いつか、同じ星を

002.挙動不審な女

「おい、ミチルの動き、不自然じゃないか?」

「ああ、明らかにそう見えるよな」

喧騒は相変わらずだったが店はようやく落ち着きを取り戻しつつある。エティエンヌは食事は終わったが、近くに居合わせた顔見知りと共に、ミチルをちらりと見ながらひそひそと話しこんでいた。

というのも、蜥蜴族の男が食堂に客として現れてから、ミチルの挙動が不審なのである。まず顔が赤い。そして泣きそうな瞳をしている。きょろきょろと落ち着きなく周囲を見渡しているし、2度注文取りを失敗して女将に怒られていた。蜥蜴族の男に水を持っていったときは、注文を取るのを忘れて動きが止まっていたし、水を受けようとした客の鱗の手が触れたときは「ひゃあ」と色っぽいのかなんなのだか、とにかく今まで常連客の誰もが聞いたことのないような声を出して、厨房へと走り去った。ちなみにこの時、注文は取れていない。

その後、女将が蜥蜴族の男から注文をとろうとしたところにすっ飛んで戻ってきて、落ち着きを一見取り戻したような態度で注文を取り直していたが再び停止。注意を喰らったところで、すみませんすみませんと謝り倒し、蜥蜴族の男が「いや……気にしなくてもかまわない」と話したところで、今度はこれまた常連客の誰もが見たこともない愛らしいはにかんだ笑顔を見せたのだ。

「そもそも挙動不審っていうかあれじゃあまるで……」

そんな風にエティエンヌが呆れた声を上げたとき、また1人客が来た。

「ミチル、今日こそはいい返事を聞かせてもらおう」

「……アストンさん」

げんなり……とミチルが肩を落とした。やってきた客人の名前はアストン・ハイトラーという。ゼルニケを仕切っている貴族であり、港町の流通を一手に引き受けているハイトラー男爵家の次男である。甘い口元に少し下がった目尻。背の高さは180cmくらいだろうか。ミチルの世界で言うところのアメコミか何かに出てきそうなヒーロー顔で、こうした一見たくましく見え、なおかつ甘い顔は、ある一定の女性にはモテるらしい。アストンもまた常に女をとっかえひっかえしている。金に物を言わせていると口さがない者達は言うが、全くその通りの男だ。

今は父親のハイトラー男爵が長男と共に王都に出向いているため、留守を任されている。この留守を任されている……というのが曲者で、アストンが一瞬でもゼルニケを仕切るようになってから、船の出入りの監視が一気に甘くなり、妙なごろつきが目立つようになった。噂によれば、流通に関しては男爵直属の有能な社員達が維持しているが、そのためにアストンの行動にまで手が回らなくなっている様子で、街の治安維持と称して頭の悪そうな男共を侍らせて、我が物顔で街を歩いては揉め事を起こすようになったのだ。典型的な金持ちのバカ息子である。

ハイトラー男爵自身と跡継ぎの長男は有能な男だった。だが有能であっても息子は可愛いのか、あるいはこれを最後の機会チャンスと見ているのか。いずれにしろ、ゼルニケの住人にとってはいい迷惑だった。

そしてこれまたお約束なことに、ミチルはこのアストンに何かと眼を付けられている。

「アストンでいい、ミチル。何度言ったら分かるんだ。こんな汚い宿屋の食堂なんかやめちまえ。俺の秘書になれと言っているだろうが」

「私には過ぎたお話ですし、結構ですと何度もお断りしたはずです」

「はあん。照れているのか? それともこんな宿屋に義理立てしてんのか? まあ、そういう慎ましいところもミチルの魅力だがな」

アストンが「慎ましい」と言った所で、エティエンヌがぶふーと噴出したので、ミチルがちらりと熊族の顔に視線を送って「いー!」とやってみせた。だが、そんな暢気なやり取りもすぐに掻き消される。

