口説き方はよく分からない。

……口説かれているかどうかもよく分からないが。

「そうだ、コハル、これ飲むか?」

「何?」

「これはあれだ。お前の国の風呂上がりに飲むという飲み物を模したやつだ。食神パフルに再現してもらった、コーヒイギューヌ」

「え?」

「コーヒウギューヌ」

コハルの国の……ということは、日本でお風呂上がりに飲むもの、ということだろうか。厳つい顔に眼帯をした、身体の半分が入れ墨の大男が唇をとがらせて、懸命に「コーヒウグーヌン」など言っているのがおかしくて、思わずコハルは笑ってしまう。

「コーヒーぎゅうにゅう?」

「おう、それだそれだ!」

「飲みたい」

「飲め飲め」

まさかこちらに来てお風呂上がりにコーヒー牛乳を飲むことになるなんて思わなくて、コハルは小さなコップに入った薄いブラウンの液体に口を付けた。

冷たくて甘くて、懐かしい味がする。

「美味しい」

「な! 人間すげーな、特にお前のところの国。こんなうまいものを風呂上がりに飲むために発明するなんてな。っていうか半分飲ませろよ」

「あ、ごめん」

「おう。ところでそれ、俺もさっき飲んだから、間接キスだな」

「……」

懐かしい味に思いを馳せていたコハルの動きが止まった。しみじみとカップを見て、シャンハの期待に満ちた輝く瞳と頭を見て、もう一度カップに目を落とす。

「……照れるな照れるな。徐々に階段を登ればいいからな、そのうち恋人同士のキスもできるように……ってか、コハル一気飲み!? 俺の、俺の分は!?」

「ごちそうさまでした」

コーヒウギウヌを飲み干したコハルは、カップを洗い場に持っていくために立ち上がった。慌ててシャンハも立ち上がり、コハルの後を追いかける。

なんだよう、軽い冗談だろ怒るなよう……と拗ねた声がコハルを追いかけてくる。もちろんコハルは怒ってなどおらず、思わず小さな笑みが溢れた。

「怒るなコハル、おれの自慢の胸筋触らせてやるから、コハルって!」

だが、とりあえずそれは遠慮しておきたい。