いつか、同じ星を

009.触れたい男

ミチルはあれから丸1日寝込んでいた。眠るのが怖い瞬間もあったが、そういうときは必ずラザフォードが居てくれて、ひんやりした手で頭を撫でてくれた。

そうして今、宿屋の居間に置かれたソファにミチルとラザフォードが並んで座り、ミチルの近くにエティエンヌ、向かいに宿屋の主人夫妻が座っている。事情を説明してもらうためだ。エティエンヌと宿屋の夫妻は既に聞き及んでいて、ラザフォードやエティエンヌが話す内容にミチルが分かりやすいように補足を入れてくれた。

クーロン国の王は最近代替わりしたばかりである。前王コルベの2番目の息子ワールブルクが現在の王で、王位継承権を放棄したラングミュアという兄が1人居る。その王兄の下には身分や家柄に関係なく腕と忠義心だけで集めた部隊があり、現在、クーロン各地の守りを視察している王兄が帰還すれば、この隊を中心に新規の騎士団が整備されるだろうと言われていた。ラザフォードはもともと若くしてその部隊の隊長の地位にあったほどの武官で、王兄の部下だった。

クーロンの王都にいれば王兄の帰還後、騎士団の一員として重要な地位にも就くことが出来ただろう。だが、クーロン国ゼルニケ方面駐留隊に人を派遣する必要がある……という話が出たときに、ラザフォードは自ら志願した。このとき、一番最初の任務としてハイトラー男爵に依頼を受けた仕事があった。

それが、ゼルニケの街で、薬草や嗜好品を違法に中継している集団を取り締まって欲しいというものだった。

その集団は、普段は外部の人間を使い捨てて小銭を稼いでいるらしく、ハイトラー男爵らの目が届き難い時期を狙って大きく動く。よって、ハイトラー男爵は王都に用事があったことも重なり、長男と共に街を開け、数人の兵士を異動と称して送り込んだ。警備の緩さを見せ付けるよう隊長の席は現在空席だ。ラザフォードは兵士としてではなく単独でゼルニケに入った。

そこで調査を始めたのだが、あっさりと足は付いた。

ハイトラーが留守にした途端、好き放題動き始めたのがアストンだったのだ。恐らく、おおよその目星はハイトラー男爵自身付けていたのだろう。

アストンはハイトラー男爵が留守の間に一気に稼いで、クーロンを出る予定だったらしい。ただ、アストン自身はミチルに相当ご執心だったようで、なんとかミチルを懐柔して一緒に国外へ連れて行こうとしていたようだ。

「ミチルの造作はな、人間族の中でも珍しいんだよ。珍しい形のやつはいつだって珍重されるもんだ」

エティエンヌが肩をすくめたが、ミチルは首を捻るばかりだった。

髪、瞳、肌、そして淑やかな顔の造り。とても小柄でふっくらと柔らかいのに華奢。悪く言えば凹凸も筋肉量も少ない。ミチルにとっては、めずらしくもなんともない体型だが、男女共に大柄なグリマルディではかなり珍しい。こうしたグリマルディでは珍しい造作の人間は、種族的な集団は存在しないのになぜか突然生まれる事があり、また、現れる事があるらしい。

アストンは珍しい容貌のミチルに目を付けたのだろう。あれなりにかなり本気でミチルを手に入れたかったようだ。

ともかく、アストンはミチルに手を出そうとしており、当然ラザフォードもそれを知ることになる。ミチルを守りたかったが、閉じ込めるわけにもいかないし、事情を話すわけにもいかない。ならば、親しい兵士のいずれかを側に付ければいいが、ラザフォードは他の男をミチルに親しくさせたくなかった。

「あのとき……他の男に任せるのはどうしても嫌だった」

だから、仕事と言い訳しながらミチルの側にいたのだという。

それを聞いたミチルの顔がかあ……と赤くなり、ラザフォードはミチルを見ないように見ないように視線を逸らした。話はエティエンヌが引き取る。

「すごい剣幕で、ミチルの側には俺がつく、頼む……って部下に頭を下げたんだとさ」

うひひと、エティエンヌが笑った。

ラザフォードは私情を混ぜるなど、兵士失格だな……と苦い顔になったが、仲がよさげな2人の姿に憤ったアストンの行動が大胆になった。結果的にアストンを誘き寄せるための挑発行為になったのだという。

「それなら……フィーロン号に行ったのは……?」

「あれは……あれはだな……」

ラザフォードはどこか諦めたように、はあ……とため息を吐いて、「笑わないか?」と瞳をきょろりとミチルへ向けた。

「本当に個人的に……任務以外で、ミチルと2人になりたかった」

本当は、ミチルを夜中にラザフォードが自ら連れ出すつもりは無かった。何事もないのが一番なのだ。自分が側にいるからといって、わざわざ危険なところに連れ出す必要はない。……だが、ミチルがフィーロン号で星を見たい……と言った時に、自分の私的な望みとミチルのリクエストが一致してしまった。それでつい、連れ出したのだ。