トントンと木の床をお高そうな革靴で叩きながら、アストンは無遠慮にミチルに近付いた。いつもだったらミチルの周りをうろちょろとうろついて、肩を抱こうとして叩かれ、腰を抱こうとして逃げられ、客として席に座ってやっと店員の相手をしてもらえる……というのが、この迷惑なバカ息子とミチルのやり取りだった。それはそれで可愛いもので、余裕であしらうミチルの様子は、こっそりと常連客の間で話題になったものだ。だが今日のアストンは一味違った。後ろに3人のごろつきを従えているのだ。

さてどうしたものか……とミチルは後ろに下がった。女将がミチルを庇おうとして出てきたが、ミチルはそれを押しやってアストンを睨みつける。いつもとは異なる反応が楽しいのか、アストンはミチルに顔を近づけてニヤニヤと笑った。

アストンはやたらと濃い彫りの深い顔をしていて、なおかつ顎が割れている。それを見るだけでも気が滅入った。ミチルはこういう大袈裟な顔が特に嫌いなのだ。

「……今日はおとなしいな。やっと俺の魅力に気付いたか?」

「は? ……ちょっと、意味が分かりませんね」

どこをどう間違ったらそのような意味に取られるのだろうか。冗談ではなく真剣に意味が分からず、ミチルは首を傾げる。だが、「まあ、どうでもいいです」……と前置きして、きっ……とアストンに鋭い視線を向ける。

「とにかく何度も言っておりますように、私は貴方の元に就職するつもりはありません。御用はそれだけですか? 食事もお宿も利用されないなら、混雑している時間帯ですし、お引取り願います」

「ミチル……俺のところで秘書をすることの、何が嫌だってんだ。給料ならいくらだって支払ってやる。休暇だって好きなだけくれてやるぞ。俺の側にいりゃあな」

「それ……金銭以外に何かメリットがあるんですか?」

「何ぃ?」

ニヤニヤ顔を簡単に不機嫌なものに解いたアストンが低い口調ですごむと、ピリリ……と食堂に緊張が走った。なにせ、食堂にはエティエンヌを筆頭に顔見知りの兵士らが何人か食事をしているのだ。ミチルに何かあったらすぐに助けてくれるだろうが、男爵家と国の兵士が反目しあうのは勘弁願いたかった。むろん、常連で居てくれる兵士達のために……である。

「とにかくご注文は? 席にお着きにならないのならお帰りに……」

「ふん。注文はお前だミチル。一緒に来い」

「……ちょっと!」

ミチルが自分たちの迫力に負けて気圧されているように見えるのも、アストンの行動に拍車を掛けたのだろう。アストンは一歩ミチルに踏み込むと、肩を掴もうと手を伸ばした。

ガタン。

しかしその手が届く前に、アストンの視界からミチルが消えた。ミチルの視界からもアストンが消える。アストンに背を向けた状態で、蜥蜴の男が2人の間に立ったのだ。フードはいまだに被ったままだったが、マントの後ろから鱗に覆われた太い尻尾が豪快に出ているので、その男が蜥蜴族だとアストンにも知れる。

「なんだてめ」

「ミチル?」

アストンの声を完全に無視して、蜥蜴族の男がミチルの名前を呼んだ。その瞬間、ミチルが瞳を丸くして唇を少し開いて蜥蜴の男を見上げる。

「ひゃっ、ひゃい!」

変な声が出た。その瞬間、いつ手助けをしようかとタイミングを計っていたエティエンヌが、ぬふふぅと再度噴出する。ふかふかな熊の両手で顔を覆って、肩をぷるぷると震わせ始めた。笑っているようだ。

「部屋の手配を頼んでよいだろうか」

「あ、は、はい! はい!」

顔を真っ赤にしたミチルが子供のように何度も頷いた。

蜥蜴族の男はミチルの様子もエティエンヌの様子も気に留めず、アストンから庇うようにミチルの肩に手を置いてエスコートすると、女将が様子を窺っている方向へ歩き出す。鱗に覆われている手は指先が少し太く、広い手の平はミチルの細い肩をいとも簡単に包み込んだ。ふわりと翻したマントが膨らみ、その中に守られるようにミチルが引き寄せられる。

その一切の隙のない行動にアストンは呆気に取られ、ミチルが大丈夫そうな様子を認めると、客たちの喧騒も徐々に戻っていくのだった。