そのときにアストンを見つけた。

丁度別の部下がアストンを追ってフィーロン号に入り込んだとき、ラザフォードとミチルを見かけた。部下は2人に危険が及ばないようにと、現地にアストンの痕跡があるということを知らせる。既に気配を感じていたラザフォードもまたそれに応じて、サインを出した。「追跡を続行しろ。後で合流する」と。ラザフォードはミチルを早々に宿屋に送り届け、そのままフィーロン号の近くで部下と合流した。

恐らく、ラザフォードとミチルが2人でフィーロン号に居たのをアストンが見かけたのだろう。普通に尾行するにしては、アストンは通常ありえないルートを使ってフィーロン号に入ったらしい。その進入先で、不当に積み込まれた荷を発見した。もちろん、ミチルがラザフォードと来なくても、いずれは分かったに違いない。

使われていないフィーロン号にアストンが独自に進入するルートを持っており、なおかつ荷を積んでいる……ということは、フィーロン号を何らかの目的で使っているということになる。そこまで分かればあとは簡単だ。

「アストンはフィーロン号をひそかに手入れしていたようだ。船を独自に用意すればすぐにバレるからな」

問題はいつ出港させるか……というところだったが、ラザフォードはそれを待つつもりは無かった。アストンらがいつ出港するつもりだったにせよ、フィーロン号を勝手に用意していた事実だけで押さえる予定だった。それまではアストンらを警戒させないために少人数で動いてきたが、事情を知らせていなかった他の兵士達にも話して協力を得るつもりだった。

ラザフォードはミチルにも、あの日全て話そうと思っていた。

「あの日……ミチルには事情を話そうと思っていた。アストンを捕らえるまでは外に出るなと言うために」

けれども間に合わなかった。一番必要だった瞬間に守る事が出来ず、ミチルをさらわれてしまった。最低だ。結果的にはアストン達を仲間もろとも捕縛しミチルも助かったが、それでもミチルに怖い思いをさせてしまったことには変わりない。それは自分の責任だとラザフォードは首を振った。

「最初の理由はどうあれ、ミチルをだましていたことも、ミチルを利用してアストンを追い詰めたのも言い訳のしようがない事実だ。それに守ると言っておきながら、結局はミチルを危険な目に遭わせてしまった」

すまない。

……そういってラザフォードはそっとミチルに手を伸ばそうとして、それが触れるか触れないかのところで止めた。自分はミチルに触れる権利など無い。

そう思っていたのに、ミチルは止められたラザフォードの鱗の手をぐいと引っ張った。引っ張ったものの、それをどこに持っていけばいいのか分からずおろおろして、結局は握ったまま、ぽすんと自分の膝の上に置く。

「ミチル?」

「……たすけてくれて、ありがとう、ラザフォード」

「礼なんてかまわない。怖かったろう……」

「うん。怖かった。……でも……ラザフォードのせいじゃない。どっちみちアストンは悪巧みをしてたんでしょう?」

「だが、……守ろうと思っていたんだ、ミチル」

酷い目にあったのはミチルなのに、今はラザフォードの方が苦しくて辛そうだった。その様子にミチルも泣きそうになる。守られているみたいだ……と思っていたけれど、ラザフォードは本当に守ろうと思ってくれていた。そのことが何より大切なのに、誤解して飛び出してしまったのはミチルだ。

「守ってもらえた。怖かったところから助けてくれたのは、ラズでしょう。あのときラズを呼んだら、本当に来てくれて……うれしかった。だから、ありがとう」

「ミチル……しかし俺は……」

でも、だって……の繰り返しになりそうな2人を見比べて、えっへんと咳払いをしたのはエティエンヌだ。エティエンヌは、ぼむっ……と膝を叩いて宿屋夫妻の顔を見比べた。

「はい、ここまで。な、親父さん、女将さん」

「……そうだな」

「そうねえ」

難しい顔をして、女将と主人は頷く。2人の表情に、ラザフォードは再び頭を垂れ、「どのような責任でも取るつもりだ」とうなだれた。

「責任ね……」

女将は、優しい眼差しでミチルを眺めた。

「ミチル、お前はどうしたいんだい?」

「え?」

「ラザフォードさんに聞きたい事があるんだろう?」

「聞きたい事? 何だ」

うつむいてしまったミチルに、ラザフォードが頭を向ける。丸い瞳の瞼をゆっくりと瞬かせて、きょろりと動かすと首を傾げた。しん……と宿屋に沈黙が落ちて、ミチルの言葉を待っている。

「……ラザフォード、は、……この宿屋を引き払って、今回の件が終わったら、ゼルニケを出て行くの?」

きょろ……と動いていた瞳が、ミチルの顔で止まった。じい……と見つめて、「いいや」と首を振る。

「言ったろう。俺は自分で志願してゼルニケに来た。……俺は、ゼルニケ方面駐留隊の、新しい隊長としてここに赴任してきたんだ」

「……え?」

「だとよ」

むふっ……! とエティエンヌが笑った。

「この間、隊長のじーさんが引退したろ? 老後は嫁と洗練された王都の生活を満喫するとかわけわからんこと言って。ラザフォードはあの後釜なんだと」

「……あのじーさんも2年もすりゃ飽きて戻ってくると思うけどな。どっちにしろ、ラザフォードさんはこっちに居るんだろう」

ふん……と苦虫を噛んだような顔で宿屋の主人が鼻を鳴らす。ぬふふと顎を撫でる熊のエティエンヌと、優しく笑っている女将。対照的に神妙な顔つきの蜥蜴の男を順番に眺めて、ミチルはぽかんと口を開けた。

「えっと、……え?」

ラザフォードがずっとゼルニケにいると聞いて、それがどういうことなのか、じわじわとミチルの胸に温かい何かが込み上げる。もうすぐいなくなると思っていたラザフォード。……だけどそれは誤解で、本当はずっとゼルニケに居て。それはつまり。

……んん、どういうことだ?

ミチルが自分の気持ちを整理するために首を捻っていると、ラザフォードに視線を傾けた女将が焦れたように言った。

「ラザフォードさん。……ミチルを放っておくつもり?」

「放って!?……そんなわけが無い!」

慌てて首を振るラザフォードを、今度は宿屋の主人がじろりと睨んだ。娘を嫁にやる父親のような顔をして、歴戦の戦士にも負けぬ迫力で声を低くする。

「責任を取るといったのにだんまりか」

「違う、俺は」

焦ってガタンと立ち上がったラザフォードに合わせてエティエンヌものっそりと立ち上がり、むふりと笑って追い討ちをかけた。

「……ラザフォード、あんたは、ミチルを、どうしたい」

「……どうしたい?」

ラザフォードは、きっ……とエティエンヌに視線を向け、興奮を落ち着けるようにふー……と息を吐く。意を決したように、心配そうに自分を見上げるミチルを見た。

「……どうしたいも何も……俺は……」

そんなこと、とうに決まっている。何のためにミチルを守りたいと思ったのか。どうして他の男にミチルを守らせるのが嫌だったのか。2人きりでいたかったのはどうしてか。

……あのとき、アストンの下半身がミチルの太腿に押し付けられているのを見た時、血が一気に逆流したかと思った。飛びかかった身体を一瞬エティエンヌが押さえなかったら、あの一撃で自分はアストンを殺していただろう。アストンの首を締め、狂ったように2度3度、硝子の窓に打ちつけた。ミチルが目隠しをしていなかったら、どうなっていたことか。ミチルを先に助けろというエティエンヌの言葉に我に返らなかったら、もっともっとミチルに恐ろしいものを見せていたはずだ。

激しくて未熟な自分に、柔らかくて可愛いミチル。
鱗に覆われた蜥蜴の男が、繊細で華奢な人間の女を望むなど。

それでも、本心はひとつなのだ。

ラザフォードはミチルの隣にもう一度座ってうなだれた。

「ミチルの、そばにいたい」

しかし、ミチルを守れなかった上に、逆上してミチルの柔らかさを傷つけてしまいそうな自分が、そばにいたいなど……そんなことを望めるだろうか。それよりも、ミチルを安心させるもっとふさわしいものがいるではないか。そう、言おうと思って顔を上げると、ミチルがきゅう……とラザフォードに抱きついた。

「ミチル!?」

「私も……私も、ラズのそばにいたい」

「ミチル……しかし」

「どうして? ダメですか?」

ミチルの身体を支えようとラザフォードの腕が細い背中に回る。きゅ……と甘く抱き寄せて腕を緩めると、不安そうに自分を見上げるミチルがいた。この可愛いミチルに、一瞬でも怖い思いをさせたのは自分だ。

「……俺で、いいのか。……その俺よりも、もっとふさわしい者が……」

「ふさわしい? 誰」

むう……としたご機嫌斜めの顔でミチルがラザフォードの腕の中から見上げた。唇をとがらせたそういう顔もかわいいが、もう自分を惑わせないで欲しかった。

「……エティエンヌがいるだろう」

その言葉を聞いて、部屋の中の全員が「はあ?」と声を上げた。

「え? 自分?」

甘い雰囲気にむふむふしていたエティエンヌが、きょとーんとすっとぼけた表情で自分を指さす。かなり長い時間、部屋の中を沈黙が占めた。ゆるく腕に囲ったままのミチルは、今まで見た事のないようなうさんくさい顔でラザフォードを見上げているし、いつも気難しい顔をしている宿屋の主人は文字通り瞳を丸くしている。唯一女将だけが、ああ……とため息を吐いた。

時が止まったような不自然な程の長い沈黙と、よく分からない微妙な雰囲気にラザフォードが怪訝な顔をし、何か言おうとすると、ミチルが先に言葉を発した。

「あの、ラザフォード?」

「ミチル……?」

「あのね、ラズ……エティエンヌさんは……」

ミチルがラザフォードを覗き込み、困ったようななんともいえない顔をする。そうして、衝撃的な一言を放った。

「エティエンヌさんは、女の人なんだけど……」

「は?」

ラザフォードの口が、かぱっ! と開いた。